ミキモトが明治、大正、昭和のバラ柄和服展

【銀座新聞ニュース=2012年4月2日】ミキモト(中央区築地1-8-9、03-5550-5678)は4月5日から4月24日までミキモト銀座本店(中央区銀座4-5-5、03-3535-4611)の6階ミキモトホールで「着物に咲いたモダニズム」展を開催する。

明治、大正、昭和の着物や帯、羽織やじゅばんから、バラの柄のものだけを集めた約100点を展示する。ミキモトによると、明治の文明開化以降日本に入った西洋のバラは、新しい時代へのロマンや自由の象徴として、お洒落な女性の間で着物の柄に用いられたという。

四季を大切にする着物の世界で、春咲きと秋咲きのあるバラは「季節(とき)知らず」と言われ、四季を問わず身に着けることができる特別な柄で、今回は古典柄からモダン柄まで、時代の世相や着る人の個性を反映したさまざまなバラの着物を公開する。

ウイキペディアによると、「バラ」はバラ科バラ属の種(しゅ)の総称で、世界に約120種があり、6月の誕生花で、季語は夏とされている。バラが歴史に登場するのは古代バビロニアの「ギルガメシュ叙事詩」が最初で、この詩の中にバラのトゲについて触れた所がある。

古代ギリシア・ローマでは、バラは愛の女神アプロディテもしくはウェヌス(ヴィーナス)と関係づけられた。香りも愛好され、香油も作られた。プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ(Cleopatra 7 Philopator、BC70-BC30)はバラを愛好し、ユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar、BC100-BC44)を歓待したときも、バラの花や香油を使用したと伝えられている。

ローマでもバラの香油は愛好され、第5代ローマ皇帝ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus、37-68)はお気に入りの貴族たちを招いて開いた宴会では、庭園の池にバラを浮かべ、バラ水が噴き出す噴水もつくり、部屋はバラで飾られ、皇帝が合図をすると天井からバラが降り注ぎ、料理にもバラの花が使われていたと伝えられる。

中世ヨーロッパではバラの美しさや芳香が「人々を惑わすもの」として教会によってタブーとされ、修道院で薬草として栽培されるにとどまった。イスラム世界では、白バラは開祖のムハンマド(Muhammad、570ころ-632)を表し、赤バラが唯一神アッラー(allah)を表すとされた。十字軍(1096年から1272年)以降、中近東のバラがヨーロッパに紹介され、ルネサンス(14世紀から16世紀)のころには再び人々の愛好の対象とされ、カトリック教会では聖母マリアの雅称(がしょう)として「奇しきばらの花」(Rosa Mystica)と呼ぶようになった。

ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte、1769-1821)の皇后ジョゼフィーヌ(Josephine de Beauharnais、1763-1814)がバラを愛好し、パリ郊外のマルメゾン城((Chateau de Malmaison)にヨーロッパや日本や中国など、世界中から取り寄せたバラを植栽させた。ジョゼフィーヌ没後も彼女の造営したバラ園では原種の収集、品種改良が行われ、19世紀半ばにはバラの品種数は3000を超え、これが観賞植物としての現在のバラの基礎となった。

日本はバラの自生地で、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産という。江戸時代初期に、仙台藩の慶長遣欧使節副使・支倉常長(はせくら・つねなが、1751-1622)がヨーロッパからバラを持ち帰り、そのバラは、伊達光宗(だて・みつむね、1627-1645)の菩提寺(ぼだいじ)の円通院(えんつういん)にある光宗の霊廟「三慧殿(さんけいでん)」の厨子(ずし)に描かれたため、同寺は「ばら寺」の通称で呼ばれている。

明治維新後に、明治政府は「ラ・フランス」を農業試験用の植物として取り寄せ、青山官制農園(現東京大学農学部)で栽培させた。その後、バラが接(つ)ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる東京郊外の川口市の安行や京阪神地域の郊外・宝塚市山本で栽培が行われるようになった。

期間中、14時と16時から作品の解説がある。

開場時間は11時から19時、入場は無料。

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