松屋で3000本の傘、注文や雨の日サービスも

【銀座新聞ニュース=2018年6月7日】国内百貨店業界15位の松屋(中央区銀座3-6-1、03-3567-1211)が運営する松屋銀座店(中央区銀座3-6-1、03-3567-1211)は6月6日から29日まで1階スペース・オブ・ギンザで「GINZAの百傘会」を開く。

館内の吹き抜けスペース天井に150本の傘を吊るディスプレイ(画像は過去の風景)。

「銀座(GINZA)の百傘会(ひゃくさんかい)」は50年以上続くイベントで、「マイ・フェイバリット・アンブレラ」をテーマに今回も約3000本の傘が揃い、館内の吹き抜けスペース天井に150本の傘を吊っている。

12日までの期間限定で販売しているのが福井洋傘のくまさんが入った「ジャカード織雨傘」(ポリエステル、3万7800円)、ドイツ発祥のクニルプスの「折りたたみ雨傘」(ポリエステル、6264円)、スコットランドのアクセサリーデザイナー、カレン・マボンの「森の赤ずきんちゃん」や「猫の眼が光る茂み」など「アニマル」をテーマにした新柄5柄の「雨傘」(ポリエステル、1万4040円)など。

また、今回から好みの写真や画像、既存のデザインデータを、タブレットで自由にシミュレーションし、プリント傘に仕立てる注文も受け付ける。1本から注文でき、骨(婦人用、紳士用でそれぞれ長傘、長ジャンプ傘、ミニ傘など6種類)と手元(ハンドル部は木、合皮などの素材と黒、赤、ネイビーなどの色を合わせた24種類)も選んで価格は8964円から。渡すまでに約1カ月かかる。

さらに、28日まで各階で雨の日限定の「ウキウキ(UKIUKI)サービス」を実施する。例えば、1階化粧品売り場では10ショップでメイク直しやリフレッシュサービスを提供する。地下2階、地下1階の食品売り場では16ショップが割引や増量サービスを実施する。5階紳士売り場では外回りの営業マンを対象に、スラックスの無料パンツプレスや靴のブラッシングと防水スプレーをサービスする。

ウイキペディアによると、古来「かさ」とは「笠」を指し、傘は「差しがさ」と呼称した。「笠」は柄がなく頭にかぶるものをいう。それに対し「傘」には柄(え、から)があり、「からかさ」とも読む。日本語では、使う目的によって雨傘(あまがさ)、日傘(ひがさ)と呼んで区別する。日本の伝統的な工法と材質で作られたものを「和傘」、西洋の伝統的な工法と材質で作られたものを「洋傘」と呼ぶ区別もある。

欽明天皇(きんめい・てんのう、509-571)の時代に、当時の中国大陸から朝鮮半島西岸勢力の百済(346年から660年)を経由して伝来した輸入品であり、導入当初から「唐傘(からかさ)」と呼称されたとの説が一般的であるが、日本で独自に開閉式に改良されたものを、唐繰傘(唐繰は絡繰と同義語)と呼称したことから略して「唐傘」と呼称されるようになったともされる。和傘はおもに竹を材料として軸と骨を製作し、傘布に柿渋、亜麻仁油、桐油などを塗って防水加工した油紙を使った。

和傘には番傘(ばんがさ)や蛇の目傘(じゃのめがさ)、端折傘(つまおれがさ)などがあり、蛇の目傘は、傘の中央部と縁に青い紙、その中間に白い紙を張って、開いた傘を上から見た際に蛇の目模様となるようにした物で、外側の輪を黒く塗ったり、渋を塗ったりするなどの変種も見られる。

洋傘の骨が数本程度であるのに対して、和傘の場合、大きさにもよるが数十本の骨が用いられる。これは洋傘と傘の展開方法が異なるためで、余った被膜を張力で張るのではなく、竹の力により骨と張られた和紙を支える仕組みとなっている。すぼめた際に和紙の部分が自動的に内側に畳み込まれる性質を持つ。

和傘は防水性には優れているが、耐久性に優れているとはいえず、また自然素材を多用した結果、洋傘に比べて重いという欠点がある。そのため、上向きに展開するには重量が過大で、過度な力がろくろや骨にかかることを避けるよう、展開の際には一般的に下向きに展開し、その後上に向ける。

洋傘のように逆さに傘を立てて保管すると雨水が頭頂部にたまり、浸水により破損する危険があるため、天井や軒先からつるすように保管する必要がある。和紙を多用するため、虫食い、湿気による侵食、多雨時の防水性にも問題が生じる。また、長期で利用すると素材の特性で色が移り変わる。雨傘の場合、長期使用しないと防水用の油がくっつき、展開に手間取る場合がある。

東洋では、傘はまず魔除けなどの目的で、貴人に差しかける天蓋(開閉できない傘)として古代中国で発明され、その後に日本に伝えられ「きぬがさ」(絹笠、衣笠)と呼ばれた。

平安時代に製紙技術の進歩や竹細工の技術を取り込んで改良され、室町時代には和紙に油を塗布することで防水性を持たせ、現在と同じ用途で広く使用されるようになり、ろくろを使って開閉させることができるようになった。それと共に傘を専門に製作する傘張り職人が登場して、技術が進歩し、「七十一番職人歌合」には傘張り職人の姿が描かれているほか、奈良の大乗院には唐傘座が組織された。江戸時代になると分業制が発達し広く普及するようになった。

元禄年間(1688年から1704年)からは柄も短くなり、蛇の目傘がこの頃から僧侶や医者に使われるようになったほか、その広げた際の面積の大きさに着目し、雨天時に屋号をデザインした傘を客に貸与し、店の名前を宣伝してもらうといったことも行われ、また、歌舞伎の小道具としても使われるようになった。また、その製作過程は分業化され、江戸時代には失業した武士が副職として傘を製作することもあった。長野県下伊那郡喬木村における阿島傘などはその一例で、今日でも同村の特産品となっている。

明治時代以後は洋傘の普及により、和傘は急速に利用されなくなった。現在では雨傘としての利用はほとんどなく、観光地での貸し出しや、日よけ用として旅館や和菓子屋の店先、野点用などに、持ち歩くのでなく固定して利用される程度である。現在では岐阜、京都、金沢、淀江、松山等に少数の和傘製造店が残っている。

和傘の大きさは通常、実用的サイズで製作されるが、一方で大きな和傘の製作も企画などで行われている。1963年にはアメリカ企業の依頼で岐阜県岐阜市の「岐阜和傘」が当時日本一となる直径5.7メートルの和傘を製作し、1989年に長野県喬木村の「阿島傘」が日本一プロジェクトで直径6メートル、重さ240キロの和傘を製作し、2002年には大分県中津市の和傘工房・朱夏がイベントで直径10メートルの「中津和傘」を製作し、日本一の大きさとなっている。

洋傘が使われ出したのは約4000年ほど前といわれ、エジプト、ペルシャなどの彫刻画や壁画に残っている。ギリシャでは祭礼のときに神の威光を表すしるしとして神像の上にかざしていた。紀元前7世紀のアッシリアの壁画には、国王の頭上に天蓋のようにかかげてあるのが描かれている。インドでは傘はもともと酷暑の貴族や高僧の日除けに使われていて、吉祥をもたらす8つの物の一つと数えられている。

傘が一般的に使われ出したのは古代ギリシャ時代で、アテナイの貴婦人たちが日傘を従者に持たせて歩いている絵が残っている。そのころの傘は開いたままですぼめることはできなかった。

ヨーロッパでも、天蓋から傘は発達した。ヨーロッパにおいて、長く傘はぜい沢品であり、富と権力の象徴だった。遺言書に傘を誰が継ぐのか、を書くことも珍しくなかった。それ故に、洋傘と比べて材料費が安く、比較的安価に手に入った和傘を使っていた日本人と比べて傘に対する見方が違い、日本で安価な材料で作られ、低額で売られているビニール傘などを見て驚くヨーロッパ人がいるともいわれる。

今日のような開閉式の傘は13世紀にイタリアで作られたといわれているが、傘の親骨(フレーム)には鯨の骨や木を使っていた。イタリアで作られた日傘はスペインやポルトガルに広がった。フランスへは1533年にフィレンツェのメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Medicis、1519-1589)がアンリ王子(のちのアンリ2世、Henri2 de France、1519-1559)に嫁いだときに伝えられたといわれている。17世紀のフランスでは、町中で2階から投げ捨てられる汚物(糞尿)を避けるために女性には傘が必需品だった。

英国では、18世紀頃に現在の構造のものが開発された。傘の開発当初は、太陽から肌を守るため、つまり、日傘として開発され、雨の日は傘をさす習慣がなく濡れていた。ある1人の紳士が雨の日に傘をさし笑われたとも言われている。しかし、時が経ち、その紳士のマネをするようになり次第に雨の日の必須アイテムとなった。当初、雨傘は女性の持ち物とされていたが、1750年、慈善家で旅行家であり、著述家、商人でもあったジョーナス・ハンウェイ(Jonas Hanway、1712-1786)が雨傘を使用したことをきっかけに男性にも普及した。

ジョーナス・ハンウェイがペルシャを旅行中に見つけた中国製の傘が雨傘として使われていたのに感激し、これを広めようと思って防水を施した傘をさしてロンドンの町を歩いたという。女性の持ち物とされていた傘を、男性は雨の日には帽子で雨をよけるのが当たり前で雨具として男が傘を使うのはペチコートを着るのと同じことだというほど奇異に思われる時代に、その大胆さは変人扱いを招いたとされる。ところがジョナスが約30年間も手に持ち歩き雨傘として使い続けたことで、英国の男たちの目にも次第に傘が見慣れたものとなっていったという。

営業時間は10時から20時(日曜日は19時30分)。

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