永谷商事が田辺銀冶と歩く「シロガネーゼ」

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【銀座新聞ニュース=2012年10月31日】永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は11月6日に田辺銀冶さんによる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開催する。

永谷商事田辺銀冶さん

永谷商事が11月6日に開催する「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」で、「白金台・美術館と史跡めぐり」を案内する田辺銀冶さん。

「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」は永谷商事が毎月2、3回程度定期的に開催している、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。

今回は二ツ目の講談師、田辺銀冶(たなべ・ぎんや)さんが「白金台・美術館と史跡めぐり」と題して、参加者と一緒に「恵比寿ガーデンプレイス」(渋谷区恵比寿4-20-3、03-5423-7111)から「松岡美術館」(港区白金台5-12-6、03-5449-0251、別途入場料が800円)を散策する。

その後、「プラチナ通り(外苑西通り)」(港区白金6丁目交差点から白金台交差点までの坂道)、「三光坂(さんこうざか)」(港区白金2丁目と4丁目の境界)を歩いて、「立行寺(りゅうぎょうじ)」(港区白金2-2-6、03-3441-5708)と「清正公覚林寺(せいしょうこう・かくりんじ)」(港区白金台1-1-47、03-3441-9379)を見学してお江戸日本橋亭に移り、午後から寄席を鑑賞する。
「恵比寿ガーデンプレイス」はサッポロビール工場跡地の再開発事業として、1994年10月8日に開業した、オフィスビル、百貨店を含む商業施設、レストラン、集合住宅、美術館などで構成された複合ビルだ。施設所在地は、北側半分が渋谷区恵比寿4丁目、南半分が港区三田1丁目で、1995年度に旧建設省(現国土交通省)の都市景観100選を受賞している。

用地は1887年に日本麦酒醸造(後に「日本麦酒」と改称され、戦後、分割され「サッポロビール」)が目黒村三田(現在の目黒区)、渋谷村(現在の渋谷区)にまたがる地帯に設立した工場で、「エビスビール」を製造したのが始まり。

日本鉄道がエビスビールの輸送用として「恵比寿駅」を設置し、その後、「恵比寿」が町名となった。1988年7月20日に渋谷区近辺の都市化や、郊外への工場移転が進んだことにより、工場を閉鎖し、土地の再開発事業が1991年8月26日に開始され、1994年10月に竣工した。不動産の共有持ち分15パーセントを、2008年にモルガン・スタンレーに売却したが、2012年に再取得して単独所有している。

「松岡美術館」は松岡地所を創業した松岡清次郎(まつおか・せいじろう、1894-1989)が1975年に新橋の自社ビル内に開設し、2000年4月に現在の創立者私邸跡地に新美術館を建設し、移転した。

松岡清次郎は若い頃から骨董の趣味があり、ヨーロッパでオークションを体験したのがきっかけで、78歳から本格的に収集をはじめ、青花磁器の名品「青花双鳳草虫図八角瓶」(元代作)と、「青花龍唐草文天球瓶」(明・永楽期作)を入手し、美術館を創設した。

主な収蔵品は、ヘンリー・ムーア(Henry Spencer Moore、1898-1986)らの現代彫刻、ガンダーラ石造彫刻や中世ヒンドゥー教彫刻といったインド彫刻、中国、朝鮮、日本、ベトナムの東洋陶磁器、室町水墨画から昭和までに渡る日本絵画、ルノワール(Pierre-Auguste Renoir、1841-1919)らのフランス近代絵画などだ。入場料は800円。

「プラチナ通り」は外苑西通りのうち、白金6丁目交差点から白金台交差点までの緩やかな坂道をいう。白金=プラチナにちなんで名づけられたが、町名の「白金」は「しろかね」で、「銀(シルバー)」を指している。

「三光坂」は港区白金2丁目と4丁目の境界にある坂で、高級住宅地が立ち並んでいる。

「立行寺」は1630年に旗本の大久保彦左衛門(おおくぼ・ひこざえもん、1560-1639)によって麻布六本木に創建され、1668年に火災にあったため、現在の場所に移転された。境内には鞘堂付の大久保彦左衛門の墓と大久保彦左衛門の下で活躍したとされる魚屋一心太助(いっしんたすけ)の墓がある。

一心太助は小説、戯曲、講談などに登場する架空の人物とされているが、実在の人物で、若いころ大久保彦左衛門の草履取りだったという説もある。

「清正公覚林寺」は熊本藩中屋敷の一部で、1631年に千葉県鴨川市にある誕生寺(たんじょうじ)18世可観院日延(かかんいんにちえん、1593-1665)の隠居寺として開山された。日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖(せんそ、1552-1608)の長男、臨海君(りんかいくん、1574-1609)の子であり、文禄・慶長の役の際に加藤清正(かとう・きよまさ、1562-1611)によって日本へ連れてこられた。

1845年に火災により全焼し、現在の山門は1856年に、清正公堂の拝殿・幣殿は1865年に再建され、江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神のひとつ、毘沙門天(びしゃもんてん)をまつっている。

田辺銀冶さんは1983年東京都生まれ、1999年に田辺一鶴(たなべ・いっかく、1929-2009)に入門、前座名が「小むぎ」、2001年に講談協会を休会、2006年に講談協会に復帰、前座名を「銀冶」に改め、2010年に田辺一鶴が死去したため、田辺鶴瑛(たなべ・かくえい)さんの門下へ移籍し、2011年6月に二ツ目に昇進している。

時間は10時から16時で、昼までにお江戸日本橋亭に戻り、13時30分からお江戸日本橋亭で田辺銀冶さんらによる寄席となる。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

13時30分からのお江戸日本橋寄席は前座の立川笑二(たてかわ・しょうじ)さん、二ツ目の橘ノ円満(たちばなの・えんまん)さん、田辺銀冶さん、土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)さん、バイオリン漫談のマグナム小林(まぐなむ・こばやし)さん、真打の昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さん。