「万が一」をタブー視しないための「Fukushima50」(285)

【ケイシーの映画冗報=2020年3月19日】2011年3月11日、マグニチュード9.0という、日本の地震観測史上、最大の地震が発生、太平洋に面した福島第1原子力発電所は、ただちに原子炉を緊急停止させます。

現在、一般公開されている「Fukushima 50」((C)2020「Fukushima 50」製作委員会)。

「止める、冷やす、閉じ込める」の第一段階です。ところが、地震による大津波の被害により、非常発電用のディーゼルエンジンが止まってしまいます。

「全電源喪失」の福島第一原発1、2号機の当直長である伊崎(いざき、演じるのは佐藤 浩市=さとう・こういち)は、所長である吉田(昌郎=よしだ・まさお、1955-2013。演じるのは渡辺謙=わたなべ・けん)にこれを伝え、吉田は東京の本社に現状を報告します。

「1F(いちえふ=福島第一原発)、ステーション・ブラックアウト、SBOです」

止めた原子炉を「冷やす」ことができなくなったのです。伊崎は現場責任者として、危険な放射線のある建屋内での作業員をもとめ、自身も先頭に立つと決意を示します。吉田所長は、現場の責任者として、“遠隔操作”してくる東京の本社や政府との折衝に苦しみます。

「だったらいっぺん、現場に来いよ!」

放射線の危険もあって冷却作業は進まず、原子燃料を納めた格納容器が破壊される危険性まで語られます。

「閉じ込める」ができなくなるので、格納容器から放射性物質の放出することが検討され、危険を承知で「被害極限」の選択をしなければ、巨大な厄災となることは必至という最悪の事態に直面する日本の運命は。

もちろん、現在を生きる我々は、本作「Fukushima50(フクシマ フィフティ)」(2020年)の「最悪想定」の状況下にはありません。しかし、その危険性があったのは事実です。本作の原作は、門田隆将(かどた・りゅうしょう)によるノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」です。映画化にあたって、史実からの変換がなされており、渡辺の演じる吉田所長のみ実名で、他の登場人物は映画としてのキャラクターとなっています。

執筆の基礎を「徹底的に現場の真実にこだわった」(パンフレットより)とする門田の意志は、監督である若松節朗(わかまつ・せつろう)にも引き継がれ、「あのとき現場の作業員には死が間近に迫っていたが、国家そのものも壊滅的危機に直面していた。絶望的状況の中で、彼らがなぜ危険な作業に向かったのか、真実を知ってもらいたかった」(2月26日付「読売新聞」)という基礎となっています。

自分には「福島出身で、親族が原発に関わっている」という知人がおり、「事故直後の福島第一で、作業にあたった」という自衛菅からもお話をうかがっています。

劇中にもある、1970年代の「今度できる原発で働けば、出稼ぎせずに、家族と暮らせる」という切実な理由や、自衛官が「国を守るのが私たちの仕事ですから」と最後まで現場に残るシーンなどにふかい感慨を感じています。

その一方で、作品のなかで「描かれていない現実」についても考えてしまいます。「なぜ、原発が福島だったのか」や「なぜあれほどまで、現場に混乱が生じたのか」も、生にちかい声も聞いておりますので。

「歴史にif(もし)はない」のですが、「あの時、あの場所では何が最善だったのか」を問うことや、大事件・事故の経緯を検証することも大切ですし、これに批判や非難が加えられるのも必定といえます。

「人々は善行よりはむしろ過失をよく記憶する」、古代ギリシャの哲学者デモクリトス(Democritus、BC460ごろ-BC370ごろ)の言葉だとされています。デモクリトスは、目に見えない物質の存在を仮説として原子論を提唱した、原子物理学の元祖のひとりとされているので、この事案にも一脈、通じているかもしれません。

現在、日本だけではなく、世界規模で“新型コロナウィルス”の問題がさまざまな影響をあたえており、そのほとんどがマイナスの事情となっています。

疾病などに詳しい友人によると“未知のウィルスや病原体”は、「当然、考慮されるべきだし、今後も発生する」のだそうです。理由は「これから人類はますます活動範囲を広げていくから」という説得力のあるものでした。

現状をみるに、「万が一」はタブーにしない方がよいのではないか、と考えさせられる一作で、賛否は分かれているようですが、鑑賞してからの評価が適切でしょう。

最後になりますが、アメリカ海軍の原子力潜水艦では、「エンジンの前で待機しているだけ」の乗組員がいるそうです。トラブルが起きて原子炉が緊急停止したら、即座に目の前のエンジンを始動させ、最低限の動力を送るのが任務なので「仕事をしないのが仕事」という部署なのだそうです。

「安全」とはなにかの一例でしょうか。次回は「ハリエット」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。