広島TAUで「大ちゃん」のお好み焼

【銀座新聞ニュース=2018年11月6日】広島県(広島県広島市中区基町10-52、082-228-2111)は11月6日から11日までアンテナショップ「TAU」(中央区銀座1-6-10、銀座上一ビルディング、03-5579-9952)2階広島お好み焼「鯉々」で「鉄板居酒屋 大ちゃん」のお好み焼を提供している。

11月6日から11日まで「たう(TAU)」の広島お好み焼店「鯉々」で提供される「鉄板居酒屋 大ちゃん」のフライヤー。

「鉄板居酒屋 大ちゃん」は1989年に創業し、29年を迎える広島お好み焼の宅配専門店で、現在、「薬研堀店」(広島県広島市中区薬研堀8-13、082-545-7232)、「戸坂店」(広島県広島市東区戸坂新町1-7-25、082-220-5212)、「光町店」(広島県広島市東区光町2-8-15、082-263-0410)、「安古市店」(広島県広島市安佐南区安東2-12-2、082-847-0355)の4店舗の店内型店舗を広島市内に展開している。

「たう(TAU)」では、広島お好み焼の多様性や奥深さ、店舗ごとのこだわりの違いを、首都圏在住者に味わって体感してもらうとの狙いで、広島のお好み焼の有名店を交代で「たう」に期間限定で出店する企画の一環としている。

ウイキペディアによると、「お好み焼き」は、小麦粉とキャベツなどを使う鉄板焼きの一種で、現在のお好み焼きに近いものとしては明治に東京で定着していた「もんじゃ焼き」から派生し、昭和の初めに東京を中心に流行した「どんどん焼き」があり、屋台や縁日などで販売された。

どんどん焼きは近畿地方においては、ソースが洋食的で一銭で買えることから「一銭洋食」と呼ばれ広まった。こうした古いスタイルのお好み焼きの原型は、現在も祭りの屋台などで提供されている他、岸和田市のかしみん焼きや高砂市のにくてん、あるいは「ねぎ焼き」や「キャベツ焼き」といった形で残っている。

1918(大正7)年3月24日の読売新聞朝刊に「蝦(エビ)フライ一銭のどんどん焼」と題する記事が掲載されており、記事内では「どんどん焼き」という表現を用いながらも、その屋台の暖簾(のれん)や品書きには「お好み焼」という表現が使用されている。

国語学者の池田弥三郎(いけだ・やさぶろう、1914-1982)の「私の食物誌」には「昭和6年から7年(1931年から1932年)ごろに銀座裏のお好み焼き屋が密会所のようになり、風俗上の取り締まりで挙げられた」という話が書かれており、当時のお好み焼き屋は飲食を口実として懇ろの男女に逢瀬の場を提供する、いかがわしい業態としても機能していたことが読み取れる。

現存するお好み焼き屋の中で最古とされる店は、浅草の「風流お好み焼 染太郎」で1938(昭和13)年(12年という説もあり)の創業であるが、大阪でも同じ時期に「以登屋」(現在は閉店)が開店しており、大阪で初めて客に自由に焼かせる「お好み焼き」を紹介したとされる。大衆店として人気を博した染太郎では、創業当時のお好み焼きの価格は1枚5銭だった。

広島は戦前の東京で誕生した座敷料理のお好み焼きはもちろん、戦後に広まった混ぜ焼き式のお好み焼きの影響も受けなかった地域だが、どんどん焼きは乗せ焼きが主流であり、どんどん焼きから一銭洋食として伝わり、関西のお好み焼きも広島のお好み焼きも源流は同じである。戦災からの復興過程で1950年ごろに発生した屋台街(後のお好み村)において、鉄板一枚で調理できることから、戦前の一銭洋食をベースに独自の変化を遂げ、後に広島風お好み焼きと呼ばれる料理に発展した。

「鉄板居酒屋 大ちゃん」の味は独自開発の「天かす」の甘みが口の中に広がるのが特徴のお好み焼で、今回は「そば肉玉」(税込850円)、「そば肉玉ネギ」(1000円)、「ピタまろ焼」(1100円)を提供する。

営業時間は昼食が11時から14時、夕食が17時から21時。