俳優の不倫許せないね、でも五輪工事すごい、渋滞がないよ(297)

【tamaoのOL独り言=2020年1月31日】暖かい冬ですね。暖かいと助かりますね。今年はオリンピックに関係ないけど、いろいろとオリンピックに備えて準備が必要なので、7月まであっという間なんだろうなぁ。あぁ、恐ろしい。なんか、忘れてしまいそう。いや、絶対、何か大切なことを忘れて、大変なことをしでかしてしまいそう。

わが家の冬の風物詩、シャコサボテン。今年もそろそろ咲き始めました。

最近の「しでかした」といえば、あの俳優夫婦の話、ひどいよね。でも、ちょっと考えてみたら、あの職業って一般人では考えられない誘惑に囲まれた世界で、その誘惑を作り出せちゃうからこそ、あの世界で生きていけるわけだよね。

本当に一般人には理解できないけど、奥さまも女優なわけなんで、ある意味、理解していたんだろうけど、まったくひどい話だ。奥さまにはいろいろな選択があると思う。短期的なことではなく、人生長いのだから、いい選択をしてもらいたいね。もちろん、私は奥さまの応援者です。応援者といっても何をするわけではありませんが。

ところで、会社の仕事で首都高を走ったんだけど、2つ気がついたことがあった。1つはオリンピックを控えて、すっごくいろんなところで工事が進んでいること。本当にオリンピックなんだなー、もうすぐなんだなーと実感した。

とはいえNHK大河ドラマ「いだてん」で1964年のオリンピックでは工事が凄かったと描かれていて、その当時と比べたら全然比べものにならないかもしれないけど。だって、1964年のオリンピックの時、新幹線と首都高がほぼ同時にできたんだって!

新幹線はオリンピック(10月10日に開会式)の7日前に開通したとか。いやー、考えられないね。7月には今やっている工事は完成するんだろうけど、新しい道がどんどんできていてナビも狂いますね。

それと2つ目はその割に道路が混んでいないのよね。渋滞対策しているからなのかな?そういえばタクシーの運転手さんが全然道路が混んでないっていったらしい。その昔はタクシーの運転手さんに景況感を聞くということで官庁の会議に呼ばれていたかと思う。今はどうなのかな?

でも、景気良くなってるはずないよね。消費税増税したもん。軽減税率とかいってるけど、あんまり効果は感じられないし。あえて、その話題、出てきてないけど。

そのかわり、車が走ってないということでは、空気が澄んで、冬だし富士山がよく見えるはず。景気と富士山まったく関係ありませんけど。オリンピックまでに消費も上向けばいいね!(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)

東宝「ヲタクに恋」、高畑充希、山崎賢人ら初日挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月31日】阪急阪神東宝グループで、国内映画業界首位の東宝(千代田区有楽町1-2-2、03-3591-1221)は2月7日からTOHOシネマズ日比谷(千代田区有楽町1-1-3、050-6868-5068)で一般公開する「ヲタクに恋は難しい」の初日に高畑充希さん、山崎賢人さんらによる舞台あいさつを開く。

2月7日から一般公開する「ヲタクに恋は難しい」((C)2020映画「ヲタクに恋は難しい」製作委員会(C)ふじた/一迅社)。

7日16時15分の回上映終了後に、監督の福田雄一(ふくだ・ゆういち)さんをはじめ、主人公の26歳のOL「桃瀬成海」役の高畑充希(たかはた・みつき)さん、桃瀬成海が中途入社してきた会社の社員で、桃瀬成海の恋人になる「二藤宏嵩」役の山崎賢人(やまざき・けんと)さん。

桃瀬成海と二藤宏嵩の同僚「小柳花子」役の菜々緒(ななお)さん、二藤宏嵩らの上司で、小柳花子の彼氏「樺倉太郎」役の斎藤工(さいとう・たくみ)さんが舞台に登場してあいさつする。

「ヲタクに恋は難しい」はイラストやマンガなどの投稿・閲覧ができるソーシャル・ネットワーキング・サービス「ピクシブ(pixiv)」から誕生した、ふじたさんが描いているマンガが原作で、2014年から「ピクシブ」への投稿がはじまり、2015年11月に「「ピクシブ」と一迅社が共同でウェブコミック配信サイト「コミックプール(comic POOL)」を立ち上げたのに伴い、「コミックプール」で連載されている。

2015年4月に一迅社から書籍化され、2019年12月までに8巻が刊行され、第6巻までで700万部を突破している。2017年に「第41回講談社漫画賞」一般部門でノミネートされている。2018年4月から6月までフジテレビ系「ノイタミナ」枠でアニメ全11話が放送された。今回の実写映画化に際しては、福田雄一さんが脚本と監督を手掛け、隠れ腐女子のOLと重度のゲームオタク(ヲタク)の幼なじみが繰り広げる不器用な恋模様を描いている。

物語は26歳OLの桃瀬成海が転職先の会社で幼なじみの二藤宏嵩と再会するところからはじまり、ルックスがよく仕事もできる宏嵩も、実は重度のゲームヲタクだった。成海もまた、マンガやゲーム、コスプレ、何よりBL(ボーイズラブ)を愛する腐女子だった。

周囲にヲタクだとバレる「ヲタバレ」を恐れている成海は、普段は本性を隠している「隠れ腐女子」だったが、ヲタク仲間の宏嵩の前では本当の自分をさらけ出すことができた。やがて、ヲタク同士ならば快適に付き合えるのではないかという宏嵩の提案もあり、2人は付き合うことになる。

福田雄一さんは1968年栃木県小山市生まれ、成城大学経済学部を卒業、成城大学の学生劇団を母体とし、1990年に旗揚げした劇団「ブラボーカンパニー」の座長を務め、全作品の構成と演出を手がける。一方で、テレビ番組の制作プロダクション、CMやビデオの制作会社「日本テレワーク」を経て独立し、フリーの放送作家として舞台を手がけるかたわらで、「笑っていいとも!」や「SMAP×SMAP」をはじめ、「いきなり!黄金伝説」などバラエティ番組の構成を手がけた。

テレビドラマや映画の脚本・演出にも活動を広げ、舞台やバラエティ番組で培った「笑い」のセンスを活かしてコメディ作品も生み出し、「コメディの奇才」と称されている。2007年からマギーさんとの共同脚本・演出のコントユニット「U-1グランプリ」としても活動している。

2009年に自身の舞台作品を映画化した「大洗にも星はふるなり」で映画監督としてもデビューし、2012年のテレビドラマ「ミューズの鏡」とテレビドラマ「コドモ警察」が相次いで映画化され、2013年に「俺はまだ本気出してないだけ」と「HK 変態仮面」といったマンガの映画実写化でも監督を務め、2017年に「銀魂」、2018年に「斉木楠雄のΨ難(さいなん)」、2018年に「50回目のファーストキス」で監督を手掛けている。

チケットはチケットぴあを通じて、先行抽選販売を受け付け中で2月3日11時締め切り。料金は一般2100円、大学生・専門学校生1700円、3歳以上高校生までと障がい者1200円、60歳以上のシニア1400円。

注:「山崎賢人」の「崎」は正しくは右側の「大」が「立」です。

田中が銀座店に東京マラソン2020メダルを展示

【銀座新聞ニュース=2020年1月31日】貴金属業界のTANAKAホールディングス(千代田区丸の内2-7-3、03-6311-5511)は2月1日から27日までギンザタナカ銀座本店(中央区銀座1-7-7、03-3561-0491)1階エントランスに「第14回東京マラソン2020表彰メダル」を展示する。

田中貴金属グループが製作する「第14回東京マラソン2020表彰メダル」。

3月1日に開かれる「東京マラソン」の表彰メダルは、2007年の第1回大会以来、毎回、1位から3位に贈られる表彰メダルを田中貴金属グループが製作しており、今回も1位の金メダル(純金製=24K、直径約65ミリ、厚さ2.8ミリ、重さは約180グラム)、2位の銀メダル(純銀製、直径約65ミリ、厚さ2.8ミリ、重さは約100グラム)、3位の銅メダル(純銅製、直径約65ミリ、厚さ2.8ミリ、重さは85グラム)、男女と車いすマラソン男女の上位3位まで計12個を提供する。

メダルのデザインは、江戸時代より伝わる伝統的な江戸小紋の文様をモチーフにし、着物に使用される特徴的なパターンである「桜」をはじめ「七宝繋ぎ」や「青海波(せいがいは)」、さらに「麻の葉」や「鹿の子」と「工字繋ぎ」を着物の衿に見立て重ね合わせることで「脈々と受け継がれる伝統と、ランナーとそれを支える応援者の重なり合う想い」を表している。

ウイキペディアなどによると、東京マラソンは2007年から東京都で行われるマラソン大会で、毎年2月第4日曜日(2009年大会と2020年大会は3月開催)に開かれる。2013年大会から「ワールドマラソンメジャーズ」(2015-2016年シーズンからアボット・ラボラトリーズがタイトルスポンサーとなり、名称も「アボット・ワールドマラソンメジャーズ」に変更)に加入し、世界の主要なマラソン大会のひとつとなっている。

2月1日から27日までギンザタナカ銀座本店1階に展示される「第14回東京マラソン2020表彰メダル」イメージ。

東京都心部で行われていたマラソン大会は、1981年から2006年まで開かれていた「東京国際マラソン」(男子)と1979年から2008年まで行われた「東京国際女子マラソン」、2002年から2006年の間行われた市民ランナー、障害者向け10キロのロードレース「東京シティロードレース」の3種があった。

それらをひとつに統合して「ニューヨークシティマラソン」や「ロンドンマラソン」、「ボストンマラソン」に匹敵する市民参加型大規模シティマラソンとして、東京マラソンが企図された。2010年に国際陸上競技連盟(IAAF)の世界ロードレース格付け制度で、ニューヨークマラソンなどにならび市民参加型大規模レースとして日本唯一の「ゴールドラベル」を獲得している。

男女マラソン、車いすマラソン、ジュニア&ユース(大会当日満16歳から満18歳まで)、障害者(車いすの部、視覚障害者、知的障害者、移植者)10キロがある。男子マラソンは、2006年の第27回大会で終了した東京国際マラソンの後継大会として位置づけられ、世界陸上選手権をはじめとする国際大会の代表選考レースとなっている。

一方で、女子マラソンについては2008年まで「東京国際女子マラソン」が「東京マラソン」と並行して行われ、2009年から2014年にかけては「東京国際女子マラソン」の事実上の後継大会として「横浜国際女子マラソン」が開かれたが、2015年から「横浜国際女子マラソン」の事実上の後継大会として「さいたま国際マラソン」(2020年12月13日は中止)として開かれるため、「東京マラソン」は事実上のオープン大会となっている。

男女マラソン(選考会)は2006年以降の夏季アジア大会開催年と2007年以降の西暦奇数年と2008年以降夏季オリンピック開催年と2016年以降の夏季障害者パラリンピック開催年は、それぞれの年に行われる世界陸上選手権大会、夏季オリンピック、アジア競技大会の代表選考会第3戦となっている(女子のみ一部を除き参考レース扱い)。

2009年から日本のマラソン大会としては初の賞金レースとなり、総額賞金は、世界記録を更新された場合という条件付きのボーナス賞金も含めて1億1240万円となっている。2020年は1位が1100万円、2位が400万円、3位が200万円(以下10位まで)、世界記録が3000万円(男女とも1位)、日本記録が500万円(男女とも1位、ほかに日本実業団陸上競技連合が1億円)、大会記録が300万円(男女とも1位)が贈られる。

また、2010年6月30日に東京都と日本陸連による組織委員会を発展的解消する形で「一般財団法人東京マラソン財団」(Tokyo Marathon Foundation)が設立され、2011年大会以降は同財団が主催し、これまでの主催だった東京都と日本陸連は共催団体となった。

東京マラソンの運営に際しては、毎回約1万人の無償ボランティアが参加し、約3万人の市民ランナーを約1万人の市民ボランティアが支える大会となっている。2016年大会までは先着順だったが、2017年大会からは完全抽選制になっている。

コースは2007年から2016年までは東京都庁舎前をスタートして、東京ビッグサイトがゴールだったが、2017年から東京都庁舎前をスタートして、皇居前の御幸通りをゴールに変更されている。また、抽選の結果当選し、申し込みを完了した参加予定者は、前日まで開催されるプレイベント「東京マラソンEXPO」会場内にて受付を済ませてナンバーカード(ゼッケン)を受け取る。

「東京マラソンEXPO」は参加予定者がナンバーカード(ゼッケン)を受け取るために開かれているプレイベントで、日本全国と海外からの3万6000人のランナーを含め、10万人以上が訪れるランニングのトレードショーになっており、これに合わせて、最新のギアやアパレル、各出展社のサービスなど多くのデモを体験することができる場になっている。

田中貴金属グループでは、東京マラソン以外にも、1964年の東京オリンピックの公式記念メダルでも記念メダルを製作している。

また、ギンザタナカ銀座本店でのメダル展示には、東京を代表する建物やランナーのシルエットをデザインし、正面には東京駅を背にゴールする人を表したペーパーアートを用いたオリジナルの展示台を使用している。

さらに、28日には京王プラザホテルで予定されている「東京マラソン2020プレスカンファレンス」(記者会見)にも展示する。

「サヨナラ30分」新田真剣佑、北村匠海ら公開御礼挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月30日】中堅の映画配給会社のアスミック・エース(港区六本木6-1-24、ラピロス六本木)は2月1日にTOHOシネマズ日比谷(千代田区有楽町1-1-3、東京ミッドタウン日比谷、050-6868-5068)で「サヨナラまでの30分」の出演者らによる公開御礼舞台あいさつを開く。

現在、一般公開されている「サヨナラまでの30分」((C)2020「サヨナラまでの30分」製作委員会)。

1日10時の回上映前に、監督の萩原健太郎(はぎわら・けんたろう)さんをはじめ、1年前の亡くなったバンド「エコール(ECHOLL)」のボーカル「宮田アキ」役の新田真剣佑(あらた・まっけんゆう)さん、大学生でバンドの再結成を迫る「窪田颯太」役の北村匠海(きたむら・たくみ)さんが舞台に登場して公開御礼のあいさつをする。

「サヨナラまでの30分」は脚本家の大島里美(おおしま・さとみ)さんのオリジナル脚本を萩原健太郎さんが映画化した。

物語はバンド「エコール(ECHOLL)」がメジャーデビューを目前に解散してから1年後、メンバーたちの前に突然見知らぬ大学生の颯太が現れる。バンド再結成をメンバーに迫る颯太の中身は、1年前に死んだボーカルのアキで、颯太が偶然拾ったカセットテープを再生する30分だけ、アキは颯太の体を借りて入れ替わり、1つの体を共有していく。

人づきあいが苦手な颯太もアキや仲間たちと音楽を奏でる楽しさを知り、次第に打ち解けていくが、アキの恋人カナだけはバンドに戻ってこなかった。カナに再び音楽を始めてもらうため、最高の1曲を作り上げようとするが、アキと颯太の入れ替われる時間はだんだん短くなっていく。

チケットはチケットぴあを通じて31日10時から一般発売する。料金は2100円均一。

永谷商事、田辺いちかと「丸の内の歴史」を歩く

【銀座新聞ニュース=2020年1月30日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は2月4日に田辺いちかさんによる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

永谷商事が2月4日に開く「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「歴史的建築物 東京駅周辺ぐるっと散歩」で丸の内を歩く田辺いちかさん。

永谷商事が毎月2回から3回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画で、その後、お江戸日本橋亭で寄席を鑑賞する。

今回は二ツ目の講談師、田辺(たなべ)いちかさんが「歴史的建築物 東京駅周辺ぐるっと散歩」と題して、JR東京駅からJPタワー「キッテ(KITTE)」(千代田区丸の内2-7-2)、行幸通り、丸の内仲通り、「明治生命館(外観)」(千代田区丸の内2-1-1)、「三菱一号館美術館(外観)」(千代田区丸の内2-6-2、03-5777-8600)、「東京国際フォーラム(外観)」(千代田区丸の内3-5-1、03-5221-9000)を歩いて、昼前にお江戸日本橋亭に移動して、午後から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。

JPタワー「キッテ(KITTE)」は郵便局株式会社(現日本郵便)とJR東日本、三菱地所の共同事業により、2012年5月31日に竣工し、7月17日に開業した旧東京中央郵便局敷地に建設された超高層ビルで、建築物としては、旧東京中央郵便局舎を一部保存した低層棟商業施設「キッテ(KITTE)」と最高軒高200メートルの高層棟から構成され、旧東京中央郵便局の保存部分は免震構造で構造躯体を保存している。

敷地面積が1万1600平方メートル(3509坪)で、地下4階・地上38階建て、高さ200メートルで、延床面積が21万2000平方メートル(6万4130坪)。設計は三菱地所設計、施工が大成建設、管理運営は三菱地所プロパティマネジメント、JPビルマネジメントが行っている。

高層棟には日射遮蔽ルーバー(ひさし)と高性能遮熱断熱ガラス(Low-Eガラス)によるエアフローウィンドを採用し、床から天井まで1枚ガラスの窓(フルハイト窓)を設置しており、事務所フロアではLED照明器具の全面採用と明るさセンサーによる照明制御、自然換気窓および外気冷房の採用により、高い快適性と環境負荷低減を両立している。これらにより、東京都環境局が開いた東京都環境建築フォーラムで「東京の低炭素ビルTOP30」に選定されている。

本来の容積率は1300%だが、建築基準法第57条の2(特例容積率適用地区内における建築物の容積率の特例)により、東京駅丸の内駅舎の容積を移転して、特例容積率1520%が適用されている。

旧東京中央郵便局舎は前身である「四日市郵便役所」が1871(明治4)年の日本の近代郵便制度発足時に、大阪郵便役所、西京郵便役所(京都)と共に設けられた日本最初の郵便役所のひとつで、大阪中央郵便局とともに日本初の中央郵便局でもある(四日市郵便役所の跡地には現在は日本橋郵便局がある)。日本国内に存在する全郵便局の中枢であり、局長は現場の最高職となっている。

1933(昭和8)年から、局舎建て替えの一時期を除いて東京駅の丸の内駅舎南口前に立地している。局舎完成前の1915(大正4)年には局舎と駅舎との間を結ぶ地下通路が開通しており、ここを通じて鉄道郵便物のトロッコ輸送が行われていた。トロッコ軌道は1941(昭和16)年に廃止・撤去されたが、以後も地下通路は局・駅間の郵便物搬送に使用され、三輪式の郵便物積載台車を蓄電池式牽引車(後のターレットトラクターに類する用途のもの)で牽引して運搬する方法が採られた。この地下通路は、東京駅での鉄道郵便受渡しの終了により1978年に廃止されたが、東京駅構内部分の地下通路は現在も利用されている。

旧局舎は1933(昭和8)年より2008年まで使用され、逓信省営繕課の吉田鉄郎(よしだ・てつろう)が設計し、銭高組と大倉土木(現大成建設)が施工した鉄骨鉄筋コンクリート造で、1933年12月25日に竣工した。

ウイキペディアによると、「行幸通り」は「東京都道404号皇居前東京停車場線」が正式名称で、皇居前の和田倉門交差点から東京駅前の東京駅中央口交差点までを結ぶ特例都道で、路線延長が930メートル。帝都復興院の1923(大正12)年の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路として建設された。

当初は道路中央から高速車線、イチョウ並木、緩速車線、歩道の配置だったが、その後、中央車線は天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止された。その後、中央車線は再整備され、 2010年4月12日に歩道兼馬車道として交通開放された。ただし、行幸や信任状捧呈の車馬が通行する時のみは専用道として一般歩行者の通行が制限される。天皇が行幸するために利用する道路として、行幸通りとも呼ばれている。

「丸の内仲通り」は大正初期に整備され、三菱村のオフィス街として赤煉瓦建築が軒を連ねている。晴海通りから永代通りまでを結び、日比谷通りに並行しているが、晴海通りから行幸通りまでは北方向への一方通行となり、現在では行幸通りの中が廃道となり通り抜けられなくなっている。通りの両側に街路樹が施され、冬にはイルミネーションが点灯される。沿道には三菱グループ各社のビルが立ち並び、「三菱村」と称されている。通りの幅が21メートル、ビルの高さが31メートルになっている。

明治生命館は1928(昭和3)年に当時の三菱第2号館に隣接して、新社屋を建設することが決まり、指名コンペ方式で岡田信一郎(おかだ・しんいちろう、1883-1932)の案が採用された。岡田信一郎の考えによって、旧社屋も取り壊しての建設となり、1930(昭和5)年9月に起工し、1934(昭和9)年3月31日に竣工した。設計は岡田信一郎と弟の岡田捷五郎(おかだ・しょうごろう、1894-1976)兄弟、構造設計が内藤多仲(ないとう・たちゅう、1886-1970)。重要文化財として「明治生命保険相互会社本社本館」で指定されている。

大東亜戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われた。1956年にアメリカ軍から返還され、1997年に昭和の建造物として初めて重要文化財に指定された。2001年から改修工事が行われ、隣接地に30階建ての明治安田生命ビルを建設して一体的に利用することで、歴史的建造物を活用しながらの全面保存が実現した。現在も明治安田生命保険の本社屋として現役利用されており、1階には同社の「丸の内お客様ご相談センター」が設けられている。

各国が日本へ派遣した特命全権大使、特命全権公使が天皇に対して信任状を提出する信任状捧呈式の際には、東京駅丸の内口から馬車か車で皇居内の宮殿まで移動する慣例となっているが、東京駅の改装などにより、2007年4月以降は明治生命館から出発していた。2017年に東京駅前の工事が完成したことにより、同年12月11日の駐日ベナン大使の信任状捧呈から、再び東京駅前からの出発に戻っている。

三菱一号館美術館は三菱地所が運営する企業博物館で、同館の建物は丸の内最初の洋風貸事務所建築として明治時代の1894(明治27)年に建てられた(旧)三菱一号館(1968年に解体)を同社が2009年にレプリカ再建した。

1918年に「東9号館」と改称されている。英国の建築家で、三菱の建築顧問だったジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852-1920)が英国クイーンアン様式の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計し、建設工事には曽祢達蔵(そね・たつぞう、1853-1937)現場主任があたり、直営工事による施工がなされた。

竣工当初においては、三菱合資会社本社、第百十九国立銀行(後の三菱合資会社銀行部、現三菱UFJ銀行)本店、高田商会が設けられたほか、貸事務所として坪1円から1円50銭で貸し出されたとされる。このほか、郵便局「丸ノ内郵便電信局」が1902(明治35)年11月より三菱合資会社の無償提供で本建物内一室に設けられていた。

耐震性に難のある煉瓦建築は関東大震災(1923年)で甚大な被害を被り、耐震性や土地の利用効率に優れる明治生命館などの合理的なアメリカ式オフィスビルへの建て替えも進み、高度経済成長の1959年にスタートした三菱地所による再開発事業「丸ノ内総合改造計画」により、赤煉瓦街は急速に姿を消していった。

1960年代後半になると、「東9号館」は「一丁倫敦」の面影を残す数少ない建物となっていた。特に同館は東京の近代的都市計画の出発点、近代的事務所建築の第1号として歴史的価値があり、当初の形をよく保存した明治時代の洋風建築として文化的価値も高く、研究者の間では日本銀行本店、旧赤坂離宮(迎賓館)と並ぶ「明治の三大建築物」に挙げられていた。

1967年9月に文部省文化財保護委員会は三菱地所に対し「東9号館」の文化財指定の申し入れを行い、三菱地所は無断で取り壊すことはしない旨を示したため、文化財指定は見送られた。しかし、三菱地所は1968年3月21日に解体工事を開始する旨、文化財保護委員会宛てに通告した後、同年3月22日夜間に足場を架設し、3月23日を選んで解体工事を強行した。1971年に跡地には地下4階、地上15階建の「三菱商事ビルヂング」が竣工した。

2004年に三菱地所は「丸の内再構築」の第2ステージ第1弾として、「丸ノ内八重洲ビルヂング」(1928年竣工)、「古河ビルヂング」(1965年竣工)、「三菱商事ビルヂング」(1971年竣工)3棟の区画を再開発し、その一角に超高層ビル(丸の内パークビルディング)の建設とあわせて三菱一号館をレプリカ再建する「三菱商事ビル・古河ビル・丸ノ内八重洲ビル建替計画」を発表した。

2006年に3棟の解体工事が開始され、丸の内パークビルディングが2007年2月5日に着工され、同年10月に三菱一号館を着工、2009年4月30日に「丸ノ内八重洲ビルヂング」の外壁保存部分を持つ丸の内パークビルディングとともに竣工した。その後、三菱地所運営の企業博物館「三菱一号館美術館」は竣工記念展などが催された後、2010年4月6日に正式開館した。

東京国際フォーラムは旧東京都庁舎跡地の再開発として1992年10月に着工され、1996年5月に竣工し、1997年1月10日に開館された国際コンベンションセンターだ。中心となる設計は国際コンペの結果、ウルグアイ・モンテビデオ生まれ、アメリカ・ニューヨーク在住の建築家、ラファエル・ヴィニオリ・ベセイロ(Rafael Vinoly Beceiro)さんに決まり(ラファエル・ヴィニオリ建築士事務所)、株式会社椎名政夫(しいな・まさお)建築設計事務所、株式会社現代建築研究所との共同設計の形をとり、ガラスの吹き抜けホール(ガラス棟)は「船」を題材にし、その巨大な外観と共に、構造を露出した内部が象徴となっている。

土地は2万7000平方メートル、建物が地上11階、地下3階で、延べ床面積が14万5000平方メートル。総工費は用地費を除いて1647億円。7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館、太田道灌(おおた・どうかん、1432-1486)の像などを備えている。運営は株式会社東京国際フォーラムで、株主は東京都、JR東日本、三菱地所、サントリー、電通、東京電力、NTT東日本、東京ガスの8社。

田辺いちかさんは福岡県北九州市生まれ、2001年に京都府立大学文学部国文学中国文学科を卒業、、2000年に在学中に中国・長安大学の日本語教師に就任、2001年に帰国し、大阪で演劇を勉強し、2003年に東京のプロダクションに所属し、舞台俳優と声優として活動、2014年に田辺一邑(たなべ・いちゆう)さんに弟子入りし、「田辺いちか」として前座、2019年3月に二ツ目に昇進した。

時間は10時から16時で、10時にJR東京駅丸の内南口に集合する。昼までにお江戸日本橋亭に移り、13時30分からお江戸日本橋亭で田辺いちかさんらの寄席となる。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

お江戸寄席は前座の昔昔亭全太郎(せきせきてい・ぜんたろう)さん、二ツ目の春風亭昇々(しゅんぷうてい・しょうしょう)さん、田辺いちかさん、真打の橘家竹蔵(たちばなや・たけぞう)さん、太神楽の鏡味味千代(かがみ・みちよ)さん、真打の昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さんが出演する。