監督が実体験という想い出を静かに語りかける「ムーンライト」(211)

【ケイシーの映画冗報=2017年4月20日】アメリカのフロリダ州は全米から裕福なリタイヤ世代があつまる一大リゾート地ですが、同時に非情な危険地帯でもあります。中南米からの麻薬密輸ルートの入り口ということで「スカーフェイス」(Scarface、1983年)や「バッドボーイズ」(Bad Boys、1995年)といった「フロリダ麻薬がらみ」の映画も少なくありません。

現在、一般公開中の「ムーンライト」((C)2016 A24 Distribution, LLC)。2017年のアメリカのアカデミー賞で、進行役による作品賞の発表違いがあったが、最終的に作品賞に輝いた。

こうした作品では、犯罪ネットワークにおける悪のサクセス・ストーリー(スカーフェイス)や、捜査機関と麻薬密売組織との対決(バッドボーイズ)といった部分にフォーカスをあてていますが、本作「ムーンライト」(Moonlight、2016年)では、まったく違うアプローチでフロリダを描いています。

フロリダ州マイアミのリバティ・スクエア。低所得の黒人たちが住むこの町で暮らす少年シャロン(演じるのはアレックス・ヒバート=Alex Hibbert)は小学校の同級生から「リトル」と呼ばれ、つねにイジメのターゲットにされています。

シングルマザーのポーラ(演じるのはナオミ・ハリス=Naomie Harris)はそんなシャロンに愛情をみせますが、麻薬が手放せない女性でした。そんなシャロンを救ってくれたのが地元で麻薬ディーラーをしているフアン(演じるのはマハーシャラ・アリ=Mahershala Ali)でした。

ある夜、フアンに海で泳ぎを教わるシャロンは、そこではじめて人間として他者と触れ合うことを知ります。やがて高校生となったシャロン(演じるのはアシュトン・サンダース=Ashton Sanders)でしたが、イジメは続いています。

制作費が150万ドル(約1億5000万円)に対して、これまでに興行収入が2510万ドル(約25億1000万円)に達している。

母のポーラは麻薬の代金を息子に求めるようになるほど、中毒が進んでいました。父親のようだったフアンも今は亡くなり、孤独な日々を送っているシャロンにもひとりだけ友人がいました。小学校からのつきあいになるケヴィン(演じるのはジャレル・ジェローム=Jharrel Jerome)とは、たどたどしいものながら、お互いに友情を超えるつながりを感じるようになりました。

しかし、ある事件がきっかけとなって、シャロンとケヴィンは決定的な別れをすることになるのです。そして、成人したシャロン(演じるのはトレヴァンテ・ローズ=Trevante Rhodes)は、アトランタでかつてのフアンのような麻薬ディーラーとなり、ひ弱さは影をひそめ、鍛えた肉体で「ブラック」と名乗るようになっていました。

生活には不自由はないものの、母ポーラは厚生施設に入っており、孤独な生活を送っていたシャロンに、かつて苦い別れ方をしたケヴィンから連絡がきます。シャロンは過去とどう向き合うのか。

ご存じのように、この「ムーンライト」が、本年のアカデミー賞で大本命といわれた「ラ・ラ・ランド」(LA LA LAND)を抑えての作品賞受賞となったのです。

制作費150万ドル(約1億5000万円)、ハリウッド産超大作の100分の1という低予算で、撮影日数も25日という「小振り」な作品ですが、アカデミー賞では8部門にノミネートされ、前述の作品賞にくわえて脚色賞、助演男優賞(フアン役のマハーシャラ・アリ)の3部門を受賞しています。

本作で強く引きつけられたのは、色彩の表現でした。「ラ・ラ・ランド」のようなポップなものではなく、本来なら荒廃かつ殺伐とした雰囲気になりそうなゲットーを、質素ながらも、けっして悲壮感の漂う危険地帯として描いてはいません。

麻薬がらみということで、一般に連想するような大銃撃戦や犯罪組織の残忍さ(冒頭の2作品はこうした作風です)などはなく、犯罪者であるフアンが、見ず知らずの少年に世話を焼くといった優しき隣人として存在しているのです。

これには、監督/脚本のバリー・ジェンキンス(Barry Jenkins)と原作/脚本のタレル・アルヴィン・マクレイニー(Tarell Alvin McCraney)の実体験が影響したのでしょう。両人とも作品の舞台となったリバティ・スクエア出身で、母親が薬物依存症であったという共通点があるそうです。

そんな制作陣のメッセージなのでしょうか?フアンが少年のシャロンを海に連れ出し、海水浴を教えるシーンが強く心に残っています。フアンはシャロンを幼児のように抱きかかえて、月明かりの元、海水にひたします。それは胎児が母親の体内で羊水に包まれることをを想起させ、男性でありながらつよい母性を感じさせます。

その反対に、シャロンをいじめ抜き、ケヴィンとの友情を破砕してしまう少年たちには恐怖をおぼえます。罪の意識などないがゆえに残酷で呵責(かしゃく)がないためです。

けっしてとりつきやすくはありませんが、誰もが持っている想い出を静かに語りかける作品といえるでしょう。次回は「バーニング・オーシャン」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。