DRが銀座5丁目に神戸牛しゃぶしゃぶ店、獺祭も

【銀座新聞ニュース=2018年2月14日】居酒屋「佐渡島へ渡れ」や「竹庭」など34店舗を展開する株式会社ディー・アール(港区浜松町2-10-10、第2小林ビル)は2月15日に「神戸牛しゃぶしゃぶ おもき 離れ」(中央区銀座5-8-9、BINO銀座、03-3569-3530)を開店する。

2月15日に開店する「神戸牛しゃぶしゃぶ おもき 離れ」の店のイメージ。

ディー・アールは2015年10月に松阪豚、松阪牛、松阪野菜などを使ったしゃぶしゃぶ、すき鍋を味わえる和食店の「おもき 銀座店」(中央区銀座8-2-1、ニッタビル)を開店しており、銀座地区では2店舗目になる。

ワインや日本酒「獺祭(だっさい)」などの出汁4種類から選べる神戸牛しゃぶしゃぶや、牛刺し、肉寿司、ステーキなど神戸牛や但馬牛など国産和牛を使ったメニューを味わえる。中でも「神戸牛しゃぶしゃぶ」(1人前税込5940円から1万1340円)が売りで、「ジュヴレシャンベルタン」の赤ワイン出汁、獺祭スパークリングを使用した日本酒出汁、岐阜県白川町産の白川茶を使用した緑茶白川茶のお茶出汁、 温泉水で作ることで日高昆布の旨みが溶けだした出汁に和歌山紀州の南高梅を入れた南高梅入り黄金昆布だしの4種類から選べる。

店で提供される神戸牛のしゃぶしゃぶ。

しゃぶしゃぶのほかに、神戸牛や但馬牛などの和牛を楽しめるメニューもあり、「但馬牛の霜降り肉寿司」(810円)、「但馬牛の赤身刺し」(1706円)、「神戸牛のローストビーフ」(2700円)、「神戸牛霜降りステーキ」(7128円)、「但馬牛の漬け茶漬け」(1490円)、「但馬牛の赤身ウニ巻き」(1274円)なども提供する。

飲み物は日本酒「獺祭」の他5種類、ワインやシャンパンも16種類など用意している。

ウイキペディアによると、神戸牛は兵庫県で生産された「但馬牛」(黒毛和種)からとれる枝肉が一定の基準を満たした場合に、「但馬牛」の呼称の代わりに用いることができる牛肉のブランド名で、日本三大和牛の1つとされる。神戸牛の証しとして、兵庫県の花であるノジギクを形どった刻印が押されている。

歴史的には、神戸港が1868年に開港され、多くの外国人が入るようになり、農家の作業などに飼育されていた但馬牛を食べた英国人が、その味を絶賛したことが始まりといわれる。これがのちに「神戸ビーフ」と呼ばれ、外国へ輸出されたり、全国に流通するようになった。神戸開港と同時に伊藤博文(いとう・ひろぶみ、1841-1909)が兵庫県知事に就任するが、英国留学の経験がある伊藤博文は好んで神戸ビーフを食べた。

現在の神戸ビーフ(神戸肉)は、役畜として飼われてきた小柄な但馬牛が食肉用に改良を重ねられ、肉の断面に霜降り(サシ)と言われるマーブル状に脂肪が入った肉質のものが出来るようになったことにより生まれた。1980年代には「神戸ビーフ」などの名称が知られるようになったが、明確な基準がなかったため肉質にはバラつきがあり、兵庫県が協賛して1983年に生産、流通、消費の関係団体が集まって「神戸肉流通推進協議会」(事務局:全農兵庫県本部畜産部)を創設し、同協議会により「神戸ビーフ」というブランドが誕生し、定義が明確化された。このとき、脂肪交雑のBMS値はNo.7以上とされた。

2001年にBSE問題や産地偽装事件が問題になると、2003年の牛肉トレーサビリティ法施行を前にして、2002年9月にBMS値をNo.6以上に「神戸ビーフ」の基準を下げた。2006年4月1日の規約改定により、450キロ以下だった枝肉重量基準は470キロ以下となり、下限がメスは230キロ、オスは260キロとなった。2009年にアメリカ大統領のオバマ(Barack Hussein Obama2、1961年生まれ)さんが、訪日を前に「神戸ビーフとマグロが食べたい」との要望を外交筋を通じて行っていた。

兵庫県産(但馬牛)のうち、歩留等級が「A」または「B」等級ならば「但馬牛」など「但馬ビーフ」と呼称される牛肉となり、このうち、以下のすべての基準を満たした牛肉は、神戸ビーフや神戸肉、神戸牛の呼称を用いることもできる。

メスでは未経産牛、オスでは去勢牛で、脂肪交雑の牛脂肪交雑基準(BMS)値No.6以上、枝肉重量がメスでは230キロから470キロ、オスでは260キロから470キロ、瑕疵の表示がある枝肉は、神戸肉流通推進協議会の委嘱会員の判定に依存する。こうした「神戸ビーフ」の基準を満たしている牛肉は、神戸ビーフと但馬牛のいずれかの銘柄名を任意に選んで出荷することができる。

営業時間は平日昼間が11時から15時、夜が17時から23時。土・日曜日、祝日は11時から23時。

丸善日本橋で注器展、蟻川誠、江口智己、渡辺信史ら7人

【銀座新聞ニュース=2018年2月13日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2月14日から20日まで3階ギャラリー特設会場で蟻川誠さんら陶芸家による「注器展‐卓上を廻り 机上を彩る」を開く。

丸善・日本橋店で2月14日から20日まで開かれる陶芸家による「注器展‐卓上を廻り 机上を彩る」のフライヤー。

人と人との間を行きかう器は時には卓上を廻り、時には机上を彩る。蟻川誠(ありかわ・まこと)さんら7人の陶芸家による「注器(つぎ)」を展示販売する。

今回、出品しているのは蟻川誠さんのほか、江口智己 (えぐち・ともみ)さん、竹下努(たけした・つとむ)さん、田中大喜(たなか・だいき)さん、中西申幸(なかにし・しんこう)さん、貫井美保子(ぬくい・みほこ)さん、「陶工房 扇屋」を主宰する渡辺信史(わたなべ・しんじ)さん。

蟻川誠さんは1972年群馬県生まれ、1996年に武蔵野美術大学大学院陶磁専攻を修了、2001年に千葉県千葉市にて築窯、2008年に群馬県渋川市へ工房を移転した。朝日現代クラフト、朝日陶芸展などで入選している。

江口智己さんは1971年東京都生まれ、武蔵野美術大学空間演出デザイン学科中退、千葉県富津市で制作している。

竹下努さんは1986年長野県生まれ、2007年岐阜県立多治見工業高校専攻科卒業、「(有)玉山窯」に入社、岐阜県重要無形文化財保持者の玉置保夫(たまおき・やすお)さんに師事、2011年に土岐市織部の日記念事業第4回現代茶陶展で入選、2013年に「玉山窯」を退社、独立し、第20回美濃陶芸庄六賞茶碗展で銀賞を受賞し、岐阜県土岐市で制作している。

田中大喜さんは1976年京都府京都市生まれ、2004年に愛知県立窯業高等技術専門校を卒業、岐阜県瑞浪市の窯元に入社し、2006年に退社して同県土岐市で独立し、2010年に滋賀県大津市に工房を移した。

中西申幸さんは1968年大阪府大阪市生まれ、2000年に京都伝統工芸専門校を卒業、2001年に第56回姫路市美術展で入選、2003年に徳島県上坂町に「光萌窯」を築窯し、制作している。

貫井美保子さんは東京都文京区生まれ、2001年に愛知県立窯業高等技術専門校を卒業、瀬戸市に「工房聖窯」を構えて制作している。

渡辺信史さんは1997年に武蔵野美術大学短期大学部工芸デザイン専攻科を卒業、在学中に陶器コースを専攻、1997年に「九つ井 陶郷(ここのついど すえのさと)」(神奈川県)の陶器の制作スタッフとして入社、2005年に独立、「陶工房 扇屋」(神奈川県鎌倉市)を主宰している。現在、駒沢女子大学非常勤講師。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。

丸善丸の内で仏J・モワラス展、幻想具象画40点

【銀座新聞ニュース=2018年2月13日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は2月14日から21日まで4階ギャラリーでジャン・モワラスさんによる絵画展を開く。

丸善・丸の内本店で2月14日から21日まで開かれるジャン・モワラスさんの個展に出品される「ケルマゲン」。

フランスの現代美術画家、ジャン・モワラス(Jean Moiras)さんは旅から得たインスピレーションをもとに描かれる独自の構図と進化し続けるマチエール(美術的効果)により「幻想具象画」と呼ばれ、ヨーロッパの人々を魅了している。今回は新作を中心に約40点を展示販売する。

ジャン・モワラスさんは1945年フランス・シャマリエール生まれ、1965年にパリのエコール・デ・ボザールで学び、1973年にスイス・ローザンヌの「デンジェ(Denges)展」で「ヤング・アーティスト賞」を受賞、 その後、フランスのオーヴェルニュの「ピュイ・ド・ドーム」で「バルカン賞」、アメリカのニューヨークの「アートエキスポ」で銀メダル、 2005年にクレルモンフェランで名誉勲章、2006年にシャマリエールで名誉勲章を受賞している。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)まで、入場は無料。18日は休み。

ギャルリー志門で歌人の高安国世と高安醇「父と子」展

【銀座新聞ニュース=2018年2月12日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は2月12日から17日まで高安国世と高安醇さんによる「父と子」展を開く。

ギャルリー志門で2月12日から17日まで開かれる高安国世と高安醇さんの「父と子」展に展示される作品集。

歌人で、短歌結社「塔」の創設者として知られた元京都大学教授だった高安国世(たかやす・くによ、1913-1984)と、その3男で生まれた時から聴覚に障がいがありながらも、色彩の使い方に独自のものがあり、「色彩のアーティスト」ともいわれる高安醇(たかやす・じゅん)さんが2017年に「高安国世・高安醇 短歌と絵画 父と子 作品集」を刊行されたのを記念して親子展を開く。

ウイキペディアによると、高安国世は1913年大阪府大阪市道修町生まれ、母やす子がアララギの歌人で、母の影響を受けて短歌を志し、1934年にアララギに入会、土屋文明(つちや・ぶんめい、1890-1990)に師事し、「リアリズムに基礎を置きながらも、現実には存在しないものを表現の対象に求めるなど、常に新しい表現を求め続けた」としている。

1937年に京都帝国大学文学部独文科を卒業、1942年に旧制第三高等学校教授、1949年に京都大学教養部助教授、1949年に最初の歌集「真実」(作品発表年次では第2歌集に当たる)、1952年に関西アララギ地方誌「高槻」を「関西アララギ」と改名し、編集者となり、1954年に歌誌「塔」を創刊し、1957年にドイツに留学、1963年に京都大学教養部教授に就任した。

1970年に「現代歌人集会」を結成、初代理事長に就任、1976年に京大を定年、関西学院大学教授、1982年に梅花女子大学教授、1983年に京都府文化功労賞、1984年に「光の春」で第7回現代短歌大賞を受賞し、同年に死亡した。

高安醇さんは1944年京都府京都市生まれ、1964年から1968年の4年間、京都府立聾学校高等部美術コース助手を勤め、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)西洋画科で委託生、1971年に京都精華短期大学(現京都精華大学)美術科絵画コース専攻科を修了、以後、各地で個展、グループ展に出展、2009年に英日芸術家交流グループ展、日韓現代美術同行展、日本現代アーティスト展に参加、2010年に「UJADF アワード(AWARD)2010展」に出品している。1992年から2009年まで行動美術協会に所属した。

1970年に京展で京都美術懇話会賞、京都洋画新人展で京都府買上げ、1971年に全関西行動美術展で京都洋画材連盟賞、京展で市長賞、1985年に京都フェスティバル展で京都画廊連盟賞、1989年に第11回エンバ展コンクールで新人賞、1990年に行動美術展で京都府知事賞、2004年に第10回朝日チューリップ展で入賞している。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。

ヤマハ銀座でペイントピアノ展示、桑原あいライブ

【銀座新聞ニュース=2018年2月12日】大手楽器、ゴルフ用品メーカーのヤマハ(港区高輪2-17-11、03-5488-6611)とグループのヤマハミュージックジャパン(港区高輪2-17-11、03-5488-5443)は2月14日から3月12日までヤマハ銀座店(中央区銀座7-9-14)1階で「LovePianoo-ピアノをもっと身近に、そして楽しんでほしい」を開く。

ヤマハ銀座店で2月14日から3月12日まで開かれる「ラブピアノ(LovePianoo)」に展示されるペイントピアノ。

2017年秋に「ピアノをもっと身近に感じてほしい。そして楽しんでほしい。」という想いでヤマハが立ち上げたプロジェクト「ラブピアノ(LovePiano)」から生まれたカラフルにペイントされたピアノを「自由に弾けるピアノ」として展示する。

カラフルにペイントされたピアノは「ラブピアノ」をテーマにして、イラストレーターで、パフォーマーペインターとして知られる立川恵一(たちかわ・けいいち)さんがデザインし、御茶の水美術専門学校の4人の学生とともにヤマハアップライトピアノ「bシリーズ」に彩色を施し、2017年9月にJR新宿駅「スイカ(Suica)のペンギン広場」、12月に東京湾アクアライン「海ほたるパーキングエリア」に展示し、だれでも自由に演奏できるようにした。

これに次いで、ヤマハ銀座ビルで約1カ月で展示し、期間中はペイントピアノに近寄り、触れる、弾く、仲間とセッションする、聴く、見る、写真を撮るなど、自由に楽しめる。

ペイントピアノを使ってライブを開く桑原あいさん。

ウイキペディアによると、現在のピアノはトスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチ(Ferdinando de’Medici、1663-1713)の楽器管理人であったイタリア・パドヴァ出身のバルトロメオ・クリストフォリ(Bartolomeo Cristofori di Francesco、1655-1731)が発明したとみなされている。いつ最初にピアノを製作したのかは明らかでないが、メディチ家の目録から1700年にはピアノがすでに存在していた。現存する3台のクリストフォリ製作のピアノは、いずれも1720年代に製作された。

当時、ピアノに先行する弦を張った鍵盤楽器としてはクラヴィコードとチェンバロが特に普及していた。クラヴィコードは弦をタンジェントと呼ばれる金属片で突き上げるもので、鍵盤で音の強弱のニュアンスを細かくコントロールできる当時唯一の鍵盤楽器であったが、音量が得られず、狭い室内での演奏に制限された。

一方のチェンバロは弦を羽軸製のプレクトラムで弾くものであり、十分な音量が得られたものの、ストップ(レジスター)の切り替えで何段階かの強弱を出せる他は自由に強弱をつけて演奏することは困難だった。これらの鍵盤楽器は数世紀にわたる歴史を通じて、ケース、響板、ブリッジ、鍵盤のもっとも効果的な設計が追求され、クリストフォリ自身がすぐれたチェンバロ製作家だったのでこの技術体系に熟練していた。

クリストフォリは、ハンマーが弦を叩くが、その後弦と接触し続けない、というピアノの基本機構を独自に開発した。クラヴィコードでは鍵を押している限りタンジェントが弦に触り続けるが、ハンマーが弦に触れ続ければ響きを止めてしまう。さらに、ハンマーは激しく弾むことなく元の位置に戻らなければならず、同音の連打にも堪えなければならない。

クリストフォリのピアノアクションは、後代のさまざまな方式のアクションの原型となり、細い弦を用いており、モダンピアノより音量はかなり小さいが、クラヴィコードと比較するとその音量は相当に大きく、響きの持続性も高かった。

クリストフォリの新しい楽器は、1711年にイタリアの文筆家サマーヴィル(スキピオーネ・マッフェイ、Scipione Maffei、1675-1755)がピアノを称賛する記事をベネチアの新聞に掲載するまでは広く知られていなかった。この記事には構造の図解も掲載されており、広く流通して、次世代のピアノ製作家たちにピアノ製作のきっかけを与えることとなった。

オルガン製作者として知られるゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann、1683-1753)もその1人で、ジルバーマンのピアノは、1点の追加を除いては、ほぼクリストフォリ・ピアノの直接のコピーであった。ジルバーマンが開発したのは、すべての弦のダンパーを一度に取り外す、現代のダンパー・ペダルの原型であった。

ピアノ製作は18世紀後半にウィーンを中心に盛んとなり、ドイツ・アウクスブルクのヨハン・アンドレアス・シュタイン(Johann Andreas Stein、1728-1792)、その娘でウィーンのナネッテ・シュトライヒャー(Nannette Streicher、1769-1833)、同じくウィーンのアントン・ワルターなどが活躍した。ウィーン式のピアノは、木のフレームに1音2弦の弦を張り、革で覆ったハンマーをもつ。また現代のピアノとは黒鍵と白鍵の色が逆のものもある。

1790年から1860年頃にかけて、ピアノはモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart、1756-1791)の時代の楽器から、いわゆるモダンピアノに至る劇的な変化を遂げる。この革新は、作曲家や演奏家からのより力強く、持続性の高い響きの尽きない要求への反応であり、高品質の弦を用いることができ、正確な鋳造技術により鉄製フレームを作ることができるようになるといった、同時代の産業革命によって可能となったことであった。

時代を追って、ピアノの音域も拡大し、モーツァルトの時代には5オクターブであったものが、モダンピアノでは7と3分の1オクターブか時にはそれ以上の音域を持っている。初期の技術革新の多くは、イギリスのブロードウッド社の工房でなされた。ブロードウッド社は、開発を重ねて次第に大型で、音量が大きく、より頑丈な楽器を製作し、初めて5オクターブを越える音域のピアノを製作した。

1790年代には5オクターブと5度、1810年には6オクターブの楽器を作っている。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn、1732-1809)とルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン(Ludwig van Beethoven、1770-1827)にも楽器を送り、ベートーベンはその後期の作品で、拡大した音域を利用して作曲している。

1820年代になると、開発の中心はパリに移り、エラール社の楽器はフレデリック・ショパン(Frederic Francois Chopin、1810-1849)やフランツ・リスト(Franz Liszt、1811-1886)が愛用した。1821年にエラール社の創業者、セバスチャン・エラール(Sebastien Erard、1752-1831)は、「ダブル・エスケープメント・アクション」を開発し、鍵が上がり切っていないところから連打できるようにした。

この発明によって、素早いパッセージの演奏が容易となり、ダブル・エスケープメント・アクションの機構は改良を経て、グランドピアノの標準的なアクションとなり、今日生産されているグランドピアノは基本的にこのアクションを採用している。

日本にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold、1796-1866)によって初めてピアノがもたらされたのもこの時期で、山口県萩市の熊谷美術館には1823年にシーボルトより贈られた日本最古のピアノが現存する。現代のアップライト・ピアノおよびグランド・ピアノは、19世紀末に現在の形にたどり着いた。その後も製造工程や細かい部分の改良は依然として続いている。

3月4日15時と17時からヤマハ銀座ビル1階ポータルでジャズピアノ奏者の桑原(くわばら)あいさんによる「ラブピアノ(LovePiano)」を使ったライブを開く。入場は無料。会場でCDを購入すると、サイン会に参加できる。

当日、テレビ朝日系「サタデーステーション」と「サンデーステーション」のオープニングに採用されている「ディア・ファミリー(Dear Family)」をはじめ、「サムデイ・マイ・プリンス・ウイル・カム(Someday My Prince Will Come)」などを演奏する予定。

桑原あいさんは1991年生まれ、洗足学園高校音楽科ジャズピアノ専攻を卒業、ヤマハエレクトーンコンクール全日本大会で金賞、2004年に雑誌「アエラ(AERA)」に「天才エレクトーン少女」として掲載され、中学生後半よりピアノに転向し、高校卒業後の2010年4月に最初のライブを開き、2011年にヤングアメリカンズ・ドイツ公演に参加、大泉洋(おおいずみ・よう)さんの「大泉ワンマンショー」の全国ツアーにピアノ奏者として参加した。

2012年に最初のアルバムを発売し、2013年に2枚目のアルバムを発売し、タワーレコードジャズチャート1位を獲得、ジャズ・ジャパン・アワード(JAZZ JAPAN AWARD)2013のアルバム・オブ・ザ・イヤー:ニュー・スター部門、第26回ミュージック・ペンクラブ音楽賞ポピュラー部門ブライテスト・ホープ賞などを受賞し、第12回東京ジャズ(JAZZ)フェスティバルにも出演し、アメリカで初の海外ツアーを開いた。

2014年に3枚目のアルバムを発売し、ブルーノート東京、名古屋で公演した。2014年にモントルー・ジャズ・ソロ・ピアノ・コンペティション・イン・かわさきで優勝、2015年に4枚目のアルバムを発売し、スイスのモントルージャズフェスティバルソロピアノコンペティションに出場し、2017年に5枚目のアルバムを発売し、国内ツアーを行っている。

開場時間は11時から19時30分。