丸善日本橋で小林加代子、酒井泉「月見の器」展

【銀座新聞ニュース=2018年9月17日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は9月19日から25日まで3階ギャラリーで小林加代子さんと酒井泉さんによる「月見のうつわ展」を開く。

丸善・日本橋店で9月19日から25日まで開かれている小林加代子さんと酒井泉さんの「月見のうつわ展」のフライヤー。

丸善では「暑かった夏も過ぎて空は高く澄み渡り、お月見の季節となりました。田畑では作物が豊かに実り、食べ物のおいしい季節でもあります。今年の『十五夜』は9月24日です。ぜひ秋の草花を飾り、お気に入りの器で月見をお楽しみ下さい」とし、染付の小鉢作家の小林加代子(こばやし・かよこ)さんと陶磁器の酒井泉(さかい・いずみ)さんが「十五夜」の月見を楽しむ器を出品する。

ウイキペディアなどによると、「十五夜」は8月十五夜(旧暦8月15日から16日の夜)の「月見」をいう。「十五夜」(中秋の名月)は中国から伝わった。名月の日に月を鑑賞する風習の始まりは、唐代の頃からといわれ、宋代の「東京夢華録」には身分に関わらず街を挙げて夜通し騒ぐ様子が記録されている。

この風習が貞観年間(859年から877年)の頃、日本の貴族社会に入り、平安時代の月見は徐々に規模が大きくなり、919(延喜19)年に宇多法皇(うだほうほう、867-931)が旧暦9月13日にも観月の宴を行い、これが日本独自の「十三夜」の月見のはじまりとされている。また、食べ頃の大豆(枝豆)や栗などを供えることから、この夜の月を「豆名月(まめめいげつ)」または「栗名月(くりめいげつ)」と呼ばれる。

当時の日本での月見は詩歌や管絃を楽しみつつ酒を酌む、といった雅味な催しで庶民とは縁のないもので、この頃の月見は中国、日本ともに願掛けや供え物といった宗教的な要素はなく、ただ月を眺めつつ楽しんでいた。

日本では室町時代に入ってからも名月の日は続いたが、遊宴としては簡素になり、室町後期の名月の日には月を拝み、お供えをする風習が生じていた。「御湯殿上日記」には後陽成天皇(ごようぜい・てんのう、1571-1617)がナスに開けた穴から月を見て祈る「名月の祝」という祝儀の様子が記録されている。

月見が世俗化した江戸時代前期の記録によれは、十五夜の日は芋煮を食べて夜遊びをするのが一般的だった。その頃の庶民の月見には月見団子などの供え物の記録は見られず、家庭で供え物が行われるようになったのは中期以降と見られている。江戸後期の風俗記録である「守貞漫稿」には十五夜の日は文机で祭壇をこしらえ、供え物として江戸では球形の、京阪ではサトイモの形をした月見団子を供えると記録されている。

小林加代子さんは組み合わせ方によりいろいろな場面で使え、見ても側に置いても楽しめる、シンプルな器を制作しており、技法については磁器土をロクロ成形し、呉須で下絵付をし、還元焼成をしている。染付の文様は野草(主に野いばら)をスケッチし、作り手と使い手の心が「ツナガル」という思いを込めて、重ねて並べて「ツナガル」ようなデザインを採用している。

酒井泉さんは1990年に武蔵野美術大学油絵科を卒業、1998年に愛知県立窯業高等技術専門校を修了、愛知県瀬戸市で修業を重ね、東京で主に瀬戸や信楽の土を使って使用陶器を制作している。化粧土や釉薬(ゆうやく)を薄く塗り重ねて、1240度の高温で焼成している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

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