マルハニチロ調べ、回転寿司9.5皿、サーモンが1位、平均1514円に

【銀座新聞ニュース=2020年3月31日】国内の食品業界第5位のマルハニチロホールディングス(江東区豊洲3-2-20、豊洲フロントビル)傘下のマルハニチロ(江東区豊洲3-2-20、豊洲フロントビル、03-6833-0826)はこのほど、「回転寿司に関する消費者実態調査2020」を発表した。

コロワイドグループのカッパクリエイトが運営する「かっぱ寿司新小岩ルミエール店」(葛飾区新小岩1-49-1、松富ビル、03-5879-2172)などで4月5日まで「200キロ級本鮪大とろ」(1貫税別180円)と「200キロ級本鮪大とろ炙り 山わさびのせ」(同)を提供している。

調査はマルハニチロホールディングスがネットエイジア(中央区晴海1-8-10、晴海アイランドトリトンスクエアオフィスタワーX、03-3531-1411)の協力によって、3月3日から9日まで、全国の15歳から59歳の男女で、月に1回以上回転寿司店を利用する人に対しネットで実施し、有効回答数を3000人(男女1500人ずつ)にしている。今回が10回目になる。ただし、2012年から2018年までは関東(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、栃木県、茨城県、群馬県)と関西(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、滋賀県)を対象にしていた。

それによると、事前調査(1万3595人)の段階では、「回転寿司店」で寿司を食べる人が77.4%(2019年76.5%、2018年76.3%、2017年74.4%、2016年81.8%、2015年81.9%、2014年84.1%)と2017年から4年連続で80%を割り、回転寿司店を月1回以上利用する割合(テイクアウトを含めない、1万525人対象)も36.0%(36.0%、37.0%、35.2%、39.1%、38.8%、41.3%)と2015年から6年連続で40%を割っている。

回転寿司店利用者の男女別では男性が38.1%(36.6%、38.2%、37.4%、44.1%、42.1%、44.8%)、女性が34.3%(35.5%、36.1%、33.0%、35.4%、36.3%、37.8%)と男女とも減少傾向にある。

本調査(3000人)の結果では、回転寿司店を選ぶ際の重視している点については、1位の「値段が安い」が46.0%(45.7%、51.7%、44.4%、35.9%)で2年連続で1位、「ネタが新鮮」が37.4%(41.2%、48.0%、43.3%、41.7%、37.0%)、3位が「ネタの種類が豊富」が31.9%(33.9、39.2%、37.9%、35.6%、29.9%)、4位が「タッチパネルで注文できる」が31.6%(31.3%、33.0%、37.1%)、5位が「店内に清潔感がある」で29.3%(31.0%、その前は不明)と前年の6位から上がった(2019年「駐車場がある」が29.8%で5位)。

100円均一などの「格安均一価格店」と、皿によって値段が異なる店のどちらを多く利用しているについては、「格安均一価格店(「格安均一価格店が多い」と「どちらかといえば格安均一価格店が多い」の合計)」が68.2%(68.4%、70.5%、70.7%、74.4%、75.6%、77.6%)と2年連続で7割を割り、2014年の調査以降、毎年下降している。

事前の予約については、予約派が48.0%(2019年44.2%、2018年まではない)、予約なし派が51.9%(55.8%)だった。

回転寿司店で食べる皿数(寿司以外は除く)は5皿から9皿が43.5%(2019年45.4%、2018年43.6%)、10皿から14皿が38.7%(38.8%、39.9%)で、平均は9.5皿(9.3皿、9.5皿、9.5皿、9.1皿、9.9皿)だった。男性が平均11.1皿(11.0皿、11.1皿、10.9皿、10.6皿、11.1皿)、女性が平均7.9皿(7.7皿、7.9皿、8.0皿、7.6皿、8.6皿)だった。

回転寿司店の支払額については1人あたりで「1000円から2000円未満」が60.8%(61.5%、2.1%、61.1%)で、平均は1514円(2019年1492円、2018年1542円、2017年1519円、2016年1515円)と2年ぶりに1500円を超えた。男女別に平均をみると、男性は1711円(1671円、1723円、1697円、1689円)、女性は1317円(1314円、1361円、1342円、1341円)だった。

回転寿司での「注文派」が73.8%(73.9%、70.9%、61.6%、71.4%、63.3%、60.1%)、「流れているネタ派」が26.3%(26.1%、29.1%、38.4%、28.6%、36.7%、39.9%)と「注文派」が3年連続で7割を占めた。

よく食べているネタとして「サーモン」が47.3%(44.1%、46.1%、46.3%、51.8%、44.0%、40.6%)で、2012年から9年連続して1位で、2位は「マグロ(赤身)」で33.5%(28.8%、34.2%、34.2%、39.5%、22.9%、23.1%)、3位が「マグロ(中トロ)」で29.8%(25.3%、30.2%、30.1%、33.3%、20.7%、18.7%)、4位が「ハマチ、ブリ」で28.3%(25.1%、30.6%、30.2%、34.6%、23.3%、22.9%)、5位が「エビ」で27.9%(24.0%、25.7%、2017年6位以下で不明)だった。

回転寿司で最初に食べるネタは1位が「サーモン」の20.9%(21.7%、18.9%、20.8%、23.1%、23.6%、20.5%)、2位が「マグロ(赤身)」の11.7%(12.1%、11.5%、11.4%、11.8%、11.3%、11.5%)、3位が「マグロ(中トロ)」の7.5%(6.1%、7.5%、7.0%、2016年は4位以下で数値なし)、4位が「ハマチ・ブリ」の6.0%(5.8%、6.8%、5.6%)、5位が「エビ」の4.8%(2019年の5位は「えんがわ」で4.5%)と「よく食べているネタ」と同じだった。

最後(シメ)に食べるネタは「サーモン」が11.8%(10.5%、10.5%、10.8%、11.8%、13.0%、12.0%)が1位で、2位が「鉄火巻き」の4.7%(2019年は3.8%で6位)、3位が「マグロ(赤身)」の4.6%(2019年は4.3%で4位)、4位が「マグロ(中トロ)」の4.5%(2019年は4.6%で3位)、5位が「玉子」の4.2%(2019年は「玉子」が4.7%で2位)だった。

食べたいのにガマンするネタについては1位が「マグロ(大トロ)」の22.0%(22.6%、27.3%、27.3%、22.0%、39.0%、44.4%)だが、2016年から5年続けて「マグロ(大トロ)」をガマンする比率が30%を割っている。2位に「ウニ」が9.6%(9.7%、9.5%、10.0%、9.6%、17.3%、16.5%)と前年から2年連続で2位だった。

3位が「マグロ(中トロ)」の9.2%(9.1%、10.7%、11.1%、10.3%、18.4%、18.2%)と2年連続の3位で、同じく2019年から10%を割っている。4位が「アワビ」の5.7%(6.1%、8.3%、8.6%、7.2%、14.4%、17.8%)、5位が前年に6位だった「イクラ」の4.9%(前年は「ウナギ」が4.5%で5位)と再び5位に上がった。

回転寿司で高級ネタで手が出ない値段については1皿「500円から600円未満」が28.2%(27.7%、26.6%、31.9%)、「300円から400円未満」が24.5%(24.9%、23.5%、不明)、平均価格で538円(534円、524円、816円)だった。

また、回転寿司のフェア・キャンペーンと定番メニューの比率を聞いたところ、「定番メニュー」が71.4%(74.8%、73.3%)、フェアメニューが28.6%(25.2%、26.7%)だった。

回転寿司店について「ひとり回転寿司」があるかないかを聞いたところ、「行ったことがある」が35.3%(32.8%、37.9%、38.3%)、男女別にみると、男性が48.4%(45.9%、53.4%、53.4%)、女性が22.3%(19.8%、22.4%、23.2%)だった。「デートで回転寿司に行ったことがあるか」については、「ある」が49.8%(50.1%、55.4%、54.0%)だった。

回転寿司デートでかかるお金はいくらくらいなのか、デートで回転寿司に行ったことがある人(1495人)に、2人分でいくらくらい支払ったか聞いたところ、「3000円から4000円未満」が33.3%がもっとも多く、平均額は3790円だった。

回転寿司店をデートで利用する際に、相手に良くない印象を抱かせてしまう「パートナーにこれだけはやって欲しくない」と思うものを聞いたところ、1位は「香の強い香水をつけて入店する」が40.0%(48.2%、42.4%、39.6%、58.6%)が2年連続で1位だった。2位が「他の席の人が注文したお皿を取る」の39.8%(45.0%、41.3%、38.8%、57.5%)で、前年の5位から上がった。

3位が「ネタだけ食べてご飯(シャリ)を残す」の39.3%(45.3%、44.3%、40.0%、53.2%)で2018年の1位の後、2年連続で3位だった。4位が「間違えて取ってしまったお皿を戻す」の39.0%で初めて4位、5位が「入店前の待ち時間に機嫌が悪くなる」の38.8%(45.2%、2018年は6位以下)で前年の4位から下がった。

「めり乃銀座店」などでラムしゃぶしゃぶを500円引きに

【銀座新聞ニュース=2020年3月31日】ラム肉と牛タンの専門店「めり乃」など92店舗を展開するTBIホールディングス(新宿区新宿2-16-6、新宿イーストスクエアビル、03-3226-4821)傘下のTBI JAPAN(同上)は4月1日から「めり乃 銀座店」(中央区銀座4-2-12、銀座クリスタルビル、050-5269-7229)などでラムしゃぶしゃぶの料金を500円引き下げる。

「めり乃 銀座店」などで提供しているラムしゃぶしゃぶの料金を4月1日から500円引き下げる。

「ラムしゃぶ食べ放題」(ソフトドリンク飲み放題付)コースが3480円(税別)から2980円に、「ラムしゃぶ+タンしゃぶ食べ放題」(同)コースが4480円から3980円に引き下げて提供する。

2017年9月8日に「めり乃 秋葉原本店」(千代田区神田佐久間町2-11)をオープンして以来、全4店の総来客数が20万人を超え、羊肉の使用量も100トンを超えたことから、感謝の気持ちを込めて500円引き下げる。

「めり乃」はほかに、「新宿店」(新宿区歌舞伎町1-6-3)、「横浜店」(横浜市西区北幸1-1-2)がある。

TBIホールディングスは2003年10月に資本金500万円で、「有限会社ボージャン・インターナショナル(THE BHOJAN INTERNATIONAL)」として設立され(2006年7月に株式会社TBI、2016年4月にTBIホールディングスに商号変更)、2009年12月に飲食事業の運営管理を目的として、子会社の「TBI フーズ(FOODS)=現TBI JAPAN)」を設立し、2017年6月にTOBによりホリイフードサービス(ジャスダック上場)の過半数の株式を取得している。

現在、「めり乃」のほか、「ビー・ハウス(BEE HOUSE)」や「チーズ・スクエア(CHEESE SQUARE)」、「磯っこ商店」など90店舗以上を展開している。

営業時間は15時(土・日曜日、祝日11時)から23時。年中無休。ほかにお通し代として320円かかる。

志門で手漉き紙に描く、猪爪彦一、山内慶子ら14人

【銀座新聞ニュース=2020年3月30日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル、03-3541-2511)は3月30日から4月4日まで「手漉きARTの魅力展2」を開いている。

ギャルリー志門で3月30日から4月4日まで開かれる「手漉きアート(ART)の魅力展2」のフライヤー。

「手漉き紙(てすきし)」は日本の和紙をはじめ、中国、韓国、ヨーロッパ、タイ、ネパールなど世界中に独自の原料を使った手漉きの紙が存在する。画家の浅野庚一(あさの・こういち)さんらが独自に選んだ「手漉き紙」を使って描いた作品を展示している。

今回、出品しているのは、浅野庚一さんのほか、猪爪彦一(いのつめ・ひこいち)さん、居森幸子(いもり・さちこ)さん、右近多恵子(うこん・たえこ)さん、紀井学(きい・まなぶ)さん、桟敷一寿美(さじき・いずみ)さん、霜田文子(しもだ・ふみこ)さん。

杉山英子(すぎやま・えいこ)さん、中島史子(なかじま・ふみこ)さん、服部朋子(はっとり・ともこ)さん、フジモトアキコさん、増田勝彦(ますだ・かつひこ)さん、三木祥子(みき・しょうこ)さん、山内慶子(やまうち・けいこ)さんの14人。

株式会社紙舘島勇によると、手漉き和紙の作り方は、まずは紙の原料である繊維質を含んだ植物の「楮(こうぞ)」や「三椏(みつまた)」を煮て、紙漉きに必要な繊維質だけを取り出す。これを「煮熟(しゃじゅく)」という。

繊維質をさらに細かくほぐし、O字型をしたプールに水と煮熟した原料を混ぜ、かくはんしていく。原料が水に対し5%から3%になるまで叩解(こうかい)し、叩解した原料は、一度脱水する。その後、再度水に溶かし、「とろろあおい(黄蜀葵)」を混ぜる。

とろろあおいは葵科の植物で、黄色い大型の花をつけ、晩夏に咲く植物で、このとろろあおいの根を使う。とろろあおいを混ぜた溶液を「船」(木枠とすだれからできている)と呼ばれる、独特の形をしたものに流し込み「紙を漉く」という作業を行う。

昔は船の下にある溶液槽へ船を沈め、船を持ち上げることで溶液から紙の素をこして紙をすいた。和紙のサイズが全判(約138センチx70センチ)のように大きな紙になると、均等の厚みで漉くことが難しくなる。船が少しでも傾くと溶液が偏り、1枚の紙で左と右で厚みが違うこともでてきてしまう。

現在では、船を固定して、上から溶液を流し込み、溶液が船に均一に流れ込むよう工夫されているため、熟練の技を要することがなく、製品として完成する。流し込まれた溶液は船の上で水分と原料に漉し分けられ、すだれに紙の素が残る。

1枚の紙が均一に漉くことができる機械に手作業で水を流し込む。足元に溶液を流し込む口を開けるスイッチがあって、踏んでいる間、口が開いている。すだれに漉し残った紙の素を1枚ずつ重ねるが、この時点の紙の素は、豆腐のような感じで、とろろあおいによって結びついているにすぎない。

熟練の漉き手は1日に3000枚から4000枚漉くが、1日中立ち仕事のうえ、集中力が必要となり、しかも水は冷水を使う。すだれで漉すために、紙自体に簾目(すのめ、すだれの跡)が透かしのように残り、この簾目が手漉き和紙の象徴となっている。

豆腐状の紙の素は一晩中、放置して水抜きをする。さらに圧さく機で脱水した後、天日で乾燥させ、固い板状になるまで10日間ほど放置する。乾燥の目的は1枚ずつの紙の中で、繊維同士の結びつきを強くするためで、漉きあがった状態で乾燥させると、繊維の結びつきが弱く、破れやすくなってしまう。

固く乾燥した紙の素は、1枚1枚はがせるようになるまで水に浸すが、浸しすぎると、はがす時に破れ、水が足りないとはがれなくなる。ひとつの塊から4000枚近くをはがして、乾かす。

タテ2メートル、ヨコ4メートルほどの鉄板をバーナーで熱し、そこに紙の素の塊から1枚ずつはがしながら貼り付けていく。こうしてでき上がった和紙は、1枚1枚品質を確認し、製品ごとに裁断される。裁断は、人力で行なっていたが、今は機械で行う。

コトバンクによると、植物の繊維をおもな原料として、手づくりで紙を作る技術は,日本以外でも、中国、韓国、台湾、インド、ネパール、ブータン、タイなどのアジアやイタリア、フランス、英国などのヨーロッパ、近年、新しい手づくり運動の一環として紙漉きが盛んなアメリカなどで行われている。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。

丸善日本橋で長縄真児「スペイン」展、独自の色彩で

【銀座新聞ニュース=2020年3月29日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は4月1日から7日まで3階ギャラリーで「スペインからの贈りもの-長縄真児絵画展」を開く。

丸善・日本橋店で4月1日から7日まで開かれる「スペインからの贈りもの-長縄真児絵画展」に出品される「花」(油彩画)。

スペイン南部のアンダルシア州マラガ近郊のアロラ市におよそ40年在住する画家の長縄真児(ながなわ・しんじ)さんが「スペインからの贈りもの」と題して、約40点を展示する。
丸善・日本橋店では長縄真児さんの「色彩の世界」を見てほしいとしている。

長縄真児さんは1949年愛知県名古屋市生まれ、1963年に草兆会絵画研究所に所属、1967年に愛知県立旭丘高校美術科を卒業、1972年に「YAG(ヤング・アーティスト・グループ、Young Artist Group)会」に入会(1996年に退会)、1976年に「水彩協会」新人賞、会員推挙、1978年にフランス・パリにわたり、パリに滞在、1979年にパリの「サロン・ド・ジュンヌピント-レ」に選抜出品し、1980年にスペインに移り、1983年に「水彩協会賞」、協会委員に推挙された(1999年退会)。

その後、名古屋市や横浜市で個展を開き、2005年に名古屋松坂屋本店で個展、2008年にスペイン・マラガの第19回セルタメン・デ・ピントゥーラ・コンクール展で第1席、2011年に銀座柳画廊で個展、2012年にマラガのアルティスタ・インデペンディエンテ会創立の第1回展に出品、現在、スペイン・アロラで制作している。

4月1日から5日まで長縄真児さんが来日して、来場する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

注:「長縄真児」の「真」は正しくは旧漢字、「児」は正しくは旧字体です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

永谷商事が神田あおいと隅田川下り、浜離宮、汐留巡り

【銀座新聞ニュース=2020年3月28日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は4月3日に神田あおいさんによる「講釈師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

4月3日に開かれる「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「隅田川水上バス-桜満喫コース(浅草-浜離宮)」を案内する神田あおいさん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回り、その後、寄席で講談を鑑賞する。

今回は真打の講談師、神田(かんだ)あおいさんと一緒に「隅田川水上バス-桜満喫コース(浅草-浜離宮)」と題して、水上バスを使って隅田川ライン下りの後、浜離宮恩賜庭園を案内し、その後、「汐留シオサイト」を散歩して、お江戸日本橋亭に移り、昼食後に「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。

コースは東京メトロ銀座線「浅草駅」に集合して、浅草吾妻橋乗船場(台東区花川戸1-1-1)から東京都観光汽船(とうきょうみやこかんこうきせん)の水上バスに乗って「隅田川十二橋巡り」を経て、「東京都立浜離宮恩賜庭園」(中央区浜離宮庭園1-1、03-3541-0200)を歩き、「汐留シオサイト」(港区東新橋1-5)を散歩してからお江戸日本橋亭に移る。

「隅田川十二橋巡り」とは吾妻橋(あづまばし)、駒形橋(こまがたばし)、厩橋(うまやばし)、蔵前橋(くらまえばし)、両国橋(りょうごくばし)、新大橋(しんおおはし)、清洲橋(きよすばし)、墨田川大橋(すみだがわおおはし)、永代橋(えいたいばし)、中央大橋(ちゅうおうおおはし)、佃大橋(つくだおおはし)、勝どき橋(かちどきばし)の12橋を下ることをいう。

ウイキペディアによると、吾妻橋は1774年に架けられた橋で、それまでは「竹町の渡し」という渡し舟があった。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうちの最後の橋で、1786年の大洪水で永代橋、新大橋が流され、両国橋も大きな被害を受けたが、吾妻橋だけ無傷だった。初めは「大川橋」と呼ばれていたが、明治になって1876年に「吾妻橋」という名称が決まった。現在の橋は1931年に架け替えられた。

駒形橋はかつて「駒形の渡し」があった場所に関東大震災(1923年)後の1927年に架けられた橋で、橋の名は、橋の西にある「駒形堂」から付けられた。

厩橋は江戸時代の元禄期(1688年から1703年まで)から「御厩(おうまや)の渡し」とされた場所に、1874年に架けられた橋で、橋の名は「御厩河岸」という浅草蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があったことから付けられた。1872年に花見客を乗せた渡し舟が転覆(てんぷく)した事故が起こり、橋が架けられ、1929年に現在の橋が完成した。

蔵前橋はかつて「富士見の渡し」の渡船場があった場所に、1927年に架けられた。名称は「蔵前通り」から付けられている。橋全体が黄色に塗装されており、1954年から1984年まで蔵前国技館があったため、高欄には力士などのレリーフが施されている。

両国橋は1659年から1661年ころに架けられた橋で、千住大橋(せんじゅうおおはし)に続く隅田川2番目の橋とされている。当初は「大橋」と名づけられたが、武蔵国と下総国(しもふさのくに)の2国を結ぶことから俗に「両国橋」と呼ばれ、1693年に「新大橋」が完成すると、正式に「両国橋」とされた。

江戸幕府は隅田川には千住大橋しか認めていなかったが、1657年の明暦の大火により、橋がなく逃げ場を失った人が亡くなり、その数は10万人とされた。このため、両国橋が架けられた。その後、何回か架け直され、今の橋は1932年に震災復興事業として架けられた。橋の途中に円形のバルコニーがあり、土俵になっていて俵も回してある。高欄の柱や車道・歩道の分離柵にも行司の軍配をデザインしている。

新大橋は元禄時代の1693年に架けられた隅田川3番目の橋で、松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644-1694)がこの橋のことを俳句に詠んでいる。新大橋は破損、流出、焼落などにより20回以上も架け替えられ、享保年間(1716年から1735年)には幕府が廃橋を決めたが、町民衆の嘆願により、諸経費を町方がすべて負担することを条件に1744年に存続が許された。

橋の中央近くに江戸時代、明治時代の新大橋のレリーフと橋のいわれが記された銅板がはめこまれている。この橋は、関東大震災や1944年から1945年にかけての東京大空襲の際にも、隅田川に架かる5大橋(永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋、千住橋)の中で、唯一被災しなかった橋で、「人助け橋」ともいわれている。現在の橋は1977年に完成している。

清洲橋はかつて「中州の渡し」という渡船場があった場所に、震災復興事業として永代橋とともに計画され、1927年に深川の清澄町と日本橋の中洲町を結ぶ橋として建設され、名称は公募した上で両方の町名から採られた。建設当時、「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるように設計され、そのモデルはドイツのケルン市にあった大吊り橋を基にしている。

墨田川大橋は首都高速道路の建設にあわせて1979年に架けられた橋で、隅田川では唯一の2層式構造となっている。

永代橋はかつて「深川の渡し」のあった場所に1698年に江戸幕府5代将軍徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646-1709)の50歳を祝って建設された隅田川4番目の橋だ。新大橋と同様、幕府は1719年に永代橋の廃橋を決めるも、町民衆の嘆願により、諸経費を町方がすべて負担することを条件に存続を許された。

しかし、1807年に深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、落橋事故を起こし、1500人以上が落下で亡くなった。1897年に鉄橋が架けられたが、道路橋として日本では初めてだった。関東大震災で被災し、1926年に現在の橋が再架橋された。

中央大橋は1993年に完成した斜張橋で、隅田川がフランスのセーヌ川と1989年に「友好河川」を提携したことから、設計をフランスのデザイン会社に依頼、主塔および欄干部分に日本の「カブト」を意識した意匠が施されている。

また、上流側の中央橋脚部には当時のパリ市長から東京都に友好の印として贈られ、ベラルーシ・ビテプスク生まれの彫刻家、オシップ・ザッキン(Ossip Zadkine、1890-1967)の「メッセンジャー」と名づけられた彫像が座している。夕刻から22時まで白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされる。その特徴的な橋の形は遠くからでも見分けられる。

佃大橋は江戸時代から320年以上も続いた隅田川最後の渡船場「佃の渡し」があった場所に架けられた橋で、1964年に完成した。1964年の東京オリンピック開催に備えた橋として、戦後初めて隅田川に架橋された。当時、佃島と月島を隔てていた佃川はこのために埋め立てられ、島であった佃島は地続きとなり、同時に佃川に架かっていた佃橋は廃橋となった。

勝どき橋は1905年に「日露戦争」における旅順陥落祝勝記念として「勝どきの渡し」が設置され、1929年に「東京港修築計画」に伴って、架橋計画が策定され、1940年に迎える「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定だった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画により、日本の技術力を世界に誇示するため、アメリカ・シカゴにある跳ね橋をモデルにし、すべて日本人の手で設計施工された。

日本万博は中止されたが、勝どき橋は1940年に完成された。建設当時は隅田川を航行する船舶が多かったため、3000トン級の船舶が航行できるよう、可動橋として設計され、跳開(ちょうかい)により大型船舶の通航を可能とした。完成当時は「東洋一の可動橋」といわれたが、その後、隅田川を航行する船舶が減少し、1970年11月29日の開閉を最後に「開かずの橋」となっている。

また、当初から路面電車用のレールが敷設され、1947年から1968年まで橋上を都電杉並線が通行した。橋の名称は「勝どきの渡し」からつけられ、「勝どきの渡し」は1940年に廃止された。2007年6月に都道府県の道路橋として初めて清洲橋、勝どき橋、永代橋が国の重要文化財(建造物)に指定されている。

「東京都立浜離宮恩賜庭園」は江戸時代の当初、将軍家の鷹狩の場であったが、1654年に甲府藩主で、徳川家光(とくがわ・いえみつ、1623-1651)の3男、徳川綱重(とくがわ・つなしげ、1644-1678)がこの地を拝領(はいりょう)し、埋め立てて別邸を立てた。

その後は甲府藩の下屋敷として使用され、徳川綱重の子である徳川家宣(とくがわ・いえのぶ、1662-1712)が6代将軍になると、将軍家の別邸とされ、「浜御殿」と呼ばれ、大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。幕末には外国人接待所として石造洋館である「延遼館(幕府海軍伝習とん所)」が建設された。

明治維新後も「延遼館」は鹿鳴館(ろくめいかん、現大和生命ビルの地)が1883年に完成するまでは迎賓館として使用され、明治に宮内省の管轄となり、名前も「浜離宮」と改められ、1945年に東京都に下賜され、1946年に都立庭園として開園され、1952年に旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定された。

汐留シオサイトのある汐留地区は江戸時代以前は海辺の湿地帯だったが、江戸幕府の開幕後に徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)が発令し、3代将軍徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604-1651)の代に至るまで続いた「天下普請」(諸大名の財力を用いた、奉仕による城下町建設事業)により汐留の埋立地が完成した。その結果、汐留は周辺の新橋、銀座、築地などと並び、大名屋敷を有する武家屋敷街となった。

その後、明治政府によって屋敷は接収され、1872年に日本初の鉄道が横浜との間に開設された際、起点となる新橋駅がこの汐留に建設され、東京の玄関となった。しかし、1914年に東京駅が完成し、東海道本線の起点が東京駅に変更されると、元の新橋駅は「汐留貨物駅」に改称され、貨物専用駅となり、その後の汐留は、小運送店の集まる貨物ターミナルとされた。

やがてトラック輸送の増加やそれに伴う鉄道貨物輸送の変化などにより、1986年に「汐留駅」は「東京貨物ターミナル駅」に機能を譲る形で廃止された。その後、31ヘクタールにも及ぶ駅跡地が日本国有鉄道清算事業団の保有する広大な空き地のまま残っていたが、1995年になって東京都の都市基盤整備と民間のプロジェクトにより都市再開発が始まった。

2002年に再開発地区としての区画整理が終了し、汐留シオサイトという愛称がつき、都営地下鉄大江戸線とゆりかもめの「汐留駅」が開業した。2003年から2008年にかけて13棟の超高層オフィスビルと4つのホテルや数多くのレストラン、ショップなどが地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市として生まれ変わった。2011年12月22日に国から国際戦略総合特区の一つである東京都提案の「アジアヘッドクオーター特区区域」に指定された。

神田あおいさんは埼玉県岩槻市(現さいたま市)生まれ、18歳から演劇集団円研究所、月蝕歌劇団演劇に携わり、2002年に神田(かんだ)すみれさんに入門、2003年に前座「あやめ」で初高座、2008年に「二ツ目」に昇進、「あおい」に改名、2016年4月に真打に昇進している。

時間は9時15分に東京メトロ銀座線「浅草駅」に集合して、昼ころにお江戸日本橋亭に移り、神田あおいさんらの寄席を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円。水上バス代(1040円)、浜離宮庭園(入園料は一般300円、65歳以上150円)などは自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

13時30分からの日本橋お江戸寄席は前座の昔昔亭全太郎(せきせきてい・ぜんたろう)さん、二ツ目の春風亭昇々(しゅんぷうてい・しょうしょう)さん、神田あおいさん、真打の滝川鯉昇(たきがわ・りしょう)さん、青木イサム(あおき・いさむ)さんと服部健治(はっとり・けんじ)さんの「コント青年団」、真打の昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さんが出演する予定だ。

注:「滝川鯉昇」の「滝」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。