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【銀座新聞ニュース=2012年11月30日】永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)で12月4日に神田すずさんによる「講談師と一緒に歩く 歴史と文化の散歩ラリー」を開催する。
永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開催している「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。
今回は二ツ目の神田(かんだ)すずさんが「異国情緒にひたれる六本木・広尾」と題して、「東京ミッドタウン」(港区赤坂9-7-1、03-3475-3100)から「国立新美術館」(港区六本木7-22-2、03-6812-9900)、「六本木ヒルズ」(港区六本木6-10-1、03-6406-6000)を歩く。
その後、「沖田総司の墓(専称寺)」(港区元麻布3-1-37)から「お楽しみ大使館めぐり」を経て「有栖川宮記念公園」(港区南麻布5-7-29、03-5114-8803)を散歩して、お江戸日本橋亭に移動して、昼食後、午後から日本橋お江戸寄席を鑑賞する。
「東京ミッドタウン」は2004年5月18日に建設がはじまり、2007年1月に竣工、3月30日に開業し、三井不動産が運営している。敷地面積が7万8400平方メートル、オフィスが約33万平方メートル、住宅が約530戸、ホテルが約250室、商業が約5万7000平方メートルとなっている。
主に4棟あり、ミッドタウン・タワー(オフィス・ホテル棟)は地上54階、地下5階で高さが248メートル、6階から43階がオフィスフロアでファーストリテイリング、シスコシステムズ、ヤフー、ハドソンなどが入居し、44階から53階がザ・リッツ・カールトン東京、54階が施設維持・管理スペースで一般客が入場できない。
ミッドタウン・イーストが地上25階、地下4階で高さが114メートル、地下1階から地上11階にコナミとコナミグループ(コナミデジタルエンタテインメント、コナミスポーツ&ライフなどが入居し、地下1階、1階、12階から24階がマンションの東京ミッドタウン・レジデンシィズになっている。
ミッドタウン・ウェストが地上13階、地下3階で高さが67メートル、富士フイルムホールディングス(富士フイルム、富士ゼロックス)が入居し、1階と2階はフジフイルムスクエアとなっている。
ザ・パーク・レジデンシィズ・アット・ザ・リッツ・カールトン東京は地上30階、地下2階、高さ108メートルで、住宅棟(マンション)がある。
ほかに、ガーデンサイドは地上9階、地下3階、高さ48メートル、スーパーのプレッセやサントリー美術館、オークウッドプレミア東京ミッドタウン(サービスアパート)、地下1階から地上4階までガーデンテラスがあり、レストラン街、オープンテラスとなっている。
江戸時代に長州藩毛利家の下屋敷などがあり、明治時代から大日本帝国陸軍の歩兵第一、第三連隊の駐屯地となり、太平洋戦争後、アメリカに接収され、アメリカ軍将校の宿舎として使用され、サンフランシスコ講和条約発効後の1960年に日本に返還され、陸上自衛隊の駐屯地とされ、防衛庁の本庁舎も設置された。
2000年5月に防衛庁本庁舎が新宿区市ヶ谷の駐屯地に移転。2001年4月26日に東京都が「赤坂9丁目地区再開発地区計画」を決定し、5月1日に財務省が売却を公示し、9月17日にはコンソーシアム6社(積水ハウス、全国共済農業協同組合連合会、大同生命保険、富国生命保険、三井不動産、安田生命保険)が落札し、全体計画は国際コンペティションの結果、アメリカ・ニューヨークを中心に活動するスキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル(Skidmore,Owings&Merril LLP)が受注し、担当した。
「国立新美術館」は文化庁国立新美術館設立準備室と独立行政法人国立美術館が主体となって東京大学生産技術研究所跡地に建設された美術館で、1996年に立案され、2002年に着工し、2006年6月に完成し、2007年1月21日に開館した。
敷地面積が3万平方メートル、5階建て、延床面積が4万7960平方メートル、高さが32.5メートル。黒川紀章(くろかわ・きしょう、1934-2007)が最後に設計した建物とされている。美術団体のための展示スペースで、収蔵品を持たず、学芸員も置かないという方針だったが、現在は学芸員を置いている。
「六本木ヒルズ」は2000年に着工し、2003年3月に完成し、4月25日に開業した。敷地面積が約8万4800平方メートル、地上54階(森タワー)、地下6階、高さ238メートルで、延べ床面積が72万4525平方メートル。森ビル、ハリウッド美容専門学校、テレビ朝日などが所有し、森ビルが運営している。ゴールドマン・サックスやFM放送局のJ-ウェーブ(WAVE)などが入居している。
江戸時代に麻布日ヶ窪(現六本木6丁目)に長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷があり、明治時代に法律家・増島六一郎(ますじま・ろくいちろう、1857-1948)の邸宅になり、太平洋戦争時に空襲に遭い、1952年にニッカウヰスキーの工場、その後、日本教育テレビ(現テレビ朝日)の敷地となった。
また、日本で最初の美容室として知られるメイ牛山(めい・うしやま、1911-2007)のハリウッドビューティサロンやハリウッド化粧品、ハリウッド美容専門学校の敷地が戦前からあった。下に通るトンネルは、ハリウッドの社屋があった後に掘削されたことで、「ハリウッドトンネル」と呼ばれた。土地には約500世帯があり、1984年に「港区六本木6丁目再開発」として事業計画されたが、完成までには約17年を要し、総事業費が約2700億円。
「沖田総司の墓」は専称寺にある新選組一番隊組長及び撃剣師範の沖田総司(おきた・そうじ、1844?-1868)の墓で、陸奥白河藩の江戸の下屋敷(現港区西麻布)で生まれ、肺結核により幕府の医師・松本良順により千駄ヶ谷の植木屋に匿われ、新選組組長の近藤勇(こんどう・いさみ、1834-1868)斬首から2カ月後の1868年7月19日に死去した。専称寺では沖田総司の墓を公開していないが、毎年6月末の沖田総司忌のみ一般の墓参りを認めている。
元麻布には大使館は1丁目にオーストリア、2丁目がカタール、マダガスカル、アルゼンチン、スロバキア、3丁目に中国、リトアニアがある。南麻布には3丁目にイラン、フィンランド、4丁目にフランス、ドイツ、パキスタン、5丁目にスイス、ノルウェーが大使館を設置している。
「有栖川宮記念公園(ありすがわみやきねんこうえん)」は江戸時代に陸奥盛岡藩下屋敷があり、 1896年に有栖川宮威仁親王(ありすがわのみや・たけひとしんのう、1862-1913)が霞ヶ関の御殿から移転する際に、代替地として御用地とされ、生母の森則子(もり・のりこ)の住居などが設けられ、有栖川家が断絶すると、1913年に同家の祭祀を引き継いだ高松宮に継承され、高松宮御用地とされた。
1934年に有栖川宮威仁親王の命日にちなみ、御用地約1万1000坪(3万6325平方メートル)を公園地として東京市に下賜され、東京市は整備し、有栖川宮記念公園と命名されて同年11月に開園した。1973年に有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや・たかひとしんのう、1812-1886)の銅像から北東部の一帯、東京都立中央図書館や港区立麻布運動場などが位置する3万1235平方メートルが公園に編入され、1975年には東京都から港区に移管されて区立公園となっている。
神田すずさんは東京都東村山市生まれ、会社員を経て、2006年に神田(かんだ)すみれさんに入門、講談協会前座見習、同年11月に講談協会前座、2010年に二ツ目に昇進している。
時間は10時から16時で、昼までに終え、13時30分からお江戸日本橋亭で神田すずさんらの寄席になる。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。
日本橋お江戸寄席は前座の立川笑二(たてかわ・しょうじ)さん、二ツ目の立川吉笑(たてかわ・きっしょう)さん、神田すずさん、真打の土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)さん、和風漫談家で江戸売り声の宮田章司(みやた・しょうじ)さん、真打の三遊亭円橘(さんゆうてい・えんきつ)さんが出演する予定だ。