広島TAUで南区3山スイートとバウムクーヘン100周年

【銀座新聞ニュース=2018年11月22日】広島県(広島県広島市中区基町10-52、082-228-2111)は11月23日から25日の3日間、アンテナショップ「TAU」(中央区銀座1-6-10、銀座上一ビルディング、03-5579-9952)1階特設コーナーで「みなみく3名山スイーツ&バウムクーヘン100周年PRイベント」を開く。

「たう(TAU)」で11月23日から25日の3日間、開かれる「みなみく3名山スイーツ&バウムクーヘン100周年PRイベント」で販売される「みなみく3名山スイーツ」。

「たう(TAU)」で10月から実施している「がんばろう広島」の一環として、広島市南区の魅力を首都圏にも知ってもらうPRイベントで、南区にある比治山(ひじやま)、黄金山(おうごんざん)、安芸小富士(あきのこふじ)の3山をテーマに、地元高校生がアイデアを出し、南区のパティシエが完成させた「みなみく3名山スイーツ」を試食販売する。

また、1919年に日本で初めてバウムクーヘンが作られたのが広島で、2019年に100周年を迎えることを記念して、広島市内で作られたバウムクーヘンの試食販売も行う。

ウイキペディアによると、広島市南区は広島市を構成する8つの行政区のひとつで、1980年4月1日に広島市の政令指定都市移行と同時に設置された。南区は京橋川と猿猴川(えんこうがわ)に挟まれたデルタを中心とする地域で、区域の北部にはJR広島駅、南部には広島港と、広島市の陸と海、両方の玄関を持つ。

近年は段原地区の再開発とともに広島イーストが建設されたり、宇品地区においては広島港宇品地区港湾環境整備事業により出島と宇品地区の間にあった内港の埋め立てが1998年に竣工し、大規模な商業施設が出店するなど、都市機能の集積が高まっている。また、広島大学の付属施設である広島大学原爆放射線医科学研究所や日米政府により設置・運営されている放射線影響研究所がある。現在、人口は14万4016人(2018年10月現在)。

バウムクーヘンの原型は紀元前まで遡り、ギリシアのオベリアスという木の棒にパン生地を巻きつけて焼いたものであると考えられている。中世ポーランド=リトアニア連合伝統の「シャコティス」を基にした説、あるいは「ガトー・ア・ラ・ブロッシュ」を基にした説が存在しており、ドイツのザクセン=アンハルト州で元祖をめぐる争いがあったが、1920年に両店は同一人物に買い取られている。

日本ではドイツ人のカール・ユーハイム(Karl J.W.Juchheim、1886-1945)によって持ち込まれ、1919(大正8)年3月4日に広島物産陳列館(現原爆ドーム)で開かれたドイツ作品展示即売会において販売されたのが最初とされている。

ユーハイムは材料集め(バウムクーヘンを焼くには堅い樫の薪などが必要)に難航したが、バウムクーヘンを焼くことに成功し、広島県物産陳列館にて開かれた「ドイツ作品展示会」で製造販売した。この時、ユーハイムは菓子の味を日本人向けにアレンジ(ユーハイムは青島市が日本軍に占領された際の経験から、バターを多く使用した菓子が日本人に受け入れられないことを知っていた)することに成功し、ユーハイムの作った菓子は好調な売れ行きをみせた。

このことを記念して、毎年3月4日は「バウムクーヘンの日」と決められており、カールは第1次世界大戦(1914年から1918年)後に日本で菓子店を開き、当時は「ピラミッドケーキ」という名前で売られていたが、1960年代から「バウムクーヘン」という名で知られるものとなった。

彼の事業を継承する株式会社ユーハイムは、現在も売上高300億円の2割程度を占める主力商品としてバウムクーヘン製造を続けるほか、より小規模に人気を集める専門メーカー、逆に袋菓子として廉価に全国販売を行うメーカーも多く、日本におけるバウムクーヘンはドイツを凌ぐ一般的な普及をみている。

みなみく3名山スイーツ&バウムクーヘン100周年PRイベントでは、「みなみく3名山スイーツ」は西洋菓子カトル・フィユの「比治山和ケイク」、クルルの「黄金山フロランパイ」、ルードゥメールの「黄金山マフィン」、ケーキハウスアキリの「安芸小富士ラスク」、パティスリーアニバーサリーの「ミモザの安芸小富士」。

バウムクーヘンはユーハイムの「瀬戸内レモンのバウムクーヘン」、パティスリーアニバーサリーの「似島バウムクーヘン」と「バウムクーヘン」、(パティスリーアニバーサリー)、バームクーヘン100周年セット「櫟(くぬぎ)」、バームクーヘン太陽・月(4号サイズ)ギフト「櫟」などを販売する。

営業時間は10時30分から20時。