日本橋高島屋で山口蓬春回顧展、「望郷」の小下絵、小下図も

【銀座新聞ニュース=2019年8月8日】国内新聞業界第2位の朝日新聞社(中央区築地5-3-2、03-3545-0131)と公共放送局の日本放送協会(NHK、渋谷区神南2-2-1、0570-066-066)の子会社、NHKプロモーション(渋谷区神山町5-5、ニッポンレンタカーサービス、03-5790-6420)は8月7日から19日まで日本橋高島屋S.C.本館8階ホールで「山口蓬春展 新日本画創造への飽くなき挑戦」を開いている。

日本橋高島屋で8月19日まで開かれている「山口蓬春展 新日本画創造への飽くなき挑戦」に展示されている「望郷」(1953年)。

大正、昭和の画壇で新しい日本画「大和絵(やまとえ)」の創造に力を尽くした山口蓬春(やまぐち・ほうしゅん、1893-1971)の足跡をたどる回顧展で、初期から晩年までの代表作を中心に約50点を展示し、山口蓬春が「追い求めた新しい時代の日本の伝統美をあらためて堪能できる」としている。

会場には、シロクマをユーモラスに描いた「望郷」の「本画」に加え、「小下絵」、「小下図」を並べて展示し、制作の軌跡をたどる。山口蓬春が「本画」に取りかかる前に描いた「小下絵」は、日本画家の東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)の新居祝いとして贈られている。

「小下図」は、山口蓬春と親交のあった歌舞伎役者の6代目中村歌右衛門(なかむら・うたえもん、1917-2001)が大のクマ好きということで本人に贈られた。「望郷」3作がそろって展示されるのは本展が初めてとしている。

また、山口蓬春の画室の再現コーナーを設けている。画室は同窓で友人の建築家、吉田五十八(よしだ・いそや、1894-1974)が設計し、展示されている机や椅子もそのときに吉田五十八に注文されたものという。この画室は、山口蓬春記念館(神奈川県三浦郡葉山町一色2320、 046-875-6094)に当時のままの姿で残されている。

山口蓬春が制作に打ち込んだ画室。

山口蓬春記念館によると、山口蓬春は1893(明治26)北海道松前郡松城町(現松前町)生まれ、1903(明治36)年に上京し、白馬会研究所で洋画を学び、1915(大正4)年に東京美術学校(現東京芸術大学)西洋学科に入学し、1923(大正12)年に東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科を首席で卒業した。在学中に西洋画科から日本画科に転じ、二科会で2度入選した。卒業後は、松岡映丘(まつおか・えいきゅう、1881-1938)の主宰する「新興大和絵会」に参加し、1926(大正15)年に第7回帝展に出品した「三熊野の那智の御山」で帝展特選、帝国美術院賞を受賞し、宮内庁買い上げとなり、1929年に帝展審査員を務めた。

1930(昭和5)年に日本画家や洋画家などと「六潮(りくちょう)会」を結成し、日本画家、洋画家、美術評論家からなる流派を超えた交流を通じて、独自の絵画領域を広げ、「市場」などの戦前の代表作を生み出した。戦後は、新日本画への姿勢がより一層鮮明になり、フランス近代絵画の解釈を取り入れた知的でモダンなスタイルを確立し、日展を中心に活躍した。1950年に日展運営会参事、日本芸術院会員、1954年に日展運営会理事、1958年に日展常務理事、1969年に日展顧問を務めた。

山口蓬春は「枇杷」などの緊張感に満ちた写実表現を経て、「紫陽花」などの清澄で格調ある表現へと画境を展開し、代表作として春、夏、秋、冬を発表した。1965年に文化勲章を受章、文化功労者、晩年には、集大成ともいえる皇居新宮殿の杉戸絵「楓」を完成し、た。1971年5月31日亡くなった。享年77歳。

開場時間は10時30分から19時30分。入場料は一般800円、大学生・高校生600円、中学生以下無料。