全生庵で円朝コレクションの幽霊画展、応挙、容斎、晴雨、暁斎ら

【銀座新聞ニュース=2020年7月30日】三遊亭円朝の墓所があり、山岡鉄舟が明治期に建立した全生庵(台東区谷中5-4-7、03-3821-4715)は8月1日から31日まで「幽霊画展」を開く。

左から伊藤晴雨「怪談乳房榎図」、池田綾岡「皿屋敷」、鰭崎英朋「蚊帳の前の幽霊」。すべて全生庵の所蔵で、毎年8月のみ一般公開される。

全生庵(ぜんしょうあん)に所蔵されている三遊亭円朝(さんゆうてい・えんちょう、1839-1900)遺愛の幽霊画コレクション(50幅)を毎年8月だけ公開しており、今回も1カ月、無休で約30幅を公開する。

ウイキペディアによると、全生庵は1880(明治13)年に幕臣で明治天皇(めいじてんのう、1852-1912)の侍従も務めた山岡鉄舟(やまおか・てっしゅう、1836-1888)が明治維新(1867年から1877年ころ)に殉じた人々の菩提を弔うために創建を発願し、国泰寺(こくたいじ、富山県高岡市太田184)から松尾義格(まつお・ぎかく、1837-1884)を開山に招へいして1883年に創建した。

しかし、鎌倉時代(1185年から1333年)中期の1246(寛元4)年に、南宋(1127年から1279年)から渡来した禅僧、蘭溪道隆(らんけい・どうりゅう、1213-1278)が当時の江戸に九死に一生を得て漂着し、「全生庵」という庵室を作って閑居していた旧跡だったことがわかり、1883年に「全生庵」を寺号とした。

三遊亭円朝(さんゆうてい・えんちょう、1839-1900)の墓があり、毎年8月11日ころに、本庵、落語協会、円楽一門会がそれぞれ本庵でイベントを開く。また、円朝の幽霊画コレクションが所蔵されており、「足のない幽霊」を最初に描いたといわれる伝 円山応挙(まるやま・おうきょ、1733-1795)の作品をはじめ、柴田是真(しばた・ぜしん、1807-1891)、菊池容斎(きくち・ようさい、1788-1878)、松本楓湖(まつもと・ふうこ、1840-1923)、伊藤晴雨(いとう・せいう、1882-1961)、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい、1831-1889)ら、幕末から明治の画家の筆による幽霊画が収蔵されている。

三遊亭円朝(本名は出淵次郎吉=いずぶち・じろきち=)は1839(天保10)年4月1日に初代橘屋円太郎(初代円橘)の息子として江戸湯島切通町生まれ、1845(弘化2)年3月3日に初代橘家小円太の名で江戸橋の寄席「土手倉」で初高座、1847(弘化4)年に2代目三遊亭円生(さんゆうてい・えんしょう、1806-1862)の元で修業し、1849(嘉永2)年に二つ目に昇進、1851(嘉永4)年に浮世絵師の歌川国芳(うたがわ・くによし、1798-1861)の内弟子となり、画工奉公や商画奉公をし、1855(安政2)年3月21日に「円朝」を名乗り、真打に昇進した。

1858(安政5)年に鳴物入り道具仕立て芝居噺で旗揚げし、1872(明治5)年に道具仕立て芝居噺から素噺に転向、1875(明治8)年に6代目桂文治(かつら・ぶんじ、1843-1911)と共に「落語睦連」の相談役に就任、1880(明治13)年に山岡鉄舟の侍医、千葉立造(ちば・りつぞう、1844-1926 )の新居披露宴の席で、同席していた天龍寺の滴水和尚(てきすい・おしょう、1822-1899)から「無舌居士(むぜつ・こじ)」の道号を授かる。

1888(明治19)年1月8日に井上馨(いのうえ・かおる、1836-1915)の共をして身延山参詣や北海道視察(8月4日より9月17日)に同行、1891(明治24)年6月に席亭との不和で寄席の出演を退き、新聞紙上での速記のみに明け暮れ、1892(明治25)年に病のために廃業し、1897(明治30)年11月に弟子の勧めで高座に復帰したものの、1899(明治32)年9月に発病し、10月に木原店で演じた「牡丹燈籠」が最後の高座となり、1900(明治33)年8月11日2時に逝去した。病名は「進行性麻痺」と「続発性脳髄炎」で、法名は「三遊亭円朝無舌居士」。墓は全生庵にあり、東京都指定旧跡となっている。

全生庵によると、幽霊画コレクションは三遊亭円朝が1875(明治8)年に柳橋で怪談会を催した時から百物語にちなんで百幅の幽霊画を蒐集しはじめたものの一部とされてきた。藤浦周吉(屋号は三周、ふじわら・しゅうきち)、藤浦富太郎(ふじうら・とみたろう、1885-1980)父子が三遊亭円朝の名跡を借金の担保にして、三遊亭円朝を経済的に支援したことから、1900年以来、「三遊亭円朝」という名跡は藤浦家のものになり、藤浦家はこの名を落語家に名乗らせていない。

また、三遊亭円朝は100幅揃わないうちに亡くなったが、藤浦周吉が充実させて、1922(大正11)に40幅を全生庵に寄贈し、その後もコレクションを50幅まで増やした。50幅は飯島光峨(いいじま・こうが、1829‐1900)、柴田是真、池田綾岡(いけだ・あやおか、1840-1910)、川端玉章(かわばた・ぎょくしょう、1842-1913)、菊池容斎、渡辺省亭(わたなべ・せいてい、1852-1918)、松本楓湖、佐竹永湖(さたけ・えいこ、1835-1909)、谷文一(たに・ぶんいち、1786-1818)、谷文中(たに・ぶんちゅう、1823-1876)、月岡芳年(つきおか・よしとし、1839-1892)。

歌川国歳(うたがわ・こくさい、生没年不詳)、歌川広重(うたがわ・ひろしげ、1797-1858)、歌川芳延(うたがわ・よしのぶ、1838-1890)、4代目勝文斎(かつ・ぶんさい、1835‐1908)、河鍋暁斎、高橋由一(たかはし・ゆいち、1828-1894)、尾形月耕(おがた・げっこう、1859-1920)、歌川芳中(うたがわ・よしなか、生没年不詳)、関口雪翁(せきぐち・せつおう、1753-1834)、川上冬崖(かわかみ・とうがい、1828?-1881)、兵藤林静(ひょうどう・りんせい)、鰭崎英朋(ひれざき・えいほう、1880-1968)、加藤雪窓(かとう・せっそう、1872-1918)、高嶋甘禄(たかしま・かんろく)らの作品である。

開場時間は10時から17時(最終入場は16時30分)。無休。入館料は500円。