丸善日本橋が「向付」展、江口智己、宮本茂利・智子ら

【銀座新聞ニュース=2018年5月13日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は5月16日から22日まで3階ギャラリー特設会場で「懐石-向付から始まる器展」を開く。

丸善・日本橋店で5月16日から22日まで開かれる「懐石-向付から始まる器展」のフライヤー。

懐石料理(かいせきりょうり)の中で最初に登場し、宴の最中も常に客人の手の中に存在する器「向付(むこうづけ)」から2013年に始まった作陶家の勉強会「基(もとい)」に集まった江口智己 (えぐち・ともみ)さんら8人(組)がこれまで開いてきた「向付」の器展から、「懐石」全体に広げ、懐石の器を中心に、その他の器も展示する。

「基」によると、「向付」は懐石料理において膳の中で、飯碗、汁碗の奥(向こう)に配されることから「向付」という名称がつけられたという。それ以前は、引き皿(取り皿)、なます皿、筒型のものを「猪口(ちょく)」と呼ばれていた。

「向付」は主に生の魚の切り身(関東では刺身、関西ではお造り)が盛り付けられるが、豆腐や野菜など他の素材が盛られることもある。懐石料理においての「一汁三菜」では最初に出てくる器が「向付」で、食した後は取り皿、取り鉢として用いられ、最後まで使われる。

また、「一汁一菜」においては唯一の菜となることから、その席におけるテーマ性を求められ、もっとも器形に富んだ器とされている。ただし、普段の生活ではなじみの薄い器で、家庭で使う際には、一汁一菜つまり少量で、日常に「ハレ」を持ち込むことができる器としている。

一般に「ハレ」とは、冠婚葬祭だけでなく、実家、近所からもらった初物や土産などもあり、「基」では、ささやかな「ハレ」を演出することができる器が「向付」と考えている。

「世界大百科事典」によると、日本料理で膳の向こう側につける料理、またはそれを盛りつける器をいう。江戸時代半ばには使われていた言葉で、なますか刺身に用いることが多かったが、現在の懐石では、はじめに亭主が持ち出す折敷(おしき)に飯、汁とともに向付が配され、陶磁器の皿に刺身を盛るのが一般的になっている。

そのため、現在では、「向付」とは「お造り(刺身)」を意味し、茶懐石の中で、ご飯とお椀(汁)の奥(向こう)に刺身が置かれたことから、このような呼び方になったとされている。

今回、出展するのは、愛知県名古屋市生まれ、愛知県立瀬戸窯業高校専攻科を卒業し、多治見市で陶芸を制作している安藤友紀(あんどう・ゆき)さん、1971年東京都生まれ、1995年武蔵野美術大学空間演出デザイン学科中退、愛知県瀬戸市の窯元「霞仙陶苑」に入社、1999年に退社して瀬戸で独立し、2003年から千葉県富津市で制作している江口智己さん。

1971年神奈川県横浜市生まれ、1996年に大学政経学部を卒業、1998年に愛知県立窯業高等技術専門校を卒業、1998年から九谷の「山背陶房」で制作、2000年から瀬戸市で修業、2002年に独立した宮本茂利(みやもと・もり)さんと1975年三重県上野市(現伊賀市)生まれ、1996年に短期大学を卒業、1998年に愛知県立窯業高等技術専門校を卒業、1998年から九谷の「青窯」で制作、2000年から瀬戸で修業、2002年に独立した宮本智子(みやもと・さとこ)さん夫婦の「新道(しんどう)工房」(愛知県瀬戸市)。

1986年長野県生まれ、2007年岐阜県立多治見工業高校専攻科卒業、「(有)玉山窯」に入社、岐阜県重要無形文化財保持者の玉置保夫(たまおき・やすお)さんに師事、2011年に土岐市織部の日記念事業第4回現代茶陶展で入選、2013年に「玉山窯」を退社、独立し、第20回美濃陶芸庄六賞茶碗展で銀賞を受賞し、岐阜県土岐市で制作している竹下努(たけした・つとむ)さん。

1968年大阪府大阪市生まれ、2000年に京都伝統工芸専門校を卒業、2001年に第56回姫路市美術展で入選、2003年に徳島県上坂町に「光萌窯」を築窯した中西申幸(なかにし・しんこう)さん。

1983年東京都生まれ、2003年に愛知県立窯業専門校を卒業、製陶所勤務を経て、岐阜県土岐市で独立、制作している額賀円也(ぬかが・えんや)さん、岐阜県で修業し、2010年から熊本県南関町で「素月窯」を構えて作陶している松永真哉(まつなが・しんや)さん。

千葉県我孫子市生まれ、1997年に武蔵野美術大学短期大学部工芸デザイン専攻科陶器コースを卒業、1997年に「九つ井 陶郷(ここのついど すえのさと)」(神奈川県)の陶器の制作スタッフとして入社、2006年に独立、「陶工房 扇屋」(神奈川県鎌倉市)を主宰し、現在、駒沢女子大学非常勤講師の渡辺信史(わたなべ・しんじ)さん。

ウイキペディアによると、懐石料理は本来、茶の湯において正式の茶事の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいい、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する。正式の茶事において「薄茶」と「濃茶」を喫する前に提供される料理のことで、千利休(せんのりきゅう、1522-1591)時代の茶会記では、茶会の食事について「会席」や「ふるまい」と記されており、本来は会席料理と同じ起源であった。

江戸時代になって茶道が理論化されると、禅宗の温石(おんじゃく)に通じる「懐石」の文字が当てられ、懐石とは寒期に蛇紋岩(じゃもんがん)、軽石(かるいし)などを火で加熱したもの、温めたこんにゃくなどを布に包み懐に入れる暖房具を意味している。

天正年間(1573年から1592年)には堺の町衆を中心として「わび茶」が形成され、その食事の形式として「一汁三菜(飯、汁、向付、煮物、焼物)」が定着し、「懐石」=「一汁三菜」が成立した。江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形が確立し、その後、料理技術の発達と共に、「もてなし」が「手間をかける」ことにつながり、現在の茶道や料亭文化に見られる様式を重視した「懐石」料理が完成した。

現代では、茶道においても共通する客をもてなす本来の懐石の意味が廃れ、茶事の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の軽食や類似の和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化している。

「懐石料理」と「会席料理」はしばしば混同されるが、まったく別のもので、料理を提供する目的も異なっている。懐石は茶事の一環であり、茶を喫する前に出される軽い食事で、酒も提供されるが、目的は茶をおいしく飲むための料理をいう。一方、会席料理は本膳料理や懐石をアレンジして発達したもので、酒を楽しむことに主眼があり、料理の提供手順も異なっている。もっとも異なるのは飯の出る順番で、懐石では飯と汁は最初に提供されるが、会席料理では飯と汁はコースの最後に出される。

茶事の懐石では、飯碗、汁碗、向付を乗せた折敷(おしき、脚のない膳)を亭主自ら運び、客に手渡す。客側から見て、膳の手前左に飯碗、手前右に汁碗、奥に向付が置かれ、手前に利休箸(両端が細くなった杉箸)を添える。箸置は用いず、箸は折敷の縁に乗せかけてある。

飯碗と汁碗は塗り物の蓋付き碗、向付は陶器製の皿を用いる。飯碗には炊きたての柔らかい飯を少量盛り、汁碗の味噌汁も具が頭を出す程度に控えめの量にする。向付は一汁三菜の1菜目に当たるもので、お造り(刺身)などを盛る。

飯は裏千家では一文字に形を整え、表千家ではふっくらと盛る。表千家流では、飯は一口程度を残し、後で出される湯漬けのためにとっておく。汁は全部吸い切り、向付は後ほど酒が出されてから手を付けるのがマナーとされている。

客が汁を飲み切った頃合に、亭主が銚子(または燗鍋)と盃台(客の人数分の盃が乗っている)を運び、客に酒を注ぐ。その際、盃(さかづき)のことを「猪口(ちょこ)」といい、酒を飲むための小さな器をいう。客はここで向付のさかなに手を付ける。酒は懐石の中で3回ほど出される。1献目の酒が出された後、一汁三菜の2菜目に当たる煮物碗が出される。煮物碗は飯碗や汁碗よりやや大きめの蓋付き碗を用いる。

煮物は懐石のメーンに相当する料理であり、しんじょ、ふ、湯葉、野菜などを色取りよく盛り、すまし汁仕立てにすることが多い。煮物の前か後に飯次(飯器)が出される。人数分の飯が入っており、客は各自の飯碗にお替りの飯を付ける。また、亭主から汁替えが勧められ、味噌汁のお替りが運ばれる。

焼物は一汁三菜の3菜目に当たる。煮物碗が客1人1人に配られるが、焼物は大きめの鉢に盛った料理(焼魚など)を取り回す。取り箸は青竹か白竹製で中節の取り箸を用いる。客は鉢からめいめいの食べる分を取り箸で取り分け、向付か煮物碗の蓋に取る。

焼物は重箱(引重)で出される場合もあり、その場合は重箱の下の段に焼物、上の段に香の物を入れる。このあたりで2度目の飯次が出され、2度目の汁替えも勧められるが、汁替えは客の方で断るのが通例となっている。また、煮物の後か焼物の後に亭主がふたたび銚子を持ち出し、2献目の酒が勧められる。酒は客同士が注ぎ合う。

現代の茶事では、一汁三菜に加え「預鉢(あずけばち)」(進め鉢とも)と称して、もう1品、炊き合わせなどの料理が出される。これも焼物と同様に、大きめの鉢に盛り合わせた料理を天節(止節、節が持ち手の端にあるもの)の取り箸で取り分ける。流派によっては「強肴(しいざかな)」と称する場合もある。その後、客(末客)は、空いた鉢、銚子、飯次などを給仕口の手前に返す。亭主は頃合いを見て、吸物椀を運ぶ。これは食事の最後に出される小さめの吸物で、「箸洗い」とか「すすぎ汁」とも称する。以後は盃事となる。吸物椀の蓋は後ほど酒のさかなを受けるために使用される。

八寸(約25センチ)四方の杉の素木の角盆(これを八寸という)に、酒のさかなとなる珍味を2品(3品もある)、品よく盛り合わせる。2品の場合は、1つが海の幸ならもう1品は山の幸というように、変化をつけるのがならわしである。亭主は正客の盃に酒を注ぎ、八寸に盛ったさかなを正客の吸物碗の蓋を器として取り分ける。

酒とさかなが末客まで行き渡ったところで、亭主は正客のところへ戻り、「お流れを」と言って自分も盃を所望する。その後は亭主と客が1つの盃で酒を注ぎ合い、亭主は正客の盃を拝借するのが通例で、正客は自分の盃を懐紙で清め、亭主はその盃を受け取り、そこに次客が酒を注ぐ。

その次は、同じ盃を次客に渡し、亭主が次客に酒を注ぎ、末客が亭主に、亭主が末客に酒を注ぎ合った後、亭主は正客に盃を返し、ふたたび酒を注ぐ。このように、盃が正客から亭主、亭主から次客、次客から亭主、と回ることから、これを「千鳥の盃」と称する。客が上戸の場合は、さらに「強肴(しいざかな)」と称される珍味が出される場合もある(強肴は「預け鉢」の前後に出される場合もあり、「預け鉢」そのものを「強肴」と称する流派もある)。

納盃した後、湯桶(湯斗、湯次)と香の物が出される。湯桶には湯と共に「湯の子」が入っている。湯の子は飯の「おこげ」が本来だが、炒り米などで代用することもある。添えられた湯の子すくい(柄杓)で湯の子を取って飯碗と汁碗に入れた後、両碗に湯を注ぎ、飯碗に少量残しておいた飯で湯漬けをする。最後は湯を全部飲み切り、器を懐紙で清めて亭主に返す。

食事の後に菓子が出される。菓子は縁高(ふちだか)と称する重箱に入っており、黒文字と称する木製の楊枝(ようじ)が添えられている。縁高は客の人数分重ねられ、1段に1個の菓子が入っている。正客は縁高の一番下の段を残し、残りを次客に送る(次客も同様にする)。菓子は懐紙に取り、黒文字を使って食する。

千利休時代までは主に漆器が用いられていたが、織部焼などの国産陶磁器の発達により、器が多彩になり、現在では懐石料理に用いる器は陶器、磁器、漆器、木器、ガラス器などがある。このうち飯碗と汁碗などは漆器を用いるのが通例とされている。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

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