悪のヒーローを描き、TVで味わえない劇場限定「孤狼の血2」(323)

【ケイシーの映画冗報=2021年9月2日】「この男、刑事か、悪魔か?」ーフィクションとはいえ、刑事対ヤクザの熾烈な戦いを描いた本作「孤狼の血 LEVEL(レベル)2」(2021年)の宣伝コピーのひとつですが、その看板にいつわりのない作品です。

現在、一般公開中の「孤狼の血 LEVEL(レベル)2」((C)2021「孤狼の血 LEVEL2」製作委員会)。

前作「孤狼の血」(2018年)の3年後。1991年の広島では、地元のヤクザ組織の抗争を1人の刑事が抑えていました。高級外車に乗り、およそ刑事らしからぬ振る舞いの日岡(演じるのは松坂桃李)は、対立する広島仁正会(じんせいかい)と五十子(いらこ)会の間をなんとか取り持っていました。ときには“自作自演”の犯罪まで引き起こしながら。

その危うい均衡が、ひとりの人物の出所によって崩れます。その凶暴さから“刑務所にも置けない”上林(演じるのは鈴木亮平)が、自身の上部組織である五十子会の幹部たちを徹底的な暴力で粛清、強大な力を手にします。

上林が次に狙うのは、自分の組長を死に追いやった日岡でした。ある殺人事件の捜査で上林と関わることになる日岡。ヤクザ同士の抗争と愛憎、警察内部での対立と画策。その結末はどうなるのか。

前作「孤狼の血」では、新人の刑事だった日岡が、この作品ではヤクザと見紛う強面ぶりで、ヤクザと“ズブズブ”の関係ではあるのですが、“毒を以て毒を制す”という言葉を地で行くのです。

水商売の愛人である真緒(演じるのは西野七瀬)の家族には優しく接する日岡ですが、その一方で彼女の弟である幸太(通称チンタ、演じるのは村上虹郎)には、彼の人生の大きな選択を条件に、上林組への潜入という、危険な役目を与えます。

こうした“清濁併せ呑む”行動を前作では忌み嫌っていた日岡でしたが、いまでは一種の“折り合い”をつけていたのです。前作から引き続き登場する警察の面々もそんな日岡をどこかで認めているのでしょう。表立っての反発はなされていません。

その一方、“ヤクザが暴れて何が悪い”とばかりに血と暴力を全身にまとっているのが上林なのです。刑務所を出た直後から凄惨な殺人に手を染め、平然と上位のヤクザ連中にも牙を剥く上林は、“制御なき暴力”として、日岡と対決することになります。

本来なら警察組織という強力な後ろ楯があるはずの日岡ですが“孤狼”である日岡の行動には警察は否定的であり、たまたまコンビを組んだ定年間際の刑事である瀬島(演じるのは中村梅雀)しか心を許せないのです。

“二頭の孤狼”の物語ともいえる本作を監督したのは、前作につづき白石和彌で、原作小説(柚月裕子著)に描かれていない部分を大きく膨らませて、映画のオリジナル・ストーリーを構築しています。

登場人物のほぼ全員に“隠された闇”や“陰惨な過去”“出自や環境による差別”といった、一般社会ではネガティブな部分を抱えているのですが、過剰に陰鬱になるような表現とはなっていません。むしろ、ストーリー展開上の必然として、巧みに構成されており、現実としての差別や他者への蔑視があることから逃げていません。

そして、本作の白眉ともいえるのが上林の圧倒的な暴力です。まさに老若男女、どんな相手でも容赦なくたたき潰してしまうのです。
「ヘンに『くさいものに蓋をする』という描き方じゃなくてね。まあ、全開じゃなくて『ちょっと開けておこう』ぐらいの感じですけど」(「映画秘宝」2021年10月号)

こう語る白石監督のさじ加減は、まさに絶妙で、監督は上林を演じる鈴木亮平に、「世紀の悪役を作りたい」(前掲誌)とリクエストしたそうですが、演者もその期待に完全に応じています。

その上林は、破壊衝動のみの人物ではなく、「ただ凶暴なだけでなく、今の日本にも通じるような問題を抱えているキャラクター」(パンフレットより)として、単なる悪役ではなく、深みのあるいわば“悪のヒーロー”ともいえる危険ながら魅力のある、日本の映画作品では希有な人物像といえるでしょう。

最近の邦画作品は、その多くが劇場公開後のテレビ放映が前提となっています。そのため、映像やストーリー、キャラクター表現も“テレビ放送用に準拠”しての仕上がりとされていることは否めません。正直、本作はテレビ用作品のリミッターを逸脱しています。強い刺激作ではありますが、劇場で楽しむことをお勧めいたします。

次回は「シャン・チー/テン・リングスの伝説」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。