ためながで、独占契約の荻須高徳「生誕120年」展

【銀座新聞ニュース=2021年11月12日】ギャルリーためなが(中央区銀座7-5-4、03-3573-5368)は11月13日から12月5日まで「生誕120年荻須高徳展」を開く。

ギャルリーためながで11月13日から12月5日まで開かれる「生誕120年荻須高徳展」に出品される「レ・アル地区」。

洋画家で「世界のオギス(Oguiss)」として知られた荻須高徳(たかのり、1901-1986)は、1927年に26歳でフランスにわたり、以降、生涯のほとんどをパリで暮らし、パリを中心とするヨーロッパの歴史が刻まれた街並みを描き続けた。

ギャルリーためながによると、創業者の為永清司(1931年生まれ)さんは1950年代より荻須高徳とは親交厚く、1969年のギャルリーためなが開廊以降は、独占契約を交わして、定期的に展覧会を開いてきた。

今年11月30日に生誕120年を迎える荻須高徳はパリ市内の風景画を好んで描き、初期は佐伯祐三(1898-1928)を思わせる荒々しいタッチのものが多く、徐々に大胆な構図を温かみのある色調で描く独自のスタイルを確立した。

荻須高徳は「私は壁の美しさを長い間追求してきたし、今後も追求していくだろう」と語り、歴史や人々の生活の染み込んだ壁を穏やかさや静寂さを備えて描いた。フランスの元大統領のジャック・ルネ・シラク(Jacques Rene Chirac、1932-2019)は荻須高徳について「もっともフランス的な日本人」と称した。

ウイキペディアによると、荻須高徳は1901(明治34)年愛知県稲沢市(旧中島郡)生まれ、1921(大賞10)年に小石川(現文京区)にあった川端画学校に入り、1927(昭和2年)年に東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科を卒業、同年9月にフランスにわたり、1928年にサロン・ドートンヌに入選、1934年に最初の個展をスイス・ジュネーブで開き、その後、サロン・ドートンヌ会員に推挙されるも、1940年に戦況悪化により、一時帰国、この時サロン・ドートンヌ出品作がパリ市買上げとなった。

帰国後、新制作派協会の会員となり、1948年に再び、フランスにわたり、1956年にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与され、1982年に文化功労者に選ばれ、10年ぶりに帰国した。1986年10月14日にパリのアトリエで制作中に倒れ、死去した。84歳。死の1週間前ほどに同年の文化勲章が内定、11月3日に死去日にさかのぼって文化勲章が授与された。墓はパリのモンマルトル墓地にある。荻須高徳の妻、美代子もパリで2007年3月6日に86歳で逝去した。

開場時間は11時から19時(日曜日、祝日17時)。入場は無料。