山野楽器がXマスツリー、正時にJ・レノンとL・アンダーソンの曲

【銀座新聞ニュース=2017年11月9日】大手CD、楽器販売会社の山野楽器銀座本店(中央区銀座4-5-6、03-3562-5051)は11月11日から12月25日まで本店1階銀座通り口にクリスマスツリーを展示する。

山野楽器銀座本店で11月11日から12月25日まで飾られるクリスマスツリーのイメージ。

山野楽器は2015年から本物のモミの木によるクリスマスツリーを展示しており、今回は毎正時に元「ビートルズ」のジョン・レノン((John Winston Ono Lennon、MBE、1940-1980)の「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」とアメリカの音楽家、ルロイ・アンダーソン(Leroy Anderson、1908-1975)の「そり滑り」を交互に流す。

ツリーに使うモミの木は群馬県嬬恋村に山野政彦(やまの・まさひこ)さんが訪れて現地で確認したうえで決めたもので、高さが7.2メートル×径が3.8メートル、楽器オーナメントにミラーボールを追加し、イルミネーションも2016年の4500個から2017年の5500個に増やした。

ウイキペディアによると、クリスマスツリーはキリストとは無関係で、原型は北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭で使われていた樫(かし)の木にあり、冬でも葉を枯らさずにいる樫は生命の象徴とされていた。

このドイツの民をキリスト教に改宗させる試みがなされたが、樹木信仰が根強かったので、樫をモミに変えることでキリスト教化した。モミの木は横から見ると三角形で「三位一体」を表していると教えた。父なる神が頂点で、子と精霊が底辺の両端に位置した。1419年にドイツのフライブルクで、パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾った。

この記録が、クリスマスツリーをクリスマスに飾る行為の最初とされ、1600年代には、ドイツ各地で記録が残されている。ベルリンには1800年頃にツリーが伝わっている。英国へは1840年、ビクトリア女王(Victoria、1819-1901)を通じて伝わった。夫のアルバート(Albert、Prince of Saxe-Coburg-Gotha、1819-1861)がドイツ出身だったので、夫のためにクリスマスツリーに飾ったところから1860年代には一般にも広まった。

アメリカでも最初のツリーは、ドイツ移民によって1746年に飾られ、当時は、アメリカ建国当初からいた英国系清教徒のアメリカ人から「クリスマスツリーは異教の文化だ」と断じられて、反発されたこともあった。現在では、キリスト教徒が少ない日本のような国でも、この風習は根付いている。ロシアのヨールカは、日本の門松と同じく新年を祝うものだが、クリスマスの時期から飾られ、クリスマスツリーと変わるところはない。

日本では1860(万延元)年にプロイセン王国の使節オイレンブルク(Friedrich Albrecht Graf zu Eulenburg、1815-1881)が公館に初めて飾り、1874(明治7)年には原胤昭(はら・たねあき、1853-1942)により築地大学(現明治学院大学)で行われたクリスマスパーティーに、日本初のサンタクロースとともに登場している。

1885(明治18)年に横浜で開業した明治屋が、1900(明治33)年に東京・銀座へ進出すると、銀座のクリスマス飾りが広く行われるようになり、同じころに神戸でクリスマス用品の生産が始まった。日本のクリスマス行事は1928(昭和3)年の朝日新聞紙上で「年中行事」と書かれるほど定着した。

11日16時15分から点灯式を行う。山野楽器の音楽教室講師たちによるゴスペルが流れ、山野楽器の公式キャラクター「フー(Hoo)」ちゃんも登場する。

メロディーを流す時間は11時から22時まで。