丸善丸の内で陶炎会展、大木義則、和田美希ら

【銀座新聞ニュース=2018年7月31日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は8月1日から7日まで4階ギャラリーで「陶炎会」による「第46回陶炎展」を開く。

丸善・丸の内本店で8月1日から7日まで開かれる「第46回陶炎展」に出品される和田美希さんの作品。

結成以来40年以上になる作陶グループで、2013年から会長を務めている鈴木吉彦(すずき・よしひこ)さんが率いる「陶炎会」が45回目のグループ展を開き、20人の会員が花器、食器などカラフルな作品を展示販売する。

鈴木吉彦さんのほかに出品するのは、荒田真代(あらた・まさよ)さん、市川治男(いちかわ・はるお)さん、伊藤しげ子(いとう・しげこ)さん、宇佐美陽子(うさみ・ようこ)さん、大木義則(おおき・よしのり)さん。

大浜孝一(おおはま・こういち)さん、川副咲(かわぞえ・さき)さん、小崎宇多子(こざき・うたこ)さん、小平征男(こだいら・ゆきお)さん、佐田和子(さた・かずこ)さん、関口踏絵(せきぐち・ふみえ)さん、徳梅信子(とくうめ・のぶこ)さん。

「トウゲイ(Tougei)21」を主宰する林孝行(はやし・たかゆき)さん、広瀬純(ひろせ・じゅん)さん、保坂悦子(ほさか・えつこ)さん、水野智生(みずの・ともお)さん、村山圭子(むらやま・けいこ)さん、森田修一(もりた・しゅういち)さん、和田美希(わだ・みき)さん。

鈴木吉彦さんは1947年千葉県佐原市(現香取市)生まれ、1969年に千葉大学教育学部を卒業、1970年に須藤武雄(すどう・たけお、1931-1998)に15年師事し、1974年に陶炎会展に出品(以後、毎年出品)、1977年に千葉県八千代市に工房を構え、1996年に千葉県展に入選(以後10年連続出品)した。

2001年に千葉県美術会員に推挙され、2006年に退職を機に石川県能登町に工房を移し、2012年に珠洲市陶芸センターに入所(基礎研修課程)、2014年に珠洲市陶芸センター自立支援工房に入所、2014年に第55回石川の伝統工芸に入選、2015年に第71回現代美術展に入選している。

陶炎会は1968年に村木朝司(むらき・ちょうじ)さんを発起人代表として「教育陶芸研究会」を発足し、6月に発会式を開き、村木朝司さんが初代会長に就任し、6月に国立教育会館で設立総会を開いた。

1970年2月に「教陶研作品展」を開き、1972年6月にグループ名を「陶炎会」とし、「陶炎展」第3回展を開き、1973年3月に「陶炎会選抜展」として松坂屋銀座本店で開き、現在の陶炎展がスタートした。

2005年に駒ヶ嶺修三(こまがみね・しゅうぞう)さんが会長に就任し、2012年に松坂屋銀座店の閉店に伴い、同会場での「陶炎展」は第40回展をもって終了した。2013年に鈴木吉彦さんが3代目会長に就任し、丸善・丸の内本店を会場にして第41回展を開いた。

1日17時から授賞式とオープニングセレモニーを開く。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)まで。

編集注:「荒田真代」の「真」、「広瀬純」の「広」は正しくはいずれも旧漢字です。名詞は原則として現代漢字(常用漢字)を使用しています。

立川銀座で金春憲和ら能楽講座、辻井と国東薫が写真

【銀座新聞ニュース=2018年7月31日】ブラインド業界の最大手メーカー、立川ブラインド工業(港区三田3-1-12、03-5484-6100)の銀座ショールーム(中央区銀座8-8-15、03-3571-1373)地下1階「タチカワ銀座スペース Atte」は8月1日から7日まで「第34回能楽金春祭り 能楽講座」を開く。

立川ブラインドの銀座ショールームで8月1日から7日まで開かれる「第34回能楽金春祭り 能楽講座」の写真展に展示される辻井清一郎さんが撮影した「熊野」を演じる辻井八郎(つじい・はちろう)さん。

8月7日に銀座金春通りで開かれる「第34回能楽金春祭り」の関連イベントで、1985年に第1回能楽金春祭りが開かれて以来、2018年で34回目を迎え、2010年から能楽に関連した写真展、能楽講座を立川ブラインドの「オッテ(Atte)」で開いている。

能楽金春流シテ方(主人公)で、重要無形文化財保持者だった仙田理芳(せんだ・りほう、本名・辻井=つじい=みどり、1939-2010)の夫で、能楽写真家の辻井清一郎(つじい・せいいちろう)さんと、同じく国東薫さんによる金春流能楽の舞台写真を展示する。

辻井清一郎さんは会社員時代を含めて45年以上にわたって金春流の能楽写真を撮影しており、会社員生活の第一線を退いた20年ほど前から本格的に能楽写真の撮影に取り組んでいる。8月2日、5日、7日は金春流能楽師が展示作品を解説するなどギャラリートークを開く。

1日12時から金春流能楽師の柏崎真由子(かしわざき・まゆこ)さんによる小学生、中学生を対象とした能体験を行う。14時からシテ方で、金春流81世宗家の金春憲和(こんぱる・のりかず)さんとシテ方金春流80世宗家(前宗家)で、重要無形文化財「能楽」保持者の金春安明(こんぱる・やすあき)さんが「家元継承とは」と題して対談する。

2日12時から金春流能楽師で「金春円満井会(こんぱるえんまんいかい)」常務理事の山井綱雄(やまい・つなお)さんによるギャラリートークを開く。14時から能楽師笛方一噌流(いっそう)の藤田貴寛(ふじた・たかひろ)さんによる「笛」の楽器体験を開く。

3日12時から金春流能楽師の村岡聖美(むらおか・きよみ)さんによる小学生、中学生を対象とした能体験を行う。14時から東京国立博物館研究員で、染織研究者の小山弓弦葉(おやま・ゆづるは)さんが「能装束の歴史-金春家伝来品に見る」と題して講演する。

4日12時から金春流能楽師の中野由佳子(なかの・ゆかこ)さんによる小学生、中学生を対象とした能体験を行う。14時から金春円満井会常務理事で、重要無形文化財総合指定、金春流能楽師の本田光洋(ほんだ・みつひろ)さんが「扇」について講演する。

5日12時から金春流能楽師の本田芳樹(ほんだ・よしき)さんによるギャラリートークを開く。14時から金春円満井会理事で、重要無形文化財総合指定保持者の金春穂高(こんぱる・ほだか)さんによる「謡・仕舞」の体験会を開く。

7日12時からシテ方の金春流能楽師本田布由樹(ほんだ・ふゆき)さんによるギャラリートークを開く。

柏崎真由子さんは1980年北海道函館市生まれ、東京造形大学美術学科絵画専攻領域を卒業、能楽師となった。

金春憲和さんは1982年東京都生まれ、金春安明さんの長男、6歳で能「邯鄲」にて子方、13歳で能「経政」にて初シテ、2017年に父親の金春安明さんに代わって、金春流81世宗家に就任した。現在、金春円満井会常務理事。

金春安明さんは1952年奈良県奈良市生まれ、79世金春信高(こんぱる・のぶたか、1920-2010)の長男。1959年に興福寺での薪能(たきぎのう)「海人」子方で初舞台、1961年に「じょうじょう」で初シテ、1976年に学習院大学文学部国文科を卒業した。

1984年に「金春円満井会」を設立(1986年に社団法人化)、初代理事長に就任(現在顧問)、1991年に重要無形文化財「能楽」保持者に認定され、2006年に家元を継承し、2017年4月に家元を長男の金春憲和さんに譲った。

山井綱雄さんは1973年神奈川県横浜市生まれ、シテ方金春流能楽師の梅村平史朗(うめむら・へいしろう、1906-1979)の孫にあたり、5歳で初舞台、12歳で初シテ、以来、さまざまな能楽に出演し、1998年に金春流若手能楽師の会「座・スクエア(SQUARE)」を結成、2002年にアメリカ・ロサンゼルスで公演した。

2008年にイギリスの演劇祭「エジンバラ・フェスティバル・フリンジ」に現代演劇役者として出演、その後、現代演劇に出演したり、ほかの分野の音楽家と共演するなど、能の普及と可能性の探求に務めている。現在、社団法人「金春円満井会」理事、社団法人「能楽協会」会員。

藤田貴寛さんは1983年東京都生まれ、藤田次郎(ふじた・じろう、1952年生まれ)さんの長男で、父親と祖父で人間国宝の藤田大五郎(ふじた・だいごろう、1915-2008)に師事し、1997年に舞囃子「西王母」にて初舞台、能楽師一噌流(いっそう)笛方。

村岡聖美さんは1983年群馬県生まれ、国学院大学文学部日本文学科を卒業、2002年に山井綱雄(やまい・つなお)さんに師事し、2005年に能「羽衣」で初シテ、2011年に能楽協会に入会している。

小山弓弦葉さんは1971年大阪府生まれ、お茶の水女子大学を卒業、2011年に東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学専攻博士課程を修了、日本東洋染織史を専攻している。奈良県立美術館学芸員を経て、東京国立博物館主任研究員、現在、同博物館学芸研究部工芸室長、2016年に日本学士院学術奨励賞を受賞している。

中野由佳子さんは1981年生まれ、2008年に上野寧子(うえの・やすこ)さんに師事、2010年に富山礼子(とやま・のりこ)さんに師事し、2015年に能「清経」で初シテとしてデビューした。

本田光洋さんは1942年東京都生まれ、1947年に「三井寺」で子方にて初舞台、1948年に「初雪」で初シテ、1958年に入門免状、1965年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業、1976年に文化庁芸術祭優秀賞、1982年に本職分免状、1987年から1991年まで能楽協会理事、1987年に重要無形文化財総合指定に認定されている。

本田芳樹さんは1977年生まれ、1980年に仕舞「老松」でデビュー、1981年に能「鞍馬天狗」稚児にて初舞台、能楽協会会員、円満井会会員。

金春穂高さんは1965年奈良県生まれ、金春栄治郎(こんぱる・えいじろう、1895-1982)の孫で、金春晃実(こんぱる・てるちか、1931-2002)の長男。神戸大学教育学部を卒業、1969年に子方で初舞台、1978年に初シテなどを経験する。重要無形文化財「能楽」保持者。

本田布由樹さんは1980年生まれ、父親の本田光洋(ほんだ・みつひろ)さんに師事し、東京芸術大学音楽学部を中退、1985年に「善知鳥」子方にて初舞台、1990年に「小鍛冶」前シテにて初シテ、1999年に「獅子」に出演、能楽協会会員、円満井会会員。
能楽講座は定員が30人で、当日、30分前から受け付ける。受講は無料だが、子ども体験に参加を希望する人は白足袋または白靴下を持参する。

開場時間は10時から18時(最終日は17時)で、月曜日が休み。入場、参加は無料。

TOHO日比谷「カメラを止めるな」浜津隆之、真魚ら挨拶

【銀座新聞ニュース=2018年7月31日】中堅の映画配給会社のアスミック・エース(港区六本木6-1-24、ラピロス六本木)とENBUゼミナール(品川区西五反田2-4-2、東海ビル、03-5437-3550)は8月3日にTOHOシネマズ日比谷(千代田区有楽町1-1-3、東京ミッドタウン日比谷、03-3591-5358)で「カメラを止めるな!」の出演者による舞台あいさつを開く。

6月23日から一般公開されている「カメラを止めるな!」((C)ENBUゼミナール)。2館から40館以上に上映館が増えたことから「“感染”拡大公開御礼舞台あいさつ』を開く。

6月23日からわずか2館で一般公開された「カメラを止めるな!」が今や40館以上に拡大したことから8月3日19時の回上映終了後、監督の上田慎一郎(うえだ・しんいちろう)さんをはじめ、「日暮隆之」役の浜津隆之(はまづ・たかゆき)さん、「日暮真央」役の真魚(まお)さん、「日暮晴美」役のしゅはまはるみさん、「神谷和明」役の長屋和彰(ながや・かずき)さん、「細田学」役の細井学(ほそい・まなぶ)さん、「山ノ内洋」役の市原洋(いちはら・ひろし)、「山越俊助」役の山崎俊太郎(やまざき・しゅんたろう)さん。

「古沢真一郎」役の大沢真一郎(おおさわ・しんいちろう)さん、「笹原芳子」役の竹原芳子(たけはら・よしこ)さん、「松浦早希」役の浅森咲希奈(あさもりさきな)、「吉野美紀」役の吉田美紀(よしだ・みき)さん、「栗原綾奈」役の合田純奈(あいだ・じゅんな)さん、山口友和(やまぐち・ともかず)さん、藤村拓矢(ふじむら・たくや)さん、曽我真臣(そが・まさおみ)さん、佐渡未来(さわたり・みき)さん、「松本逢花」役の秋山(あきやま)ゆずきさんが舞台に登場してあいさつする。

「カメラを止めるな!」は映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップ「シネマプロジェクト」の第7弾として制作された作品で、前半と後半で大きく赴きが異なる異色の構成や緻密な脚本、30分以上に及ぶ長回しなど、さまざま挑戦に満ちた野心作。「37分ワンシーンワンカットのゾンビサバイバル映画」を撮った人々の姿を描いている。

物語はとある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影をしていたが、そこへ本物のゾンビが襲来し、ディレクターの日暮は大喜びで撮影を続けるが、撮影隊の面々は次々とゾンビ化していく。

ウイキペディアによると、上田慎一郎さんは1984年滋賀県生まれ、中学時代から父親のハンディカムで友人と自主映画を撮り始め、滋賀県立長浜高校在学時にも自主映画を撮り続け、高校2年の終わり頃に演劇部に入部、舞台劇の脚本・演出を担当し、高校3年時に創作した作品は2002年度近畿高等学校総合文化祭で上演された。

高校卒業後も独学で映像を撮り続け、大阪府内の英語専門学校に通うも半年で退学、20歳頃に一度映画制作から離れ、借金を複数抱え、ホームレス生活も体験し、25歳で改めて映画監督になる決意を固め、自主映画団体「スタジオメイズ(STUDIOMAYS)」に参加、2009年に映画制作団体「パンポコピナ(PANPOKOPINA)」を結成し、短編映画を手掛け、国内外の映画祭で46の賞を獲得した。

2015年公開のオムニバス映画「4/猫 ねこぶんのよん」の「猫まんま」で商業作品デビュー、2017年に「カメラを止めるな!」で長編映画デビュー、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でゆうばりファンタランド大賞を受賞した。2018年6月から劇場公開が始まると低予算のインディーズ映画ながら口コミが広まった。作風として、「100年後に観てもおもしろい映画」をスローガンとしている。

チケットは発売中で、料金は一般1800円、大・専門学生1500円、高校生・3歳以上中学生まで、障がい者1000円、シニア1100円。

注:「浜津隆之」の「浜」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として現代漢字(常用漢字)を使用しています。

注:「山崎俊太郎」の「崎」は正しくは「大」が「立」です。

丸善日本橋で井上万二と弟子展、康徳、祐希、庄村健ら

【銀座新聞ニュース=2018年7月30日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は8月1日から7日まで3階ギャラリーで「有田白磁・受け継がれる技と美 井上万二一門展」を開く。

丸善・日本橋店で8月1日から7日まで開かれる「有田白磁・受け継がれる技と美 井上万二一門展」に出品される作品。

陶芸家で、「白磁」の重要無形文化財保持者(人間国宝)、有田陶芸協会顧問の井上万二(いのうえ・まんじ)さんとその指導を受けた作家たちの一門展を開く。

磁器発祥の地である有田は、2016年に創業400年を迎え、有田焼にとって新たな幕開けとなり、井上万二さんは今日まで、先人たちが築き上げた技、感覚、伝統の真の意味を踏まえて、創造性を忘れずに原点を見直しながら作陶に励んでいる。

今回、出展するのは、井上万二さんのほか、息子で1958年佐賀県有田町生まれ、1981年に成蹊大学工学部経営工学科卒業、同年に父親に師事して陶芸の道に入り、1988年に西部工芸展朝日新聞社金賞などを受賞した井上康徳(うのうえ・やすのり)さん、孫で1988年佐賀県有田町生まれ、2011年に玉川大学芸術学部ビジュアルアーツ学科卒業、2012年4月より祖父に師事、陶芸の道に入り、2012年に佐賀県美術展で入選、2013年に陶美会展などで入選している井上祐希(いのうえ・ゆうき)さん。

1949年佐賀県有田町生まれ、1968年に有田工業高校窯業科卒業、1969年より井上万二さんに師事、1971年に西部伝統工芸展で入選、1977年に日本陶芸展で入選、1980年に日本伝統工芸展で文部大臣賞、1988年に西日本陶芸美術展で内閣総理大臣賞などを受賞している庄村健(しょうむら・けん)さん、

1950年佐賀県有田町生まれ、1968年に有田工業高校窯業科卒業、1971年より佐賀県窯業試験場で井上万二さんに師事、1987年に西日本陶芸美術展で文部大臣賞、2008年に九州山口陶磁展第1位文部科学大臣賞などを受賞している中尾恭純(なかお・やすずみ)さん、中尾恭純さんの息子で、1977年佐賀県有田町生まれ、1999年に佐賀県立有田窯業大学校卒業、井上万二さんに師事、2015年に九州山口陶磁展産業陶磁器部門で佐賀新聞社賞、西部伝統工芸展で朝日新聞社大賞、2016年に佐賀県美術展覧会で佐賀県議会議長賞などを受賞している中尾純(なかお・じゅん)さん。

1954年佐賀県生まれ、1974年から1976年に佐賀県立窯業試験場ろくろ本科研修生、1976年に井上万二さんに師事し、1983年に独立して東京都小平市に築窯、1989年に神奈川県藤野町に移り、磁器工房「静風舎(せいふうしゃ)」(相模原市藤野町名倉2760-3、0426-87-5235)を設立している副島泰嗣(そえじま・やすつぐ)さん、その妻で1955年東京都生まれ、1973年に田中一晃(たなか・いっこう、1933-2002)に師事し、1975年から1979年に窯業試験場ろくろ本科研修生、1979年に有田市で「潯陽窯」で制作し、1983年に副島泰嗣さんとともに独立した副島微美子(そえじま・みみこ)さん。

ウイキペディアによると、有田焼は佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器で、その積み出しが伊万里港だったことにより、「伊万里(いまり)」や伊万里焼とも呼ばれる。泉山陶石、天草陶石などを原料としているが、磁器の種類によって使い分けている。作品は製造時期、様式などにより、初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、金襴手(きんらんで)などに大別される。

また、これらとは別系統の献上用の極上品のみを焼いた作品があり、藩窯で鍋島藩のものを「鍋島様式」、皇室に納められたものを「禁裏様式」と呼んでいる。江戸時代後期に各地で磁器生産が始まるまで、有田は日本国内で唯一、長期にわたって磁器の生産を続けていた。1977年10月14日に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されている。

肥前磁器の焼造は17世紀初期の1610年代から始まった。豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537-1598)の朝鮮出兵の際、有田を含む肥前の領主であった鍋島直茂(なべしま・なおしげ、1538-1618)に同行してきた陶工たちの1人、李参平(り・さんぺい、?-1655)が1616(元和2)年(1604年説あり)に有田東部の泉山で白磁鉱を発見し、近くの上白川に天狗谷窯を開き、日本初の白磁を焼いたとされ、有田焼の祖とされいる。

李参平は日本名を「金ヶ江三兵衛(かながえさんべえ)」と称し、有田町龍泉寺の過去帳などにも記載されている。有田町では李参平を「陶祖」として尊重し、祭神とする陶山神社(すえやまじんじゃ)もある。

ただし、近年の学術調査の進展によって、有田東部の天狗谷窯の開窯よりも早い1610年代前半から西部の天神森窯、小溝窯などで磁器製造が始まっていたことが明かになっている。この頃の有田では、当時の日本に輸入されていた、中国・景徳鎮市の磁器の作風に影響を受けた染付磁器(初期伊万里)を作っていた。

「染付」は中国の「青花」と同義で、白地に藍色1色で図柄を表した磁器で、磁器の生地にコバルト系の絵具である「呉須」(焼成後は藍色に発色する)で図柄を描き、その後釉薬(ゆうやく)を掛けて焼造する。当時の有田では窯の中で生地を重ねる目積みの道具として朝鮮半島と同じ砂を用いており、胎土を用いる中国とは明らかに手法が違うことから焼成技術は朝鮮系のものとされる。

一方で17世紀の朝鮮では主に白磁が製造され、染付や色絵の技法は発達していなかったため、図柄は中国製品に学んだと考えられ、絵具の呉須も中国人から入手したものとされている。

1637(寛永14)年に鍋島藩は、伊万里・有田地区の窯場の統合・整理を実施し、多くの陶工を廃業させて、窯場を有田の13カ所に限定し、有田皿山が形成された。この頃までの有田焼を美術史・陶芸史ではしばしば初期伊万里と称する。1640年代には中国人陶工によって技術革新が行われ、1次焼成の後に上絵付けを行う色絵磁器が生産されるようになった。

伝世品の「古九谷様式」と呼ばれる青・黄・緑などを基調とした作品群は、かつては加賀国(石川県)九谷の産とされていたが、20世紀後半以降の窯跡の調査により、この時期の有田で焼かれた初期色絵がほとんどを占めることが分かっている。

1660年代から生産が始まったいわゆる「柿右衛門様式」の磁器は、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に、上品な赤を主調とし、余白を生かした絵画的な文様を描いたものをいう。この種の磁器は初代酒井田柿右衛門(1596-1666)が発明したとされているが、今ではこの種の磁器は柿右衛門個人の作品ではなく、有田の窯場で総力をあげて生産されたと分かっており、様式の差は窯の違いではなく、製造時期および顧客層の違いであることが分かっている(日本国内向けの古九谷様式に対し、柿右衛門様式は輸出に主眼が置かれていた)。

当初、日本唯一の磁器生産地であった有田の窯には、鍋島藩が「皿役所」を設置し、職人の保護、育成にあたった。生産された磁器は藩が専売制によりすべて買い取り、職人の生活は保障されていたが、技術が外部に漏れることを怖れた藩により完全に外界から隔離され、職人は一生外部に出ることはなく、外部から人が入ることも極めて希であった。

しかし、磁器生産は全国窯業地の憧れであり、1806年に瀬戸の陶工加藤民吉(かとう・たみきち、1772-1824)が潜入に成功し、技術が漏洩した。以降、瀬戸でも磁器生産が開始され、東日本の市場を徐々に奪われ、江戸末期には全国の地方窯でも瀬戸から得た技術により磁器の生産が広まった。江戸時代の有田焼を一般的に「古伊万里」と称する。

近世初期以来、有田、三川内(長崎県)、波佐見(長崎県)などで焼かれた肥前の磁器は、江戸時代には積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていた。また英語での呼称も「Imari」が一般的である。1638(寛永15)年の「毛吹草」(松江重頼=まつえ・しげより、1602-1680=編著)には「唐津今利の焼物」とあり、唐津は土もの(陶器)、今利(伊万里)は石もの(磁器)を指すと考えられている。

明治以降、輸送手段が船から鉄道等の陸上交通へ移るにつれ、有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と区別するようになった。有田を含む肥前磁器全般を指す名称としては「伊万里焼」が使用されている。

井上万二さんは1929年佐賀県西松浦郡有田町生まれ、1944年に15歳で海軍飛行予科練習生、1945年に復員し、父親の勧めで13代目酒井田柿右衛門 (さかいだ・かきえもん、1906-1982)の元で働き、1952年頃に奥川忠右衛門(おくがわ・ちゅうえもん、1901-1975)の門下生となり、白磁や轆轤(ろくろ)の技法を学び、1958年に酒井田柿右衛門窯を退社し、県立有田窯業試験場の技官として勤め、その傍ら、独自の意匠や釉薬(ゆうやく)の研究に励んだ。

1968年に第15回日本伝統工芸展で初入選(1987年に文部大臣賞)、1969年にアメリカ・ペンシルベニア州立大学から有田焼の講師として招かれ、アメリカにわたり5カ月間担当した。1977年に全国伝統的工芸品展で通産大臣賞、1995年5月に重要無形文化財「白磁」保持者に認定され、1997年に紫綬褒章を受章した。

現在、有田町で井上康徳さん、井上祐希さんと共に井上万二窯と平屋建てのギャラリーを構え、華やかな絵付けが中心の有田焼の中で、白磁に徹するという独特の制作を続けている。教え子は既に500人、アメリカでも150人を超えている。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。入場は無料。

編集注:「井上万二」の「万」は正しくは旧漢字です。原則として名詞は現代漢字(常用漢字)を使用しております。

ヴァニラでFREAKS CIRCUS展、人形制作講座も

【銀座新聞ニュース=2018年7月30日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は7月31日から8月12日まで「FREAKS CIRCUS」による人形展「おとむらい」を開く。

ヴァニラ画廊で7月31日から8月12日まで開かれる「フリィクスサァカス(FREAKS CIRCUS)」による人形展「おとむらい」のフライヤー。

人形を制作するクロさんと衣装、写真、アートワークを担当するシロさんの2人ユニット「フリィクスサァカス(FREAKS CIRCUS)」が新作を展示する。「絶望と希望が依存する今日を生き、暗涙に咽(むせ)びながら夜を迎える。何処か遠くで鳴る鐘の音と共にこの悲しみを深く深く埋めてしまおう」としている。

今回は目に見えない傷痕、矛盾する心、自己欺瞞、とこころの中に底泥するこれらの情感に寄り添い、内包し、人形作品へと昇華させている。「深い精神世界から生み出される作品と作り込まれたインスタレーション」を展示する。また、吉田良(よしだ・りょう)さんの撮り下ろし人形写真も展示する。

また、洋服感覚で着られるコルセットを展開する 「アビエタージュ(abilletage)」とフェティッシュファッションブランド 「ア・メイドゥン・デビル(a maiden devil)」の2ブランドが、「フリィクスサァカス」の人形のために制作した衣装も人形と共に展示する。

「フリィクスサァカス」は身体的な欠損や装飾を施した人形を制作しており、「そこに悲しみや哀れみ、痛ましさではなく、美的でポップな感覚を見出していく独自の世界観を打ち出し」(ヴァニラ画廊)ている。過去の展示では、屋根裏部屋の畸形(きけい)のドール、アルビノをモチーフにした大型の人形作品、地獄、餓鬼、畜生を3人の愛らしいキャラクターとして発表している。

「フリィクスサァカス」は2003年より陽月(ようげつ)さんに師事し、2012年から個展、グループ展を開いている。2014年にヴァニラ画廊で個展を開き、2015年にヴァニラ画廊で開かれた古屋兎丸(ふるや・うさぎまる)さんの個展「禁じられた遊び」にオマージュドールを制作し、2016年にヴァニラ画廊のグループ展示「オーセティティシズム(aestheticism)-耽美」に参加している。

4日17時30分から19時30分まで「フリィクスサァカス」による約27センチの球体関節人形を制作する初心者向けのワークショップを開く。定員は12人で、参加料は2万5000円。事前予約制。

開場時間は12時から19時(土・日曜日、祝日は17時)。入場料は500円。期間中、無休。