インド、感染爆発で米国を抜く日も、UFO目撃でパワーをもらう??(39)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年9月25日】本日9月15日、インド全土の感染者数は493万人、新規感染者数9万2000人超を加えると、500万人以上に膨れ上がった。予想したよりも2週間も早く、500万台人に乗ったことに、私も苦い面持ちを隠せない。

ボリウッド界の若手スーパースター、スシャント・シンの突然の自殺死は、コロナ禍を差し置いて、世間を賑わせた。 最優秀新人男優賞、最優秀主演男優賞など、数々の受賞歴があり、卓抜な演技力とダンス力で、観衆を魅了した。モディ首相も、あたら若い才能が散ったことを惜しみ、最大級の弔意を示した(画像はウイキペディアより)。

いくら回復率が高いからといって、実質陽性者もミリオン超え、死者も8万人余、この調子で増え続けると、アメリカを抜いて世界ワーストになるのも、時間の問題になってきた。

いったんは封じ込めに成功した首都デリー(Delhi)も、マハラシュトラ州(Maharashtra)の最悪感染都市プーネ(Pune)に次いで、20万都市へと成り下がり、ミリオン超の西インド・マハラシュトラ州に次いで南のアンドラプラデシュ州(Andhra Pradesh)が56万超と恐ろしい勢いで急増している。東部の当オディシャ(Odisha)の南隣ということもあって、安穏としていられない。

かくいう当州も、16万人弱と感染拡大が止まらず、ナヴィーン(Naveen Patnaik)州首相は先ごろ、急増する第一要因として、隔離義務を怠る人々を糾弾、私自身、ソーシャル・ディスタンスを守らぬ地元民(息子も含めて)に辟易していたため、わが意を得たりであった。

人から人へと媒介する感染症ゆえ、ルーズな人々の行動パターンが蔓延に一役買っていることはいうまでもない。

南アジアに比べ、東南アジアはずっと少ないが、ベトナム人など、インド人に比べると、素朴で比較的勤勉な国民性という印象を受ける。シンガポールも、政府が厳格で、街中も清潔、不衛生なインドとは大違いだ。

スシヤント・シンの訃報に、ショックを隠し切れなかった息子。ラッパー(芸名Rappers Big Deal)として、彼主演の映画のテーマ曲に関わったこともあった。

結局、インドが天井知らずに暴走し続けるのは、13億人以上という膨大な人口の国民が規律を守らないのに由来し、世界最悪になるのも、当然といえば当然の成り行きだ。

何せ、インドのメディアでコロナより話題になっているのは、ボリウッド界(西インドの商都ムンバイ=Mumbai=をベースとするヒンディ映画界を、旧名ボンベイのハリウッドという意味で、もじってこのように通称)の期待の若手映画スター(スシャント・シン・ラジプート=Sushant Singh Rajput=、1986-2020)の自殺事件(6月14日34歳没)、なのだ。

最初は、鬱による首吊り自殺との報道だったが、事件が徐々にミステリー性を帯び、殺人騒動にまで発展、中央捜査機関が調査に乗り出す事態になった。結婚前提の恋人だった女優(リア・チャクラボルティ=Rhea Chakraborty)が、被害者の銀行口座から日本円にして6億円以上もの大金を引き出していた事実が明るみに出、大麻を与えていた事実も発覚、自殺幇助の罪で逮捕されるに至った。

こうしたスキャンダラスなゴシップが、メディアのトップを飾り、コロナは二の次、ウイルス蔓延に真摯に取り組む報道姿勢の欠如著しい。

実は、テレビ界上がりの故人スター・スシャントの主演映画のテーマ曲を過去、息子(職業はラップミュージシャン、芸名Rappers Big Deal)は請け負ったことがあり、芸能界の一人として内輪話にも詳しいのだが、それによると、恋人リアの悪女ぶりを口を極めてけなしていた。

ひと月半後には、コロナ感染者が1000万人の大台に乗ってしまうという緊急非常事態下、スターのゴシップ話に浮かれている国民性には、呆れ返るばかりだ。ナヴィーン州首相が、地元民を責めたくなる気持ちもわかる。

ノープロブレムの超能天気国民は、それがどうしたと開き直って、世界ワーストへの道を突っ走り続ける。後は野となれ、山となれ、インド人の暴走を食い止めることは、誰にも出来ない。まったく、しょうがないなぁ、インド人はと、大仰なボヤキが洩れ出る昨今なり。

●身辺こぼれ話/コロナ下のUFO目撃!

昨夕、9月14日の18時30分から19時の間、我が家の屋上で日課の体操を行った後、ぽつぽつと星が瞬き始めた逢魔時(おうまがどき)の空を眺めていると、星のひとつと思い込んでいた白い光が、前後左右に揺れだした。

この現象は、何年か前に浜でも目撃したことがあり、そのときは、もしかして UFOとすわっとなったものだったが、確証はなく、日にちが過ぎるにつれて、目の錯覚だったのだろうと、思うようになっていた。

というのも、白い星に似た光が前後左右に揺れるだけで、大きな動きはなかったからだ。もしかして、首が痛くなるほど見上げている自分の体が揺らいでいるから、星が動いて見えるのかなと思い、まさかUFOと疑いつつ、確信のないままに終わったのだった。

ただそのときの目撃談を、ブログ(インドで作家業)に掲載したことは覚えている。確証はないが、UFO?という記事内容だった。

今回は、私の疑念を払拭するかのように、星粒に似た白い光は前後左右に動いた後、高速度で距離を進み、目で追ううちに、私の体は半回転、90度向こうの空まで行ったのだ。

高度は星と同じくらいに高く、飛行機だと、もう少し低空だし、赤い点滅がなく、動きもこのように高速度でない。とにかく、前後左右に揺れながら、するするとあっというまに半回転してたのだ。

もう絶対 UFOに間違いないと、思った。ひとりでに口から感嘆のつぶやきが洩れた。
「わあ、UFO見ちゃったよー、UFO、確かにUFOだ、わーい、やっほー、UFO見れたよー」
かなり興奮していたと思う。

私は若いときから、不思議大好き人間で、 雑誌記者だったとき、UFOプロデューサーの矢追純一(やおい・じゅんいち、元日本テレビディレクター、UFOに超詳しい専門家)にインタビューしたこともあるし、スプーン曲げの超能力者、清田益明(きよた・ますあき)に大型スプーンをぐるぐるねじり曲げに目前でしてもらったこともある。座禅中の禅僧の脳波を計ってアルファ波が出ている実験もやった。

長年、一度でいいからUFOを目撃したいと思いつつ、そうした幸運には巡りあわず、現物にお目見えしたのは近年になってからだ。

ここ数日、私はバシャール(オリオン座近くのエササニ星人で、ダリル・アンカ=Darryl Anka=という68歳のカナダ出身アメリカ在住男性をチャネラーとして、地球人にメッセージを伝えている。関連著書多数)の動画を頻繁にチェックしたり、 最近、日本で目撃されたUFO動画や、UFOが世界一よく見えるというアルゼンチンの町で日本人取材班がカメラに撮影した動画もチェックしていた。

昨冬、宇宙人やUFOをテーマにした短編小説、「トールホワイト」も、金沢最大の地元紙・北国新聞社が刊行する季刊文芸誌「北国文華」にも発表していた。石川県羽咋市の宇宙科学博物館コスモアイルを訪ねたときの体験が元になっている。知る人ぞ知る、石川県の能登半島はUFOがよく目撃される地域として有名なのだ。

ちなみに、トールホワイト(のっぽの白人)とは牛飼い座の一等星アークトゥルスが母星のエイリアンで、身長2-3メートル、年齢は700-800歳、ブロンドで青い目の北欧系の美形と、地球人に酷似した容姿を持つ。唯ひとつ顕著な違いは、膝の裏の関節が逆屈曲しているということた。文章で表現するのが難しいのだが、反対側に直角に飛び出ているのだ。

これから、ルーフタイムは、空を見上げてUFOの飛来を待ちわびるワクワク楽しい時間となりそうだ。わーい、やっほーというハイな気分を保つためにも、願わくばしょっちゅう現れてほしいものだ。次回は、交信にトライしたい。

UFOパワーをもらった私は本日は、すっきり爽やか、高揚した気分が続いており、至極上機嫌だ。
(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

9月23日現在、インドの感染者数は556万2663人、死亡者数が8万8935人、回復者が449万7867人、アメリカに次いで2位になっています。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)

大丸松坂屋画廊でG・デサップ絵画展、パリの町並、睡蓮等

【銀座新聞ニュース=2020年9月24日】国内百貨店業界2位の流通グループ、J.フロントリテイリング(中央区八重洲2-1-1)傘下の大丸松坂屋百貨店(江東区木場2-18-11)が運営するアートギャラリー「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3572-8886)は9月24日から30日まで「現代の印象派 ギィ・デサップ絵画展」を開く。

大丸松坂屋百貨店の「アールグロリュー ギャラリーオブトーキョー(Artglorieux GALLERY OF TOKYO)」で9月24日から30日まで開かれるギィ・デサップさんの絵画展に出品される「パリの花市」。

フランス人画家のギィ・デサップ(Guy Dessapt)さんは「特異な表現を駆使した印象派スタイルとされ、アクリルを何度も重ね塗りして立体感を出したり、しばしばキャンバスの上に本当の物質(砂・樹皮・木片など)を加えることによって抒情に満ちたリアリティーを出しており、プリズム状の光が飛散し、溢れる豊かさが表現されている」(ウイキペディア)のが特徴となっている。

このため、ギィ・デサップさんの作品は「煌(きらめ)く光の宝石箱」と評されており、今回は代表的なモチーフであるパリの町並に加え、モネ(Claude Monet、1840-1926)も描いた睡蓮などの作品を展示する。

ウイキペディアなどによると、ギィ・デサップさんは1938年フランス・ソーヌ・エ・ロワール県クルゾ市生まれ、1953年にリセに入学、1955年にアトリエ「ダーバル」ヘ入学し、美術学、装飾美術学を学び、1960年にモロッコでの2年間の兵役を終了、フランスに帰国し、制作活動をはじめ、アルルに移り住み、1961年に南フランス・サン・トロペに移り、1965年にアメリカ・ニューヨークに移り、以後、アメリカとフランスを往復しながら、世界各地で個展を開く。

1980年にモンテカルロ国際現代美術グランプリで入選、カンヌ国際絵画大賞で入選、1991年に来日し、来日展を開き、1994年に日本人女性と結婚、以後、アメリカと日本を中心に個展を開き、1999年にビザ・ジャパン(VISA JAPAN)の2000年カレンダーに選定され、2000年に九州石油の2001年カレンダーに選ばれ、2003年に日清紡の2004年カレンダーに選ばれ、2006年にホテル・オークラ東京に100号の作品が買い上げられ、フランス、アメリカ、日本で個展を開いている。

開場時間は10時30分から20時30分(最終日は18時)まで。入場は無料。

丸善丸の内で飯野和好「おふろ、はいる?」原画展

【銀座新聞ニュース=2020年9月24日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は10月30日まで3階児童書売り場壁面ギャラリーで飯野和好さんによる「おふろ、はいる?」原画展を開いている。

丸善・丸の内本店で10月30日まで開かれている飯野和好さんの「おふろ、はいる?」原画展に展示されている絵本の表紙。

イラストレーターで絵本作家の飯野和好(いいの・かずよし)さんが9月10日に絵本「おふろ、はいる?」(あかね書房、税抜1400円)を刊行したのを記念して原画展を開いている。

「おふろ、はいる?」は小さな子どもからお年寄りまでさまざまな人が、温泉や銭湯などいろんなお湯に入る姿を描いている絵本で、お風呂の歴史やゆず湯まで触れており、お風呂文化の豊かさや気持ちよさを伝えている。

飯野和好さんは1947年埼玉県秩父郡生まれ、電気系の高校を中退して群馬県高崎市のデパートに勤務し、売り場の広告などを描き、その後、東京デザイナー学院コスチューム科を卒業、婦人服のデザイナーとしてメーカーに勤務し、1年余で退職し、1967年にセツ・モードセミナーに入学、セツ・モードセミナーでイラストを学び、1968年に中退した。

1969年に雑誌「アンアン(anan)」に連載した「きむずかしやのピエロットものがたり」でデビュー、1997年に「小さなスズナ姫シリーズ」で第11回赤い鳥さし絵賞、2000年に「ねぎぼうずのあさたろう」で第49回小学館児童出版文化賞、2014年に「みずくみに」で第20回日本絵本賞を受賞している。

開場時間は9時から21時(最終日は19時)まで。

「プレフラ」串カツ田中「東銀座店」等で30日まで串カツ100円で

(9月25日の「プレミアムフライデー」については、イベントのみを載せます)
【銀座新聞ニュース=2020年9月23日】株式会社串カツ田中ホールディングス(品川区東五反田1-7-6、藤和東五反田ビル)は9月25日から30日まで「プレミアムWEEK&プレミアムフライデー」を開く。

串カツ田中店が開く3種類の「プレミアムフライデー」のフライヤー。

中央区周辺では「築地店」(中央区築地6-9-5、03-6264-2794)と「有楽町店」(千代田区丸の内3-7-12、03-3215-1594)は、25日限定で15時に開店し、終日、200円(税引)以下の串カツを100円で提供する。

また、「新橋駅前店」(港区新橋3-26-3、03-6264-5430)などでは、25日は15時に開店し、終日、200円以下の串カツを100円で提供する。また、26日から30日の18時まで、200円以下の串カツを100円で提供する。

さらに、「東銀座店」(中央区銀座4-11-2、03-6264-2774)、「八丁堀店」(中央区八丁堀3-25-8、03-6280-5567)、「東日本橋店」(中央区東日本橋3-12-3、 03-6810-7977)などでは、25日は15時開店、25日から30日まで終日、200円以下の串カツを100円で提供する。

通常の営業時間は原則として平日16時(土・日曜日、祝日12時)から23時。各店舗に確認を。

丸善日本橋で小林加代子、酒井泉、斎藤昭彦「器」展、十五夜、十三夜に

【銀座新聞ニュース=2020年9月23日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は9月23日から29日まで3階特設会場で「月見の器と木工展」を開く。

丸善・日本橋店で9月23日から29日まで開かれる「月見の器と木工展」のフライヤー。

丸善では「暑かった夏も過ぎて、空は高く澄み渡り、楽しい月見の季節」を迎え、今回は、陶磁器の器や花器、照明の他、無垢材のテーブルやイス、座卓など3人の作家による作品を展示販売する。「月見のしつらえにぴったりな3人の作家による温もりあふれる品々」を取り揃え、「十五夜」(10月1日)、「十三夜」(10月29日)を迎えたいとしている。

出品するのは、染付の小鉢作家の小林加代子(こばやし・かよこ)さん、陶磁器の酒井泉(さかい・いずみ)さん、「アーリークラフト」(大田区東六郷1-13-10)を主宰する木工作家の斎藤昭彦(さいとう・あきひこ)さんが月見を楽しむ器を出品する。

ウイキペディアなどによると、「十五夜」は8月十五夜(旧暦8月15日から16日の夜)の「月見」をいう。「十五夜」(中秋の名月)は中国から伝わり、名月の日に月を鑑賞する風習の始まりは、唐代の頃からといわれ、宋代の「東京夢華録」には身分に関わらず街を挙げて夜通し騒ぐ様子が記録されている。

この風習が貞観年間(859年から877年)の頃、日本の貴族社会に入り、平安時代の月見は徐々に規模が大きくなり、919(延喜19)年に宇多法皇(うだ・ほうおう、867-931)が旧暦9月13日にも観月の宴を行い、これが日本独自の「十三夜」の月見のはじまりとされている。また、食べ頃の大豆(枝豆)や栗などを供えることから、この夜の月を「豆名月(まめめいげつ)」または「栗名月(くりめいげつ)」と呼ばれる。

当時の日本での月見は詩歌や管絃を楽しみつつ酒を酌む、といった雅味な催しで庶民とは縁のないもので、この頃の月見は中国、日本ともに願掛けや供え物といった宗教的な要素はなく、ただ月を眺めつつ楽しんでいた。

日本では室町時代に入ってからも名月の日は続いたが、遊宴としては簡素になり、室町後期の名月の日には月を拝み、お供えをする風習が生じていた。「御湯殿上日記」には後陽成天皇(ごようぜい・てんのう、1571-1617)がナスに開けた穴から月を見て祈る「名月の祝」という祝儀の様子が記録されている。

月見が世俗化した江戸時代前期の記録によれは、十五夜の日は芋煮を食べて夜遊びをするのが一般的だった。その頃の庶民の月見には月見団子などの供え物の記録は見られず、家庭で供え物が行われるようになったのは中期以降と見られている。江戸後期の風俗記録である「守貞漫稿」には十五夜の日は文机で祭壇をこしらえ、供え物として江戸では球形の、京阪ではサトイモの形をした月見団子を供えると記録されている。

小林加代子さんは組み合わせ方によりいろいろな場面で使え、見ても側に置いても楽しめる、シンプルな器を制作しており、技法については磁器土をロクロ成形し、呉須で下絵付をし、還元焼成をしている。染付の文様は野草(主に野いばら)をスケッチし、作り手と使い手の心が「ツナガル」という思いを込めて、重ねて並べて「ツナガル」ようなデザインを採用している。

酒井泉さんは1990年に武蔵野美術大学油絵科を卒業、1998年に愛知県立窯業高等技術専門校を修了、愛知県瀬戸市で修業を重ね、東京で主に瀬戸や信楽の土を使って使用陶器を制作している。化粧土や釉薬(ゆうやく)を薄く塗り重ねて、1240度の高温で焼成している。

斎藤昭彦さんは家造りの大工を7年間、日常の道具から家具づくりを5年間、学んで、2011年に「アーリークラフト」を設立し、2016年に第55回日本クラフト展で入選している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

注:「斎藤昭彦」の「斎」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。