乾いた空気感と圧迫感で宇宙飛行士の感覚を共有させた「ファーストマン」(257)

【ケイシーの映画冗報=2019年2月21日】昨年の秋、日本の実業家が、アメリカで計画されている民間宇宙船で月に向かうことを表明しました。

現在、一般公開中の「ファースト・マン」((C)Universal Pictures)。制作費が5900万ドル(約59億円)で、興行収入が1億0274万ドル(約102億7400万円)。

「私は月に行くことを選んだ(I choose to go to the moon)」、実業家氏はこう英語でスピーチをしましたが、実際に月面に降り立つのではなく、月の周回軌道を通過するという計画となっています。

月は、人類が足を踏み入れた地球をのぞく唯一の天体であり、アメリカの12人しか存在していません。その最初の1人となったニール・アームストロング(Neil Armstrong、1930-2012)が、本作「ファースト・マン」(First Man、2018年)の主人公となっています。

1962年、優秀なテストパイロットであったニール・アームストロング(演じるのはライアン・ゴズリング=Ryan Gosling)は有人機による月面着陸をめざすアポロ計画の前段階であるジェミニ計画に参加します。

妻のジャネット(演じるのはクレア・フォイ=Claire Foy)は幼い長女を喪ったばかりで、ニールに支えてほしいと願う反面、かれにパイロットとしての挑戦をやめてほしくないという気持ちももっていました。

友人の宇宙飛行士が事故で亡くなるといったアクシデントのなか、ニールは月着陸を目的とするアポロ11号の船長に選ばれます。全世界が注目するなか、ニールは月への第一歩を踏みしめるのでした。

監督のデイミアン・チャゼル(Damien Chazelle)は、ゴズリングの主演した「ラ・ラ・ランド」(La La Land、2016年)でアカデミー作品賞と監督賞を受けており、本作で2度目のタッグを組んでいます。

前作がカラフルな映像と音楽、そしてキャストたちのダンスや演奏(ゴズリングは吹き替えなしでピアノを弾いて撮影した)といったきらびやかな世界観でしたが、実話をテーマとした本作では、当時の最先端技術であった宇宙開発の、無機質な色彩のとぼしい情景が全編を貫いています。

オープニングでニールが実験飛行中、大事故を寸前で切り抜けたときから、死ととなりあわせのテストパイロットとしての日常を、かわいた空気感で描写していきます。

ニールは映画的なヒーロー然とした人物ではなく、幼い娘の喪失に苦しみ、友人の事故死には強い衝撃を受けます。こうした部分はディティールをそぎ落とした表現となっており、台詞や音楽といった音ではなく、ゴズリングの表情やしぐさ、一瞬の目線の動きなどで観客に迫ってきます。

実在のニールも寡黙な人物で「父は無駄なことをせず、入念に準備し、考え抜いて物事をなし遂げる人だった」(2019年2月3日付「読売新聞」朝刊)と次男のマーク・アームストロング(Mark Armstrong)が語っていますし、チャゼル監督も「自分は何千ものなかのたった1つのピースにすぎないとよく言っていた。彼のそういう考え方に忠実でありたいと思った」(2019年2月1日付「読売新聞」夕刊)と自身のニール像を語っています。

宇宙飛行士という、一見するとはなやかそうな世界が、じつは関わってきた多くの人々のなかに存在していることは、いままで作られてきた宇宙飛行士やロケット飛行を扱った作品で描かれています。

くわえて、本作では、当時の宇宙飛行が決して安全ではなかったことにも触れています。巨大なロケットの、ギリギリのスペースに押し込められる飛行士たち。一度乗りこむと、外部との連絡は音声のみという隔離された状態になります。

発射の轟音と振動が飛行士の全身をつつみこんだかと思うと、ふいにおとずれる無音、無重力の世界。この落差をチャゼル監督は派手さをおさえつつ、圧迫感のある映像を見せることで観客に宇宙飛行士の感覚を共有させてくれまました。

アメリカ国内での宇宙飛行士がどう認識されているか。このことを最後に紹介させていただきます。

現在、アメリカで発行されているパスポートの最後のページに宇宙飛行士の残したこの1文が載っています。
「すべての人は次の世代のために、さらなる高みを目指して努力し続ける責任がある(Every generation has the obligation to free men’s minds for a look at new
worlds…to look out from a higher plateau than the last generation.)」(エリソン・オニズカ=Ellison Onizuka、1946-1986)

オニズカはハワイ出身の日系3世で、アメリカの宇宙計画ではじめてのアジア系宇宙飛行士でしたが、スペースシャトル〈チャレンジャー〉の事故で亡くなった人物です。

かれの物語もいつか、映画として紡がれる日がくると、日本人の1人として願ってしまいます。次回は「アリータ バトル・エンジェル」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:ウイキペディアによると、「ジェミニ計画(Project Gemini)」は、アメリカ航空宇宙局(NASA)の2度目の有人宇宙飛行計画で、1961年から1966年にかけ、マーキュリー計画とアポロ計画の間に行われた。ジェミニ宇宙船は2人の宇宙飛行士を宇宙に送る能力があり、1965年から1966年までの間に10人の宇宙飛行士が地球周回低軌道を飛行した。

ジェミニの目標はアポロ計画で必須となる月面着陸のための技術を開発することで、月に行って帰ってくるまでに必要とされる期間の宇宙滞在を達成し、宇宙遊泳によって宇宙船の外に出て活動を行い、ランデブーとドッキングの実行をする際に必要となる軌道操作の技術を切り開いた。これらの新技術が検証されたことにより、アポロ計画では基本試験を行うことなく、月飛行という本来の目的を遂行することができた。

宇宙船はすべてフロリダ州のケープカナベラル空軍基地19番発射施設から打ち上げられた。発射機には大陸間弾道ミサイルを改良した「タイタン2型ロケット」が使用された。また、ヒューストンのジョンソン宇宙センターに新たに建設されたミッション・コントロールセンターが飛行管制に使用されたのもこの計画が初めてだった。

計画期間中にジェミニ9号(1966年6月3日打ち上げ)で搭乗予定だった飛行士を含む3人が、訓練中の航空機事故により死亡している。

「アポロ計画(Apollo program)」はNASAによる人類初の月への有人宇宙飛行計画で、1961年から1972年にかけて実施され、全6回の有人月面着陸に成功した。アポロ計画(特に月面着陸)は、人類が初めてかつ現在のところ唯一、有人宇宙船により地球以外の天体に到達した事業である。

1961年5月、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy、1917-1963)が1960年代中に人間を月に到達させるとの声明を発表した。1969年7月20日に宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリン(Buzz Aldrin、1930年生まれ)がアポロ11号で月面に着陸したことにより、その公約は実現される。アポロ計画ではその後5回の月面着陸が行われ、1972年にすべての月飛行計画が終了した。

アポロ計画は、NASAによるマーキュリー計画、ジェミニ計画に続く3度目の有人宇宙飛行計画であり、使用されたアポロ宇宙船やサターンロケットは、後のスカイラブ計画やアポロ・ソユーズテスト計画で使用された。

アポロ計画では、人間を月に送り、安全に帰還させるという当初の目的を達成することにあり、途中で2つの大きな事故があった。1つは、アポロ1号における予行演習中の発射台上での火災事故で、ガス・グリソム(Virgil Ivan “Gus” Grissom、1926-1967)、エドワード・ホワイト(Edward Higgins White 2、1930-1967)、ロジャー・チャフィー(Roger Bruce Chaffee、1935-1967)の3人の飛行士が死亡している。

もう1つは、アポロ13号において、月に向かう軌道上で機械船の酸素タンクが爆発した事故で、これにより月面着陸は断念せざるを得なくなった。乗組員たちは地上の管制官や技術者たちの援助と、何よりも彼ら自身の優れた危機管理能力により、無事に地球に帰還することができた。

アポロ8号で人間は初めて地球以外の天体の周囲を周回し、17号は人類が他の天体の上に降り立った最後の事例となっている。