丸の内ホテル、テラスをビアガーデン、プレートと飲み放題

【銀座新聞ニュース=2017年5月31日】国内不動産業界第3位の三菱地所グループの丸ノ内ホテル(千代田区丸の内1-6-3、03-3217-1111)は6月1日から9月30日まで8階フランスレストラン「ポム・ダダン」(03-3217-1117)の屋外テラスで「アーバンビアテラス」を営業する。

丸ノ内ホテルで6月1日から9月30日まで8階「ポム・ダダン」屋外テラスで開かれる「アーバンビアテラス」(画像はイメージ図)。

2017年にフランス料理の「ポム・ダダン」のテラス席を夏季だけビアガーデンとして初めて営業し、延べ2000人以上が利用した。2018年に2回目になるビアガーデンを営業するもので、今回はおまかせワンプレートと飲み放題をセットにしたメニュー(2時間制で6500円、サービス料、税込)を中心に提供する。

おまかせプレートは国産鶏のローストチキン、シーザーサラダ、オードブル3種、オニオンリング サワークリーム添えなど。

ドリンク類はビアカクテル(5種類)、ビール(アサヒスーパードライとアサヒ樽詰生)、カクテル(9種類)、ウイスキー(ニッカウィスキー)、ワイン(赤と白)、ホットワイン(赤と白)、焼酎(麦、芋)、ノンアルコールカクテル(3種類)、ソフトドリンク(5種類)から3杯を選ぶ。

飲み放題に1000円をプラスすると、生ビール「琥珀の時間(とき)」 、スパークリングワイン(1種類)、サングリア、フルーツスパークリングカクテル(3種類)、ウイスキー(3種類)、ノンアルコールスパークリングワインが含まれる。

また、ワンプレート料理とドリンク2杯 (通常のフリードリンクメニューから選択) がセットになったメニュー(5500円)もある。

丸ノ内ホテルは運営会社の東京タクシー自動車株式会社が1917(大正6)年5月に設立され、1924(大正13)年に「丸ノ内ホテル」本館を建設、開業し、1930(昭和5)年12月に「株式会社丸ノ内ホテル」に改称、1946年10月に英連邦進駐軍の将校宿舎として接収され、1952年6月に全館接収が解除され、7月に営業を再開した。

1961年6月に新館を建設、開業し、1976年に銀座丸ノ内ホテルを開業、1999年1月に丸ノ内ホテル技術サービス株式会社を合併し、2000年12月に閉館し、2001年12月に銀座丸ノ内ホテルを閉館し、2004年に東京駅丸の内北口再開発に伴い、複合商業施設オアゾ(OAZO)の一画に全205室を備えたホテルとしてリニューアルオープンし、4カ所のレストランとバーがある。従業員が92人、資本金が2億200万円、売上高は2017年3月期で19億6300万円。三菱地所が31.38%を所有している。

席数は43席。

営業時間は17時30分から22時まで。

キャプチャー俳優が存在感を示した「巨獣大乱闘」(239)

【ケイシーの映画冗報=2018年5月31日】現在でも新作が準備されているSF映画「ターミネーター」(The Terminator、1984年)は、監督・脚本のジェームズ・キャメロン(James Cameron)が「炎の中から迫るガイコツのようなロボット」の悪夢を見たことをふくらませて、映画として仕上げていったそうです。

現在、一般公開中の「ランペイジ 巨獣大乱闘」((C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.)。制作費が1億2000万ドル(約120億円)で、興行収入が4億1270万ドル(412億7000万円)だった。1986年にアメリカで発売されたゲーム「ランペイジ(RAMPAGE)」が原作で、2009年にワーナー・ブラザース映画がミッドウェイゲームズから「ランペイジ」の映画化権を3300万ドル(約33億円)で購入した。

本作「ランペイジ 巨獣大乱闘」(Rampage、2018年)では、大企業エナジン社の所有する宇宙ステーションで事故が発生、遺伝子操作の研究によって生み出されたサンプルが地上に落下してきます。

サンディエゴの動物保護区に暮らすゴリラの“ジョージ”は白い体毛の珍しい存在でしたが、群れのボスとして君臨する一方で、霊長類学者のデイビス(演じるのはドウェイン・ジョンソン=Dwayne Johnson)と手話でコミニュケーションをとる知性ももっていました。

地球に落ちてきた遺伝子サンプルに触れた“ジョージ”は灰色グマも一撃で倒すほど狂暴化し、体躯はみるみる巨大化しはじめるのです。変貌していく“ジョージ”に困惑するデイビスに、遺伝子工学のケイト博士(演じるのはナオミ・ハリス=Naomie Harris)は、自分がエナジン社でおこなっていた研究が原因であると告げます。

異変は“ジョージ”だけではありませんでした。ワイオミング州では巨大化したオオカミ“ラルフ”、フロリダ州には変異したクロコダイルの“リジー”が出現します。
3頭の巨獣は、シカゴの市街地へなだれ込み、軍隊を相手に大暴れします。荒れ狂う“ジョージ”をなんとかしようと、デイビスとケイト博士は、解毒剤があるエナジン本社へと向かうのでした。

「炎の中に立つガイコツ型ロボット」に通ずるように「巨大な怪物が、破壊のかぎりを尽くす」というシンプルなゲーム「ランペイジ(Rampage =暴れ回る)」を原作とする本作は、アイディアのインパクトに対して、長編映画として成立させるのに不可欠なストーリーが希薄でした。

監督のブラッド・ペイトン(Brad Peyton )はこれをかえってチャンスだととらえたようです。
「でも物語性はとても少ない。その事実が僕ら自身の映画をつくり、僕ら自身の巨獣を創作し、僕ら自身のテーマを掘り下げていくことを可能にしてくれた」(パンフレットより)

主演で制作総指揮も兼ねたドウェイン・ ジョンソンもおなじような認識だったそうです。「ビデオゲームはとてもシンプルなストーリーだ。ただ破壊があって、モンスターが出てくる」(「映画秘宝」2018年7月号)

そう語るジョンソンはアメリカでもトップ・クラスのプロレスラーとなりながら、鍛え上げた195センチの巨躯とたしかな表現力で、ハリウッドでも評価を上げてきている人物で、初期の主演作「ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン」(The Rundown 、2003年)では、肉体派スターの先達アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)から、「肉体派の継承」とも思える共演をしています。

そんなジョンソンと共演するCGキャラクターの“ジョージ”ですが、その存在を豊かなものとするため、動きの原型となる、パフォーマンス・キャプチャー俳優がスタジオで演じています。“ジョージ”を演じたジェイソン・ライルズ(Jason Liles)との撮影について、主演のジョンソンはこう述べています。

「ひとたびジェイソンがセットに入ると、まるで本物の動物なんだ。とてもパワフルで圧倒された」(パンフレットより)

すこし前に本稿でとりあげた本年のアカデミー作品賞、監督賞など4部門を受けた「シェイプ・オブ・ウォーター」(The Shape of Water、2017年)が、「モンスター映画」ということで、「アカデミー賞には不利」という下馬評を覆しての栄誉でしたが、それに匹敵するほど、重要な変化が今回のアカデミー賞であらわれました。

毎回、アカデミー賞では、最近の1年間に亡くなった映画人を追悼するフィルムを流すのですが、そのなかに日本人の中島春雄(なかじま・はるお、1929-2017)がとりあげられたのです。

ゴジラのスーツアクターを務め、世界中でミスター・ゴジラと呼ばれた中島春雄(画像はウイキペディアより)。

“顔出し”のお仕事はさほどない御方でしたが、その活躍は誰もが見ています。1954年の「ゴジラ」から12作品でゴジラを演じたのが中島春雄だったのです。ハリウッドの映画人に強烈な印象を残した“表現者”として足跡が評価されたのでしょう。

映像表現としてのCGキャラクターの根幹には、実演者としての俳優という存在は重要なようです。将来は“CGキャラクター”や“パフォーマンス・キャプチャー俳優”を顕彰するアカデミー賞が見られるかもしれません。次回は「デッドプール2」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:中島春雄は1929年山形県酒田市生まれ、1953年に「太平洋の鷲」で攻撃機航空兵役で、初めて身体に火をつけてのファイヤースタントを演じ(当時は「吹き替え」と呼ばれた)、この時期、数々の吹き替えをこなし、これをきっかけに1954年の「ゴジラ」から「ゴジラの逆襲」(1955年)、「キングコング対ゴジラ」(1962年)、「モスラ対ゴジラ」(1964年)、「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964年)。

「怪獣大戦争」(1965年)、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(1966年)、「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」(1967年)、「怪獣総進撃」(1968年)、「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」(1969年)、「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)、「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」(1972年)まで12作のゴジラのスーツアクター(自称「ぬいぐるみ役者」)を務めた。

世界的に「ミスター・ゴジラ」と呼ばれ、アメリカのファンイベントなどで講演し、それらの講演料で家を建てたといわれている。2011年にアメリカ・ロサンゼルスより市民栄誉賞、2012年11月には酒田市より「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞した。

銀座ニコン階段に百々新の作品

【銀座新聞ニュース=2018年5月31日】デジタルカメラ市場で世界第2位のニコン(港区港南2-15-3、品川インターシティC棟、03-6433-3600)グループのニコンイメージングジャパン(住所・同、03-6718-3010)は6月1日から29日までニコンプラザ銀座(中央区銀座7-10-1、ストラータ ギンザ、03-5537-1469)内の階段フロアにある「銀座階段ギャラリー」で百々新さんの作品を展示する。

6月1日から29日までニコンプラザ銀座内の階段フロアにある「銀座階段ギャラリー」に展示される百々新さんが撮影、加工した作品。

ニコンイメージングジャパンが毎月、プロの写真家の撮影した作品1点を展示するのが銀座階段ギャラリーで、6月は写真家の百々新(どど・あらた)さんが撮影し、独自に加工した花と女性を1枚に表現した作品を展示する。

百々新さんは1974年大阪府吹田市生まれ、1997年に大阪芸術大学写真学科を卒業、在学中の1995年に写真展「上海新世紀計画」を開き、「コニカ新しい写真家登場」でグランプリ、1998年に株式会社博報堂フォトクリエイティブに入社、2000年に写真集「上海の流儀」により日本写真協会新人賞を受賞した。

2013年に写真集「対岸」により第38回木村伊兵衛(きむら・いへえ)写真賞、2017年に河瀬直美(かわせ・なおみ)さんが監督した映画「光」で映画撮影監督としてデビューし、カンヌ国際映画祭エキュメニカル賞、2018年に撮影2作目となる河瀬直美さん監督の「ビジョン(Vision)」が6月8日に公開される。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は15時)。入場は無料。日曜日は休み。

丸善丸の内で島田猛「作陶」展

【銀座新聞ニュース=2018年5月30日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は5月30日から6月5日まで4階文具売場で島田猛さんによる作陶展を開いている。

丸善・丸の内本店で6月5日まで開かれている島田猛さんの作陶展に出品されている花器。

陶芸家の島田猛(しまだ・たけし)さんが焼締(やきしめ)、灰釉(かいゆう)など伝統的な作風から、現代の造形による作品まで、さまざまな手法で制作した草花紋の花器、陶筥(とうばこ)や鉄赤釉(てつあかゆう)を使った食器や茶陶などを展示販売している。

島田猛さんは1956年長崎県生まれ、およそ4年間、アメリカ・カリフォルニア州に遊学、サンフランシスコのカルチャーセンターで「陶芸」を学び、帰国後、独学で陶芸を勉強し、1986年に西葛西陶芸教室を主宰、1990年に陶芸工房「陶心」にて築窯、伝統工芸展で入選(以後11回入選)、日本伝統工芸展で入選、1991年に千葉県展知事賞、2003年に千葉県展八街市長賞、2004年に千葉県美術会員に推挙され、2013年と2015年に陶美展で入選している。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)。

日本橋三越でルーヴル美術「レプリカ」展

【銀座新聞ニュース=2018年5月30日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は5月30日から6月19日まで本館7階「はじまりのカフェ」などで「ルーヴル美術館がやってきた!」を開いている。

日本橋三越で5月30日から6月19日まで開かれる「ルーヴル美術館がやってきた!」で新館1階のエントランスに設置される額縁で、来店客が肖像画になれるフォトフレーム。

国立新美術館で5月30日から9月3日まで開かれる「ルーヴル美術館展」では、ルーヴル美術館の全8部門から選んだ約110点の作品を展示される。これを記念して、日本橋三越ではルーヴル美術館が所蔵する彫刻のレプリカを展示したカフェスペースや、AR拡張現実)によるルーヴル美術館展の代表的な作品が楽しめるワークショップなど、美術館での作品鑑賞とは異なる新しいアートの楽しみ方を体感できるイベントを開く。

新館1階のエントランスでは高さ約3メートルの巨大な額縁を設置し、自分自身が肖像画になれるフォトフレームなど参加型のアートも用意している。

本館2階「カフェウィーン」では「バラのクグロフセット」(紅茶2人前付で、2916円、各日10セット)を提供する。

ルイ16世(Louis16、1754-1793)の王妃だったマリー・アントワネット(Marie Antoinette、1755-1793)が好んだ「クグロフ(kouglof、レーズンをまぜた発酵生地を王冠形の型に入れて焼いたケーキ)」を、マリー・アントワネットが愛したベルサイユ宮殿の庭園にある離宮の一つ「プチトリアノン(le Petit Trianon)」にちなんだバラ色のケーキに仕立ててある。

「カフェウィーン」で提供されるマリー・アントワネットの好物などからイメージした「バラのクグロフセット」。

また、ルーヴル美術館展のオフィシャルサポーターの高橋一生(たかはし・いっせい)さんによる音声ガイドの視聴コーナーも設置する。

ウイキペディアによると、ルーヴル美術館(Musee du Louvre)は、フランス王フィリップ2世(Philippe2、1165-1223)が12世紀に、もともと要塞として建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿)に収容されている。現在の建物にも要塞として使用されていた当時の面影が一部残っているが、幾度となく増改築が繰り返されて、現在のルーヴル宮殿の建物となっている。

フランソワ1世(Francois1、1494-1547)の改築計画以来、歴代フランス王の王宮として使用されていたが、1682年にフランス王ルイ14世(Louis14、1638-1715)が、自身の王宮にベルサイユ宮殿を選び、ルーヴル宮殿の主たる役割は、1692年以来収集されてきた古代彫刻などの王室美術品コレクションの収蔵、展示場所となった。

1692年にはルーヴル宮殿に、フランス学士院碑文・美文アカデミーと王立絵画彫刻アカデミーが収容され、1699年に最初のサロンが開かれている。アカデミーはその後100年にわたって、ルーヴル宮殿に設置されていた。フランス革命下の憲法制定国民議会(1789年7月9日に設立され、1791年9月30日に廃止された)で、ルーヴル宮殿をフランスが保有する優れた美術品を展示する美術館とすることが決定された。

美術館として開館したのは1793年で、このときには王室所有、あるいは教会財産から没収された絵画を中心として、537点の絵画が展示されている。建物の構造上の問題から1796年にいったん閉館され、1801年に再度開館した。

フランス皇帝ナポレオン1世(Napoleon Bonaparte、1769-1821)が、諸国から美術品を収奪したことにより所蔵品が増え、美術館も名前を「ナポレオン美術館 (Musee Napoleon)」と改名した。その後、ワーテルローの戦いの敗戦でナポレオンがフランス皇帝位を追われ、ナポレオン軍が収奪していた美術品の多くが、もとの持ち主たちに返還された。

王政復古でフランス王となったルイ18世(Louis18、1755-1824)、シャルル10世(Charles10、1757-1836)の統治時代、さらにフランス第二帝政時代(1852年から1870年)で、ルーヴル美術館の所蔵品は増え続け、2万点を超える美術品が集められた。その後フランス第三共和政(1870年から1940年)が成立したが、この時代にもルーヴル美術館の所蔵品は、遺贈、寄贈などによって増えた。

2003年に「イスラム美術部門」が創設され、所蔵品が古代エジプト美術部門、古代オリエント美術部門、古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部門、イスラム美術部門、彫刻部門、工芸品部門、絵画部門、素描・版画部門の8部門に分類された。

ルーヴル美術館はフランスの国立美術館で、世界最大級の美術館(博物館)であり、世界最大級の史跡のひとつとされている。パリ中心部1区のセーヌ川の右岸に位置し、収蔵品が38万点以上あり、先史時代から19世紀までのさまざまな美術品3万5000点近くが総面積6万600平方メートルの展示場所で公開されている。世界でもっとも入場者数の多い美術館で、毎年800万人を超える入場者が訪れている。フランスの世界遺産であるパリのセーヌ河岸にも包括登録されている。

2日、9日、10日、16日の13時から17時まで新館1階のショーウインドーで「名画になりきりコスチュームアート」を飾り、本格的なコスチュームを着て絵画の人物になりきれるフォトスポットイベントを開く。

営業時間は10時30分から19時(最終日は18時)まで。