永谷商事、神田こなぎと「銀座記念碑」巡り

【銀座新聞ニュース=2019年10月25日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は10月31日に神田こなぎさんによる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

10月31日に開かれる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「銀座の記念碑を巡る」で銀座を案内する神田こなぎさん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画で、その後、お江戸日本橋亭で寄席を鑑賞する。

今回は二ツ目の講談師、神田(かんだ)こなぎさんが「銀座の記念碑を巡る」と題して、東京メトロ銀座線「京橋駅」から「煉瓦銀座の碑」(中央区銀座1-2-1)、「江戸歌舞伎発祥之地」(中央区京橋3-4)、「銀座発祥の地」(中央区銀座2-7)、「関東大震災記念碑」(中央区銀座4-1-2)など数々の記念碑を巡り、昼前にお江戸日本橋亭に移動して、午後から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。

「煉瓦銀座の碑/ガス灯の碑」は1872(明治5)年に和田倉門から出火した火事が銀座一帯を焼きつくし、築地ホテル館にまで及ぶ大火になった。これを機に、時の東京府知事、由利公正(ゆり・きみまさ、1829-1909)が不燃性の都市の建設を主張し、銀座煉瓦街が誕生した。

彼の功績を讃えて造られたのが「煉瓦銀座之碑」で、街路樹の柳と並んで銀座の名物となった。煉瓦街も柳も街の発展とともに姿を消したが、その後、煉瓦が発掘されたのを契機に1956年に当時の「フランス積み」という方式で再現し、煉瓦の碑が建てられた。碑のそばに1874(明治7)年にガス灯の実物が復元されている。

「江戸歌舞伎発祥の地の碑」は京橋大根河岸青物市場跡の隣にあり、日本橋と京橋の中間に架かっていた中橋の江戸歌舞伎の創業を記念して1957年に建てられた。江戸歌舞伎は1624(寛永元)年に中村座(前身は猿若座)の猿若勘三郎(さるわか・かんざぶろう、1598-1658、後に中村勘三郎、座の名前も中村)が中橋南地に芝居小屋「猿若座」を建て座元となる。3月に興行を開始し、これが江戸における常設歌舞伎劇場の始まりとなる。

その後市村座、森田座も上演を公認され、江戸歌舞伎三座が集結し、中橋には多くの人々が集まった。碑は、猿若座が興業を開始したのを記念して建立された。

中橋は当時楓川(かえでがわ)と外堀をつないでいた紅葉川(もみじがわ)に架かる橋で、現在でいえば、東京駅八重洲中央口の東側の中央通りと八重洲通りが交差する辺りとされている。そのため、京橋川にかかっていた京橋とは違う地点とされている。

「江戸歌舞伎発祥之地」の碑には3つの家紋が刻まれており、中央の大きな紋は、「隅切銀杏(すみきりいちょう)」紋で、現在の中村家の家紋だ。「隅切銀杏」紋の下の家紋は「舞鶴」紋で、中村家の家紋は、当初、「舞鶴」紋だったが、5代将軍徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646-1709)が可愛がっていた愛娘の長女・鶴姫(つるひめ、1677-1704)にちなんで1688(貞享5)年に「鶴字法度」を出し、庶民が鶴字・鶴紋を使用することを禁じたことから、「隅切銀杏」紋に変えた。

「舞鶴」紋の両脇が、「丸に三つ柏」紋で、猿若勘三郎が1657(明暦3)年に、次男の中村勘治郎(なかむら・かんじろう、2代目中村勘三郎、1647-1674)を伴って親子で京に上り、禁裏で「猿若」と「新発意太鼓」(しんぽちだいこ)を上演し、後西天皇(ごさいてんのう、1638-1685)から賞賛され、この際にビロード地に「丸に三つ柏」紋の羽織を賜っている。このことから「丸に三つ柏」紋が刻まれている。

「銀座発祥の地」は銀座が江戸時代金貨(小判)を扱う金座に対し、銀および銀貨の鋳造・取締りを司った幕府の機関で、1601(慶長6)年に伏見に創設された。1606(慶長11)年には駿河にも設けられ、1608(慶長13)年に伏見銀座は京都に、1612(慶長17)年に駿河銀座は江戸(現在の銀座2丁目、当時は新両替町)に移された。これが銀座の地名の起こりとなる。のちに銀座は蛎殻町へ移り、1869(明治2)年に金座とともに廃止になったが、銀座の名は町名として残され、1955年4月に銀座発祥の地の碑が建てられた。

「関東大震災記念碑」は1923(大正12)年9月1日11時58分、東京を中心に関東一円を襲った大震災を記念するため、広く浄財を集めて10周年目に建てられた。彫刻家の北村西望(きたむら・せいぼう、1884-1987)が「平和の神」を象徴して制作し、台石には朝日新聞社が全国から募集して選んだ「不意の地震に不断の用意」の評語が刻まれ、この惨事を二度と繰り返さぬよう注意を喚起している。

関東大震災では「死者9万9331人、負傷者10万3733人、行方不明4万3476人、焼失家屋44万728軒、倒壊家屋15万4499軒」の被害が記録されている。

ほかに、京橋、銀座地区には「京橋大根河岸青物市場跡の碑」(中央区京橋3-4)、「京橋記念碑」(中央区京橋3-5)、「銀座の柳由来の碑」(中央区銀座1-7)、「東京慈恵医科大学発祥の地(成医会講習所跡)」(中央区銀座4-4-1)、「真珠王記念碑」(中央区銀座4-5)、「銀恋の碑」(中央区銀座4-1-2)。

「銀座の象徴 柳並木の碑」(中央区銀座4-1-2)、「銀座出世地蔵尊」(中央区銀座4-6-16)、「数寄屋橋の碑」(中央区銀座5-1)、「島崎藤村 北村透谷の碑」(中央区銀座5-1-13)、「石川啄木歌碑」(中央区銀座6-6-7)、「一橋大学発端の碑(商法講習所跡)」(中央区銀座6-10)。

「金春屋敷跡/金春通り煉瓦遺構の碑」(中央区銀座8-7-11)、「芝口御門跡」(中央区銀座8-10-8)、「狩野画塾跡」(中央区銀座5-13-11)、「佐久間象山塾跡」(中央区銀座5-13-9)などもある。

神田こなぎさんは山梨県南アルプス市生まれ、2011年9月に神田すみれさんに入門、前座見習い、12月に講談協会見習い、2016年10月に二ツ目に昇進している。

時間は10時から16時で、10時に東京メトロ銀座線京橋駅に集合する。昼までにお江戸日本橋亭に移り、13時30分からお江戸日本橋亭で神田こなぎさんらの寄席となる。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

13時30分から日本橋お江戸寄席は前座の三遊亭遊七((さんゆうてい・ゆうしち)さん、二つ目の立川だん子(たてかわ・だんこ)さん、神田こなぎさん、真打の三遊亭遊之介(さんゆうてい・ゆうのすけ)さん、ギター漫談のあさひのぼるさん、真打の三遊亭鳳楽(さんゆうてい・ほうらく)さんが出演する。