丸善日本橋で長谷川潔「黒の版画」展、ルオー、浜口らも

【銀座新聞ニュース=2019年10月12日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は10月16日から22日まで3階ギャラリー特設会場で「長谷川潔と世界の銅版画展」を開く。

丸善・日本橋店で10月16日から22日まで開かれる「長谷川潔と世界の銅版画展」に出品される「酒盃の草花」(マニエール・ノワール、1963年)。

孤高に生きた版画家で、1918(大正7)年に27歳でフランスにわたって以来、一度も帰国しなかった長谷川潔(はせがわ・きよし、1891-1980)は、フランスで廃れていたマニエール・ノワール(メゾチント)という古い技法を復活させた。その「静ひつで深い哲学的な画風」で知られた作品を展示する。

長谷川潔は「黒の版画家」と呼ばれ、自ら「黒には7色ある」とした。また、摺(す)っていたのは摺師、ケネヴィル(Kenevir、?-1970)で、1970年にケネヴィルが亡くなると、「横顔」という作品を最後に、長谷川潔は制作を止めた。

また、長谷川潔と同時代に生きた展示する。ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault、1871-1958)、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)、浜口陽三(はまぐち・ようぞう、1909-2000)、ジョアン・ミロ(Joan Miro i Ferra、1893-1983)らの銅版画も併せて展示する。

ウイキペディアなどによると、長谷川潔は1891年神奈川県横浜市生まれ、1910年に麻布中学校を卒業、葵橋洋画研究所や本郷洋画研究所で学び、素描、油彩、エッチング技法の指導を受けた。その後、1913年に文芸同人誌「仮面」に参加、表紙や口絵を木版画で制作し、堀口大学(ほりぐち・だいがく、1892-1981)らの書籍の装幀などを担当した。

1918年に版画技術の習得のためフランスへ渡航し、1919年4月4日にパリに到着、静養のため10月から南フランスに約3年間滞在し、その後パリに戻り、1923年からサロン・ドートンヌなどのサロンや展覧会に出品、1925年に初の版画の個展を開き、1926年にサロン・ドートンヌ版画部の会員となった。1939年に第2次世界大戦が勃発すると、生活が一変し、フランスに留まるも、パリを離れ、サルト県にある斎藤豊作(さいとう・とよさく、1880-1951)邸に疎開し、その後、ボルドー、ビアリッツなどを転々とした。

一時、パリに戻り、1945年にパリ中央監獄、ドランシー収容所に収監されるが、約1カ月後に解放される。戦後、再び創作を再開し、銅版画に没頭、最後には自らが復活させたメゾチントで制作した。1980年12月13日にパリの自宅で老衰により死去した。89歳。フランスにわたってから1度も日本へ帰ることはなかった。1964年にフランス芸術院コレスポンダン会員、1966年にフランス文化勲章、現代日本美術展で特賞、1967年に勲三等瑞宝章を授与される。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)、入場は無料。