インフル対策でうがいしてるよ、でもかかっても仕事優先かな(271)

【tamaoのOL独り言=2019年1月31日】インフルエンザが大流行中だ。会社でも休んでいる人がいるけれど、なかなか仕事があるから休めないって人もいるよね。かくいう自分も、昨年はインフルエンザにかかり、4日ぐらい休んだかなぁ。

シャコサボテンが今年も咲きました。夏の間はとてもこんな花が咲くなんて思えないほどのサボテンなんだけど、地道に水をあげ続けるとこのような花が咲きます。

他の人にうつさないようにって出勤停止だったんだけど、そもそも上司がインフルエンザ疑惑を隠して出勤していたので、わたしを含め3人が休暇になってしまった。未だに認めてないけど、本当は休むべきだったんじゃないの?

とはいえ昨年のことを蒸し返すことはできないけど、外に出ればどうしたってインフルエンザを持っている人がいるだろうから自分で守るしかない。だからまず会社に着いたらうがいと手洗い、家に着いてもうがいと手洗い。ちゃんと実行しています。効くかどうかはわからないけどね。

考えてみたら、昨年は寒い所を旅行していたので、その疲れが溜まっていたのだ。そりゃインフルエンザにもかかります。

幸いなことに熱を出して寝込んだのは1日だけで、あとの日は家族がインフルエンザにかからないよう、予防接種に連れて行ったりして休みを使いました。会社には内緒だけどね。

まぁ、でも、仕事も休める局面だったからよかったけど、休めない時もあるので、そんな時はどうするか、今後の課題ですね。

まぁ、その時はたとえ休めと言われても、仕事しちゃうしかないか!でも、アイドルだと休めないんだよね。休んだら、大騒ぎになるし、休みが2年先って、それだけでやる気なくなりそう。がんばりましょう、思い当たる方は(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。

NEXCO東がPA・SA新メニューコン、12品で決勝

【銀座新聞ニュース=2019年1月31日】東日本高速道路(NEXCO東日本、千代田区霞が関3-3-2、新霞ヶ関ビルディング、03-3506-0111)は2月28日に東京栄養食糧専門学校(世田谷区池尻2-23-11、03-3424-9113)で「新メニューコンテスト決勝大会」を開く。

ネクスコ(NEXCO)東日本が2月28日に開く「新メニューコンテスト決勝大会」に進出した12品を乗せたフライヤー。

ネクスコ(NEXCO)東日本のサービスエリア(SA)、パーキングエリア(PA)のレストランなど9ブロック140店舗が「地元食材や郷土料理を活用したオリジナルの肉料理」ついて、13回目となる今回は、「#フォトジェ肉(にっく)」というテーマで、見た目の華やかさ「SNS映え」という観点から新メニュー121点がエントリーし、その中から決勝では12品が6人の審査委員の前で実際に調理して、グランプリを決める。

審査委員は審査委員長の四川飯店グループオーナーシェフの陳建一(ちん・けんいち)さん、特別審査委員が学校法人食糧学院「東京調理製菓専門学校」校長の柘植末利(つげ・すえとし)さん、審査委員が女性アイドルグループ「エラバレシ」のメンバーで、大食いタレント、グルメユニット「食べあるキング」メンバー、「元祖!大食い王決定戦」5代目爆食女王(3連覇)、2016台湾夏の美食大使、NEXCO東日本SA・PAグルメアンバサダーのもえのあずきさん。

予選で審査する、もえのあずきさん(手前左)と陳建一さん(手前右)。

タレントの川瀬良子(かわせ・りょうこ)さん、大橋菜央(おおはし・なお)さん、ネクセリア東日本株式会社代表取締役社長の村山和夫(むらやま・かずお)さん。

決勝に進出した12品は、北海道ブロックが道央自動車道輪厚PAの「大雪さんろく笹豚 焼き肉プレート」(販売価格税込1200円)、岩手・秋田ブロックが東北自動車道前沢SAの「タワー・オブ・マエサワ」(1200円)、宮城・福島ブロックが東北自動車道 長者原SAの「宮城の“杜”だくさんプレート」(1080円)と東北自動車道菅生PAの「極!森林どりディッシュ」(960円)。

栃木ブロックが東北自動車道上河内SAの「美味しい栃木の花畑 福が咲くごちそうプレート」(1200円)、群馬・長野ブロックが上信越自動車道横川SAの「森の散歩道」(1200円)と「ぐんまの森 横川がぶりつきプレート」(1200円)、埼玉ブロックが関越自動車道上里SAの「J3 PLATE 上毛三山【赤城山・榛名山・妙義山】の輝」(1200円)。

千葉・神奈川ブロックが東関東自動車道湾岸幕張PAの「ちばの恵み-千葉県産“恋する豚”のCHI-BAプレート」(1200円)、茨城ブロックが常磐自動車道 守谷SAの「チャイニーズ ダイニング Moriya 肉と野菜の お・も・て・な・し」(1200円)と常磐自動車道友部SAの「茨城にメロメロー素晴らしき茨城の“食”に愛を込めて」(1200円)、新潟ブロックが北陸自動車道米山SAの「新潟三昧彩りごはんプレート」(1200円)。

日本道路公団は1956年4月16日に「日本道路公団法」に基づいて設立され、資本金は全額を国が出資し、主として有料道路(高速自動車国道及び一般有料道路)の建設、管理を行っていた特殊法人。2005年6月1日に「道路関係四公団民営化関係法令」が公布され、10月1日に「道路関係四公団民営化会社」と独立行政法人「日本高速道路保有・債務返済機構」が発足し、日本道路公団が解散した。

日本道路公団分割民営化に伴い、公団の業務のうち、施設の管理運営や建設については東日本高速道路(ネクスコ=NEXCO=東日本)、中日本高速道路(NEXCO中日本)、西日本高速道路(NEXCO西日本)に、保有施設及び債務は他の道路関係四公団とともに独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構に分割・譲渡さた。

2001年の小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)内閣の発足とともに日本道路公団の民営化の議論をはじめ、2002年12月に「道路関係四公団民営化推進委員会」を設置し、12月6日に多数決による審議結果として意見書を首相に提出し、本格的な民営化の議論がはじまり、2004年6月9日に「道路関係四公団民営化関係四法案(高速道路株式会社法、独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構法、日本道路公団等の民営化に伴う道路関係法律の整備等に関する法律、日本道路公団等民営化関係法施行法)」が成立し、2005年9月30日に推進委員会は廃止された。

同時に、首都高速道路公団が「首都高速道路株式会社」に、阪神高速道路公団が「阪神高速道路株式会社」に、本州四国連絡橋公団が「本州四国連絡高速道路株式会社」に改組された。

当日参加できるのは関係者と報道陣のみで、一般には公開しない。

東宝18年映画収入、コード・ブルー93億円、コナン91億円など

【銀座新聞ニュース=2019年1月30日】阪急阪神東宝グループで、国内映画業界首位の東宝(千代田区有楽町1-2-2、03-3591-1221)は1月29日、2018年の映画年間作品興行収入(10億円以上)を発表した。

2018年に東宝配給の作品で1位だった「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命」((C)2018「劇場版コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」製作委員会)。

2018年の映画営業部門興行成績は前年比2.4%減の605億3664万円と、2017年に続けて2年連続で前年を下回った。

作品別では、2016年が10億円以上の興行収入をあげた作品が25本に対して、2017年は24本、2018年は17本と前年よりも7本も減少した。

1位が「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命」で93億円(7月)、2位が「名探偵コナン ゼロの執行人(しっこうにん)」で91億8000万円(4月)と2017年にはゼロだった90億円超が2本あった。

3位が「映画ドラえもん のび太の宝島」で53億7000万円(3月)、4位が「デスティニー(DESTINY)鎌倉ものがたり」が32億1000万円(12月)、5位が「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」30億9000万円(7月)、6位が「検察側の罪人」で29億6000万円(8月)だった。

7位が「未来のミライ」で28億8000万円(7月)、8位が「映画妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活」で20億4000万円(12月)、9位が「スマホを落としただけなのに」で19億6000万円(11月)、10位が「映画クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ-拉麺大乱」で18億4000万円だった。

ほかは「ちはやふる-結び」が17億3000万円(3月)、「僕のヒーローアカデミア THE MOVI-2人の英雄」が17億2000万円(8月、現在も上映中)、「空海-KU-KAI-美しき王妃の謎」17億円(2月)、「祈りの幕が下りる時」が15億9000万円(1月)、「コーヒーが冷めないうちに」が15億円(9月)、「ラプラスの魔女」が14億円(5月)、「センセイ君主」が12億3000万円(8月)だった。

永谷商事、神田こなぎと「丸の内」を散歩

【銀座新聞ニュース=2019年1月29日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は2月5日に神田こなぎさんによる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

2月5日に「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「歴史的建築物 東京駅周辺ぐるっと散歩」で丸の内を歩く神田こなぎさん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画で、その後、お江戸日本橋亭で寄席を鑑賞する。

今回は二ツ目の講談師、神田(かんだ)こなぎさんが「歴史的建築物 東京駅周辺ぐるっと散歩」と題して、JR東京駅からJPタワー「キッテ(KITTE)」(千代田区丸の内2-7-2)から行幸通り、丸の内仲通り、「明治生命館(外観)」(千代田区丸の内2-1-1)、「三菱一号館美術館(外観)」(千代田区丸の内2-6-2、03-5777-8600)、「東京国際フォーラム(外観)」(千代田区丸の内3-5-1、03-5221-9000)を歩いて、昼前にお江戸日本橋亭に移動して、午後から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。

JPタワー「キッテ(KITTE)」は郵便局株式会社(現日本郵便)とJR東日本、三菱地所の共同事業により、2012年5月31日に竣工し、7月17日に開業した旧東京中央郵便局敷地に建設された超高層ビルで、建築物としては、旧東京中央郵便局舎を一部保存した低層棟商業施設「キッテ(KITTE)」と最高軒高200メートルの高層棟から構成され、旧東京中央郵便局の保存部分は免震構造で構造躯体を保存している。

敷地面積が1万1600平方メートル(3509坪)で、地下4階・地上38階建て、高さ200mで、延床面積が21万2000平方メートル(6万4130坪)。設計は三菱地所設計、施工が大成建設、管理運営は三菱地所プロパティマネジメント、JPビルマネジメントが行っている。

高層棟には日射遮蔽ルーバー(ひさし)と高性能遮熱断熱ガラス(Low-Eガラス)によるエアフローウィンドを採用し、床から天井まで1枚ガラスの窓(フルハイト窓)を設置しており、事務所フロアではLED照明器具の全面採用と明るさセンサーによる照明制御、自然換気窓および外気冷房の採用により、高い快適性と環境負荷低減を両立している。これらにより、東京都環境局が開いた東京都環境建築フォーラムで「東京の低炭素ビルTOP30」に選定されている。

本来の容積率は1300%だが、建築基準法第57条の2(特例容積率適用地区内における建築物の容積率の特例)により、東京駅丸の内駅舎の容積を移転して、特例容積率1520%が適用されている。

旧東京中央郵便局舎は前身である「四日市郵便役所」が1871(明治4)年の日本の近代郵便制度発足時に、大阪郵便役所、西京郵便役所(京都)と共に設けられた日本最初の郵便役所のひとつで、大阪中央郵便局とともに日本初の中央郵便局でもある(四日市郵便役所の跡地には現在は日本橋郵便局がある)。日本国内に存在する全郵便局の中枢であり、局長は現場の最高職となっている。

1933(昭和8)年から、局舎建て替えの一時期を除いて東京駅の丸の内駅舎南口前に立地している。局舎完成前の1915(大正4)年には局舎と駅舎との間を結ぶ地下通路が開通しており、ここを通じて鉄道郵便物のトロッコ輸送が行われていた。トロッコ軌道は1941(昭和16)年に廃止・撤去されたが、以後も地下通路は局・駅間の郵便物搬送に使用され、三輪式の郵便物積載台車を蓄電池式牽引車(後のターレットトラクターに類する用途のもの)で牽引して運搬する方法が採られた。この地下通路は、東京駅での鉄道郵便受渡しの終了により1978年に廃止されたが、東京駅構内部分の地下通路は現在も利用されている。

旧局舎は1933(昭和8)年より2008年まで使用され、逓信省営繕課の吉田鉄郎(よしだ・てつろう)が設計し、銭高組と大倉土木(現大成建設)が施工した鉄骨鉄筋コンクリート造で、1933年12月25日に竣工した。

「行幸通り」はウイキペディアによると、「東京都道404号皇居前東京停車場線」が正式名称で、皇居前の和田倉門交差点から東京駅前の東京駅中央口交差点までを結ぶ特例都道で、路線延長が930メートル。帝都復興院の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路道路として建設された。

当初は道路中央から高速車線、イチョウ並木、緩速車線、歩道の配置だったが、その後、中央車線は天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止された。その後、中央車線は再整備され、 2010年4月12日に歩道兼馬車道として交通開放された。ただし、行幸や信任状捧呈の車馬が通行する時のみは専用道として一般歩行者の通行が制限される。天皇が行幸するために利用する道路として、行幸通りとも呼ばれている。

「丸の内仲通り」は大正初期に整備され、三菱村のオフィス街として赤煉瓦建築が軒を連ねている。晴海通りから永代通りまでを結び、日比谷通りに並行しているが、晴海通りから行幸通りまでは北方向への一方通行となり、現在では行幸通りの中が廃道となり通り抜けられなくなっている。通りの両側に街路樹が施され、冬にはイルミネーションされる。沿道には三菱グループ各社のビルが立ち並び、「三菱村」と称されている。通りの幅が21メートル、ビルの高さが31メートルになっている。

明治生命館は1928(昭和3)年に当時の三菱第2号館に隣接して、新社屋を建設することが決まり、指名コンペ方式で岡田信一郎(おかだ・しんいちろう、1883-1932)の案が採用された。岡田信一郎の考えによって、旧社屋も取り壊しての建設となり、1930(昭和5)年9月に起工し、1934(昭和9)年3月31日に竣工した。設計は岡田信一郎と弟の岡田捷五郎(おかだ・しょうごろう、1894-1976)兄弟、構造設計が内藤多仲(ないとう・たちゅう、1886-1970)。重要文化財として「明治生命保険相互会社本社本館」で指定されている。

大東亜戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われた。1956年にアメリカ軍から返還され、1997年に昭和の建造物として初めて重要文化財に指定された。2001年から改修工事が行われ、隣接地に30階建ての明治安田生命ビルを建設して一体的に利用することで、歴史的建造物を活用しながらの全面保存が実現した。現在も明治安田生命保険の本社屋として現役利用されており、1階には同社の「丸の内お客様ご相談センター」が設けられている。

各国が日本へ派遣した特命全権大使、特命全権公使が天皇に対して信任状を提出する信任状捧呈式の際には、東京駅丸の内口から馬車か車で皇居内の宮殿まで移動する慣例となっているが、東京駅の改装などにより、2007年4月以降は明治生命館から出発していた。2017年に東京駅前の工事が完成したことにより、同年12月11日の駐日ベナン大使の信任状捧呈から、再び東京駅前からの出発に戻っている。

三菱一号館美術館は三菱地所が運営する企業博物館で、同館の建物は丸の内最初の洋風貸事務所建築として明治時代の1894(明治27)年に建てられた(旧)三菱一号館(1968年に解体)を同社が2009年にレプリカ再建した。

1918年に「東9号館」と改称されている。英国の建築家で、三菱の建築顧問だったジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852-1920)が英国クイーンアン様式の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計され、建設工事には曽祢達蔵(そね・たつぞう、1853-1937)現場主任があたり、直営工事による施工がなされた。

竣工当初においては、三菱合資会社本社、第百十九国立銀行(後の三菱合資会社銀行部、現三菱UFJ銀行)本店、高田商会が設けられたほか、貸事務所として坪1円から1円50銭で貸し出されたとされる。このほか、郵便局「丸ノ内郵便電信局」が1902(明治35)年11月より三菱合資会社の無償提供で本建物内一室に設けられていた。

耐震性に難のある煉瓦建築は関東大震災(1923年)で甚大な被害を被り、耐震性や土地の利用効率に優れる明治生命館などの合理的なアメリカ式オフィスビルへの建て替えも進み、高度経済成長の1959年にスタートした三菱地所による再開発事業「丸ノ内総合改造計画」により、赤煉瓦街は急速に姿を消していった。

1960年代後半になると、「東9号館」は「一丁倫敦」の面影を残す数少ない建物となっていた。特に同館は東京の近代的都市計画の出発点、近代的事務所建築の第1号として歴史的価値があり、当初の形をよく保存した明治時代の洋風建築として文化的価値も高く、研究者の間では日本銀行本店、旧赤坂離宮(迎賓館)と並ぶ「明治の三大建築物」に挙げられていた。

1967年9月に文部省文化財保護委員会は三菱地所に対し「東9号館」の文化財指定の申し入れを行い、三菱地所は無断で取り壊すことはしない旨を示したため、文化財指定は見送られた。しかし、三菱地所は1968年3月21日に解体工事を開始する旨、文化財保護委員会宛てに通告した後、同年3月22日夜間に足場を架設し、3月23日を選んで解体工事を強行した。1971年に跡地には地下4階、地上15階建の「三菱商事ビルヂング」が竣工した。

2004年に三菱地所は「丸の内再構築」の第2ステージ第1弾として、「丸ノ内八重洲ビルヂング」(1928年竣工)、「古河ビルヂング」(1965年竣工)、「三菱商事ビルヂング」(1971年竣工)3棟の区画を再開発し、その一角に超高層ビル(丸の内パークビルディング)の建設とあわせて三菱一号館をレプリカ再建する「三菱商事ビル・古河ビル・丸ノ内八重洲ビル建替計画」を発表した。

2006年に3棟の解体工事が開始され、丸の内パークビルディングが2007年2月5日に着工され、同年10月に三菱一号館を着工、2009年4月30日に「丸ノ内八重洲ビルヂング」の外壁保存部分を持つ丸の内パークビルディングとともに竣工した。その後、三菱地所運営の企業博物館「三菱一号館美術館」は竣工記念展などが催された後、2010年4月6日に正式開館した。

東京国際フォーラムは旧東京都庁舎跡地の再開発として1992年10月に着工され、1996年5月に竣工し、1997年1月10日に開館された国際コンベンションセンターだ。中心となる設計は国際コンペの結果、ウルグアイ・モンテビデオ生まれ、アメリカ・ニューヨーク在住の建築家、ラファエル・ヴィニオリ・ベセイロ(Rafael Vinoly Beceiro)さんに決まり(ラファエル・ヴィニオリ建築士事務所)、株式会社椎名政夫(しいな・まさお)建築設計事務所、株式会社現代建築研究所との共同設計の形をとり、ガラスの吹き抜けホール(ガラス棟)は「船」を題材にし、その巨大な外観と共に、構造を露出した内部が象徴となっている。

土地は2万7000平方メートル、建物が地上11階、地下3階で、延べ床面積が14万5000平方メートル。総工費は用地費を除いて1647億円。7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館、太田道灌(おおた・どうかん、1432-1486)の像などを備えている。運営は株式会社東京国際フォーラムで、株主は東京都、JR東日本、三菱地所、サントリー、電通、東京電力、NTT東日本、東京ガスの8社。

神田こなぎさんは山梨県南アルプス市生まれ、2011年9月に神田すみれさんに入門、前座見習い、12月に講談協会見習い、2016年10月に二ツ目に昇進している。

時間は10時から16時で、10時にJR東京駅丸の内口に集合する。昼までにお江戸日本橋亭に移り、13時30分からお江戸日本橋亭で神田こなぎさんらの寄席となる。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

お江戸寄席は前座の立川幸太(たてかわ・こうた)さん、二ツ目の立川寸志(たてかわ・すんし)さん、神田こなぎさん、真打の橘家竹蔵(たちばなや・たけぞう)さん、ギター漫談のあさひのぼるさん、真打の土橋亭里う馬(どきょうてい・りゅうば)さんが出演する。

丸の内駅伝、東京マラソン前日に100チーム、パレードも

【銀座新聞ニュース=2019年1月28日】不動産業界国内3位の三菱地所(千代田区大手町1-1-1、大手町パークビル、03-3287-5100)などで構成される「丸の内駅伝実行委員会」は3月2日に「丸の内駅伝2019」を開く。

3月2日に丸の内仲通りを繰り返して走る「丸の内駅伝2019」が開かれる。画像は過去の実施風景。

今回も3月3日に「東京マラソン2019」が開かれ、皇居前がゴール地点になるため、「丸の内駅伝2019」は「東京マラソンウィーク」の前日祭として、パレードやステージイベントも開く。

「丸の内駅伝2019」の特別ゲストとして、TOKYO FM番組の「でんぱ ch.東京デンパインターナショナル(TOKYO DEMPA INTERNATIONAL)」のパーソナリティを務める6人組のアイドルグループ「でんぱ組.inc」の藤咲彩音(ふじさき・あやね)さんがランナーとして参加し、1人で12キロメートルを完走し、古川未鈴(ふるかわ・みりん)さんがマネージャーとして参加する。

「丸の内駅伝」は2008年から「丸の内文化祭」のひとつとしてはじめられた行事で、当初は1チーム4人が皇居外苑を順番に4周して合計時間を競う「駅伝」の人気が高く、2010年から独立したイベントとして開かれた。

2011年は3月11日の東日本大震災により直前に中止されたが、2012年に2年ぶりに再開され、2013年までは約4.9キロメートルの皇居1周を、桜田門の時計台から時計とは逆回りに走り、和田倉門、旧気象庁前、乾門(いぬいもん)、千鳥ケ淵、半蔵門、三宅坂(みやけざか)を抜けて、再び桜田門に戻るコースで1チーム4人で競ってきた。

2014年からコースを丸の内仲通りに変更し、明治安田生命ビルをスタートし、丸ビルの前でゴールする1周約1.8キロメートルのコースを1人が2周し、6人で12周を競う形で、一般歩道を中心に走り、狭い歩道では「追い越し禁止区域」を設けた。

2015年から再度変更を加え、丸ビル仲通り口をスタートし、丸ビルの前に戻ってくるコースで、1人が1キロメートルのコースを3周し、5人(女性2人以上)で15周を走り、合計タイムを競うのではなく、各出場選手のラップタイムを計測し、5人のラップの均一タイムなどを競う形にした。

2016年はさらにコースを変更して、仲通りの表通りのみを繰り返して走る1周600メートルを設定して、女性1人以上を含む5人のチームで、男性が5周、女性が4周して総合タイムを競う形に戻した。丸ビル前がスタート、ゴール地点で、女性がスタートランナーを務める。

2019年はコースを2016年からと同じ、仲通りの表通りのみを繰り返して走る1周600メートルで、女性1人以上を含む5人のチームで、男女とも1人4周して参加者全員のラップタイムを計測する形にした。丸ビル前がスタート、ゴール地点で、女性がスタートランナーを務める。

2014年からコースを変更したのは、丸の内駅伝実行委員会としては「丸の内駅伝」というタイトルから、いずれ丸の内で開催したいという思いがあり、実際、駅伝に参加した丸の内オフィスで働く参加者からも丸の内を走りたいという希望があったためとしている。

それに対して、2016年から仲通りの表通りのみを繰り返して走るコースに変更したのは「シンプルで走りやすく、丸の内仲通りの街並みをより一層楽しみいただけるコースを提供するため」(丸の内PR事務局)としている。

また、今回は関連イベントとして、11時から17時まで「東京マラソンウィーク2019オフィシャルイベント フィニッシュエリアを見に行こう!丸の内仲通りイベント」を開く。

「東京マラソン2019」に出場する外国人選手と、応援者が各国の旗を振りながらパレードする。

1階「マルキューブ」に特別ステージを設け、TOKYO FM番組パーソナリティのトークショーや、ペットボトルをオリジナル応援メガホンをつくるワークショップも開く。観覧、参加は無料。

当日は13時から16時までで、15時30分から表彰式を開き、各賞を発表する。参加するのは公募した1チーム5人(女性1人以上)、参加100チーム500人で、少なくともチーム内の1人が「丸の内エリア」(勤務先事業所が千代田区大手町、丸の内、有楽町)で勤務しているのが条件だが、今回はすでに締め切っている。