【銀座新聞ニュース=2019年7月31日】国内最大の化粧品メーカーの資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)が運営する「資生堂パーラー銀座本店」(中央区銀座8-8-3、東京銀座資生堂ビル、03-5537-6241、0120-471-004)は8月31日まで「2019夏のGINZAカレーフェア」を開いている。
今回は神戸牛を使ったカレーライスで、「神戸ビーフのプレミアムカレーライス」(5000円、1日限定20食) は神戸牛の中でも調理長が選んだ部位を、資生堂パーラーオリジナルのシチューソースで塊のまま煮込み、 柔らかく作りあげたメニューだ。このほか、4種類のカレーライスを提供している。
ウイキペディアによると、神戸牛は兵庫県で生産された「但馬牛」(黒毛和種)からとれる枝肉が一定の基準を満たした場合に、「但馬牛」の呼称の代わりに用いることができる牛肉のブランド名で、日本3大和牛の1つとされる。神戸牛の証しとして、兵庫県の花であるノジギクを形どった刻印が押されている。
歴史的には、神戸港が1868年に開港され、多くの外国人が入るようになり、農家の作業などに飼育されていた但馬牛を食べた英国人が、その味を絶賛したことが始まりとされている。これがのちに「神戸ビーフ」と呼ばれ、外国へ輸出されたり、全国に流通するようになった。神戸開港と同時に伊藤博文(いとう・ひろぶみ、1841-1909)が兵庫県知事に就任するが、英国留学の経験がある伊藤博文は好んで神戸ビーフを食べた。
現在の神戸ビーフ(神戸肉)は、役畜として飼われてきた小柄な但馬牛が食肉用に改良を重ねられ、肉の断面に霜降り(サシ)と言われるマーブル状に脂肪が入った肉質のものが出来るようになったことにより生まれた。
1980年代には「神戸ビーフ」などの名称が知られるようになったが、明確な基準がなかったため肉質にはバラつきがあり、兵庫県が協賛して1983年に生産、流通、消費の関係団体が集まって「神戸肉流通推進協議会」(事務局:全農兵庫県本部畜産部)を創設し、同協議会により「神戸ビーフ」というブランドが誕生し、定義が明確化された。このとき、牛脂肪交雑基準(BMS)値はNo.7以上とされた。
2001年にBSE問題や産地偽装事件が問題になると、2003年の牛肉トレーサビリティ法施行を前にして、2002年9月にBMS値をNo.6以上に「神戸ビーフ」の基準を下げた。2006年4月1日の規約改定により、450キロ以下だった枝肉重量基準は470キロ以下となり、下限がメスは230キロ、オスは260キロとなった。
2009年に当時のアメリカ大統領のオバマ(Barack Hussein Obama2、1961年生まれ)さんが、訪日を前に「神戸ビーフとマグロが食べたい」との要望を外交筋を通じて行っていた。
兵庫県産(但馬牛)のうち、歩留等級が「A」または「B」等級ならば「但馬牛」など「但馬ビーフ」と呼称される牛肉となり、このうち、以下のすべての基準を満たした牛肉は、神戸ビーフや神戸肉、神戸牛の呼称を用いることもできる。
メスでは未経産牛、オスでは去勢牛で、脂肪交雑のBMS値No.6以上、枝肉重量がメスでは230キロから470キロ、オスでは260キロから470キロ、瑕疵(かし)の表示がある枝肉は、神戸肉流通推進協議会の委嘱会員の判定に依存する。こうした「神戸ビーフ」の基準を満たしている牛肉は、神戸ビーフと但馬牛のいずれかの銘柄名を任意に選んで出荷することができる。
ほかに、「和歌山県産“紀州うめどり”のブレゼと夏野菜のスープカレー」(2900円)は鶏肉本来のうま味、 適度な弾力と柔らかさが特徴の紀州うめどりをカレー風味のブイヨンで煮込んでいる。鶏肉はくずれる食べやすさで、香り高いスパイスを感じるカレースープという。
「オマールエビとホタテ貝のカレー サフランライスを添えて」(4900円)は軽くソテーすることで香りと甘みを引き立たせたオマールエビとホタテ貝に、 甲殻類のうまみとココナッツの香るカレーソースを合わせ、魚介と相性のいいサフランライスを使用している。
「黒毛和牛三枚肉プレミアムカレーライス」(5000円)はきめ細かいさしの入った霜降りの黒毛和牛の3枚肉のなかでも特別柔らかい部位を選び、 エスパニョールソースでじっくり煮込んだ。柔らかい牛肉と、たまねぎを加え、甘みを感じるカレーソースと組み合わせている。
「低糖質版 アグー豚と夏野菜のキーマカレー」(3200円、糖質量38グラム)は昭和の時代から文化人に人気だったスパイシーな秘伝のカレーソースと低糖質カレーソースをブレンドし、 まろやかでコクのあるキーマカレーに仕上げた。粗く2度挽きしたアグー豚のロース肉、糖質量を抑えるためにカリフラワーの茎を混ぜたご飯と、カレーソースとの相性もいいという。
カレーライスはインド料理を元に英国で生み出され、それに日本でアレンジが加えられたとされている。インドのカレーより、とろみが強く、英国海軍のメニューに採用されたとき、船の揺れに対応するためという説や、ソースを重視するフランス料理の手法を取り入れたとの説がある。
日本に初めてカレーライスの調理法を紹介したのは、1872年に出版された「西洋料理指南」で、食材として「ネギ、ショウガ、ニンニク、バター、エビ、タイ、カキ、鶏、アカガエル、小麦粉、カレー粉」を挙げている。同書にはインドのチャツネも掲載されているが、カレーとは結び付けられていないという。
また、同年に出された「西洋料理通」では「牛肉、鶏肉、ネギ、リンゴ、小麦粉、ユズ、カレー粉」を挙げている。しかし、カエル肉を使ったレシピは普及せず、ネギ(長ネギ)も大正時代にほぼタマネギに替わられた。大正時代後期(1923年の関東大震災後)には、そば屋がカレー南蛮やカレー丼のような和洋折衷料理を出すようになり、国産の安価なカレー粉が登場したことで、このころに現在の日本のカレーライスの原型が完成したと考えられている。
1873年に陸軍(幼年生徒隊)食堂の昼食メニューにライスカレーが加えられ、1876年に札幌農学校(現北海道大学)の教頭だったウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826-1886)が「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定めた。
1877年に東京の洋食食堂「風月堂」が初めて日本でライスカレーをメニューに載せた。1908年に帝国海軍が配布した「海軍割烹術参考書」に「カレイライス」のレシピが載せられた。その後、新宿中村屋や資生堂パーラーや阪急百貨店などでカレーライスが発売されたが、1941年から1945年まで食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造販売が禁止され、陸軍ではライスカレーのことを「辛味入汁掛飯」と言い換えた。1946年にカレー粉の製造販売が再開され、カレーメーカーは宣伝カーを使用して主婦へカレーのレシピを教えるなど、一般家庭への普及に努めた。
現在、日本の家庭ではカレー粉、小麦粉、油脂、うま味成分などを固形化した「インスタント・カレールウ」を使って調理することが多い。1926年にハウス食品(当時は浦上商店)が「ホームカレー粉」の商品名で初めて発売し、固形製品は1954年にエスビー食品が初めて発売した。また、カレーの具としてジャガイモ、ニンジン、タマネギが不可欠となっている。
農林水産省総合食料局食品産業振興課によると、2008年度のカレー粉の生産量(同年度で調査終了)が8406トン(前年度比10.1%減)、金額が71億円(同2.0%減)、カレールゥの生産量が10万5164トン(同1.6%増)、金額が860億円(同4.0%増)となっている。とくにカレールゥの生産金額は2000年度の856億円から2006年度まで減少を続けていたが、2007年度に増加に転じている。日本経済新聞によるとカレールゥのシェアはハウス食品が約61%、エスビー食品が約28%、江崎グリコが約10%と推計され、ほぼ3社による寡占市場となっている。
また、日本海軍では土曜日の昼食はカレーライスと決められていたが、これは海上自衛隊にも引き継がれている(週休2日制からは金曜日に変更)。長期航海中に曜日の感覚を取り戻すためだとも、休日前に食料庫の整理をするためともいわれている。また、陸上自衛隊では各部隊ごとに独自のレシピによるカレーがあり、催事などで一般の見学者に振舞われている。
資生堂パーラーのカレーソースは3日かけて作られている。ラードで玉ねぎ、にんにく、しょうがをゆっくり揚げ、香りが移ったら、小麦粉とカレー粉を合わせて炒め、オーブンへ入れて1時間焼き、焼き色がついて深みのあるとび色になると、鶏ガラ、香味野菜、ブイヨンを加えて煮込み、ていねいにこして、まろやかでコクがあるカレーソースが出来上がるという。ごはんは銀製のアントレディッシュに、カレーソースはソースポットで提供される。
営業時間は11時30分から21時30分。ほかにサービス料が10%かかる。月曜日が休み(祝日は営業)。銀座本店(レストラン)は9月1日から10月31日まで改装のため休業する予定。