東京メトロ90周年で幻の万世橋駅と神宮前駅をライトアップ

【銀座新聞ニュース=2017年11月30日】国内最大の地下鉄、東京地下鉄(東京メトロ、台東区東上野3-19-6、03-3837-7077)は12月1日10時から18日終電まで銀座線の幻の駅「万世橋駅」と「神宮前駅」をライトアップする。

東京メトロが12月1日10時から18日終電までライトアップする銀座線の幻の駅「万世橋駅」。

過去に銀座線の駅として存在し、現在は使われていない幻の駅「万世橋駅(まんせいばしえき)」と「神宮前駅(じんぐうまええき)」をライトアップするイベントで、「万世橋駅」は神田駅と末広町駅間で神田駅から約650メートル、末広町駅から約500メートル地点で、浅草方面のみ5メートルを照らす。「神宮前駅(旧表参道駅)」は渋谷駅と表参道駅間で、表参道駅から約5メートル地点で、30メートルにわたって照らし、銀座線からのみ見える。

1927(昭和2)年12月30日金曜日に開業した銀座線で、現在使われていない駅の遺構が残されているのは、新橋駅の「幻のホーム」、表参道駅の「旧神宮前駅ホーム」、「万世橋駅跡」の3カ所しかない。今回は地下鉄開通90周年を記念して、その2つをライトで照らす。

同じく幻の「神宮前駅」。

ウイキペディアによると、東京地下鉄道の万世橋仮停留場は、東京府東京市神田区にあった東京地下鉄道(現東京メトロ銀座線)の廃仮駅で、末広町駅と神田駅間で1930(昭和5)年1月1日から1931(昭和6)年11月21日までのわずか2年足らず営業された。1927(昭和2)年12月30日に浅草駅と上野駅間に東京初の地下鉄を開通させた東京地下鉄道が新橋をめざして開削工法による南下延伸を続けた。

しかし、神田川底を通り抜けるには水路を一時変更する必要があり、交通量の多い万世橋も掛け替えなければならないなど、長い工期が見込まれたため、それらが完工するまでの暫定的な停留所として1930年1月1日に「万世橋仮停留場」が開業した。仮駅は万世橋交差点の中央通り(国道17号)北詰(現秋葉原電気街側)に位置し、末広町駅からの神田方面行き上り線路を用いて、2両編成の運行本数の半分が仮駅を終着始発として単線折り返し運転されていた。

国鉄(省線)万世橋駅への乗り換えと、その南北の須田町、万世橋両交差点は東京市電のハブでもあり、連絡が便利で好評だった。しかし、急勾配でカーブ開始区間にあるため、常設駅を構えることができず、1931(昭和6)年11月21日の神田駅延伸開業に伴い同日廃止され、道床上の仮設物は前日一夜で撤去された。

さらに、用途廃止後、換気口兼作業員進入口になっている出入口跡は、現在の「エディオンアキバ(AKIBA)」前の歩道上にあり、光線条件がよければ填(しず)められているグレーチングの隙間から階段が目視できていたが、後に網目の細かい物に交換され、現在は目視で確認できない。

地下フロア跡は設備室兼物置に転用され、線路脇に開口しているが、駅名板が存在するものの、改札口跡はほとんどが壁で塞がれているため、トンネルの天井が丸く少し高く、当該区間のみ間柱がない程度にしか仮駅の痕跡が見当たらない。国鉄万世橋駅や、銀座線の廃駅である東京高速鉄道旧新橋駅とは異なり、駅間で速度が乗る区間でもあり、一瞬にして通り過ぎてしまう。

東京メトロ1000系電車が2012年春に銀座線へ導入されるのに伴い開設された銀座線1000系スペシャルサイト の「駅物語」では、万世橋駅の紹介ページが設置され、駅ナンバリングは「G幻」とされている。

ちなみに、国鉄中央本線「万世橋駅」は神田駅と御茶ノ水駅との間にあり、私鉄の甲武鉄道が1889(明治22)年4月11日に立川と新宿間を開通し、都心への延伸を進め、1912(明治45)年4月1日に「万世橋駅」の営業を開始した。甲武鉄道は1906(明治39)年3月31日に鉄道国有法により国有化され、鉄道院の駅となり、万世橋駅の開業によって御茶ノ水と万世橋の間にあった「昌平橋駅」は廃止された。

万世橋駅は東京駅と同様に辰野金吾(たつの・きんご、1854-1919)の設計による赤煉瓦造りで、1等、2等待合室、食堂、バー、会議室などを備え、貨物用のエレベーターも整備されていた。中央本線のターミナルとしてだけでなく、ここから両国駅方面への総武線の敷設計画をも見据えていた。駅前には広場が設けられ、日露戦争(1904年から1905年)の英雄である広瀬武夫(ひろせ・たけお、1868-1904)と杉野孫七(すぎの・まごしち、1867-1904)の銅像が建っていた(1945年以降撤去された)。

東京市電が走り、多くの人で賑わい、大正時代に最盛期を迎えた。しかし、万世橋駅の開業後に、東京駅が完成し、1919(大正8)年3月1日に万世橋駅と東京駅間が開通し、中央本線の起終点としての役目は7年で終わり、同年に神田駅が開業し、1925(大正14)年11月1日には上野駅と神田駅間の高架線が完成し、秋葉原駅が旅客営業を始めた。

これに対して、万世橋駅は1923(大正12)年の関東大震災により駅舎が焼失、遺体安置所に利用された後、簡素な駅舎が再建されたものの、徒歩圏内に神田駅と秋葉原駅があり、上野駅と神田駅の路線ができたことで、東京以南から上野・浅草方面への市電乗り換え駅としての地位を失い、乗客数が急減し、須田町交差点が移転し、1929(昭和4)年以降は市電も通らなくなった。

1936(昭和11)年4月25日に東京駅から鉄道博物館が移転し、駅舎は解体縮小され、博物館に併設された小屋となり、駅構内にあった階段の一部は博物館への直通連絡口に使われ、1943(昭和1)年11月1日に駅は休止(実質上廃止)となり、駅舎は交通博物館部分を除いて取り壊された。駅舎の一部は交通博物館に転用されたが、2006年5月14日に閉鎖され、2010年6月までにすべてが取り壊された。

一方、「神宮前駅」は1938(昭和13)年11月18日に東京高速鉄道(1934年に設立され、1941年7月4日に東京地下鉄道、ペーパー会社の京浜地下鉄道とともに「帝都高速度交通営団」として統合)が「青山六丁目駅 (現表参道駅)」と虎ノ門駅間を開業し、1939(昭和14)年9月16日に青山六丁目駅を「神宮前駅」と改称した。

1941(昭和16)年9月1日に帝都高速度交通営団に駅施設などを譲渡し、1954年8月27日に神宮前駅の拡張工事が決定され、1957年7月1日に神宮前駅ホームが6両対応に延長され、1972年10月20日に千代田線「表参道駅」が現在地に開業し、銀座線の駅名も同名に改称し、神宮前の駅名は明治神宮前駅に引き継がれた。

1976年にホームを180メートルほど浅草方面に移設し、 1978年に開業した半蔵門線と同じホームを使用することとなり、旧ホームは工事上の都合からそのままの形で残され、現在は機器類の保管場所などに利用され、関係者以外は立ち入り禁止になっている。

注:「万世橋」の「万」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として現代漢字(常用漢字)を使用しています。

銀座ニコン階段に青木弘の1枚

【銀座新聞ニュース=2017年11月30日】カメラ大手のニコン(港区港南2-15-3、品川インターシティC棟、03-6433-3600)グループのニコンイメージングジャパン(住所・同、03-6718-3010)は12月1日から29日までニコンプラザ銀座(中央区銀座7-10-1、ストラータ ギンザ、03-5537-1469)内の階段フロアにある「銀座階段ギャラリー」で青木弘さんの作品を展示する。

12月1日から29日までニコンプラザ銀座内の階段フロアにある「銀座階段ギャラリー」に展示される青木弘さんの作品。

ニコンイメージングジャパンが毎月、プロの写真家の撮影した作品1点を展示するのが銀座階段ギャラリーで、12月は世界各地の紛争地などを撮影し続けている青木弘(あおき・ひろし)さんの作品を展示する。

青木弘さんは1976年生まれ、写真家の武政義夫(たけまさ・まさよし)さんに師事し、英国留学を経て、2002年よりフリーの写真家として活動し、現在、中東、アフリカの紛争地を中心に撮影をしている。日本国内では日本酒蔵にて酒造りと蔵人、青森・大間にて、マグロ漁師に密着撮影している。2007年にさがみはら写真新人奨励賞。

青木弘さん

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は15時)。入場は無料。

ゴジラを知らない世代が描いた謎のアニメ3部作「怪獣惑星」(226)

【ケイシーの映画冗報=2017年11月30日】前回は諸事情により、休みを頂戴してしまいました。今回は「ゴジラ(GODZILLA)怪獣惑星」です。これまで本稿で何度か取り上げてきた日本の世界的映画スター“ゴジラ”ですが、1954年の劇場版第1作からおよそ60年、日本での長編アニメ化は本作がはじめてとなっています。

現在、一般公開中のアニメ「GODZILLA 怪獣惑星」((C)2017 TOHO CO.,LTD.)。

昨年、大ヒットした「シン・ゴジラ」の記憶も鮮やかですが、この“ゴジラ”は両生類然とした姿から直立歩行をする巨大生物へと進化していきます。ゴジラ対策を担当する政府機関が「巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)」で「まさに人知を超えた完全生物」という台詞(せりふ)もあり、あくまで生き物という存在でした。

本作の“ゴジラ”も人知を超えたという点では同一かもしれませんが、生物的な存在ではなく、むしろ無機質で硬質な、一般的な生物と異なった存在とされています。20世紀末、世界各地で巨大な怪獣が出現し、人類は危機に直面します。半世紀にも及ぶ戦いの結果、怪獣群の中でもっとも大きく、絶大な破壊力を発揮する“ゴジラ”によって地球上での生存が不可能となった人類は、選抜された人間たちで地球を脱出、新天地を求めて広大な宇宙へと旅立ったのでした。

20年後、恒星間移民船「アラトラム号」の乗員であるハルオ・サカキ(声の出演は宮野真守=みやの・まもる)大尉は、希望の持てない新天地への移住に批判的で、個人的な反乱を起こしますが、失敗に終わります。じつはハルオと同じ危惧を「アラトラム号」の上層部も持っていました。「アラトラム号」は厳しい選択を迫られます。成功する確率の低い未知の新天地への移住を目指すか、宇宙航行の関係で2万年の時を経た地球へと帰還するか。

結局、故郷へと帰還した「アラトラム号」の乗員たちでしたが、人類の繁栄の痕跡は、大自然に呑みこまれていました。そして、人類を宇宙へと追いやった“ゴジラ”も姿をみせ、地上の人々に襲いかかります。奪われた地球を奪回するため、サカキが立案した作戦で“ゴジラ”を倒すべく動き出すのでした。

水爆大怪獣(第1作のキャッチコピー)として、空襲と原爆の象徴として生まれた“ゴジラ”は、やがて人類の味方として宇宙や地底からの侵略を迎え撃ったり、伝説の存在として復活したり、近作「シン・ゴジラ」では大地震と原発事故のメタファーとして描かれるなど、変遷(へんせん)を経ていることがわかります。これも歴史のある作品の事象だといえるでしょう。

ここ最近の「ゴジラ作品」は、監督やスタッフ陣が熱心なゴジラファンであることが多かったのですが、本作のストーリー原案・脚本の虚淵玄(うろぶち・げん)、共同監督の静野孔文(しずの・こうぶん)と瀬下寛之(せした・ひろゆき)は、瀬下監督によると「僕なんかすごくライトなゴジラファン」で「虚淵さんも静野さんもゴジラを比較的ご存じなくて」(「特撮秘宝vol6 」)という状態で本作に取り組んだのだそうです。

こうした視点やスタンスの違いによるものでしょうか。本作の“ゴジラ”は前出のように、従来の作品とは異なったアプローチで創造されています。瀬下監督は「その特異な環境の中心にいる巨大な『世界樹』のような存在であろうと考えたのです」(パンフレットより)。こうした「視点の違い」は“ゴジラ”だけではなく、対峙する人類側にも影響を与えています。

瀬下監督によると、虚淵からは「とにかくガツンと肉弾戦で! 」、静野監督から「カメラがちゃんと主人公を追いかける映画にしたい」という要望があったそうです。

瀬下監督はそれを「余分な戦闘兵器をもっていない」宇宙開拓団なのだから「開拓用資財を転用した間に合わせの兵器なので、乗員はむき出し」という設定で応じたのだそうです。現在のバイクのような乗り方をする小型ホバーに爆弾をのせて落とすといった、巨大な“ゴジラ”に肉薄する視点での映像は、従来のゴジラ作品ではちょっと記憶にない鮮烈さです。

「誰が観ても虚淵さんの作品になっていますよ。かつ、静野さんや僕が入ることによる化学反応は間違いなく起こっていて、ゴジラの新解釈になっているんじゃないかなって気はします。」(前掲より)

瀬下監督のこの言葉は、本編終了後に強く意識をさせられました。公開当日まで、この「怪獣惑星」が3部作の第1弾であることは徹底的に秘匿されていたのです。これはまったく予想外の展開で、本当に驚きました。映画界としても、充分にインパクトのある作品と評価できます。

「体力のあるものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残れる」という言葉があります。“ゴジラ”はその具現化かもしれません。次回は恐縮ではありますが、未定とさせてください(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません。なお、ケイシーさんは現在、自宅療養中で、こんごの予定はすべて未定になっています)。

編集注:ウイキペディアによると、「ゴジラ」は東宝が1954年に公開した特撮怪獣映画で、演技者がぬいぐるみ(着ぐるみ)に入って演じる手法を主体とし、この手法は以後、日本の特撮映画やテレビ特撮番組の主流となっている。怪獣や怪獣同士の格闘のみならず、逃げ回る住民や攻防する軍隊などの周辺の人間描写も毎回描かれ、好評を得ている。海外でも上映されて人気を呼び、「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」に日本のキャラクターとしては唯一の例として登録されている。現在までに海外版を除いて第30作「GODZILLA 怪獣惑星」まで公開されている。

1954年11月3日に第1作“水爆大怪獣映画”「ゴジラ」が公開された。制作が田中友幸(たなか・ともゆき、1910-1997)、監督は本編が本多猪四郎(ほんだ・いしろう、1911-1993)、特撮が円谷英二(つぶらや・えいじ、1901-1970)で、原作は香山滋(かやま・しげる、1904-1975)、脚本が村田武雄(むらた・たけお、1907-1994)と本多猪四郎だった。出演は平田昭彦(ひらた・あきひこ、1927-1984)、河内桃子(こうち・ももこ、1932-1998)、宝田明(たからだ・あきら、1934年生まれ)ら。

身長50メートルの怪獣ゴジラは人間にとっての恐怖の対象であると同時に、煽り文句などで「核の落とし子」や「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれ、核兵器という人間が生み出したものによって現れた怪獣が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さを表現した作品となった。観客動員数は961万人を記録、1955年に第2作「ゴジラの逆襲」が公開された。

東宝はゴジラ以外の怪獣・特撮映画を作っており、1962年にシリーズ第3作「キングコング対ゴジラ」が制作され、当時の歴代邦画観客動員数第2位の記録となる1255万人を動員した。以降、日本国外で好調なセールスを買われた昭和ゴジラシリーズは、外貨獲得の手段として1960年代に新作が次々と制作された。

1964年の第5作「三大怪獣 地球最大の決戦」でゴジラが人類の味方として戦っているが、これ以降、ゴジラは恐怖の対象として役目が希薄になり、娯楽作品へのシフトが進み、当初のテーマであるSFとしての特色もシリアス路線からエンターテインメント性重視のものに変わり、1972年の第12作「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」以降は正義のヒーローとして描かれるようになった。

その後、テレビアニメ最盛期では、「東宝チャンピオンまつり」というタイトルのテレビ作品と混載の5、6作品混合プログラムの中の1作という扱いになり、1975年に公開された第15作「メカゴジラの逆襲」では観客動員数97万人と、歴代ワースト1位を記録した。1991年公開のシリーズ第18作「ゴジラvsキングギドラ」以降は正月映画として1995年公開の第22作「ゴジラvsデストロイア」まで毎年1本のペースで制作されたが、この作品でシリーズの終了が決定し、1997年に第1作からゴジラ映画を制作してきた田中友幸が死去した。

1998年にアメリカ・トライスター・ピクチャーズ提供による「GODZILLA」が公開され、興行面では成功を収めたが、軽快な作風のモンスタームービーに仕上げられた作品は従来のゴジラ像の乖離から酷評が相次ぎ、第19回ゴールデンラズベリー賞で最低リメイク賞、最低助演女優賞を受賞、関連グッズ売り上げも低調で、シリーズ化には至らなかった。

1999年のシリーズ第23作「ゴジラ2000 ミレニアム」でゴジラ映画が再開されたが、シリーズは100万人から200万人ほどの観客と大幅に減少し、そのため平成ゴジラゴジラ50周年の節目である2004年にシリーズ集大成となる最高の「ゴジラ映画」を作り上げ、2004年公開の第28作「ゴジラ ファイナルウォーズ(FINAL WARS)」でゴジラシリーズは再度終了となった。

東宝制作によるシリーズが約12年ぶりに全国公開されることになり、2016年に「シン・ゴジラ」が公開され、2017年11月に3部作のアニメの第1部「怪獣惑星」が公開され、2018年5月に第2部「決戦機動増殖都市」が公開される。

ホットペッパー調べ10月外食1.5%増、5カ月連続、関西のみ減

【銀座新聞ニュース=2017年11月30日】大手情報会社のリクルートグループの旅行、レジャー、飲食などの情報サービス会社、リクルートライフスタイル(千代田区丸の内1-9-2、03-6835-1000)の「食」に関する調査・研究機関「ホットペッパーグルメ外食総研」はこのほど、10月の「外食市場調査」を発表した。

吉野家が11月29日から12月5日まで販売中のテイクアウト限定「牛鍋ファミリーパック」(税込980円、ご飯、玉子セットが別途170円)。

それによると、10月の首都圏・関西圏・東海圏(東名阪)の3圏域の外食市場規模は前年同月比1.5%増の3195億円と5カ月続けて前年実績を上回った。首都圏が67億円のプラス(3.6%増、5カ月連続増)、関西圏が30億円のマイナス(3,4%減、5カ月ぶり減)、東海圏が10億円のプラス(2.7%増、5カ月連続増)と関西圏のみがマイナスだった。ホットペッパーグルメでは「前年に比べて土曜日が1日少ないカレンダーや週末の台風が影響している可能性も」としている。

10月の外食単価は前年比79円プラスの2518円と5カ月連続で増えたが、外食頻度(外食回数)が4.09回と前年比0.03回マイナスで5カ月ぶりに減少し、外食実施率も同0.6ポイントマイナスの75.0%で6カ月ぶりに下回った。

主要16業種(調査は25分類)を対象とした外食市場規模は「和食料理店」が44億円増の492億円、「中華料理店」が14億円増の191億円、「焼肉、ステーキ、ハンバーグ等の専業店」が27億円増の304億円など10業種がプラスだった。

これに対して、もっとも規模の大きい「居酒屋」が22億円減の690億円、次いで「和食料理店」、3番目の「焼肉、ステーキ、ハンバーグ等の専業店」がプラスで、4番目の「フレンチ、イタリアン料理店」も1億円増の235億円、5番目の「ファミリーレストラン、回転すし等」が9億円減の218億円だった。

外食単価は「スナック、ナイトクラブ、キャバレー」が前年同月に比べて1367円増の8074円、「カラオケボックス」が843円増の3298円、「すき焼き、しゃぶしゃぶ、鍋、おでん等の専業店」が222円増の3503円など15業種が上がった。

調査は首都圏、関西圏、東海圏の各圏域中心部からの鉄道距離が、おおむね首都圏90分圏、関西圏80分圏、東海圏60分圏の市区町村に住む20歳から69歳までの男女1万人を対象にインターネットによって実施した。

実施時期は事前調査が9月21日から10月2日まで35万6602人を対象に行い、回収数が3万7915人、本調査は11月1日から8日まで1万3158人を対象に実施し、有効回答数が1万897人、回収率は77.1%だった。本調査での「外食」とは、夕方以降の時間帯で店で食事した場合を対象とし、1日2回までの外食を含んでいる。

「木村屋本店」が紅ズワイガニ食べ放題、飲み放題も

【銀座新聞ニュース=2017年11月29日】九州居酒屋の「木村屋本店」、宮崎地鶏専門の「地鶏黒木屋」などを運営する株式会社KIDS HOLDINGS(新宿区西新宿2-4-1、新宿NSビル、0120-75-1109)は11月29日から12月7日まで「木村屋本店銀座1丁目店」(中央区銀座1-8-2、銀座プルミエビル、050-3542-6712)など「木村屋本店」全28店舗で「紅ズワイガニ食べ放題」を実施している。

12月7日まで「木村屋本店銀座1丁目店」など「木村屋本店」全28店舗で開かれている「紅ズワイガニ食べ放題」。

紅ズワイガニの水揚げ量日本一となっている鳥取県(蟹取県)の境港から直送された「紅ズワイガニ」を蒸しあげて提供する企画で、期間中は「紅ズワイガニ食べ放題」のみは90分1480円(通常2500円、別途ワンドリンク注文する)、「紅ズワイガニ食べ放題と飲み放題」は120分2980円(通常4000円)。

ウイキペディアによると、紅ズワイガニは日本海、北朝鮮、ロシアなどで水揚げされ、主にズワイガニ(松葉ガニ)よりも水深の深い場所に生息するといわれ、足、胴の腹面含め全体に暗褐色で、加熱すると全体が鮮やかな紅色になる。

ズワイガニ、オオズワイガニに比して殻がやや柔らかく薄い。身が少なめで、比較的安く、缶詰の材料にも使われている。加熱すると身が縮みやすいが、生の身は甘みが強く、しっかり身の入った紅ズワイの刺身はズワイガニ以上に美味といわれている。
紅ズワイガニは、1906年にアメリカの海洋調査船「アルバトロス号」が日本海佐渡沖水深960メートルで採集した1匹の個体によりアメリカの海洋生物学者メアリー・ラスバン(Mary Jane Rathbun、1860-1943)が1932年に記載した。当時は、日本では紅ズワイガニの存在すら知られてなく、1950年になって但馬沖で採集された11個体に対して元水産省水産試験場香住分場の山本孝治(やまもと・こうじ)によって「ベニズワイガニ」という和名が与えられた。

富山湾では1941年から「赤ガニ」の名称で刺し網で大量に漁獲されている。現在は山陰沖が主要な漁場で、資源保護の目的で当初から雌ガニは捕獲禁止となっている。

鳥取県境港市水産課によると、紅ズワイガニとズワイガニ(松葉ガニ)の違いは、紅ズワイガニの身は甘みがあり、水分が多く、保存中に水分が抜けて身が少なくなることを避けるため、甲羅を下にして保存するという。

ズワイガニは身がぎっしり詰まっており、メスで卵を抱えたものを親がに、脱皮直後のものを若松葉などと呼んでいる。紅ズワイガニは日本海の深海の水深約500メートルから2500メートル、ズワイガニが日本海の大陸棚の水深約200メートルから400メートルで、産卵も紅ズワイガニが 産卵数3.7万粒から4.3万粒で、産卵周期が2年に1回、ズワイガニが産卵数7万粒から10万粒、産卵周期が1年に1回、漁期が9月から翌年6月、ズワイガニの雄が11月から翌年3月、雌が11月から12月末となっている。

漁法も紅ズワイガニがカニかご漁で、ロープに50メートル間隔で、150個のカニかごがついた漁具を使い、これを海底に約2昼夜沈めてカニが入るのを待つ。漁具の長さは約1万メートルになり、これを9セット使用する。ズワイガニは底引き網で、日本海では小型機船の底引き網で漁獲する。

今回の対象となる中央区周辺の店は「東京駅八重洲北口店」(中央区日本橋3-3-3、八重洲山川ビル、050-3542-6709)、「新橋レンガ通り店」(港区新橋2-13-8、東和ビル、050-3542-6710)など。

キッズ・ホールディングス(KIDS HOLDINGS)は俳優で、1970年愛知県生まれ、名城大学卒業、パリコレクションのモデルも務めた木村契月(きむら・けいつき)さんが2005年に設立した飲食業で、2017年10月末現在186店(ライセンス、業務委託を含む)を運営し、従業員が1789人(正社員361人)、2017年3月期の連結売上高が前期比2.9%増の141億9986万円となっている。

営業時間は銀座1丁目店が16時(土・日曜日、祝日15時)から24時(金曜日、祝前日3時)、八重洲北口店が16時(日曜日、祝日15時)から4時(金曜日、祝前日5時、日曜日、祝日23時)、新橋レンガ通り店が16時から23時30分(金曜日3時)。