丸善日本橋で新版画の川瀬巴水展、初期の摺画等

【銀座新聞ニュース=2015年4月12日】丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は4月15日から21日まで3階ギャラリーで「川瀬巴水木版画展」を開催する。

丸善・日本橋店で4月15日から21日まで開催される「川瀬巴水木版画展」に出品される「亀戸の藤」(1932年)。

丸善・日本橋店で4月15日から21日まで開催される「川瀬巴水木版画展」に出品される「亀戸の藤」(1932年)。

日本の浮世絵版画を復興するため新しい浮世絵版画「新版画」を確立した、近代風景版画の第一人者として知られる川瀬巴水(かわせ・はすい、1883-1957)が1910(明治44)年に日本画家の鏑木清方(かぶらき・きよかた、1878-1972)に入門を許され、本格的に画業に取り組み、1918(大正7)年に風景版画を制作して以来、600点も残している。

そのうち、初期のすり作品を含む約30点を展示販売する。1906年に創業した渡辺木版美術画舗(中央区銀座8-6-19、03-3571-4684)が厳選している。

ウイキペディアなどによると、「新版画」は1897(明治30)年前後から昭和時代に描かれた版画のことで、江戸時代に流行した浮世絵版画が1894(明治27)年の日清戦争を描いた戦争絵の一時的なブームを最後に、急速に力を失い、廉価な石版画、写真、大量印刷の新聞、雑誌、絵葉書などといった新商品の人気に押され、売れ行き不振となり、衰退していった。

そのような中で、従来の浮世絵版画と同様に、絵師、彫師、すり師による分業の制作方式に興味をもったのが、1899(明治32)年に来日したヘレン・ハイド(Helen Hyde、1868-1919)や1900(明治33)年に来日したエミール・オルリック(Emil Orlik、1870‐1932)ら外国人だった。

その後、橋口五葉(はしぐち・ごよう、1880-1921)らが新版画に着手し、日本画家のみならず、洋画家や外国人作家の参画によって、1923(大正12)年に発生した関東大震災以前の新版画がもっとも華やかで、実験的な作品を生み出す時代を迎えた。それらは現代的なデッサンの美人画、役者絵、陰影のある風景画や花鳥画などが描かれたという。

川瀬巴水は1883(明治16)年東京都生まれ、10代から画家を志して日本画を学び、1908年に25歳で父親の家業を継ぐが、画家になる夢を諦めきれず、妹夫婦に商売を任せて日本画と洋画を学んだ。1910年、27歳で日本画家の鏑木清方に入門し、「巴水」の画号を与えられる。

1918年に風景版画を制作し、1920年に「旅みやげ第一集」を完成、1921年に「東京十二題」と「旅みやげ第二集」を完成、1923年に関東大震災で被災しながらも、1926年に「日本風景選集」、1929年に「旅みやげ三集」、1930年に「東京二十景」、1936年に「日本風景集東日本編」を完成させた。

1939年に「朝鮮八景」を完成させ、1944年には栃木県塩原に疎開、1948年に東京都大田区内に引越し、1957年に自宅で胃ガンのため74歳で死去した。衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく、新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。

アメリカの鑑定家ロバート・O・ミューラー(Robert O.Muller、1911-2003)の紹介によって欧米で広く知られ、国内よりも海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎(かつしか・ほくさい、1760-1849)や歌川広重(うたがわ・ひろしげ、1797-1858)らと並び称されるほどの人気がある。

17日と18日の14時から渡辺木版美術画舗の3代目渡辺章一郎(わたなべ・しょういちろう)さんによるギャラリートークを開く。

渡辺章一郎さんは1958年東京都中央区銀座生まれ、大学を卒業後、和光に勤務し、1985年に渡辺木版美術画舗の3代目に就任している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。

注:「渡辺木版美術画舗」と「渡辺章一郎」の「渡」は正しくは旧漢字です。