【銀座新聞ニュース=2020年12月30日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は1月2日に9階銀座テラス特設会場で、東都葛西神楽保存会「岩楯美よ志社中」が「葛西の里神楽 寿獅子舞」を演じる。
東京都指定無形民俗文化財、江戸川区登録無形民俗文化財で、保持団体である東都葛西神楽保存会「岩楯美よ志社中(いわだてみよし・しゃちゅう)」が伝統芸能の技「葛西の里神楽 寿獅子舞」を披露する。
「葛西の里神楽」は、埼玉県久喜市の鷲宮(わしのみや)神社に伝わる土師流催馬楽神楽(はじりゅうさいばらかぐら)から分かれた江戸流神楽のひとつで、江戸時代後期に葛西地区に定着、明治初年に西小松川の天祖神社(てんそじんじゃ、江戸川区西小松川1-3)に伝わり、さらに岩楯美よ志社中に引き継がれた。
里神楽は神話に取材した黙劇のため、身振り手振りが中心で、哀調をおびた笛の音にのって演ずるさまは、敬虔な祈りとともに人びとの神への感謝の気持ちが込められているとされている。
ウイキペディアによると、江戸の里神楽は笛、大拍子、長胴太鼓を、3人の基本とする囃子に、仮面をつけ、時に素面(しらふ)で古事記、日本書紀の神話を演じる無言劇の形態をとる神楽の総称とされている。
文化庁によると、江戸の里神楽は、江戸時代から神楽を専門に行う「神事舞太夫(しんじまいたゆう)」によって、随時、江戸や近隣の各地の神社祭礼で演じられてきたもので、その始まりは、江戸時代初期に伝わった鷲宮神社の「土師一流催馬楽神楽(はじいちりゆうさいばらかぐら)」とされる。
1804年から1830年の文化文政期に隆盛し、明治維新に際し、その多くが四散したが、明治初期には江戸に37家が存続した。その後、さらに衰退し、現在、主要な社中として若山(台東区蔵前)、間宮(品川区東大井)、松本(荒川区西日暮里)、山本(東京都稲城市矢野口)の4社中が活動を継承し、1994年に国の重要無形民俗文化財に指定されてる。
この里神楽の演目は、最盛期には100を超えていたというが、現在、4社中が伝承する演目は、各社中で共通と考えられるものを含め、若山社中64、間宮社中36、松本社中39、山本社中23演目とされる。
これらは神話を題材に、仮面を付けて演じる無言劇風の「天之浮橋(あめのうきはし)」や「天之返矢【あまのかえしや)」などの演目が主で、鷲宮神社の神楽を源流に、京都の壬生狂言(みぶきようげん)の影響を受けて工夫されたものとされ、江戸の里神楽の特色とされている。
後には歌舞伎や能楽、おとぎ話などを題材にした釣女(つりおんな)や紅葉狩(もみじがり)、浦島太郎などの演目が加えられた。
この里神楽は、一定の神社にのみ付属するものではなく、各地の神社の祭礼に、主として各神社の氏子などからの依頼に応じて演じられてきた。江戸の里神楽は、近世の江戸という大都会において、強い演劇性を盛り込み、各時代に即応した工夫を重ね、神楽を専門とする人々によって祭礼の神賑(かみにぎわい)として演じられてきたもので、芸能の変遷の過程と地域的特色を示す無形民俗文化財として特に重要なものとされている。
時間は11時、13時30分、15時の3回で、1回20分程度。