インド、感染拡大下で外出増、出稼ぎ労働者、徒歩で帰郷も悲劇が(11)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年5月8日】ロックダウン(都市封鎖)に入って今日(投稿は4月29日)で39日目、明日1日で4月も終わりである。非常事態下、40日弱も、敷地内から一歩も出ずによく持ち堪(こた)えたと、自分を褒めてやりたい。

私邸の3階のバルコニーからは遠目に、ベンガル海の片鱗が。夕刻、法螺貝を鳴らす音(ヒンドゥ教で吉兆とされる)に混じってかすかな潮騒が耳元に届いた。

インド全土の感染者数は3万1332人(死者1007人)、あれよあれよと3万人を突破、1日1500人から2000人の割合でどんどん急増、当オディシャ(Odisha)州も118人である。この勢いでいくと、どこかで歯止めがかからないことには、10万人の大台に乗ってしまいそうだ。

インドより若干人口の多い中国が8万人台だから、最大でもその範囲内で収まってくれればよいが、中国の公表数は信用できないし、大台突破の覚悟は据わっている。

夕刻、3階のベランダから路上を見下ろすと、バイクや車の行き来が増えたばかりでなく、カラフルなサリー姿の女性連れ、小さな子どもの手を引いている人もいる。のろのろ這い歩く牛も7、8匹、3階からは遠目にベンガル海の片鱗が望め、霞んたブルーの海原に純白の波が立ち、潮風がここまで吹き寄せてきて、ひと息つく心地である。

車といえば、パトカーが通過するくらいだったひと頃に比べ、自家用車もちらほら目立つようになった。

33年という長い海外生活中、このベンガル海ののどかな美しさには、どれだけ慰められたことだろう。母国への郷愁に駆られたときも、いつもそばにあって慰めてくれたものだった。それなのに、直に清々しい潮の息吹を感じられなくなる緊急事態に投げ込まれようとは。

椰子林は気持ちよさそうに放射状の葉をそよがせ、うっすら色づいた空はきれいで、合間にミルクブルーの靄がかった海が見えて、自然は変わらず美しいのに、地上は非常事態、正体不明のウイルスが跋扈(ばっこ)しているのである。

まるでシュールで、現実じゃないみたいだ。悪夢なら覚めてほしいが、目覚めるたびに苛酷な現実、ロックダウンといやがおうにも、向き合わなければならない。

2019年5月のサイクロン時に生まれ、サイクロン名にちなんで「ファニ」と名付けられた雌猫に子猫が生まれた。コロナ禍にちなんで「コロナ」と命名した。

毎日、世界で死者数が増大していく戦慄のスリラーが目の前に展開する中、飼い猫に子どもが2匹産まれ、コロナ、コヴィッドと命名、母は昨年5月のスーパーサイクロン時、生を授かり、サイクロン名にちなんでファニと名づけられた雌猫、運命の母子ともいうべきか、命の危険が迫る中での新しい生命誕生、そこにかすかな希望、未来への明るい兆しが一筋差し込む思いである。

●現地コロナ余話

国民の人命優先で全土ロックダウンに踏み切ったモディ(Modi)首相だが、完全封鎖のしわ寄せは何よりも、貧民に来ている。全国の農村地帯から都心に出稼ぎに来ている何百万人という移民労働者が前触れのない、4時間前の突然の封鎖宣言で失職、故郷に帰ろうにも交通手段がなく、徒歩で何百キロの道のりを踏破せざるを得なくなり、死者が2人出た。

1人は12歳の少女。唐辛子工場で働いていたが、故郷への道程150キロを徒歩で戻る後一歩の手前で、酷暑下の脱水症状と栄養失調に倒れ、帰らぬ人となった。

首相は、平に謝罪しながらも、国民の命を守るためには、致し方なかったと苦しい胸のうちを吐露、しかし、野党からは無計画ぶりが糾弾されている。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長することを決めました。これにより延べ54日間となります。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。5月7日現在、インドの感染者数は4万9391人、死亡1694人。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています)