キヤノン銀座で「アフロ」の青木紘二「仕事作品」展

【銀座新聞ニュース=2017年12月13日】大手映像機器・事務機器などのメーカー、キヤノン(大田区下丸子3-30-2、03-3542-1860)グループのキヤノンマーケティングジャパン(港区港南2-16-6)は12月14日から26日までキヤノンギャラリー銀座(中央区銀座3-9-7、トレランス銀座ビルディング、03-3542-1860)で青木紘二さんによる「クライアントワークPart1」を開く。

12月14日から26日までキヤノンギャラリー銀座で開かれる青木紘二さんの「クライアントワークパート(Part)1」のフライヤー。

スポーツ写真家で、写真代理店「アフロ」(中央区築地4-1-17、銀座大野ビル、0120-565-410)の代表取締役、青木紘二(あおき・こうじ)さんのクライアントからの依頼で撮影した広告写真を集めた写真展を開く。

青木紘二さんはもともとジャンルに対するこだわりはなく、1976年にプロとしてのキャリアをはじめたものの、依頼のあるものは何でも撮影しており、その技術と経験により、スポーツ、人物、ゴルフ場、風景、動物など多岐な分野で、それぞれの瞬間の輝きを写してきた。そうした作品の中から選んで展示する。

展示される広告写真で、飛び込みの選手に「演出」してもらって撮影している。飛び込みの選手は入水してすぐ浮上しようとし、「身体が一直線に伸びない」という難問にぶつかり、入水後に床に手をつくよう伸ばしてもらい、でき上がった泡だらけの写真だ。

青木紘二さんは富山県魚津市生まれ、高校卒業後、ヨーロッパの思想や映画の世界観を知るためにスイスのプライベートスクールに留学、留学中にスキー学校でアルバイトをし、卒業後はスキー教師養成コースを受け、スイスのスキー教師国家資格を取得してスキーインストラクターとして働く。

その後、27歳で帰国し、フリーの写真家として通販雑誌の商品撮影などを手がけ、広告写真やスポーツ写真なども撮影し、1976年からプロカメラマンとして活動し、1980年に写真代理店「アフロフォトエージェンシー」として創業し、1982年11月に「株式会社ビー全(2006年に「アフロ」)」を設立した。

1984年にサラエボ冬季オリンピックで初めてオリンピックを取材し、1998年の長野冬季オリンピックで、アフロとして日本オリンピック委員会の公式エージェンシーに選ばれた。2002年の日韓ワールドカップではイングランドとスウェーデンの試合で、コーナーキックを蹴ってゴールをアシストしたイングランドのデビッド・ベッカム(David Robert Joseph Beckham)選手のガッツポーズを唯一撮影し、英国の主要紙に掲載され、注目された。

2005年に日本プロバスケットボールリーグ公式フォトエージェンシーとなり、2017年3月に2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会フォトチーフに就任している。現在、1000人以上の契約カメラマンを抱え、従業員は139人、いまだに自らもオリンピックを取材、撮影しており、これまでに夏冬のオリンピックの撮影は17回を数える。

時間は10時30分から18時30分(最終日は15時)。入場は無料。日曜日、祝日は休み。

スバル座「花筐」初日、窪塚俊介、矢作穂香ら挨拶

【銀座新聞ニュース=2017年12月12日】映画配給会社の新日本映画社(渋谷区南平台町4-8、南平台アジアマンション)は12月16日から有楽町スバル座(千代田区有楽町1-10-1、有楽町ビル、03-3212-2826)で一般公開する「花筐 HANAGATAMI」の初日に、窪塚俊介さん、満島真之介さん、矢作穂香さんらによる舞台あいさつを開く。

12月16日から一般公開される「花筐 HANAGATAMI」((C)唐津映画製作委員会/PSC 2017)。

16日10時の回上映終了後に、監督の大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)さんをはじめ、主人公の少年「榊山俊彦(僕)」役の窪塚俊介(くぼづか・しゅんすけ)さん、榊山俊彦の友人「鵜飼」役の満島真之介(みつしま・しんのすけ)さん、榊山俊彦の従妹「江馬美那」役の矢作穂香(やはぎ・ほのか)さん。

榊山俊彦の友人「あきね」役の山崎紘菜(やまざき・ひろな)さん、榊山俊彦の友人「千歳」役の門脇麦(かどわき・むぎ)さん、榊山俊彦の伯母「江馬圭子」役の常盤貴子(ときわ・たかこ)さん、「山内教授」役の村田雄浩(むらた・たけひろ)さんが舞台に登場してあいさつする。

「花筐」は作家の檀一雄(だん・かずお、1912-1976)の短編小説「花筐」(1937年)が原作で、監督の大林宣彦さんが1977年のデビュー作「HOUSE ハウス」より以前に書き上げていた「幻の脚本」といわれる作品を映画化したもので、「この空の花-長岡花火物語」(2012年4月)、「野のなななのか」(2014年5月)に続く戦争3部作の最終章として撮り上げた青春群像劇となっている。

物語は1941年春、佐賀県唐津市の叔母のもとに身を寄せている17歳の俊彦がアポロ神のような鵜飼、虚無僧のような吉良(長塚圭史=ながつか・けいし=さん)、お調子者の阿蘇(柄本時生=えもと・ときお=さん)ら個性豊かな学友たちと共に「勇気を試す冒険」に興じる日々を送っていたところからはじまる。

肺病を患う従妹・美那に思いを寄せる俊彦だったが、その一方で女友達のあきねや千歳と青春を謳歌している。そんな彼らの日常は、いつしか恐ろしい戦争の渦に飲み込まれていく。

ウイキペディアなどによると、大林宣彦さんは1938年広島県尾道市生まれ、1956年に成城大学文芸学部芸術コース映画科に入学、在学中から8ミリで作品を発表、1957年に福永武彦(ふくなが・たけひこ、1918-1979)の詩集を映画化した「青春・雲」を発表、1958年に2作目「絵の中の少女」のヒロイン役で後に妻となる大林恭子(おおばやし・きょうこ)さんを起用した。

1960年に大学を中退、1963年に16ミリ作品「喰べた人」でベルギー国際実験映画祭で審査員特別賞、「尾道」、「中山道」や「コンプレックス(Complexe)=微熱の玻璃(はり)あるいは悲しい饒舌(じょうぜつ)ワルツに乗って 葬列(そうれつ)の散歩道」や日本のカルト映画の草分け「エモーション(EMOTION)=伝説の午後=いつか見たドラキュラ」などが注目される。

1964年に開館した新宿紀伊國屋ホールの開館イベントとして「60秒フィルムフェスティバル」が企画され、「コンプレックス(Complexe)=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道」が上映され、これを観た電通のプロデューサーに誘われ、1960年代からテレビコマーシャル(CM)にCMディレクターとして関わった。

チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson、1921-2003)の「マンダム」(旧社名は丹頂)をはじめ、「ホンダ・ロードパル」のソフィア・ローレン(Sophia Loren)さん、「カネカ・フォンテーヌ」や「ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)さん、「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スター(Ringo Starr)さん、「AGF・マキシムコーヒー」のカーク・ダグラス(Kirk Douglas)さんらを起用し、海外スター起用のCMの先駆けとなった。

また、高沢順子(たかざわ・じゅんこ)さんの「お魚になったわたし」、山口百恵(やまぐち・ももえ)さんと三浦友和(みうら・ともかず)さんのコンビ「グリコアーモンドチョコレート」、高峰三枝子(たかみね・みえこ、1918-1990)と上原謙(うえはら・けん、1909-1991)コンビの「国鉄フルムーン」、森繁久弥(もりしげ・ひさや、1913-2009)の「国鉄新幹線」をはじめ、「レナウン・ワンサカ娘」、「カルピス」など10年間で制作したテレビCMは2000本を越えている。

1977年に映画「ハウス(HOUSE)」で商業映画監督としてデビュー、ブルーリボン賞新人賞を受賞、同年に2作目「ブラック・ジャック 瞳の中の訪問者」を監督、1978年に「ふりむけば愛」を監督し、1979年に「天使を誘惑」をプロデュースした。1982年に尾道を舞台とした「転校生」を発表、「時をかける少女」と「さびしんぼう」を合わせて「尾道三部作」と呼ばれる。大林作品で尾道ロケを行った作品は、この3作以外にもあるが、この3部作は、脚本をすべて剣持亘(けんもつ・わたる、1946-2003)が執筆し、中高生を主人公にしたSFファンタジーであるなど共通項が多い。

1作ごとに異なる実験が行っており、2004年に紫綬褒章を受章、2009年に旭日小綬章を受章した。受章理由は「長年にわたる実験的で独自の映画作りに」と伝えられたという。2006年から尚美学園大学大学院芸術情報研究科教授、2007年から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授を務めている。妻は映画プロデューサーの大林恭子さん、長女の大林千ぐみ(ちぐみ)さんは「映画感想家」。

チケットは16日当日劇場オープン時から発売する。料金は一般1800円、大学生1500円、高校生以下3歳まで、障がい者1000円、シニア1100円。

リコー画廊でK.Abe「ジャズの肖像」展、監修の行方均がトーク

【銀座新聞ニュース=2017年12月12日】大手情報機器メーカーのリコー(中央区銀座8-13-1、03-6278-2111)グループのリコーイメージング(大田区中馬込1-3-6)が運営するギャラリー「リコーイメージングスクエア銀座」(中央区銀座5-7-2、三愛ドリームセンター、03-3289-1521)は12月13日から2018年2月18日まで8階ギャラリーゾーン「A.W.P」で阿部克自による「ジャズの肖像 ポートレイチャーズ」を開く。

リコーイメージングスクエア銀座で12月13日から2018年2月18日まで開かれる阿部克自の「ジャズの肖像 ポートレイチャーズ」のフライヤー((C)Photos by K.Abe)。

ジャズ演奏家を撮影し、写真家、グラフィック・デザイナー、プロデューサーとしてジャズ・シーンに多大なる貢献を果たし、2005年に日本人として初めてジャズ写真家の功績を称える第6回「ミルト・ヒントン(Milton John “Milt” Hinton、1910–2000)・アワード」を受賞し、世界のジャズ界で「K.Abe」と呼ばれた阿部克自(あべ・かつじ、1929-2008)のモノクローム作品約100点を1期(12月13日から2018年1月14日)、2期(1月17日から2月18日)に分けて展示販売する。監修は音楽評論家の行方均(なめかた・ひとし)さんが務めた。

デューク・エリントンデューク・エリントン(Edward Kennedy “Duke” Ellington、1899-1974)、マイルス・デイヴィス(Miles Dewey Davis 3、1926-1991)、セロニアス・モンク(Thelonious Sphere Monk、1917-1982)、ジョン・コルトレーン(John Coltrane、1926-1967)、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie、1917-1993)。

サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan、1924-1990)、秋吉敏子(あきよし・としこ、1929年生まれ)さん、カウント・ベイシー(William “Count” Basie、1904-1984)、ベニー・グッドマン(Benny Goodman、1909-1986)、ビル・エヴァンス(Bill Evans、1929-1980)。

アート・ブレイキー(Art Blakey、1919-1990)、チェット・ベイカー(Chet Baker、1929-1988)、フランク・シナトラ(Francis Albert “Frank” Sinatra、1915-1998)ら多くの演奏家と親交が深かった阿部克自だからこそ撮れた、素顔の魅力を捉えた貴重なオリジナル・プリントを展示する。

阿部克自は1929年東京都新宿区生まれ、1940年に紀元2600年全国児童絵画展で文部大臣賞銀賞を受賞、1945年に海軍兵学校に入校、この時期に米軍の英語放送を聴き、ジャズの魅力にはまり、1948年に旧制早稲田中学を卒業、1951年に旧制早稲田大学を卒業、1952年にはBOAC(英国海外航空会社、現ブリティッシュ・エアウェイズ)に就職し、1953年頃よりレコード・ジャケットのデザインと写真をメインに活動し、1000枚以上のレコードジャケットのデザインを手がけ、FM東京などでジャズのDJとしてラジオ番組も持った。

1960年初頭からカヴァー・アートの研究のためアメリカにわたり、ニューヨークを拠点に活動し、1986年4月29日のデューク・エリントンの誕生日に合わせて発行されたアメリカの記念切手(22セント)に作品が使用され、2005年に「ミルト・ヒントン・アワード」を受賞し、2008年9月17日も肺炎により死去した。享年78歳。2009年9月11日に本人の遺言によりニューヨークイースト河に散骨された。

会期中に写真展と写真集の監修者の行方均さんによるトークイベントを開く。行方均さんが進行役として出演し、各回の出演者と阿部克自の功績や当時の思い出などについて語る。

12月16日19時30分からジャズカフェバー「ダグ(DUG)」(新宿区新宿3-15-12、アドホック隣、03-3354-7776)店主、ジャズ写真家の中平穂積(なかだいら・ほづみ)さんと対談する。

1月19日19時30分から音楽評論家の悠雅彦(ゆう・まさひこ)さんと対談する。

行方均さんは1951年宮城県仙台市生まれ、早稲田大学政治経済学部を卒業、1988年にブルーノートの姉妹レーベル「サムシンエルス」を東芝EMI(当時)内に設立、現在まで150タイトル近くの作品を同レーベルで制作し、多くはブルーノートを通じて海外でも発売されている。1999年から2013年にはビートルズの国内盤発売を統括した。
2010年より衛星ラジオミュージックバードのジャズチャンネル番組「プロファウンドリー・ブルー」パーソナリティを務めた(2016年3月まで)。2014年4月よりJFN系FM全国ネット「A・O・R-ジャズ&ボーカル・ナイト(Jazz&Vocal Night)」(毎週火曜20時から21時生放送)に出演し、選曲・解説を担当し、「ジャズ100年の100曲」キャンペーンを推進している。

2016年4月より、衛星ラジオ「ミュージック・バード」の5時間番組「ジャズ100年の名曲名演500時間」(毎週土曜日放送、日曜日再放送)をスタートし(2018年3月まで)、2018年4月より同局で新番組を開始する予定。 EMIミュージックジャパン会長、ユニバーサルミュージック副社長を経て2014年より「株式会社ネームズ(NAMES)」に所属している。別に「雑木林進」というペンネームもある。

中平穂積さんは1936年和歌山県本宮町生まれ、1960年に日本大学芸術学部写真学科を卒業、1961年に初来日したアート・ブレイキーを撮影し、ジャズ写真家としてスタートし、新宿にジャズ喫茶「ディグ(DIG)」を開店、1962年に新宿伊勢丹で「ジャズアーチスト」写真展を開き、1963年から1973年までジャズ・カレンダーを制作した。

1966年にアメリカ「ニューポート・ジャズ祭」でジョン・コルトレーンを撮影し、以後、ニューヨーク「ニューポート・ジャズ祭」、ヨーロッパのジャズ・シーンを取材した。1967年にジャズバー「ダグ(DUG)」を新宿紀伊国屋裏に開店し、1977年に新宿靖国通りに「ニューダグ(New DUG)」を開店、1981年に「ジャズの巨人たち、1960年代(JAZZ GIANTS THE 60’S)」(講談社)を刊行した。

1982年にドイツ「メールス・ジャズ祭」で写真展、1987年に「ダグ」を移転し、1995年から店でライブを開き、1993年にコニカプラザで「ジャズの巨人たち」写真展、2000年に新宿靖国通りに「ダグ」を移転し(2000年に閉店)、2001年に新宿ミノルタ・フォトスペースで写真展、2002年に青森県南郷村「ジャズの館」で写真展、2007年から新宿ピカデリー隣の「ニューダグ」を「ダグ」として営業している。2009年に新潟、名古屋、和歌山市、東京、岐阜など計6回写真展、2010年に青森、新潟、大阪、東京で写真展を開いている。

悠雅彦さんは1937年神奈川県生まれ、早稲田大学文学部を卒業、ジャズ歌手を経てジャズ評論家になり、現在、洗足学園音大講師。「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務めている。

開場時間は11時から19時(最終日は16時)。毎週火曜日が定休。入場料は510円(税込)。トークイベントは定員30人で、参加費は2000円。

銀座ロフトでB・マーズの「セルバレイラム」カクテルバー

【銀座新聞ニュース=2017年12月11日】大手流通グループ、セブン&アイ・ホールディングス傘下の株式会社そごう・西武(千代田区二番町5-25、二番町センタービル)グループの生活雑貨店「ロフト」をチェーン展開する株式会社ロフト(千代田区二番町5-25、二番町センタービル、03-5210-6210)は12月11日から25日まで銀座ロフト(中央区銀座2-4-6、銀座ベルビア館、03-3562-6210)4階のホームソリューション キッチンスタジオに「セルバレイ ブルーノ バー」を開く。

12月11日から25日まで銀座ロフトに開店される「セルバレイ ブルーノ バー」のイメージ図。

ラム酒好きで知られるアメリカ・ハワイ出身の歌手でグラミー賞受賞者のブルーノ・マーズ(Bruno Mars)さんが自ら出資し、自身が手がけた日本未発売の酒「セルバレイ・ラム(SELVAREY RUM)」を使い、「タスクバー」(港区六本木6-10-1、六本木ヒルズ ウエストウォーク、03-3478-9991)のヘッドバーテンダー、伴貴将(ばん・たかまさ)さんが考案したスペシャルカクテル5種類を提供するバーを期間限定で開店する。

「セルバレイ・ラム」はブルーノ・マーズさんがラム愛好者の3人と共同で造りだしたパナマ産のプレミアムラムで、濾過を繰り返したクリアな味の「ホワイト」と、チョコの香る独特な味わいの「カカオ」の2種類があり、現在はアメリカのみで売られており、2018年から日本でも販売される。それに先駆けて、銀座ロフトで5種類のカクテル(800円から900円)を提供し、ボトル(3240円と3564円)を先行販売する。

ブルーノ・マーズさん。

ウイキペディアによると、「ラム酒」とは西インド諸島が原産地と考えられている、サトウキビの廃糖蜜、または絞り汁を原料として造られる蒸留酒で、サトウキビに含まれるショ糖を酵母でアルコール発酵させてエタノールに変えた後、蒸留、熟成して造られる。

アルコール発酵原料の点では、一般的なラム酒(インダストリアル・ラム)は砂糖を製造する際の副産物である廃糖蜜(モラセス)のみを使用する。蒸留後の熟成に関しては、ラムは基本的にオークの酒樽に入れて熟成される。ラム酒はそのまま、あるいはカクテルベースとして飲用に用いられる以外に、ケーキ、タルトなど焼き菓子の風味づけにも多用され、レーズンをラムに漬け込んだラムレーズンの形で用いられることも多い。また、アンゴスチュラ・ビターズのように、ラムに他の成分を浸出させたリキュールの製造原料としても用いられる。

ラム酒発祥の地とされるカリブ海の島々にはサトウキビは自生していないため、1492年にヨーロッパ人のアメリカ海域への到着以降にヨーロッパ人がこの海域にサトウキビを持ち込んだところ、気候が合ったため、カリブ海の島々はサトウキビの一大生産地となり、17世紀にはラム酒が存在していたと考えられている。

その後、ジャマイカを中心に砂糖プランテーションが拡大し、モラセスから造られるラム酒の蒸留業も盛んになった。これには砂糖、銃、奴隷の三角貿易も強い影響を与えている。つまり、西インド諸島でモラセスを船に積み込み、アメリカに運び、アメリカでラム酒を製造し、船でアフリカへ運んで、アフリカでラム酒で黒人の購入代金を支払い、黒人を奴隷として西インド諸島に運び、サトウキビ栽培の労働力とした。この三角貿易は奴隷貿易が廃止される1808年まで続いた。

1740年に英国海軍は水兵に士気を鼓舞したり、娯楽のためにラム酒を支給し、このラムの支給は1970年まで続いた。このため、ラム酒は航海や海の男のイメージを強くした。映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのヒットにより、英国ではラム酒が売れ、バーでもモヒート、ピニャ・コラーダ、マイタイ、キューバ・リブレといったラムベースのカクテルが好まれ、3作目となる「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」が公開された2007年には、ダーク・ラム消費量が前年比31%増となり、英国のテスコではゴールデンラムの売り上げが前年比65%増になったという。

ラム酒の造り方については、発酵させてできた醸造酒を蒸留し、エタノールの濃度を高めてから熟成させる工程は共通だが、主に原料によってインダストリアル製法とアグリコール製法に分類される。インダストリアル製法は、サトウキビから砂糖を精製する際の副産物であるモラセスを原料として作られるもので、この製法で作られたラム酒が、世界的にはラム酒の総生産量の約97%から98%を占める。

モラセスを貯蔵しておくと、好きな時に醸造を開始することが可能なため、サトウキビの収穫時期に拠らず通年でラム酒の原料となる醸造酒の製造開始が可能であり、できあがった醸造酒を次の蒸留工程へと送ることで、年中ラム酒を製造できる。

アグリコール製法は、サトウキビの搾り汁から砂糖を精製せずに、搾り汁を直接、原料として醸造酒を造るもので、インダストリアル製法より新しく、世界的にもラム酒の総生産量の約3%ほどしかない。また、サトウキビは刈り取った瞬間から加水分解やバクテリア発酵が始まるため、栽培地の近くでないとこの製法は行えず、収穫時期以外はラム酒の原料となる醸造酒の製造を開始できない。

11日から15日まで12時から19時までオープニングイベントとして、アーティストでマンガ集団「マッシュコミックス(mashcomix)」のメンバー、ホガリ(Hogalee)さんのマスキングテープによるライブアートを行う。スペシャルバーの横、高さ3メートル、横6メートルの壁面にビッグサイズのボードにブルーノ・マーズさんの楽曲「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー(Just The Way You Are)」をイメージした世界観を描く。

営業時間は16時から19時。

ギャルリー志門で30年記念、深井隆、長谷川浩子、浅野井春奈彫刻展

【銀座新聞ニュース=2017年12月10日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は12月11日から21日まで「ギャルリー志門30周年記念特別企画」の第16弾として、深井隆さん、長谷川浩子さん、浅野井春奈さんによる「翼」展を開く。

ギャルリー志門で12月11日から21日まで「ギャルリー志門30周年記念特別企画」の第16弾として開かれる「翼」展に出品される作品(左から長谷川浩子さん、深井隆さん、浅野井春奈さん)。

ギャルリー志門は1987年1月に創業し、同年12月に法人化、現在、代表取締役を谷田部美子(旧姓深井、やたべ・よしこ)さんが務めている。また、画廊の中には、カウンターを設置して、「ギャラリーバー(BAR)」としてアルコール類を飲めるようにしてある。

設立30年を記念して、1月から12月まで毎月、記念展を企画しており、その第16弾として、東京芸術大学出身の3人の彫刻家、深井隆(ふかい・たかし)さん、長谷川浩子(はせがわ・ひろこ)さん、浅野井春奈(あさのい・はるな)さんのグループ展を「翼」展と題して開く。

深井隆さんは1951群馬県生まれ、1976年に東京芸術大学美術学部彫刻科を卒業、1978年に同大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了、1984年に同大学美術学部彫刻科講師、1985年に文部省在外研究員として英国(王立美術学校/R.C.A)に滞在し、研究に従事、1994年に東京芸術大学美術学部彫刻科助教授、2005年から同大学美術学部彫刻科教授を務めている。

1988年に第19回中原悌二郎(なかはら・ていじろう、1888-1921)賞で優秀賞、1989年に第14回平櫛田中(ひらくし・でんちゅう、1872-1979)賞、1997年に第17回現代日本彫刻展で宇部市野外彫刻美術館賞、埼玉県立美術館賞、1999年に第27回長野市野外彫刻賞、2002年に第12回タカシマヤ美術賞、2003年に第6回倉吉緑の彫刻賞、2013年に紫綬褒章、2014年に板橋区民文化特別賞を受賞している。

長谷川浩子さんは1961年新潟県新発田市生まれ、1988年に東京芸術大学大学院彫刻専攻を修了、1989年に第19回現代日本美術展で入選、1990年に福島県いわき市の山間部に移り住み、1998年に雪梁舎(せつりょうしゃ)展で雪梁舎賞、2008年に同市の海辺部に自宅兼アトリエを移転、2011年に東日本大震災により自宅兼アトリエを津波で流され、新潟の実家に移り、その後、奈良県明日香村を経て、天理市に移転した。現在、京都造形大学非常勤講師。夫は彫刻家の安藤栄作(あんどう・えいさく)さん。

浅野井春奈さんは1990年東京都生まれ、2012年に東京芸術大学美術学部彫刻科を卒業、2014年に同大学大学院美術研究科彫刻専攻修士課程を修了した。2012年に「芸大アーツイン東京丸の内」で三菱地所賞を受賞、「第7回アトリエの末裔あるいは未来」(旧平櫛田中=ひらくし・でんちゅう、1872-1979=邸)に毎年出品している。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。