丸善日本橋でロレンツォなどのテディベア展、英博物館の再現品も

【銀座新聞ニュース=2017年12月6日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は12月5日から10日まで3階ギャラリーで「テディベアワールド2017 ロレンツォベアとその仲間たち」を開いている。

丸善・日本橋店で12月10日まで開催中の「テディベアワールド2017 ロレンツォベアとその仲間たち」に出品されているカリン・デ・ロレンツォさんの「カティモ」。

「テディベア」作家で、18年間海外コンクール大賞を受賞しているドイツ人女性のカリン・デ・ロレンツォ(Karin De Lorenzo)さんをはじめとする、世界最大サイズのシロクマやツキノワグマ、今にも寝てしまいそうなシロクマの新作を展示販売している。

また、同時開催として英国王室ゆかりのヴィクトリア&アルバートミュージアム(Victoria and Albert Museum)所蔵の数々のアクセサリーを現代の工法で再現したイスパイアコレクションも展示販売している。

カリン・デ・ロレンツォさんはドイツ・ケヴェレア生まれ、結婚し、娘が生まれてから、家族や友人の洋服を縫うようになり、夫の店を手伝い、1998年に初めてテディベアを制作し、ワールドワイドのユーロテディとエッセン2部門で受賞し、ヨーロピアン・チャンピオン、トビー賞2部門で受賞し、ヨーロピアン・チャンピオンにも選ばれている。カリン・デ・ロレンツォさんのテディベアは多くの人に支持され、市場に出まわる数が少なく、「幻のベア」と呼ばれている。

シュタイフ社はドイツのマルガレーテ・シュタイフ(Margarete Steiff、1847-1909)が1877年に設立した「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」が最初で、1880年にマルガレーテが義妹へのプレゼントとして贈ったゾウの針刺しが評判を呼び、販売したところヒット商品となり、会社「マルガレーテ・シュタイフ」を設立した。

1902年に甥のリヒャルト・シュタイフ(Richard Steiff、1877-1939)のスケッチをもとにモヘアを使用して熊の人形(ベア)を制作、胴と手足が糸製の「ジョイント」と呼ばれる構造で接続され、手足が稼働するようにした。

1903年にベアを発売し、ドイツでの売れ行きはよくなかったが、アメリカで発売された1体が第26代アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルト(Theodore“Teddy”Roosevelt、1858-1919)に贈られたことからアメリカでブームを巻き起こした。1903年から1908年にかけて3回にわたり工場を拡張し、多くのベアを商品化し、2012年には生誕110周年を迎えている。

テディベアは1902年にドイツ人のマルガレーテ・シュタイフが甥のリヒャルト・シュタイフのスケッチをもとにモヘアを使用して熊の人形(ベア)を制作したのが最初とされている。1903年にモヘアを使用して熊の人形「55PB」をライプチッヒの見本市に出展した。

ところが、毛が生えたモヘア製で、大きくて重く、値段も高く、まったく人気がなかった。しかし、アメリカのバイヤーが3000体を発注、この熊がアメリカに渡り、セオドア・ルーズベルトに贈られ、晩さん会のテーブルディスプレイに使われ、アメリカで大ブームを巻き起こした。

1902年の秋にセオドア・ルーズベルトが趣味の熊狩りに出掛けたが、獲物をしとめることができず、そのときに、同行していたハンターが年老いたメス熊(一説には傷を負った子熊とも)を追いつめて最後の一発を大統領に頼んだが、セオドア・ルーズベルトは「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃たなかった。

このことが同行していた新聞記者によって新聞に掲載され、このエピソードにちなんで1903年にバーモント州のおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみにセオドア・ルーズベルトの愛称である「テディ」と名付けて発売し、同じ頃にシュタイフ社の熊の縫いぐるみがアメリカに輸入され、この名前が広まったとされている。このため、セオドア・ルーズベルトの誕生日である10月27日は「テディベアの日」となっている。

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館は、現代美術、各国の古美術、工芸、デザインなど多岐にわたる400万点のコレクションを中心にした国立博物館で、ロンドンのケンジントンにある。ヴィクトリア女王(Victoria、1819-1901、在位は1877年1月1日から1901年1月22日)とその夫、アルバート公(Albert、Prince of Saxe-Coburg-Gotha、1819-1861)が基礎を築いた。

1851年のロンドン万国博覧会の収益や展示品をもとに、1852年に産業博物館として開館し、1857年に現在のサウス・ケンジントンに移転し、「サウス・ケンジントン博物館」と改めた。1899年にヴィクトリア&アルバート博物館と改称され、1909年に現在の建物が竣工している。建物西側には第2次世界大戦当時、ナチス・ドイツ軍の爆弾が落下、爆発し、この時、建物は壁面に多数の傷を受け、そのまま修復されず今日に残っている。また、通常の入場料は無料。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。