【銀座新聞ニュース=2010年12月21日】東京テアトルグループ(中央区銀座1-16-1)のエイチ・エス・ジー(中央区銀座1-11-2、03-3535-1111)が運営するホテル西洋銀座(中央区銀座1-11-2、03-3535-1111)は2011年1月1日18時から3階バンケットルーム「サロン ラ ロンド」で「饗宴料理2011」を開催する。
ホテル西洋銀座の総料理長、広田昭二(ひろた・しょうじ)さんと「吉兆西洋銀座店」の店主、湯木俊治(ゆき・としじ)さんがそれぞれのフランス料理と懐石料理を合わせ、「温故知新」をテーマにした一夜限りのメニューを提供する。吉兆グループは創業80周年を迎え、「吉兆クラシック」を表現する。
また、津軽三味線ユニット「吉田兄弟」の兄、吉田良一郎(よしだ・りょういちろう)さんが学校公演を行っている三味線、尺八、太鼓、琴のグループ「新純邦楽ユニット」がデザート時に演奏する。
1月1日のメニューは広田昭二さんによる「西洋八寸」(「完熟トマトのタラバ射込み 七宝焼き見立て」、「フォアグラと洋ナシの煮こごり 天然甘口ワイン風味」、「白子トリュフ」、「ウニ豆腐のウォッカクリーム」)からはじまり、続いて広田昭二さんの「オマールエビのアメリケーヌ」。
次に、湯木俊治さんの「甘ダイかぶら蒸し 百合根・蓮餅・むかご・キクラゲ」、「吉兆風 黒毛和牛ローストビーフ わさび、煮染め 大根・ニンジン・ゴボウ・絹さや・寒タケノコ・エビイモ」と続く。デザートが広田昭二さんの「イチゴのジュビレ ピスタチオアイスクリーム添え」で、コーヒーとチョコレートがつく。
ウイキペディアによると、吉兆は兵庫県神戸の料理屋「中現長」の息子、湯木貞一(ゆき・ていいち、1901-1997)が1930年に大阪府大阪市西区新町で小料理店「御タイ茶処吉兆」を開業したのがはじまりで、1937年に旧南区島之内畳屋町に移転し、1939年に株式会社化、大阪大空襲で畳屋町の店が全焼、その後、兵庫県芦屋の自宅で「芦屋吉兆」を開店した。
1946年に大阪平野町店、1948年に京都嵯峨店(古美術商の児島嘉助=こじま・よしすけ=の元別邸)、1949年に児島嘉助の店舗兼本邸を購入して高麗橋店(大阪市)を開いた。1979年、1986年、1993年の東京サミット(先進7カ国首脳会議)で日本料理を担当した。1991年に湯木貞一の息子や娘婿たちをのれん分けの形で独立させ、吉兆グループとしてグループ会社制に移行した。
長男の湯木敏夫(ゆき・としお)さんが大阪市の「本吉兆」、長女照子(てるこ)さんの婿、湯木昭二朗(ゆき・しょうじろう)さんが「東京吉兆」、次女準子(じゅんこ)さんの婿、徳岡孝二(とくおか・こうじ)さんが「京都吉兆」、3女佐知子(さちこ)さんの婿、湯木正徳(ゆき・まさのり)さんが大阪市の「船場吉兆」、4女義子(よしこ)さんの婿、湯木喜和(ゆき・よしかず)さんが神戸吉兆を継承した。この中で、「船場吉兆」は2007年から2008年の相次ぐ不祥事で2008年5月に廃業した。
広田昭二さんは1973年より「ホテルオークラ」のフランス料理「ラ・ベルエポック」で修業、 その後「プティポワン」、「ベルフランス」などを経て1985年に「ホテルメトロポリタン」に入社、1986年に「ホテル西洋銀座」(1986年開業)のフランス料理「パストラル」にスーシェフ(副料理長)として入社した。
1988年に「パストラル」(現「レペトワ」)の料理長、2001年にホテル西洋銀座の総料理長に昇格し、「レペトワ」の料理長も兼任し、イタリア料理「アトーレ」、「ケーキショップ」、「プレリュード」バー&ラウンジ、バンケット料理、ルームサービスなど「ホテル西洋銀座」の飲食部門全体を統括している。
湯木俊治さんは1954年大阪府生まれ、母親が創業者の湯木貞一の長女で、東京吉兆の社長、湯木昭二朗さんの妻、照子さんで、湯木貞一の孫にあたる。1977年に慶応大学経済学部を卒業、「吉兆」に入社、「高麗本店」に配属され、1983年に東京・帝国ホテル店店長を務め、1988年に「吉兆西洋銀座店」の店主に就任、現在、東京吉兆取締役でもある。
吉田良一郎さんは1977年北海道登別市生まれ、5歳で三味線をはじめ、1998年に青年じょんがら節部門で準優勝、1999年に「吉田兄弟」としてアルバム「いぶき」でデビュー、2003年にアメリカでアルバム「吉田兄弟(Yoshida Brothers)」を発売、その後、国内外で公演しており、2009年に10周年記念ツアーを行った。
定員は80人で、料金は3万1500円(税込み、サービス料は別)。予約、問い合わせはバンケットオフィス(03-3535-1141)まで。「饗宴料理2011」を含めてホテル宿泊プランもあるが、「饗宴料理2011」のみ参加できる。