「2020年」(5.夜の街<倉橋俊(ホストクラブ・ヘルプ数馬)の場合>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2020年12月15日】新宿御苑の桜の蕾が膨らみかけている。今年の桜の開花は早そうだ。倉橋俊は庭園をしばらく散策した後、日没後のちょうどいい時間帯になったので、そのまま新宿方面に向かった。

日が落ちて途端に活気づく歌舞伎町の、見慣れた一番街の赤いネオンゲートを潜る。不夜城に繰り出した若い男女の熱気に満ちた歓楽街は、派手に着飾った風俗嬢や、気障に洒落のめしたホストたちも出勤し出し、黒服姿の客引きもうろちょろし始めていた。

かく言う俊も、この界隈では、高名な老舗ホストクラブ・バロンに勤めている。源氏名は数馬、ただし、ホストでなく、ヘルプだ。ヘルプとは、担当ホストについて、客にお絞りを出したり、水割りなどの飲み物の世話をしたり、灰皿を取り替えたりする雑用係のことだ。

昨年10月から勤め始めて5カ月ちょっと、バロンNo.2のホスト、丈について見習い中なのである。年齢は24歳、ホスト歴3年の丈より2歳年下だ

バロンのオーナーは御年69歳、1960年代後半一世を風靡したグループサウンズの人気No.2、「ピューマーズ」の元ボーカルで、店は開業して40年以上になる老舗、いわゆる歌舞伎町ホストクラブのパイオニア的存在だ。新しく出来ては消えていくホストクラブ激戦区で、これだけ息の長い店も珍しい。

大手グループが系列の店を何店舗も持って幅広く展開しているのに比べ、頑固に1店だけを守り抜く完全独立制、手を広げないことも幸いしているのだろう。

40年という長い間には、時代時代の風俗に合わせて、売れるホストのルックスやファッション、流儀も変わり、草創期の1960年代はスーツ姿でマダム方の社交ダンスのお相手をしたと聞く。

店内は昭和の栄光を偲ばせる、ぎらぎらした電飾やオブジェが至るとこに飾られ、ダンスホールの名残りもあって、まさにセレブの世界を絵に描いたような絢爛豪華さだ。シャンデリアの下、王朝風のロココソファーがしつらえられた非日常の空間で、客はイケメン集団の接待を楽しみながら、ゆったりとゴージャスな気分で寛げる。

入口正面の壁には、老舗の40年史、昭和、平成、令和と時代の変遷につれて、店の看板となった代々の売れっ子No.1ホストの肖像写真がずらりと架けられている。歴代のレジェンド的存在の中には、30代から40代のおじホストもいて、今も高齢マダム向けにこの年代は用意されている。

昭和50年代の一番最初の肖像写真は、若き日のオーナーだ。ハーフっぽい彫りの深い顔立ちは、今の令和でも、充分イケメンで通用する。

店をオープンした初期2、3年は、芸能人は無論、GS時代の追っかけファンまで押し寄せ、大繁盛したという。ファンサービスでエレキギター片手に歌を披露することもあったそうだ。

俊こと数馬も高校から大学にかけて、バンドを組んでいたため、丈からオーナーの経歴を聞かせられたときは、スリリングでユーチューブ(YouTube)で往時の社長をチェックせずにはいられなかった。

ブルーのミリタリールックに身を固め、きりりと引き締まった顔付きで、切ないラブソングをバンドミュージックに合わせて熱唱する社長は、超かっこよくて痺れた。GS全盛期は2年と続かず、その後はしばらくソロ活動にトライしたらしいが、鳴かず飛ばずで芸能界を引退、「ピューマーズ」時代に貯めた金と、元有閑マダムファンからの援助で、ホストクラブ起業に乗り出したという。

今は、スタッフにほぼ任せ切りで、店に顔を出すのは、月1回あるかないかだが、その限られた会合で目の当たりにした社長は、さすがに劣えたとはいえ、昔の美貌の面影が名残り、渋かった。

数馬はルックスには自信があり、もてた方だが、バンドを組んで以降、女はわんさか、履いて捨てるほど、寄り集まってきた。素人のバンドでこのモテ方だったから、人気GSのボーカルだった社長は、よりどりみどり、しかもいい女ばかりだったろう。美人女優と結婚したと聞くが、後に離婚したらしい。子どもはいないようだ。

数馬がホストになろうと思ったのは、顔を武器にひと稼ぎしようとの下心があったからだが、しばらく見習いをやってみて、ルックスは無論、大事な要素だが、それだけでないことがわかってきた。

見かけは華やかだが、売り上げ重視の歩合制で成果主義の厳しさ、13人いる精鋭ホスト間の競争も熾烈だった。ルールでは、ほかのホストの指名客との陰取引きは禁止されていたが、売約済みと知って、太客、払いのいい客の特にエース級だと、裏でこっそり接触を試みようとマナー違反を犯すホストもいて、業界用語で「爆弾」と言われるタブー行為なのだが、しのぎを削る争奪戦が繰り広げられるのだった。

バロンNo.1のルカはホスト歴5年の25歳、正統派美形というより愛嬌ある童顔、精悍な数馬や甘いマスクの丈と比べても、ルックスはやや劣る。が、接待術が天才的に巧みで、まさに水商売のために生まれついたような男で、女客、業界用語で言うところの姫は彼の話術と優しさにかかると、誰でもメロメロになってしまうのだ。

長身でお洒落のため、メンズ雑誌の専属モデルでもあり、コミカルな喋りも受けてテレビ出演するなど、タレント性も持ち合わせていた。

ルカは接客時飲酒しないことでも有名で、徹底した奉仕術で姫を虜にし、永久指名の上客が何本もついて、社長の絶大な信頼を勝ち得ていた。主任という役職付きで幹部としての役回りも兼任、売り上げは1日多いときで1500万円、年間2億円から3億円と、2位以下との差を大きくつけていた。

ルカの年収はゆうに1億円を超え、タワーマンションのペントハウス暮らしと超ゴージャス、日給7000円の数馬と比べると、天と地、はるか雲の上の存在だ。ルカのような億万長者とはいかずとも、せめて丈クラスの千万単位は稼ぎたいと夢見る数馬だ。

歌舞伎町ホスト5000人中推しも押されぬ帝王、ドル箱プリンスの働きのおかげで、バロンは大繁盛、だから、数馬が入店した2020年が、ホスト業界にとって、大凶になろうとは、予想だにしなかった。

2月に横浜に停泊したクルーズ船から新型コロナの感染者が出たときは、まだ他人(ひと)事だった。

夜の街は以前同様、賑わっていたし、老舗ホストクラブとしての伝統を誇るバロンは、いぶし銀の光沢で王座に君臨していた。

同月下旬、飛び込み客があったことを思い出す。他店と違う一見さんお断りのルールに従って入店を拒否したところ、引き下がらず、応対に出た数馬に、昔「ピューマーズ」の追っかけをしていた元ファンで、社長とは顔見知りだと言い張った。バロンが開店したばかりの頃は何度か立ち寄り、懐かしくなって上京ついでに再訪したとのことだった。

社長の元ファンと主張されては、店側も無下に辞退し切れず、時間制限で受け入れた。ホストは皆、予約が入って売り切れだったため、数馬が相手をすることになった。

社長のファンだったというから、歳は50代から60代、しかし、一見すると、若々しくとてもそんな年齢には見えなかった。

若い頃は、キュートだったろうなと偲ばせる面影があり、話してみると、快活で話題豊富、母親のような年齢の女性にほのかに惹き付けられてしまった。

「私ね、明日インドに発つのよ」
と、紫色のセーターがよく似合う女性はくるくるとよく動く瞳を好奇心いっぱいに輝かせながら、意気揚々と告げた。
「へえ、インドですかあ。観光ですか」

「世界遺産の遺跡を見に行くのよ」

「それは羨ましいなあ。ぼくも、遺跡には興味ありますよ」
話を合わせるだけの満更嘘でもなかった。すっかり意気投合してしまった。

ありきたりの風俗嬢客だと、へいこら奴隷のように仕えなければらないヘルプ風情だっただけに、新鮮だった。

少し離れた席で、丈が受け持つ指名客がシャンパンタワーをオーダー、店内はたちまちきらびやかな雰囲気に包まれた。シャンパンタワーは、ホストクラブで一番盛り上がるお祭りイベントなのだ。

ピラミッド型に5段積み上げられた35個のシャンパングラスに、ピンクのドン・ペリニヨンが惜しみなく降り注がれていく。積み重ねるグラスは、金さえ惜しまなければ10段まで可能だし、型も三角円錐型だけでなく、四角形や円形もある。

ドンペリには、白、ピンク、ブラック、ゴールド、プラチナとランクがあって、最高級のプラチナなら、1本100万円以上、だ。ピンクは15万円とはいえ、5本使えば、75万円もの大金がひと晩で飛んでいく。客に金を使わせる煽りがなかなかうまい、丈ならではのお手柄だった。

ホスト一同がタワー前に寄り集まり、独特の身振り手振りを混じえて歌うような節回しでシャンパンコール、「さあさあさあ、ハイハイハイ、素敵な姫とイケメン王子、2人でシャンパン注いで、どんどん注いで、もっと注いで、姫様ありがとう、シャンパンもっともっと、どんどん注いで」の熱気を帯びた掛け声パフォーマンス、主役の2人を盛り上げんとテンションがいちだんと上がる。

シャンデリアの屈折した万華鏡のような光を浴びて、磨き上げた透明なグラスと薔薇色のシャンパンがきらめく、夢のようにゴージャスな世界、こんな贅沢をひと目仰げただけで、ヘルプになってよかったと思う。

ホストに昇格したら、ドンペリのシャンパンタワーのオーダーはなんとしてでも取りたい。ただし、意に沿わない女との枕営業、「色マク」だけは御免蒙りたい。こっちにだって、選ぶ権利というものがあるんだ。

色恋営業で、恋人の振りをして客を夢中にさせ、通わせる擬似恋愛手法ならまだしも、色マクだけはごめんだ。唯、丈を見てると、片っ端から枕営業で点数稼ぎしているが、いくらトップになれると言っても、そこまでの男娼には落ちぶれたくない。丈には手段選ばずのところがあって、バロン一のイケメン顔も整形とのもっぱらの噂だ。

シャンパンタワーの太客は、いつもの札束をばら撒く富裕マダムだ。夫は医師会の重鎮と、こっそり聞いている。妻がホスト狂いしていることがバレたら、体面上まずいだろうに。もう1人、大きな神社の女神主も、丈にはついていた。聖職者ともあろう者がホスト遊びに入れ揚げ、分厚い札束をチップと称して置いていく、金の出処が賽銭だと思うと、参拝客も驚き呆れるだろう。

痛客、つまり痛い客でもあり、泥酔して暴言吐いたり、暴れ狂って泣き喚いたり、べったりわざとらしく倒れかかってきたり、酒癖の悪さでもワーストだ。

神様へのお布施がこんな使われ方の浪費をさせられていると思うと、世の中の汚さ、矛盾を思わずにいられない。

傲慢な金満女どもに比べると、目の前の女性は初回5000円ぽっちの金にならない細客とはいえ、なんと天真爛漫でピュアだったことだろう。

明日発つインドのことで、頭がいっぱいで、ワクワクしている。予定の90分はあっという間に過ぎた。
「楽しかったわ。何十年かぶりにバロンに寄れて。ピューマーズは、私の青春だったのよ」
彼女は愛おしげに、壁に架かった一番目の肖像写真に潤んだ瞳を注いだものだ。

あれから半年近く、コロナが猛威を振るい、感染震源地となった歌舞伎町は、客が激減し、見習いの自分は真っ先に首を切られた。緊急事態宣言が解除された5月下旬以降は店も再開し、かすかな希望も湧いたが、客足は戻らず、翌月あえなく解雇となったのだ。

以前勤めていた居酒屋に戻ろうにも、時短営業で倒産寸前、以来何とか貯金を切り崩して凌ぐ毎日だ。

ショウコとかいったあの女性は、どうしたろう。8カ月の勤務で一番印象に残る客だったけど、インドのロックダウンに遭遇して、大変な目に遭っているんじゃないか。

ちょうど今のぼくが飛ばされて、つまり業界用語で言うところの解雇に直面し、ぶらぶらしているように。ルカはその後、感染し、店から8人の陽性者が出て、クラブは休業を余儀なくされたという。

シャンパンタワーの回し飲みパフォーマンスがあだとなったようだ。社長は閉店を考えているそうだ。感染する前に飛ばされて、ラッキーだったかな。

ホストクラブからの相次ぐ感染で、バロンはじめの同業店はすべて悪者扱いされているからな。客も怖がって寄り付かない。丈も、ついてねえな。間一髪陽性を免れたというから、あのまま営業を続けていれば、ルカの後釜で、No.1に代われる絶好のチャンスだったのに。

丈がバロンのキングにのし上がっていたら、ぼくも間違いなくホストに昇格だった。すべては夢と化した。むしょうに、ショウコに会いたかった。

一見客で、連絡を取る術がないのが残念だった。今は唯、感染爆発中のインドでの無事を祈るのみだった(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。

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