丸善丸の内で慶応図書館「古代中世の漢籍」展、論語疏や六臣註文選等

【銀座新聞ニュース=2020年10月5日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は10月7日から13日まで4階ギャラリーで「第32回慶応義塾図書館貴重書展示会『古代・中世 日本人の読書』」を開く。

丸善・丸の内本店で10月7日から13日まで開かれる「第32回慶応義塾図書館貴重書展示会『古代・中世 日本人の読書』」に展示される初公開となる「論語疏」。

「慶応義塾図書館貴重書展示会」は、1985年から慶応義塾図書館が所蔵する数ある貴重書を各回テーマに沿って展示し、通常は閲覧が制限される貴重書を無料公開している。今回は、古代、中世の日本において、読書の対象となったのは主として中国伝来の書物「漢籍」で、当時の日本人はこの難解な書物をどのように学習し、どのように活用したのか。古代から中世にいたる読書の様相を慶応図書館の蔵書でたどる。

今回、展示される主な資料としては、中国・六朝時代(222年から589年)の学者として知られる梁(りょう、502年から557年)の皇侃(おうがん、488-545)の手による「論語」の注釈書「論語疏(ろんごそ)」(正式書名「論語義疏(ろんごぎそ)」で、南北朝末隋時代の写本)。今回が初公開となる。

「論語」は中国古代の思想家、儒教の祖として知られる孔子(こうし、紀元前552、あるいは551-479)の言行や高弟たちとの対話を元に、その死後に門人たちが編さんしたと推定されている。「古事記」と「日本書紀」によれば、日本へ初めて伝わったのは応神天皇(おうじん・てんのう、363-403)の第16年(378年)とされている。

古代・中世においては公家・武家における教養の基本書で、江戸時代になると一般人士にまで読まれ、その後、現代にいたるまで、多くの人に読み継がれている。今回、公開する「論語疏」は巻6のみが伝存し、慶応大学の研究グループの分析により、奈良から平安時代よりもさらに古く、日本国外で写された「論語」の伝世最古の写本(出土資料を除く)と考えられている。

「論語義疏」はすでに中国国内では散佚(さんいつ)しており、本書は遣隋使、遣唐使によってもたらされた、隋以前の写本であると推定され、伝来した日本にのみ現存している「佚存書(いつぞんしょ)」として知られている。古代の藤原氏印が見られ、中世の所蔵者は不明だが、江戸時代に入ると朝廷の庶務や公文書を管掌する壬生家(みぶけ)に収蔵されていたことが、藤原貞幹(ふじわら・さだもと、1732-1797)の「好古雑記(こうこざっき)」に記載されている。

その次が梁の昭明太子(しょうめいたいし)、蕭統(しょうとう、501-531)が周代(紀元前1046年から紀元前256年)から梁代に至るまでの作者130余名の作品約800編を選び、それを文体にしたがって分類した一大詞華集(詩文集)「六臣註文選(りくしんちゅうもんぜん)」(南宋刊)。

日本でも「文選」は学問の対象となり、大学寮紀伝道(きでんどう)の重要な教科とされた。中国では宋代(960年から1279年)に入ると、数多ある文選注の中から「李善(りぜん)注」と「五臣(ごしん)注」とが選ばれて刊行され、李善注は字句の典拠・用例を精査した点に特徴があり、五臣注は難解な本文を敷衍(ふえん)し、大意を示した点に特徴があるとされている。

両者を合刻(ごうこく)した六臣注も現れ、今回の展示書はその六臣注の南宋末期、建安刊本であり、四部叢刊の底本となった「上海涵芬楼(しゃんはいかんぷんろう)」蔵本と同版で、室町時代の仮名点が書き入れられている。

3つ目が合戦の日取りなどを決めるのに占い(易)が重視された戦国時代において、下野国(栃木県)にある「足利学校」は数多くの軍師を輩出する名門の学校として知られ、易の方法が伝授された際に師から弟子たちへと与えられた6通の文書がまとめて収められた「足利学校易伝授書(あしかががっこうえきでんじゅしょ)」(1568(永禄11)年、1600(慶長5)年の写本)だ。

その中には、孔子にはじまって当時にいたるまでの伝承を系図にして、この時の伝授の内容がきちんと伝えられたことを保証する文書や、伝授を受ける際の精進潔斎(しょうじんけっさい=飲食を慎み身体をきよめ、けがれを避けること)の方法を示した文書、伝授の際に唱えたと思われる呪文が記された文書、伝授された内容をみだりに他人に教えてはいけないとする起請文などがある。

ウイキペディアによると、足利学校は平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関で、室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であった。「坂東の学校」と称され、1868(慶応4、明治元)年まで存続し、1915(大正4)年に図書館となった。さらに、1990年に方丈や庭園が復元され公開された。その後は足利市の、心のよりどころ、生涯学習の拠点などとされ、教育委員会によって管理されている。

4つ目が平安時代中期以降、大学寮で儒教経典を専門としてきた明経道(みょうぎょうどう)の博士家である清原家の証本(家の学問的権威を保証する由緒正しい本)の「論語」(1563(永禄6)年の写本)だ。

室町時代屈指の碩学(せきがく)と評される清原宣賢(きよはらの・のぶかた、1475?1550)が加えた訓点を正確に書き移したもので、朱の点によって読み方を表した「ヲコト点」も見ることができるという。

5つ目が「百二十詠」の有注本「百二十詠詩注(ひゃくにじゅうえいしちゅう)」(室町中期の写本)で、儒教社会の習いとして、貴族の子弟は10歳になると読み書きの学習を始めることになっており、その時に用いる書籍は「礼記」の記述に因んで「幼学書」と呼ばれた。古代・中世の幼学書としては「千字文」、「百二十詠」、「蒙求」、「和漢朗詠集」の4種の書が知られ、その中の「百二十詠」の有注本だ。当時、この4種の幼学書を学習することを「四部の読書」と呼び慣わしていた。

「百二十詠」の有注本は現存する伝本が極めて少なく、幼学書の場合、師匠だけが有注本を用い、門弟は正文のみの無注本を携えて伝授の場に臨んだといわれている。

慶応義塾図書館は1907年に慶応義塾創立50周年を迎えた記念事業として1908年に起工され、1912年に竣工された。設計は曽祢中條(そねなか・じょう)建築事務所、施工は戸田組で、1969年に国の重要文化財に指定された。1981年に新図書館が完成したのに伴い、本館は記念図書館、研究図書館として改修再生され、現在、旧館には福沢研究センター、斯道文庫(しどうぶんこ)、泉鏡花(いずみ・きょうか)展示室、大会議室、小会議室がある。

9日18時と11日14時から展示会の監修者である、慶応義塾大学名誉教授の佐藤道生(さとう・みちお)さんによるギャラリートークを開く。佐藤道生さんが展示内容を解説しながら会場を巡る。

佐藤道生さんは1955年生まれ、1980年に慶応義塾大学文学部を卒業、1982年に同大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程を修了、1987年に同大学大学院文学研究科国文学専攻博士課程を単位取得退学、1989年に同大学文学部助手、1992年に同大学文学部助教授、2003年に同大学文学部教授、2020年に同大学文学部名誉教授に就任している。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)。入場は無料。ギャラリートークの参加希望者は、開始時刻前までに展示会場に集合する。

注:「慶応」の「応」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。