日本橋三越で東海道五十三次等山下清展、甥の山下浩がトーク

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【銀座新聞ニュース=2012年12月25日】日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は12月27日から2013年1月14日まで新館7階ギャラリーで「生誕90周年記念 山下清展」を開催する。

日本橋三越で12月27日から2013年1月14日まで開催される「生誕90周年記念 山下清展」に展示される「長岡の花火」(1950年、貼絵、(C)清美社)。

画家の山下清(やました・きよし、1922-1971)の生涯を代表的な貼絵を中心に紹介し、遺作「東海道五十三次」や一般初公開の貼絵作品、鉛筆画、油彩、水彩画など約150点を展示する。

会場は第1章「少年期の山下清そして放浪」、第2章「芸術家としての挑戦」、第3章「初のヨーロッパへの旅と遺作・東海道五十三次」と分けて披露する。

ウイキペディアなどによると、山下清は1922年3月10日東京府東京市浅草区田中町(現東京都台東区日本堤)生まれ、1925年の3歳の頃に重い消化不良で命の危険に陥り、軽い言語障害、知的障害の後遺症を患う。脳出血で父親が1932年に他界し、母親が再婚したが、1934年に夫が不在の間に母親が子ども3人を連れて木賃宿へ逃れるも生活困窮により、社会福祉施設「隣保館」へ移り、同年5月に千葉県東葛飾郡の知的障害児施設「八幡学園」へ預けられる。

この学園で「ちぎり絵」に出あい、1937年秋に早稲田大学で展覧会を開き、1938年にも早稲田大学で「特異児童労作展覧会」を開き、12月に東京市京橋区銀座(現中央区銀座)の画廊で初めて個展を開いた。1940年に八幡学園を出て、放浪の旅をし、1942年に21歳の時、八幡学園の職員により無理やり徴兵検査を受けさせられたが、兵役免除となる。

日本橋三越で開催される「生誕90周年記念 山下清展」で初めて公開される「ソニコンロケット」(1959年ころ、貼絵、増田屋コーポレーション所蔵)。

映像記憶力がすぐれており、「花火」をはじめ行く先々の風景を多くの貼絵に残している。ただ、旅先ではほとんど絵を描くことがなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルで、「サヴァン症候群」であった可能性が高いといわれている。

1953年にアメリカの雑誌「ライフ」が放浪中の山下清を探し、1954年に鹿児島で発見され、弟の山下辰造(やました・たつぞう、1928-2003)が迎えに行き、放浪生活が終わり、1957年から母、辰造らと世田谷に住む。その後、「日本のゴッホ」とか「裸の大将」と呼ばれ、1956年の東京大丸の「山下清展」を始め、全国巡回展が約130回開かれ、観客は500万人を超えた。

1961年に約40日間のヨーロッパ旅行に出発し、各地の名所を絵に残した。晩年は、東京都練馬区谷原に住み、「東海道五十三次」の制作を志し、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛けた。およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺している。1971年7月12日に脳出血のため49歳で死去した。

12月29日13時と15時に山下清作品管理事務局代表で山下清の甥にあたる山下浩(やました・ひろし)さんによるギャラリートークを開く。入場者は自由に参加できる。

山下浩さんは1960年東京都生まれ、山下清の弟山下辰造の長男で、中央大学法学部を卒業、1971年に山下清が亡くなるまで同居し、山下清から貼絵の指導を受け、1995年に「山下清鑑定会」を設立、山下清の作品および著作権の管理と作品鑑定を行っており、lこれまでに「山下清作品集」を刊行している。

開場時間は10時から19時(12月31日は18時、最終日は17時30分)まで。1月1日は休み。入場料は一般、大学生800円、中学、高校生600円。小学生以下無料。