立川銀座で永田幸子「香港電車」展、小柳淳と対談も

【銀座新聞ニュース=2019年8月19日】ブラインド業界の最大手メーカー、立川ブラインド工業(港区三田3-1-12、03-5484-6100)の銀座ショールーム(中央区銀座8-8-15、03-3571-1373)地下1階「タチカワ銀座スペース Atte」は8月21日から25日まで永田幸子さんと「香港巴士鉄路旅遊協会」による写真展「香港路面電車〈トラム〉の走る街」を開く。

立川ブラインドの銀座ショールームで8月21日から25日まで開かれる永田幸子さんと「香港巴士鉄路旅遊協会」による写真展「香港路面電車〈トラム〉の走る街」に展示される川永田幸子さんの作品。

2019年は「日本香港観光年」にあたり、香港、マカオを中心に撮影している写真家の永田幸子(ながた・さちこ)さんが、100年以上前から香港の人たちの足として利用されてきた路面電車「トラム」の魅力を伝える個展を開く。

永田幸子さんが写真を担当し、「香港巴士鉄路旅遊協会(ほんこんばす・てつろりょゆうきょうかい)」会長で作家の小柳淳(こやなぎ・じゅん)さんが文章を手掛けた写真集「香港路面電車<トラム>の走る街」(春陽堂書店、税別2500円)を2015年に共著により刊行しており、その中から選んだ約35点の作品を展示する。また、「香港巴士鉄路旅遊協会」の会員、12人が「私の好きな香港2」と題して、作品25点を展示する。

同じく展示される永田幸子さんの作品。

今回、出品しているのは、小柳淳さん、田村早苗(たむら・さなえ)さん、田村善隆(たむら・よしたか)さん、小柳典子(こやなぎ・のりこ)さん、山本征一(やまもと・せいいち)さん、永田幸子さん、関根寛(せきね・ひろし)さん、和地由紀子(わち・ゆきこ)さん、谷口せい子(たにぐち・せいこ)さん、ジャッキー鶴丸(じゃっきー・つるまる)さん、宇田川香代子(うだがわ・かよこ)さん、隅田香織(すみだ・かおり)さん。

ウイキペディアによると、香港は前214年に中原王朝の支配下に入り、番禺県(ばんぐうけん)の管轄とされ、331年に宝安県(ほうあんけん)の管轄とされ、757年に東莞県(とうかんけん)の管轄とされ、明朝時代(1368年から1644年)の1573年に新安県(しんあんけん)の管轄とされた。

大清帝国(1644年から1912年)の時代に、広州が開港されると、1699年以降に英国の東インド会社などが来航し、1711年には広州に英国商館が開設されている。その後、英国は茶葉の大量輸入による貿易赤字に対応するため、インドからアヘンを清国に輸出し、販売を始めたが、清朝がアヘン輸入を規制すると、1839年に英国国会は1票という僅差で海軍の派遣を決定、同年にアヘン戦争が勃発し、1841年に英国軍が香港島を占領、1842年に締結された南京条約により、香港島は英国に永久割譲された。

さらに1856年に勃発したアロー戦争の結果、1860年に北京条約が締結され、九龍半島が英国に割譲され、1898年に九龍以北、深せん河以南の新界地域も租借した。この地域の租借期限は99年間とされ、1997年6月30日24時をもって切れることになっていた。

1941年12月から日本の陸軍と香港の英国連邦軍が戦い、12月25日に香港島唯一の貯水池を日本軍に奪われたことから、日本軍に降伏した。1945年8月に日本軍が敗戦し、英国が再び統治した。

1984年12月19日に中英双方が署名した「中英共同声明」により、英国は1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に移譲し、香港は中華人民共和国の一特別行政区となることが決まった。中華人民共和国政府は「一国両制」政策をもとに社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。こうして1997年7月1日に、香港は正式に英国から中華人民共和国に主権が移譲された。香港島などの英国の領土は「譲渡」された。

現在、1104平方キロメートルの面積に737万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域で、香港特別行政区政府が発足し、そのトップが行政長官となっている。

香港トラムは香港の東側のそうき湾と西側の堅尼地城(けねでぃじょう)を結ぶ路線と、中央部のほう馬地に向かう路線を持つ路面電車で、1901年に路面電車の敷設計画が立案され、英国人が設立した「香港電線車公司」(1922年に香港電車有限公司)によって、1904年7月30日にそうき湾と堅尼地城の区間が開業した。

開業時の車両は、普通の1階だけの車体だったが、1912年に2階席が設けられ、以降は2階建て車両のみが増備され、従来の車両も2階建てに改造された。1922年には、ほう馬地にあるハッピーバレー競馬場の周囲を回る形の支線が開通し、現在の路線網が完成した。この時点では全線単線での運行であったが、1924年より複線化工事を開始し、一方通行のほう馬地支線を除き、1949年8月に完成した。

2009年にトラムの経営権を有する「九龍倉集団有限公司(Wharf社)」は、香港電車有限公司の株式50%をフランス資本の「ベオリア(Veolia)社」傘下の「威立雅交通中国有限公司(Veolia Transport社)」に売却し、2010年には残りの株式も売却した。

2019年は、2008年10月に国土交通省の外局の一つとして「観光庁」が発足し、2009年に初めて実施された2地域間の観光共同活動プログラムが「2009 日本香港観光交流年」で、それから10年目にあたる年となる。日本と香港間の交流人口は2017年に300万人を突破し、香港政府観光局、観光庁、日本政府観光局は、これを機に観光年を制定し、特に日本の地方都市と香港の交流拡大に焦点をあて、相互の観光交流促進を深めていくことにした。

永田幸子さんは神奈川県茅ヶ崎市生まれ、アマチュア写真家であった父親の影響を受け、40代になって写真をはじめ、1993年より、香港・マカオを中心に撮影し、主に人々の暮らし、子ども、風景を独自の視点で撮り続けている。

1993年に日本写真芸術専門学校を卒業、在学時に秋山庄太郎賞、富士フィルム賞を受賞、1998年から香港やマカオで撮影した作品の個展を開き、2004年から香港の路面電車(トラム)などの作品で個展を開いている。

23日と24日13時30分から永田幸子さんが展示されている作品を説明するトークショーを開く。

25日13時30分から、永田幸子さんと小柳淳さんが対談する。

小柳淳さんは東京都西東京市(旧田無市)生まれ、1983年に初めて香港に旅行し、以来、香港と東京を往復し、香港ではバスやフェリーなど乗り物を使って動きまわっている。1994年から香港に関する書籍を刊行しており、2004年には香港の「トラム」100周年を記念して、永田幸子さんとの共著で写真集「香港路面電車の旅」を刊行し、同年に「香港巴士鉄路旅遊協会」を設立しており、日本香港協会の理事で広報委員会副委員長を務めている。

開場時間は10時から18時(最終日は16時)。入場は無料。

注:「香港巴士鉄路旅遊協会」の「鉄」と「会」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。