丸善丸の内で金沢翔子、いかわあきこが「書と絵」展

【銀座新聞ニュース=2019年8月6日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は8月7日から13日まで4階ギャラリーで金沢翔子さんといかわあきこさんによる「2人展-共に生きる」を開く。

丸善・丸の内本店で8月7日から13日まで開かれる金沢翔子さんといかわあきこさんによる「2人展-共に生きる」に出品される作品。上が金沢翔子さんの「笑」、下がいかわあきこさんの「くじゃく118」。

ダウン症候群ながらも、「魂の書」として、人に勇気と励ましを与えている書家の金沢翔子(かなざわ・しょうこ)さんと独自の視点で絵画を制作しているいかわあきこ(居川晶子)さんが新作を中心に2人展を開く。

ウイキペディアによると、ダウン症候群とは体細胞の21番染色体が通常より1本多く存在し、計3本(トリソミー症)になることで発症する先天性疾患群で、年間1000出生あたり1人に現れる、新生児にもっとも多い遺伝子疾患となっている。

症状としては、身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度の知的障害などがあり、平均して8歳から9歳の精神年齢に対応する軽度から中度の知的障害があるものの、ばらつきが大きく、現時点で治療法は存在しないが、教育と早期ケアにより症状が改善されることが見込まれている。

かつてはヨーロッパを中心に「モンゴリズム(Mongolism、日本語では「蒙古症」)」と呼ばれ、黄色人種に特有のものとの偏見が広がり、ヨーロッパにおいて白人の子どもであるにもかかわらず、当時コーカソイドより劣っていると考えられていたモンゴロイドの遺伝子を持って出生したと考えて付けられた。

英国人医師のジョン・ラングドン・ダウン(John Langdon Haydon Down、1828-1896)が1866年に発見したが、当初「目尻が上がっていてまぶたの肉が厚い、鼻が低い、頬がまるい、あごが未発達、体は小柄、髪の毛はウェーブではなくて直毛で薄い」という特徴を捉えて「モンゴリズム」または「モンゴリアン・イディオシー(mongolian idiocy、蒙古痴呆症)」と称し、発生時障害により人種的に劣ったアジア人のレベルで発育が止まったために生じると説明していた。しかし、ダウン医師によるこの人種差別的な理論は、アジア人にもダウン症がみられることからすぐに破たんした。

1959年に21番染色体が1本多いことが原因ということがわかり、1961年に19人の遺伝学者が「ラングドン・ダウン・アノマリー(Langdon-Down anomaly)」などの用語を用いるべきとの声明を出し、「蒙古症」という語は次第に使われなくなり、1965年頃にはモンゴル人民共和国の代表がWHO事務局長に対して、非公式に病名としての「モンゴリズム(mongolism)」が不快であるとして将来的に使用しないように要請した。

1965年にWHOは発見者のラングドン・ダウンに因んで「ダウン・シンドローム(Down syndrome、ダウン症候群)」を名称とすることが決定し、2012年に「21番染色体トリソミー」にちなんで3月21日を国際連合が「世界ダウン症の日」に認定した。

金沢翔子さんは1985年東京都目黒区生まれ、5歳から母親の書道家の金沢泰子(かなざわ・やすこ)さんの指導で書を始め、20歳で個展を開き、その後、建長寺、建仁寺、東大寺、薬師寺、中尊寺、延暦寺、熊野大社、厳島神社、三輪明神大神神社、大宰府天満宮、伊勢神宮、春日大社などで個展を開き、奉納揮毫もしている。国体の開会式や天皇の御製を揮毫し、紺綬褒章を受章している。現在、日本福祉大学客員准教授、文科省スペシャルサポート大使。

いかわあきこさんは1970年京都府宇治市生まれ、1988年に京都教育大学付属養護学校高等部を卒業、京都市洛成西の里授産園に入園、1993年に京都市洛成西の里授産園を退園、2004年にお地蔵をモチーフにした作品制作をはじめ、2012年に大阪市立美術館「二元会大阪支部展」にて新人賞、2013年に東京都美術館「二元展」にて佳作賞、2015年に東久迩宮(ひがしくにのみや)記念賞などを受賞している。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。入場は無料。

注:「金沢翔子」の「沢」と「東久迩宮」の「迩」はいずれも正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。