ピカデリ「Fukushima」、佐藤浩市、渡辺謙ら上映再開挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年7月7日】国内映画業界第3位の松竹(中央区築地4-1-1、東劇ビル、03-5550-1533)とカドカワ(中央区銀座4-12-15、歌舞伎座タワー)グループ傘下の書籍、映画配給などの事業会社で中堅映画配給会社のKADOKAWA(千代田区富士見2-13-3)は7月9日に丸の内ピカデリー(千代田区有楽町2-5-1、有楽町マリオン、050-6875-0075)で「Fukushima 50」のカムバック上映記念舞台あいさつを開く。

7月から再度、一般公開されている「フクシマ(Fukushima)50」((C)2020「Fukushima 50」製作委員会)。

9日18時30分の回上映前に、監督の若松節朗(わかまつ・せつろう)さんをはじめ、福島第一原発1、2号機当直長「伊崎利夫」役の佐藤浩市(さとう・こういち)さん、福島第一原発所長「吉田昌郎」役の渡辺謙(わたなべ・けん)さんが舞台に登場してあいさつする。

「フクシマ(Fukushima)50」は3月6日から一般公開されたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、映画館が休業を余儀なくされ、途中で上映が打ち切られていた。このため、丸の内ピカデリーで7月9日からの上映再開を決めたことから、それを記念して舞台あいさつを開く。

「フクシマ(Fukushima)50」は門田隆将(かどた・りゅうしょう)さんのノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(2012年)を原作に、2011年3月11日の東日本大震に伴う福島第一原子力発電所事故発生時に発電所に留まって対応業務に従事した約50人の作業員たちの闘いを描いている。

物語は2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失してしまうところからはじまる。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走する。

ウイキペディアなどによると、若松節朗さんは秋田県河辺郡河辺町(現秋田市)生まれ、日本大学芸術学部放送学科を卒業、テレパックのテレビドラマのAD、演出補として、1980年にフジテレビの「ゆく道くる道わかれ道」、1982年にフジテレビ「おまかせください、オレの女房どの」、1983年にフジテレビ月曜ドラマランド「どっきり天馬先生」などを手掛け、1986年に共同テレビに入社した。

同年にフジテレビ「透明少女」、1987年にフジテレビ「ラジオびんびん物語」などを手掛け、1994年に映画「コンプレックス・ブルー(COMPLEX BLUE)」を監督、2001年に映画「ホワイトアウト」で日本アカデミー賞優秀監督賞、2010年に「沈まぬ太陽」で日本アカデミー賞優秀監督賞などを受賞し、2012年10月に舞台「地球の王様」で演出を務め、2014年に「柘榴坂の仇討」を監督、2019年に「空母いぶき」を監督し、共同テレビジョン役員待遇エグゼグティブディレクターを経て、現在、フリー。

チケットはチケットぴあを通じて一般発売中。料金は一般2100円、大学生1700円、高校生以下、小学生以上、障がい者1200円、60歳以上のシニア1400円。

丸善日本橋で原田泰治「ふるさと」版画展

【銀座新聞ニュース=2020年7月7日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月8日から14日まで3階ギャラリー特設会場で原田泰治さんによる版画展「美しい日本 ふるさとの詩」を開く。

丸善・日本橋店で7月8日から14日まで開かれる原田泰治さんの版画展「美しい日本 ふるさとの詩」に出品される「野菊咲く丘」((C)原田泰治)。

画家でグラフィックデザイナーの原田泰治(はらだ・たいじ)さんは日本の自然豊かなふるさとの風景や古くから日本に息づく風物詩を描いており、その素朴でありながら心に届く作風で知られている。

原田泰治さんが描くふるさとの姿は、「単なる心象風景ではなく、郷土への深い愛を描いた現代の日本に残る実際のふるさとの風景」(丸善)であり、「自らのふるさとを見つめ、自然の中に慎ましやかに生きている人々の姿の大切さ、美しさを感じ取り、心を込めて」描いているという。今回は日本と海外を描いた作品を高精細なレフグラフファイン版画(デジタルプリンターを使った複製方式)にして展示販売する。

原田泰治さんは1940年長野県諏訪市生まれ、1963年に武蔵野美術大学商業デザイン科を卒業、故郷でデザインスタジオを開設し、デザイナーとして活動、1980年に第29回小学館絵画賞を受賞、1982年から朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載、1989年にアメリカで展覧会を開き、1997年に長野冬季オリンピック大会の文化芸術祭に参加、1998年に諏訪湖のほとりに諏訪市原田泰治美術館(名誉館長さだまさしさん)が開館した。

2000年に日本の全国20カ所で「日本の童謡・唱歌100選展」を開き、2008年に上田電鉄1000系電車のラッピング車両「自然と友だち」のデザインを担当している。現在、日本グラフィックデザイナー協会会員、クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員、中国・上海金山農民画協会会員。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)。

インド、100万人突破予想も、2段階で緩和進む(26)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年7月7日】7月3日、無事、山車祭の帰社祭が終わった。コロナ下、よくぞ敢行したものである。これで当地プリーの名高い伝統行事は来年以降も催行継続と、守られることになった。

「ホテルラブ&ライフ(Love & Life)」の別棟のビル2階のコーナールームで、ムンバイ帰りの息子は隔離義務を遂行中。休業要請106日に突入し、起死回生の望みも薄まる中、すこぶる元気な息子の全館貸切だ。

しかし、当オディシャ州の感染者数は増大の一途を辿り、ついに8000人を超えてしまった(8106人中死者29人、回復者5502人)。

前回のコロナ余話で触れたグルガオン(Gurgaon)帰りのスーパースプレッダーによる集団感染が87人に広がったのをはじめ、ヘルスセンター(保健所)での感染が相次ぎ、1日561人の最多記録を更新、今月中に1万人台に達するのは避けらない見通しとなってきた。救いは何度も言っているように、当州は回復率が高めなことで、実質的な患者数は2500人ちょっとである。

インド全土においては現在、65万人近い勢い(64万8700人)、死者も1万8000人を超えた(1万8655人)。ワースト3は、マハラシュトラ州(Maharashtra、18万7000人)、タミルナドゥ州(Tamil Nadu、10万3000人)、デリー(Delhi、9万2175人)である。

来月中には、ミリオン超えは間違いなく、動画なら、祝ミリオン突破!でおめでたいことだが、汚名の勲章である。

1日最多2万人超の記録を更新したばかりだが、救いは回復者もほぼ同数、相殺されていることで、致死率も他国に比べ低い。

ここまで来たら、感染者数が跳ね上がるのは、止められない、いかに死者数を最小限に食い止めるかだけの問題、である。

ローカル衛星放送局(カリンガTV)にインタビューされる息子、ラッパービッグディール(Rapper Big Deal)、オディシャ州では、有名な人気ラッパーだ(2017年2月)。コロナ禍を乗り越えて、またテレビ取材される日がやって来るだろうか。

中央政府は5月末に一旦ロックダウン(都市封鎖)を解除し、段階的緩和措置に入っており、今もアンロック(封鎖解除)は続いている。7月6日には、ウッタルプラデシュ州(Uttar Pradesh)政府が中央政府の緩和策よりひと月遅れて、アーグラー(Agra)のタージ・マハル(Taj Mahal、世界七不思議のひとつとして名高い17世紀のイスラム妃廟)も4カ月ぶりに営業再開するとの速報も伝わっている。

ただし、国際線が再開されていないので、あくまで国内旅行者向けに、人数を制限してのことである。感染拡大が止まらないさなか、一体、物見遊山のローカル旅行者がどれくらい訪れるものか。

とはいえ、観光業に携わる当方にとっても、大変に鼓舞されるニュースではある。

各州ごとに、方針が違うので、ロックダウンを再導入した都市もあるし、当州に限っは、緩和措置も夜間外出禁止令がやや緩められたくらいで、7月末までロックダウン延長みたいなもんである。

ホテルの営業再開の目処もたっていない。唯一明るいニュースといえば、息子が感染ワースト都市ムンバイから無事帰省したことで、すこぶる元気、現在別棟のホテルで隔離9日目に突入し、5日後には、私邸に迎え入れられることである。

●コロナ余話1、ワクチン実用化に向けて人体実験開始
インドで、「コバキシン(Covaxin)」という新型コロナウイルスのワクチンがバーラト・バイオテック社によって開発され、話題になっている。同社はこれまで、豚インフルエンザやロタウイルスなどのワクチンを開発し、世界中に40億万本を供給してきた実績がある。

インドは世界首位のワクチン製造国て、ジェネリック医薬品製造大国でもあるのだ。ポリオ、肺炎、結核、はしか、おたふく風邪などのワクチンを世界中に送り出している産出大国である事実は、意外に知られていない。

動物実験で免疫効果と安全性が認められたというインド独自のコバキシンに、期待が高まっている。

●コロナ余話2、バッタの大群で食糧危機?
6月、首都デリー近郊のグルガオン(Gurgaon)でのサバクトビバッタの繁殖が話題になった。空を埋め尽くすバッタの大群、4万5000匹の襲撃により、3万5000人分の食糧が食い尽くされると言われており、州政府は、ドローンで殺虫剤散布と対応を迫られ、コロナ禍で臨戦体制下、二重に頭痛の種に。動画で観たが、東アフリカ渡来の空を覆う害虫の氾濫は壮観だった。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

7月6日現在、インドの感染者数は69万7413人、死亡者数が1万9693人。すでにイギリス、ロシアを抜いて、アメリカ、ブラジルに次いで3位になっています。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決めています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています。また、タージ・マハルも開放する方針を撤回して、引き続き閉鎖されています)

志門で「COVID19」外出自粛下の新作展、尾崎悦子、箕輪香名子ら80人

【銀座新聞ニュース=2020年7月6日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル、03-3541-2511)は7月6日から18日までグループ展「COVID-19・アーチストの視点」を開いている。

ギャルリー志門で7月6日から18日まで開かれている「コビッド(COVID)-19・アーチストの視点」のフライヤー。

2019年11月に中国湖北省武漢市で発生し、その後、世界に蔓延している新型コロナウイルス(WHO=世界保健機構=が2月11日に「コビッド(COVID)-19と命名」)により、春から外出自粛要請の中で、希望を失わず描き続けた約83人の作家の新作100点以上を展示する。

また、今回は専用のサイトを設定し、画像到着順にアップし、全作品を自宅で観ることができるし、予約や購入もできる。

新型コロナウイルス(コビッド(COVID)-19)は2019年11月22日に中国湖北省武漢市で発生し、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学によると、7月5日現在、世界で1126万7309人が感染し、感染者数が多い10カ国はアメリカが283万9436人、ブラジルが157万7004人、ロシアが67万3564人、インドが67万3165人、ペルーが29万9080人、チリが29万1847人、英国が28万4900人、メキシコが25万2165人、スペインが25万0545人、イタリアが24万1419人となっている。日本はNHKによると、2万534人で54位になっている。

出品者は絵画などの平面作品が中村義隆 (なかむら・よしたか)さん、尾崎悦子 (おざき・えつこ)さん、木村市松 (きむら・いちまつ)さんら60人、彫刻などの立体作品が安藤栄作 (あんどう・えいさく)さん、小野木たみ子 (おのぎ・たみこ)さんら7人、版画作品が太田策司 (おおた・さくじ)さん、箕輪香名子 (みのわ・かなこ)さんら14人、陶芸作品が坂口喜美子 (さかぐち・きみこ)さん、テキスタイル作品が雨山智子 (あめやま・ともこ)さん。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)。日曜日は休み。

丸善日本橋で欧州「植物画」展、絶滅鳥や馬も、ルドゥーテら

【銀座新聞ニュース=2020年7月6日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月8日から14日まで3階ギャラリーで「ヨーロッパアンティーク版画展 ボタニカルアートから西洋古典版画まで」を開く。

丸善・日本橋店で7月8日から14日までまで開かれる「ヨーロッパアンティーク版画展 ボタニカルアートから西洋古典版画まで」に出品されるルドゥーテの「紫陽花」。

ヨーロッパで17世紀から19世紀にかけて書物の中に描かれた図譜は、版画技術の発達と共に発展し、その細密さや手彩色の美しさは、今も魅了するとされている。今回はボタニカルアートでもっとも著名なベルギー出身で「バラの画家」として知られたピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ (Pierre-Joseph Redoute、1759-1840)の美しい手彩色版画「紫陽花(あじさい)」、ロスチャルデイアナ(Rothschildiana)の「絶滅鳥類図譜」より珍しい「ドードー鳥」、15世紀の銅版画「馬」など歴史を経た作品を展示販売する。

女子美術大学版画研究室などによると、ヨーロッパでは1300年代後半からキリスト教の教義を広める目的で、主に修道院や巡礼地、教会で聖地巡礼の記念や護符などを木版で作っており、これらの版画は、教義を説くだけでなく、無病息災、商売繁盛、家畜や旅の安全、五穀豊穣などを祈る「お守り」として家の入り口や台所、家畜小屋などに張られる実用品だった。

現存の一番古い版木は1370年頃の「プロタの版木」と呼ばれ、フランス中央部の都市、マコン(Macon)で階段の板として用いられていた。初期の木版画は1370年から1380年頃にフランスのディジョン(Dijon)で始まったと伝えられている。ヨーロッパ最古の木版画は1418年の「聖母マリア」で、刷り方は印鑑を押すようにしたり、平らな木ぎれやナイフで紙の裏からこすったりしていた。

15世紀後半にはフランス・ストラスブルグ(Strasbourg)でワイン製造用のブドウ搾り機のようにネジで締めあげて圧力をかけて刷る平圧式プレス機が用いられるようになり、この圧力を利用する印刷方法が後に凹版印刷、銅版画に発展することになる。

その後、フランスやオランダ・フランドル地方(Flandre)では100年戦争(1339年から1453年)が起こり版画も作られなくなるが、ライン川上流(バーゼからストラスブルク)の地域で1400年頃作られた版画が残っている。1400年から1430年頃になると多くの木版画が登場し、木版本が作られるようになり、大工のギルドに属した職人により版木が彫られた。木版本は文字を木版で刷り挿し絵は手描きのものや、木版に手彩をほどこしてある。

同じく出品されるロスチャルデイアナの「絶滅鳥類図譜」より「ドードー鳥」。

印刷の分野で版画が普及するにつれて、1500年はじめには、もっと精巧なものが要求されるようになり、木版画の技術が発展し、ルネサンス美術の影響で技術的に優れたものが多く作られるようになり、1500年頃には最盛期に達した。1400年半ば頃から銅版での凹版画が登場し、1500年頃には技術的にも優れたものが多く作られ、木版画から銅版画の時代へと移った。普通の木版画は1500年代末頃から衰退したが、これは銅版画の方が精緻で克明な表現が可能だったことと、線描中心のデッサンを木版画にする場合の労力の大変さからきたのではないかと考えられている。

活版印刷以前に作られた本は、僧侶や貴族のための祈祷書などで羊皮紙に手書きされた豪奢なものだったが、その後、木版画が多く作られるようになると、トランプカードや宗教を題材としたものが多く作られ、民衆の間に広まっていった。1500年頃から木版画、銅版画ともに絵画の代わりに売買の対象となり、絵画はまだ宗教界や貴族たちだけのものだったが、版画は貴族たちだけでなく、一般の人々の収集の対象となった。

有名なものは、イタリアのライモンディ(Raimondi)でラファエロ(Raffaello Santi、1483-1520)の原画をもとに製版し、銅版画を作り、ラファエロと親交のあったバヴィエロ・カロッチ(Baviero Caroti)が版元となって出版した。このような版元制度は、フランドル地方のアントワープ(Antwerp)でもH・コック(Hieronymus Cock、1510-1570)が1548年に店「四方の風」を開いており、この後、1500年後半、アントワープはヨーロッパ最大の版画制作の地となった。

1600年代になるとアントワープにクリストフ・プランタン(Christophe Plantin、1520ころ-1589)がヨーロッパ最大の印刷所を開設し、版画を制作し、同時に教会用印刷物を供給した。1600年代になると、彫刻凹版は次第に複製版画の傾向が強くなり、この頃盛んに行われたエッチング(腐刻凹版)と併用された。この方法は1700年代まで複製版画の方法としてよく行われた。1700年代末には英国やフランスで木口木版が行われ、版木の特殊性から大きな作品が少なく、小品が主で、書籍のさし絵などに使われた。その後の写真の普及とともに衰退した。

1798年にリトグラフが発明され、19世紀はリトグラフの時代といわれた。リトグラフはその後、イメージが主要な役割を演じるようになった新聞雑誌の発展に結びついた。1800年代半ばになるとフランスでそれまで印刷や絵画の複製に用いられていた版画の芸術性を見直す運動がおこり、多くの版画家が生まれた。1900年に入り、多くの画家が版画を手がけるようになった。

ウイキペディアによると、ボタニカルアート(植物画)とは古代エジプトや中国などで薬草を見分けるために図譜が作られたのがはじまりで、大航海時代になって、ヨーロッパ各国が世界各地を探検するようになり、植物学者と画家が一緒に組んで珍しい植物の詳しい絵が本国に送られ、それらの絵が英国やフランスで19世紀に大流行した。植物の姿を正確で細密に描く植物図鑑のための絵画とされている。

博物画は動物、植物、鉱物などの観察対象の姿を詳細に記録するために描かれる絵で、植物画(botanical art)と動物画(zoological art)に大別され、動物画はさらに外形を描く肖像画(portait)と内部を描く解剖画(anatomical art)に区分されている。

科学性が重視され、正確な観察には博物学や解剖学の知識も不可欠であり、学者の指示によって作画された。屋外で素早く写生する必要性から速乾性のガッシュが用いられ、後にこれを銅版画に起こし、点描で陰影をつけ手彩色も行われるようになった。19世紀に写真が登場しても、描いた者の手と認識を通した写真にはない説明性と抽象化があるため、今日でも図鑑や医学書などではイラストレーションが用いられ続けている。

ルドゥーテは1759年南ネーデルラント生まれ、1784年から1785年にかけて「新種植物の記述」を出版し、その挿し絵を担当し、1789年に王妃マリーアントワネット(Marie-Antoinette-Josephe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine d’Autriche、1755-1793)の蒐集室付素描画家の称号を得た。

1793年に自然史博物館付植物画家、1802年から1816年にかけて「ユリ科植物図譜」を出版、1817年から1821年にかけて「バラ図譜」を出版、1822年に自然史博物館付図画講師、1827年から1833年にかけて「名花選」を出版した。1840年の没後の1843年に「王家の花束」が刊行された。

ドードー鳥 (dodo) は、マダガスカル沖のモーリシャス島に生息していた絶滅鳥類で、1507年にポルトガル人によって生息地のマスカリン諸島が発見され、1598年に8隻の艦隊を率いて航海探検を行ったオランダ人がモーリシャス島に寄港し、出版された航海日誌によって初めてドードーの存在が公式に報告された。

隔絶された孤島の環境に適応して天敵らしい天敵もなく生息していたドードーは、1)空を飛べず地上をよたよた歩く、2)警戒心が薄い、3)巣を地上に作る、など外来の捕食者にとって都合のいい条件がそろっていた。侵入してきた人間による乱獲と人間が持ち込んだ従来モーリシャス島に存在しなかったイヌやブタ、ネズミなどに雛や卵が捕食され、森林の開発により生息地が減少し、急速に個体数が減少した。

オランダ、英国、イタリア、ドイツとヨーロッパ各地で見世物にされていた個体はすべて死に絶え、野生のドードーは1681年の英国人の目撃を最後に姿を消し、絶滅した。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。