立川銀座、野本三奈子「文字の歴史」展、テンペラ画技法で

【銀座新聞ニュース=2018年10月9日】ブラインド業界の最大手メーカー、立川ブラインド工業(港区三田3-1-12、03-5484-6100)の銀座ショールーム(中央区銀座8-8-15、03-3571-1373)地下1階「タチカワ銀座スペース Atte」は10月4日から14日まで野本三奈子さんによる作品展「『文字』過去から未来へ」を開いている。

立川ブラインドの銀座ショールームで10月14日まで開かれている野本三奈子さんによる作品展「『文字』過去から未来へ」に出品されている作品「装飾文字Dー木に登る人」。

カリグラファー、タイポグラファーの野本三奈子(のもと・みなこ)さんが古典絵画(テンペラ画)の技法によるカリグラフィー作品や、中世ルネサンスの「写本」に見られる羊皮紙に描かれた装飾文字、今日のデジタル技術を融合させた作品など約50点の作品を展示している。この展示を見ると、時代とともに変化していく「文字」の世界が一望できるとしている。

「カリグラフィー」とはギリシャ語の「calli(カリー、美しい)」と「graphein(グラフィン、書くこと)」に由来する言葉で、16世紀から17世紀に生まれた手書きの文字のことだ。日本では「西洋書道」と訳され、日本の書道と同じく文字を美しく見せるための手法だが、筆記にペンまたはそれに類する道具を用いているため、毛筆の書道とは表現されたものが大きく異なる。

1文字ずつ手書きで書かれているため、書体の種類は数100の単位もあるが、その区分も明確でなく、代表的なものにはゴシック体、アンシャル体、イタリック体などがある。

同じく「ラテン語による聖書ルカ伝」。

ウイキペディアによると、カリグラフィーの起源は、1世紀後半から2世紀にかけての古代ローマにおける碑文、特にトラヤヌス帝(Marcus Ulpius Nerva Trajanus、53-117)が建立した石碑の文字とされ、当時のアルファベットには小文字はなく、文章はすべて大文字でつづられていた。「キャピタル・モニュメンタリス」と呼ばれるこの文字は、現代に至る活字書体の原型であり、また手書き書体の規範とされた。

一方で、2世紀から3世紀ころに、ギリシャ語の書体をもとにローマ字体にした「アンシャル体」が、主にキリスト教の文書に使われるようになり、これが現在の小文字の起源とされている。「アンシャル体」をもとにして、「ハーフアンシャル体」が生まれ、その後、6世紀後半にはフランク王国(481年ころから887年まで存在し、その後、東=神聖ローマ帝国=、中=イタリア王国=、西=フランス王国=の3王国に分割された)で「カロリング小文字体」が生まれ、現在、使われている小文字の形は、ほとんどこの書体が基本となっている。

日賀野兼一(ひがの・けんいち)さんによると、「テンペラ画」とは、絵をキャンバスに描く場合、色彩をそのキャンバスから剥がれなくするためになんらかの定着(接着)剤が必要になる。

現在は油彩画やアクリル画などの技法があるが、油彩画もアクリル画などもなかった約500年前には、色(顔料)と「生卵の中身」(生卵の黄身だけ、白身だけ、黄身も白身も混ぜる、生卵と油を混ぜるなど人によってやり方は異なる)を混ぜて、水で溶いて描いていた。この生卵を使用するやり方を、現在では「テンペラ画」という。

「テンペラ」という言葉は、イタリア語の「temperare(テンペラーレ)」が語源で、「混ぜ合わせる」という意味だが、油彩画も、色(顔料)と油を混ぜ合わせて描いていく技法なので、それと混同するのを避けるため、現在では、色(顔料)と生卵の中身を混ぜて描く方式のみ「テンペラ画」と呼ぶ。

テンペラ画は乾きが早く、丈夫で、耐久性に富むため、油絵具と違って、乾くと色調が数段明るくなり、色彩の発色のよさ、描線の美しさが特徴としている。

野本三奈子さんは大学で中世フランス文学を専攻し、「写本」と出会い、以来手書き文字に興味を持ち、1994年より日本カリグラフィースクールにてカリグラフィーを習得し、2004年よりタイポグラフィーを学び、2006年より中世ルネサンス工房鎌倉にて、テンペラ画を学ぶ。

記録伝達としての文字に留まらず、文字の美しさや芸術性を再認識するべく、作品制作に取組んでいる。現在、カリグラフィーネットワーク会員、中世ルネサンス工房鎌倉に所属している。

開場時間は10時から18時(最終日は16時)。入場は無料。

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