ピカデリで「三谷かぶき月光露針路日本」完成披露、松本幸四郎ら挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年9月15日】国内映画業界第3位の松竹(中央区築地4-1-1、東劇ビル、03-5550-1533)は9月24日に丸の内ピカデリー(千代田区有楽町2-5-1、有楽町マリオン、050-6875-0075)でシネマ歌舞伎「三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち」の舞台あいさつ付き完成披露上映会を開く。

10月2日から22日まで東劇(中央区築地4-1-1、東劇ビル、03-3541-2711)などで公開されるシネマ歌舞伎「三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち」((C)松竹株式会社)。

24日18時30分からの完成披露上映会の上映前に、脚本と演出を手掛けた三谷幸喜(みたに・こうき)さん、主人公で「神昌丸」の船頭(ふながしら)「大黒屋光太夫」役の松本幸四郎(まつもと・こうしろう)さん、「神昌丸」の水主(かこ)の「新蔵」役の片岡愛之助(かたおか・あいのすけ)さんが舞台に登場してあいさつする。

ウイキペディアによると、「月光露針路日本 風雲児たち(つきあかりめざすふるさと ふううんじたち)」はマンガ家のみなもと太郎(たろう)さんが第1部として1979年7月から11月の7回を潮出版社の雑誌「月刊少年ワールド」に連載し、1980年から潮出版社刊行の雑誌「コミックトム」に連載された(全212話と外伝)「風雲児たち」が原作だ。

続編は「月刊コミックトムプラス」での連載「雲竜奔馬(うんりゅうほんば)」(1998年から2000年)を挟み、2001年よりリイド社の雑誌「コミック乱」にて「風雲児たち 幕末編」を連載している。

潮出版社の「希望コミックス」版は全30巻、2000年から2003年にかけ、希望コミックス収録分はリイド社より再編し、「ワイド版」の大判単行本全20巻が刊行された。「幕末編」は、現在リイド社SPコミックスで刊行中(2020年1月現在で既刊33巻)。累計発行部数は200万部を超えている。

2018年1月1日に「風雲児たち-蘭学革命(れぼりゅうし)編(ふううんじたち らんがくれぼりゅうしへん)」と題して、NHKの正月時代劇として三谷幸喜さんの脚本によりテレビドラマ化され、放送された。2019年6月1日から25日まで三谷幸喜さんの脚本により「三谷かぶき『月光露針路日本 風雲児たち』」と題して、歌舞伎で上演され、大谷竹次郎賞を受賞した。三谷幸喜さんが歌舞伎を手がけるのは2006年の「決闘!高田馬場」以来2作目となる。

物語は鎖国によって外国との交流が厳しく制限される江戸時代後期が舞台で、大黒屋の息子光太夫は、商船神昌丸の船頭として伊勢を出帆するも、江戸に向かう途中で激しい嵐に見舞われ、帆は折れ、大海原を漂流してしまう。

海をさまよう神昌丸には17人の乗組員たちがおり、光太夫はくじけそうになる乗組員を必死で奮い立たせ、再び故郷の伊勢へ戻るため方角もわからない海の上で陸地を探し求める。しかし、漂流を始めて8カ月、神昌丸はようやく発見した陸地に上陸する。ところがそこは日本ではなく、ロシア領のアリューシャン列島アムチトカ島だった。

異国の言葉と文化に戸惑いながらも、島での生活を始める光太夫たち。厳しい暮らしの中で次々と仲間を失うが、光太夫らは力を合わせ、日本への帰国の許しを得るため、ロシアの大地を奥へ奥へと進む。異国から来た日本人である光太夫たちに対して、親切なキリル・ラックスマンをはじめ、行く先々でさまざまな人の助けを得て、ようやく光太夫はサンクトペテルブルグにて、女帝エカテリーナに謁見する。

チケットは15日10時から一般発売している。料金は全席指定で2200円均一。

インド、9月から封鎖解除、地下鉄再開、スポーツ、娯楽等も100人まで可能に(37)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年9月15日】8月29日、中央政府からアンロックダウン(都市封鎖解除)の指針が発表された。それによると、9月7日からメトロの営業再開、21日からはスポーツ、宗教、娯楽関係の集会は100人までなら許されることになった。

夜のルーフで月見中、地上の民家で刈った芝を焼いているのを目撃、煌々と照る銀月と、野焼きの橙の対照が美しく、見とれた。

また、全州とも、中央政府の許可なしには、封鎖(containment)ゾーン以外はロックダウン(都市封鎖)を継続できなくなった。つまり、グリーンゾーンの当地プリー(Puri)は、5カ月に及ぶ長すぎたロックダウンが解除されるということだが(レッドゾーン5地域での週末ロックダウンや夜間外出禁止令も1日から解除)、州全体で感染者数は既に10万人を突破しただけに、手放しで喜べない。

全土370万人近く、感染拡大に歯止めがかかったわけでなく、地方に蔓延中て、南隣のアンドラプラデシュ州(Andhra Pradesh、43万5000人)は、タミルナドゥ州((Tamil Nadu、42万8000人)を抜いてワースト2位に躍り出たばかり(1位は依然マハラシュトラ州=Maharashtra、州都は巨大港湾都市ムンバイ=Mumbai=で79万3000人)。

一説には、9月末にピークに達するとの見方もあるし、当州ワーストのガンジャム(Ganjam)地方は制御されつつあるとの朗報も伝わっているが、終息が未だ定かでない中、100人規模の集会を許可するのは、感染拡大に無用な拍車をかけそうで、案ぜられる。

それはさておき、9月に入り、めっきり秋の兆し、涼しくなって、海の色も清涼感のある爽やかさ、夕刻屋上に上ると、高い空に淡い満月、その周りを悠々と番(つがい)の鳶(とび)が舞っていた。

観光客がいなくなって、ひとけのほとんどない海は、ゴミも減って美しさを取り戻した。蝶やトンボが舞って、サンダル履きの素足に砂浜が熱く、潮に浸すと、ひんやり心地よかった。

気持ちよさそうに旋回してるのを見上げていると、こっちまで伸びやかな気持ちになって、羽があって自由に羽ばたける鳥はいいなぁと、人間が鳥に憧れた気持ちがひしひしと実感できた。

「コロナ囚人」の枷(かせ)から解放されて、渡り鳥になって母国まで飛び帰りたいとの思いが募り、帰巣本能が疼いた。

●身辺こぼれ話/移住地への愛に目覚める

インド在住の知人が、所用で当州都からコルカタ(Kolkata、西ベンガル州=West Bengal=の州都)まで飛んだ。折しもコロナ真っ盛り、道中の無事を懸念していたが、案ずるより産むが易し、空港の検温もすぐ済んだし、機内は空いていて快適、現地では、予約したホテルが超快適でサービス抜群、それもそのはず、普段なら3倍以上はする4つ星ホテル、コロナ禍で大幅ディスカウントしていたのだった。

しかも、いつもなら混沌としたカオスに満ちた喧騒の都会が、交通渋滞や大気汚染が解消され、爽やか快適、これがあの阿鼻叫喚のコルカタかと、180度の変わりざまにびっくりしたそうだ。

というわけで、いつになく、快適な旅を終えて帰ってきた知人は、ひどくご機嫌だった。コロナも、悪い側面ばかりではない。

屋上から見下ろした椰子と海の楽園、わが移住地プリー。コロナ禍で、ロストパラダイスが蘇った。

現に、当地も大気汚染や混雑が解消され、空気が清浄になって、椰子や海が生き生きしている。

昔の平和と静けさに満ちた楽園時代を彷彿させる変わりざま、失楽園の嘆かわしい変貌ぶりに嘆息していたのは、ついこの間のことだったのに。コロナが世界を変えた。地球環境という側面から見れば、間違いなくいい方向に変わっているのだろう。

蘇った楽園、移住地への今さらながらの愛情の目覚めに、一番驚いているのは何より私自身だ。

屋上から遠目に俯瞰(ふかん)していると、椰子林が潮風に放射状の葉を巨大なヒトデのように蠢かせ、その向こうにミルクブルーの海原、目にしみる純白の波、緑の合間を縫って開けるモザイクのような町並み、寺院の尖塔、風に乗って運ばれてくる祈りの唱歌、まさしくここが熱帯の楽園で、その昔この地にユートピアを夢見て移住を決意した我が原点に立ち帰る思いだった。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

9月9日現在、インドの感染者数は437万0128人、死亡者数が7万3890人、回復者が339万8844人、ついにブラジルを抜いて、アメリカに次いで、2位になっています。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)

丸善日本橋で伊勢崎一門「備前焼」展、淳らと隠崎隆一、金光教悟ら

【銀座新聞ニュース=2020年9月15日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は9月16日から22日まで3階ギャラリーで「第4回丸善・備前焼展-伊勢崎一門の世界」を開く。

丸善・日本橋店で9月16日から22日まで開かれる「第4回丸善・備前焼展-伊勢崎一門の世界」に出品する陶芸家の一覧と作品。

1000年の歴史をもつ備前焼(びぜんやき)の陶芸家で、岡山県重要無形文化財保持者に認定された伊勢崎陽山(いせざき・ようざん、1902-1961)と、その長男で岡山県重要無形文化財に認定された伊勢崎満(いせざき・みつる、1934-2011)、次男で伊勢崎満の弟となる陶芸家で、2004年に国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された伊勢崎淳(いせざき・じゅん、1936年生まれ)さんらの伊勢崎一門15人の作品のほか、茶道具、花器などを展示販売する。

備前焼は、2017年4月29日に越前焼、瀬戸焼、常滑焼、信楽焼、丹羽立杭焼とともに、正式に日本六古窯が「きっと恋する六古窯-日本生まれ日本育ちのやきもの産地」として「日本遺産」に認定されている。

今回、出品するのは、伊勢崎満、伊勢崎淳さんのほか、伊勢崎満の4人の子息、伊勢崎卓(たく、1963年生まれ)さん、伊勢崎紳(しん、1965年生まれ)さん、伊勢崎創(そう、1969年生まれ)さん。

伊勢崎競(きょう、1970年生まれ)さんと伊勢崎紳さんの長男、伊勢崎陽太郎(ようたろう、1995年生まれ)さん、次男、伊勢崎寛太郎(かんたろう、1998年生まれ)さん、伊勢崎競さんの長男、伊勢崎州(しゅう、1996年生まれ)さん。

同じく出品する陶芸家の一覧と作品。

伊勢崎一門の隠崎隆一(かくれざき・りゅういち、1950年生まれ)さん、安田裕康(やすだ・ひろやす、1970年生まれ)さん、寺園証太(てらぞの・しょうた、1972年生まれ)さん、滝川卓馬(たきがわ・たくま、1977年生まれ)さん、佐々木剛(ささき・つよし、1978年生まれ)さん、金光教悟(かねみつ・きょうご、1981年生まれ)さん。

ウイキペディアによると、備前焼は岡山県備前市周辺を産地とする陶器で、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、越前焼(福井県丹生郡越前町)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県篠山市今田町立杭)と並んで「六古窯(ろっこよう)」のひとつに数えられる。2017年4月29日に備前焼は越前焼、瀬戸焼、常滑焼、信楽焼、丹羽立杭焼とともに、正式に日本六古窯として「日本遺産」(2015年度に創設)に認定された。

備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」という呼び方もある。平安時代に作られた須恵器(すえき、古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器のこと)から発展し、鎌倉時代初期には還元焔焼成(かんげんえんしょうせい、炭素が多く酸素の欠乏した不完全燃焼の火焔で焼成すること)による焼き締め陶が焼かれる。

鎌倉時代後期には酸化焔焼成(さんかえんしょうせい、窯内に多く酸素を供給し、完全燃焼の火焔で焼成すること)による現在の茶褐色の陶器が焼かれる。当時は水瓶やすり鉢など実用本位のものが多く、「落としても壊れない」といわれ、当時の作品は「古備前」と呼ばれて珍重されている。

室町時代から桃山時代にかけて茶道の発展とともに茶陶として人気が高まるが、江戸時代には茶道の衰退とともに、安価で大量生産が可能な磁器も出てきて衰え、備前焼は再び水瓶やすり鉢、酒徳利など実用品の生産に戻っている。

明治、大正期に入ってもその傾向は変わらなかったが、昭和に入り、金重陶陽(かねしげ・とうよう、1896-1967)らが桃山陶への回帰をはかり芸術性を高めて人気を復興させる。金重陶陽は重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定され、弟子達の中からも人間国宝を輩出し、備前焼の人気は不動のものとなった。

ゆう薬を使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出されるため、同じ模様にはならないのが特徴とされている。現在は茶器、酒器、皿などが主に生産されている。

また、今回も17日から22日まで「備前焼Xボンサイ(Bonsai)屋 粋-iki」を主宰する小林晶(こばやし・あきら)さんが備前焼の鉢を使って制作した盆栽を販売する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日15時)まで。

注:「伊勢崎」の「崎」は正しくは右側のつくりの「大」は「立」です。

注:「滝川卓馬」の「滝」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

ギャルリー志門でサカイトシノリ「マントン」展、フランスの真珠

【銀座新聞ニュース=2020年9月14日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル、03-3541-2511)は9月14日から19日までサカイトシノリさんによる個展「The Border Drawing Project no.7 MENTON crossing Cote d’Azur『積なる刻ーとき』」を開く。

ギャルリー志門で9月14日から19日まで開かれるサカイトシノリさんの個展に展示される作品。

国境や海峡を旅して描く「クロッシング・ボーダー(Crossing the border)」シリーズを手掛けているサカイトシノリさんがフランスのコートダジュール(Cote d’Azur)を中心とした「マントン(Menton)」を描いた作品を展示する。

ウイキペディアによると、マントンはフランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏(Provence-Alpes-Cote d’Azur)、アルプ=マリティーム県(Alpes-Maritimes)のコミューン(基礎自治体)で、フランスとイタリアの国境にあり、モナコ公国(Principaute de Monaco)との距離は約7キロで、コートダジュールの有名な観光地とされている。また、「フランスの真珠(Perle de la France)」と呼ばれている。

町は地中海に向けて開き、鐘楼を持っており、レモンがマントンの象徴の1つとなっている。地中海の穏やかな気候のおかげで、レモンはたわわに実をつける。1928年から町ではレモン祭りが毎年2月の週末に開かれている。

現在の町の西側にあるペパンの丘の上には、ヴェンティミーリア伯(Ventimiglia)の勢力のもとで建設された城があり、その城の周りに原型となる定住地があったと思われる。ピュイパン(Puypan)の領主は、ほかの城を建てていたジェノヴァ共和国(Repubblica di Genova、1005年から1797年まで存在)の一族ヴェント家(Famille des Vento)のもとに降伏した。これが現在のマントンの町を生み出した。

マントンについて初めて言及したのは、1262年7月21日、シャルル・ダンジュー(Charles d’Anjou)とジェノヴァの間で締結された平和条約においてで、マントンの位置は、アンジュー家が治めるプロヴァンス伯領(comte de Provence)と、ジェノヴァ共和国領との境界にあたった。当時、モナコはマントンの西側の領有を主張した。

1346年、モナコ領主カルロ・グリマルディ(Carlo Grimaldi)がマントンを獲得すると、マントンはモナコ領主の宗主権下に5世紀間、1848年まで置かれたが、1848年にはサルデーニャ王国(Regno di Sardegna)の保護下に入った。モナコが、マントンの主要輸出品であるレモンに課税し続けたためで、隣接するロクブリュヌとマントンはサルデーニャ王国の保護を求めて自由都市を宣言し、サヴォイア家(Maison de Savoie)に管理された。

2つの町がフランス領となったのは、ニース伯領(Nice)がフランス領となった1861年で、同年に行われた住民投票で、マントンはフランス併合に賛成した。フランスとサヴォイア家によって交渉が行われ、ナポレオン3世(Napoleon Ⅲ、1808-1873)はモナコに対して、公国が失った領土の損害賠償として、補償金として400万フランを支払った。

1940年6月24日にフランスがドイツと停戦すると、コミューン面積の3分の2が1940年から1943年9月8日までイタリアに併合された。イタリア人たちは6月24日から占領を開始し、イタリアの都市「メントーネ」に変え、1943年9月からドイツ軍が町を占領し、数週間にわたる爆撃のさなかの1944年9月6日に撤退した。アメリカ軍とカナダ軍がマントンに戻ったのは9月8日であった。人口は約2万8000人(2015年現在)。

サカイトシノリさんは1958年北海道旭川市生まれ、1981年に武蔵野美術大学を卒業、同年に銀座スルガ台画廊で個展、1984年に「モダンアート展」で新人賞(1985年に奨励賞、1987年に協会賞、安田火災美術財団奨励賞)、「埼玉現代美術の祭典」で大賞、1985年に「吉原治良賞美術コンクール」で優秀賞(1989年にも優秀賞)、スペイン王立美術館の「現代日本代表作家展」でミロ賞。

1987年に「日本現代美術展」で佳作賞、富山県立近代美術館賞、1988年に「第8回現代日本絵画展」で宇部興産株式会社賞(1990年にテレビ山口株式会社賞)などを受賞している。また、絵画教室「アトリエ・サガン」(渋谷区東3-15-5、AYビル、03-3797-5501)で毎週月曜日と水曜日に講師を務めている。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。

丸善丸の内で野村重存「風景水彩画」展、ぬりえ式ドリル刊行記念

【銀座新聞ニュース=2020年9月13日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は9月16日から22日まで4階ギャラリーで野村重存さんによる個展「『水彩&色鉛筆で描く 野村重存のぬり絵式練習帳』出版記念-風景水彩画を中心に」を開く。

丸善・丸の内本店で9月16日から22日まで開かれる野村重存さんの個展「『水彩&色鉛筆で描く 野村重存のぬり絵式練習帳』出版記念-風景水彩画を中心に」に展示される「雲海暁光(高千穂)」(紙に水彩)。

水彩画家の野村重存(のむら・しげあり)さんが9月に「水彩&色鉛筆で描く野村重存のぬり絵式練習帳」(日貿出版社、税別2000円)を刊行したのを記念して、原画や日本各地に取材した水彩や素描による風景画などを展示する。

「水彩&色鉛筆で描く野村重存のぬり絵式練習帳」は、野村重存さんのお手本作例を参考にしながら、水彩絵の具や色鉛筆を使って着色の練習ができる「ぬりえ式ドリル」で、モチーフは国内外の美しい風景で、構図選びから形を描くまでが難しい風景画も、本書なら下絵が完成しているので、着色のテクニックだけに集中して学ぶことができる。

野村重存さんは1959年東京都板橋区生まれ、1986年に多摩美術大学絵画科油画専攻を卒業、1988年に同大学大学院美術研究科絵画専攻を修了、同大学助手、美術専門雑誌社、「光と緑の美術館」勤務などを経て、現在、カルチャースクール、生涯学習講座の水彩画、デッサンなどの講師を務め、TBS(毎日放送)系バラエティ番組「プレバト」の水彩画のレギュラー査定員として出演している。現在、NHK学園等講師、多摩美術大学非常勤講師。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)。