フード協、外食11月8%減、飲酒業43%減、FFは2カ月連続増

【銀座新聞ニュース=2020年12月26日】一般社団法人「日本フードサービス協会」(港区浜松町1-29-6、浜松町セントラルビル、03-5403-1060)は12月25日に11月の「外食産業市場動向調査」(全店ベース)を発表した。

コロワイド傘下のレインズインターナショナルは「しゃぶしゃぶ温野菜銀座5丁目店」(中央区銀座5-9-12、ダイヤモンドビル、03-6274-6029)など全308店の「しゃぶしゃぶ温野菜」店で「マイ菜箸」と「マイ出汁」を導入した。温野菜の鍋を2つに仕切り、1人につき1つの「マイ出汁」にすることも、 同じ出汁を2つ注文することもできる。菜箸はそれぞれ自分用として使う。

11月は、新型コロナ新規感染者数の増加が著しく、とくに店内飲食が主体の業態では週を追うごとに客足が遠のき、下旬には政府・自治体の行動自粛要請や営業時間短縮要請により、10月に見えた回復傾向が失速し、全体の売上高は前年同月比7.8%減と10月(5.7%減)よりも悪化して、3月から9カ月続けてマイナスだった。

全体平均を上回ったのはファーストフード(FF)業態ととファミリーレストラン(FR)業態の焼肉だけだった。

全業態で11月の店舗数は同2.8%減、客数が同12.2%減、客単価が同5.0%増だった。

11月の業態別の売上高では、ファーストフード(FF)業態は、洋風のテイクアウトとデリバリーが巣ごもり需要のニーズを掴み、全体では0.9%増と2カ月連続のだった。「洋風」は、ドライブスルー、テイクアウト、デリバリーのサービスが充実し、キャンペーンやメディア露出とあいまって売り上げは10.4%増と好調を維持した。

「和風」はテイクアウトもできる高単価の季節メニューが好調だったが、下旬には行動自粛要請などで客足が落ち、4.3%減。「麺類」は郊外店がテイクアウト強化で健闘したものの、繁華街立地の店は下旬に苦戦し、13.5%減だった。

「持ち帰り米飯・回転寿司」は、「持ち帰り米飯」で宅配代行サービスの導入拡大が奏功し、前年並みの0.2%減だった。

ファミリーレストラン(FR)業態は、コロナ新規感染者数の増加に伴い、週を追うごとに客足が落ち、全体では10.4%減と3月から9カ月続けてマイナスで、前月(8.7%減)よりも悪化した。下旬の行動自粛要請や営業時間短縮要請がさらなる打撃を与え、「洋風」が0.2%減、「和風」が12.2%減、「中華」が3.7%減だった。「焼き肉」は各種キャンペーンなどにより好調を維持した店が牽引し、9.4%増だった。

パブ・居酒屋業態といった飲酒業態は、引き続きコロナによる打撃が他業態よりも大きく、行政からの行動自粛や営業時間短縮の要請が売り上げ不振に拍車をかけ、全体では42.8%減、「パブ・ビアホール」は50.6%減、「居酒屋」は41.2%減だった。

ディナーレストラン業態も、「第3波」の影響を受け、特にビジネス街や繁華街の夜の時間帯の落ち込みは大きく、26.6%減で2月から10カ月続けてマイナスだった。

喫茶はビジネス街立地では依然としてテレワークの影響があり、住宅街周辺や商業施設の店舗では、ある程度の回復が見えた矢先の11月後半に失速し、24.5%と2月から10カ月続けてマイナスだった。

日本フードサービス協会の統計は会員が事業者数が215(2020年10月221、9月219、8月225、7月214、6月203、5月208、4月191、3月203、2月205、1月188、2019年12月191、11月186、10月187、9月189、8月188、7月192、6月193、5月192、4月197、3月196、2月199、1月199)。

店舗数が3万7684店(2020年10月3万7939店、9月3万8669店、8月3万8106店、7月3万7810店、6月3万8139店、5月3万8059店、4月3万7982店、3月3万9165店、2月3万9662店、1月3万5001店、2019年12月3万5583店、11月3万5342店、10月3万5005店、9月3万5237店、8月3万5544店、7月3万5390店、6月3万5617店、5月3万5646店、4月3万5763店、3月3万5798店、2月3万6467店、1月3万6659店)が対象。

内訳はファーストフードの事業者数が56社(2020年10月61社、9月57社、8月57社、7月59社、6月52社、5月54社、4月50社、3月53社、2月55社、1月49社、2019年12月52社、11月50社、10月52社、9月51社、8月52社、7月52社、6月55社、5月57社、4月56社、3月57社、2月57社、1月56社)。

店舗数が2万1807店(2020年10月2万2003店、9月2万2093店、8月2万2070店、7月2万1635店、6月2万1806店、5月2万1703店、4月2万1821店、3月2万1552店、2月2万2261店、1月1万8957店、2019年12月1万9369店、11月1万9273店、10月1万9217店、9月1万9118店、8月1万9275店、7月1万9131店、6月1万9326店、5月1万9370店、4月1万9461店、3月1万9444店、2月1万9913店、1月2万0219店)。

ファミリーレストランの事業者数が56社(2020年10月57社、9月60社、8月59社、7月56社、6月55社、5月56社、4月54社、3月55社、2月55社、1月50社、2019年12月50社、11月50社、10月51社、9月49社、8月49社、7月49社、6月52社、5月50社、4月52社、3月50社、2月57社、1月52社)。

店舗数が1万0280店(2020年10月1万0153店、9月1万0692店、8月1万0161店、7月1万0456店、6月1万0638店、5月1万0753店、4月1万376店、3月1万395店、2月1万534店、1月9556店、2019年12月9601店、11月9667店、10月9338店、9月9569店、8月9646店、7月9578店、6月9749店、5月9667店、4月9629店、3月9622店、2月9838店、1月9770店)。

パブ・居酒屋の事業者数が38社(2020年10月38社、9月38社、8月39社、7月34社、6月34社、5月35社、4月32社、3月36社、2月35社、1月34社、2019年12月33社、11月32社、10月31社、9月34社、8月31社、7月34社、6月35社、5月31社、4月33社、3月33社、2月33社、1月32社)。

店舗数が2420店(2020年10月2419店、9月2539店、8月2404店、7月2334店、6月2305店、5月2332店、4月2476店、3月2849店、2月2771店、1月2326店、2019年12月2254店、11月2253店、10月2198店、9月2401店、8月2312店、7月2366店、6月2335店、5月2317店、4月2366店、3月2395店、2月2378店、1月2296店)。

ディナーレストランの事業者数が32社(2020年10月31社、9月30社、8月33社、7月30社、6月28社、5月32社、4月26社、3月28社、2月29社、1月26社、2019年12月27社、11月26社、10月25社、9月26社、8月25社、7月26社、6月23社、5月25社、4月26社、3月25社、2月25社、1月26社)。

店舗数が1162店(2020年10月1159店、9月1126店、8月1229店、7月1135店、6月1141店、5月1182店、4月1114店、3月1177店、2月1071店、1月983店、2019年12月1046店、11月1032店、10月991店、9月988店、8月1006店、7月911店、6月991店、5月997店、4月1003店、3月999店、2月1010店、1月1007店)。

喫茶の事業者数が17社(2020年10月18社、9月20社、8月21社、7月18社、6月17社、5月16社、4月14社、3月15社、2月14社、1月13社、2019年12月13社、11月12社、10月12社、9月13社、8月15社、7月14社、6月13社、5月13社、4月13社、3月15社、2月14社、1月14社)。

店舗数が1830店(2020年10月2014店、9月2055店、8月2053店、7月2062店、6月2067店、5月1886店、4月2004店、3月2049店、2月1876店、1月2042店、2019年12月2048店、11月1856店、10月2020店、9月2040店、8月2041店、7月2037店、6月2038店、5月2040店、4月2033店、3月2062店、2月2057店、1月2063店)。

外食産業(上場企業)の売上高上位4社の11月の既存店売上高は1位のゼンショーホールディングス(すき家、国内店舗数1946店)が同0.5%増と2カ月続けてプラス、2位のすかいらーく(全グループ、国内外店舗数3131店)が同14.9%減と12カ月続けてマイナス、3位の日本マクドナルド(国内直営店とフランチャイズ店の店舗数2911店)が同9.6%増と5カ月続けてプラス、4位のコロワイド(全グループ、国内外2665店)が同7.8%減と9カ月続けてマイナスだった。

インドで亡夫の1周忌、息子との対立も夢のお告げで落着(53、番外編)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年12月25日】12月10日は、ヒンドゥ暦(太陰暦)に則った亡夫の1周忌だった。命日の先月22日に、既に日本はじめ大方の世界の慣習に従った小儀式は済ませていたが、夫も息子もヒンドゥ教徒なので、本格的な1周忌は、18日ずれた日付けになるわけだ。

ホテル・ラブ&ライブ(在プリー)の先代オーナー、ビダヤダール・モハンティ(愛称クヌ)の遺影入り垂れ幕ボードが掲げらたエントランス(現地語オリヤで名前と一周忌の銘が記されている)。

11月の近親者3人のみのプライベートなセレモニーと違って、親族なども多めに参列する大掛かりな儀式で、準備にも時間を要した。事前に一番問題になったのは、会食をどうするかということだった。

折悪しくコロナ下、日本人の私は断固として大勢の人が一堂に会しての食事会に反対した。言わずもがな、感染リスク大で、うちのホテルがオーガナイズした会食会で、万が一感染者が出たら、宿の評判にも傷がつく。

州政府は、葬儀関連儀式に関しては、50人までの集会を許可していたため、どこか外部の会場を借りて催す案も持ち上がったが、いずれにしろ、感染リスクは同様、感染者が出たら、罰金はおろか、下手すると法的に訴えられ、逮捕という最悪の事態も危惧された。

息子は当初、20人から30人の会食を昼と夜に分けて2回、2日にわたって150人ほど供する案を模索中だったが、ホテルの2階の張り出しベランダは、屋外で換気は問題ないものの、ソーシャル・ディスタンスを取れば、10人かそこらがいいところ、食事を配るスタッフ側にも、感染リスクは及ぶ。それと、事前に近くの警察署に出向いて集会の許可を取らねばならなかった。

何事につけ、スローモーなインド、特に田舎町の当地プリー(Puri)だけに、住民に怠惰癖が染み付いていて、期日までに取れるとは到底思えなかった。お役所仕事は、いっかな進まず、バクシーシといわれるお布施、いわゆる賄賂だが、袖の下を弾んで手続きをスムーズに進めてもらう悪慣習が横行していたからだ。

「許可がすんなり降りるとは思えないわ。あなたはどうして、自分のキャリアが危うくなるようなギャンブルに打って出るの」

故人愛用の椅子に遺影が置かれ、白い花で飾られた1周忌の祭壇に、弔問客が詰めかけた。先代オーナーは、車夫や地元民に畏怖されるパワーを持った存在だった。

私は会食会を敢行しようとする息子に食ってかかった。
「ヒンドゥ教徒のダッドにとっては、慰霊のための必要かつ重要な儀式なんだよ。ぼくはダッドのことを想って……」

言葉を途切らせた息子の助け船に、甥が横合いから口を差し挟んだ。
「親族の集まりはさして、重要でないんだ。ブラーミン、最上カーストのお坊さんたちにお布施と新調の僧衣、会食をアレンジして召し上がって頂くことが、マムー(叔父さん)の霊の何よりの慰めになるんだよ。ヒンドゥ教では、死後1年間は魂は俗界をさまようと言われていて、マムーのアトマ(魂)を天に送るためには、最重要な慣習なんだよ」

「でも、今は通常のときじゃないのよ。インドに比べると、はるかに感染者が少ない日本だって、たった5人規模の会食で感染者が出ているのよ。あなたは、リスクを侵して逮捕されたいの。愛する家族のことを考えて。あなた自身が感染したら、家族にも影響を及ぼすのよ。とにかくうちでやることは絶対許さないわ。どうしてもと言うなら、他でやってちょうだい」
私は一歩も譲らなかった。

甥が観念したように投げた。
「わかったよ。どこか別の会場を探してみるよ」

「言っとくけどね、外でやっても、感染リスクは同じなのよ。感染者が出たら、オーガナイザーとして、罰金徴収はおろか、下手すると法的に訴えられ、最悪の場合は逮捕よ。場を貸したオーナーも、共犯よ」

「じゃあ、いったいどうすればいいんだ」

「テイクアウトにするのよ。配布した菜食カリー定食を、各自の場所で食べてもらえば、100%セイフよ」」

頑として説を曲げない私に、息子も甥も黙り込んでしまった。

霊魂を天に送る祈祷儀式(プジャ)の準備が整えられる。故人の前身は司法書士で、政治家志望でもあったが、結局果たさずに逝った。晩年は溺愛する一人息子が結婚し、孫ができることを切望していたため、心残りもあったろう。

息子は、インドの慣習では、こうした儀式に前代未聞のテイクアウトには、懐疑的だった。昨秋、日本に帰国中だった私は、配偶者の死に目にあえないどころか、葬儀にすら参列できなかったのだが、死後10日目息子が主宰した葬儀は盛大で、延べ3日間700人もの弔問客が詰めかけ、会食、故人を偲んだものだった。まこと、先駆者的存在のホテルオーナーにふさわしい、大規模なセレモニーだったのである。

インド人は見栄っ張りなので、冠婚葬祭はド派手である。式の規模がステイタスを象徴するので、一人息子としても、ホテルオーナーという地位に恥ずかしくない大がかりなセレモニーを金に糸目をつけず、弾んだのである。故人も、吹聴癖のある自慢屋(大抵のインド人はそうだ、プライドの高さはインド気質といっていい)だったので、息子が気張ってくれたことは、草場の陰で泣いて喜んでいたはずだ。

そういう経緯があったから、1周忌も派手に盛大にやりたがっていた。が、時期が悪すぎた。どうしたものか悩んでいる息子に、私はついに最後通告を突きつけた。
「もし、どうしても会食をアレンジしたいというなら、他でやってちょうだい。私はオーガナイザーになりたくないから、経費はあなたが持って。私はこの会には一切関わりたくないのよ」

息子はぐうの音も出ないようだった。お金の問題じゃないのだ。命に関わる問題なのだ。まかり間違えば、息子の将来は台無しになる。100%安全と断言できない以上、ここはどうしても譲れなかった。

確かにヒンドゥ教では大事な儀式かもしれない。でも、結局は形式だけのことで、命の尊厳を上回るものでないような気がした。

故人とて、この世に遺した息子の命や将来を危機に晒してまで、何がなんでもの会食は望んでいないような気がしたのだ。それでも悩んでいるようだったので、ふっと降ってきた思いのままに投げた。

「瞑想して、ダッド本人はどうしてほしいのか、訊いてごらんなさい。夢に現れて告げてくれるでしょう」

故人に訊くのが一番だと思ったのだ。この1年、彼は実にしばしば私と息子の夢に現れてさまざまなメッセージを伝えてくれていた。

果たして、3日後、答は来た。夢枕に立った故人が、息子がテイクアウトにしてもいいかと訊くと、いいよ、お前の好きなようにやればと、寛容に応じてくれたのである。

めでたく一件落着、当日儀式はつつがなく終了、僧には50パック、残り150は親族・友人、周囲のホテル同業者、ヨガアシュラム、地元民らに配られた。

昨秋、亡骸が安置された1階の部屋で数名の親族とともに供養の祈祷儀式・プジャを行ったが、前回と違って、ドーティーという白い腰巻をまとった息子はヒンドゥ教徒として、火の祭式に主格参加、亡父のスピリットを天に送る厳かなセレモニーに臨んだ。

儀式が終わった後の部屋はがらんとして、寒々しかった。1年間、夜も電気をつけっぱなしにしてきたが、今日のプジャでスピリットを昇天させたため、もう必要ないのだ。

後に遺した妻と息子が気がかりで、365日間私邸にとどまってくれた亡き夫の霊に心からお礼を言った。もういないと思うと、寂しくてならなかったが、解脱して天に昇ったことを、遺族としては喜び、祝うべきなのだろう。

コロナ下100%セイフな1周忌を済ませることができて、心底ほっとし、肩の荷が降りた。やれやれと息をついて、寝床に入りかけた途端、外が騒然とし、カーテンを開けた窓から見下ろすと、団体客がどっとなだれ込んできた。

亡夫からのプレゼントかなと思い、感謝する。しかし、チェックインして30分後、予想だにしなかったどんでん返しが私を襲う。窓の外がやけに騒がしいと思ったら、2階の張り出しベランダに、到着したばかりの団体さんが大人数で密集して会食、ソーシャル・ディスタンスも何もあったものじゃない、30人くらいが入り乱れてミッドナイト・ミールをバナナの葉っぱのお皿であぐらをかいて取り始めたのだ。

地獄の最大密、体を張って避けたはずの集団会食が目と鼻の先で堂々と繰り広げられている。100%安全な1周忌と喜んだのもつかの間、真夜中のブランダー(失態)に、私は周章狼狽、コロナ禍どこ吹く風の野放図なインド気質に深々と嘆息を漏らしたのであった。私の決死の努力はあえなく水泡と帰したのだった。

最期の土壇場になってからの思わぬ方向よりのしっぺ返しに、まったくもうインド人てやつはと、開いた口が塞がらず、ぼやきが漏れるばかりであった。

あな恐ろしやの最大密の会食会はたっぷり1時間以上も続き、恐怖のどん底におとしいれられた私がその夜、一睡もできなかったことはいうまでもない。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

12月22日現在、インドの感染者数は1007万5116人、死亡者数が14万6111人、回復者が963万6487人、アメリカに次いで2位になっています。アメリカの感染者数は1803万5209人、死亡者数が31万9364人、回復者は未公表です。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。

また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)。

女性やマイノリティの苦労を背景にした「ワンダーウーマン1984」(305)

【ケイシーの映画冗報=2020年12月24日】「新型コロナウィルスは、日本映画界にも深刻な影響を及ぼした。2020年の興行収入は、過去最高の約2611憶8000万円を記録した昨年から一転、00年以降で最低の1350億円前後になる見通し」(2020年12月18日付「読売新聞夕刊」)

日本ではすでに公開されているが、アメリカでは12月25日に公開される「ワンダーウーマン1984」((C)2020 Warner Bros. Ent.All Rights Reserved TM&(C) DC Comics)。

絶頂期から一気に最低へと落ち込んだ日本の映画界ですが、本稿でもとりあげた邦画「スパイの妻」がベネチア映画祭で監督賞(銀獅子賞)を受け、またテレビシリーズを引き継いだアニメ映画「劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』」が、日本で上映された映画として歴代最速となる、10日間での興収100億円突破を記録、社会現象となるなど、邦画には一定の“巻き返し”がはじまっています。

ところが、外国映画の復調には時間がかかりそうです。新型コロナの影響が深刻なアメリカでは、ハリウッド産の作品の多くが公開延期や劇場での公開をネット配信に切り替えたりと、「映画館で上映作品を楽しむ」状況にはいまだになっていないのです。

本作「ワンダーウーマン1984」(Wonder Woman 1984)も、本年6月の日本での公開予定から2度の延期を経て、ようやくの劇場公開となっています。

1984年のアメリカ。女神のスーパーパワーと長寿を持つ戦士ワンダーウーマンことダイアナ(演じるのはガル・ガドット=Gal Gadot)は、博物館のスタッフとして働きながら、ひそかに悪と戦っていました。

ダイアナの勤める博物館に、盗難されかけた古美術品が持ち込まれます。同僚のバーバラ(演じるのはクリスティン・ウィグ=Kristen Wiig)が鑑定をはじめたところ、“すべての願いをかなえる”という秘宝が見つかります。

半信半疑ながら願いを託してまうダイアナとバーバラ。すると、ダイアナの前には死んだはずの恋人スティーブ(演じるのはクリス・パイン=Chris Pine)が姿を見せ、バーバラはダイアナ(ワンダーウーマン)のようなスーパーパワーを身につけます。

戸惑いながらも“願いがかなったこと”を受け入れるダイアナとバーバラ。そこにもう一人“願いがかなう秘宝”をねらう実業家マックス(演じるのはペドロ・パスカル=Pedro Pascal)があらわれ、強欲な願いをかなえてしまいます。破産寸前だったマックスはたちまち富と名声を得ますが、やがては自身の欲望を暴走させてしまい、世界は滅亡の危機にさらされます。

監督・原案・脚本(共同)のパティ・ジェンキンス(Patty Jenkins)は、作品の舞台に1984年を選んだ理由をこう述べています。
「80年代といえば西洋文明の絶頂期で、現在にも繋がっている時代」(パンフレットより)

世界情勢としては、旧ソ連が指導する東側とアメリカを中心とした西側が対決姿勢だった“東西冷戦”がたけなわとなる一方で、ビデオの普及や大量生産、大量消費が定着していたころで、自社への投資をテレビで訴えるマックスのように、投資にも、一般市民がより簡単に参加できるようになっていった時代です。

本作の主要人物で、1984年を生きるダイアナ(ワンダーウーマン)とバーバラは女性で、この時代には制約が現在よりも大きかったはずです。マックスもマイノリティ(社会的少数者)を思わせる描写があります。演じるペドロ・パスカルがチリ出身なのも、出自にマイノリティをイメージさせるためのキャスティングではないでしょうか。

ジェンキンス監督も女性で、長編映画のデビュー作である「モンスター」(Monster、2003年)から一貫して、女性が主人公の作品を作っています。

女性の権利がかなり認められているアメリカでも、映画界はまだ保守的だといわれていて、いまだにハリウッドでの男女格差は、収入や待遇面で顕著だとされています。

人種や宗教といった差別も、長い年月で少しずつ、解消されてきているのですが、長年の労苦を知らない若い世代には“あたりまえ”なことが、以前は不可能だったことへの理解が難しいことは、必然といえます。

生まれながらの超人であるワンダーウーマンに対し、スーパーパワーを“いきなり得た”バーバラやマックスは、やがて、その力に取りつかれてしまいます。最初にバーバラは“あこがれのダイアナ(ワンダーウーマン)のような美貌と力を、マックスは、成功者として胸を張って息子に会うための成功を欲しただけでしたが、強力すぎた力は自身でも制御できなくなってしまったのです。

「たとえお金があっても、使い方を知らないと不幸になるだけですよ」、若い友人がこう言っていたのを思い出しました。さはさりながら、莫大でなくてもいいですから、“お年玉”はいただきたいですね。年齢をかさねても。次回は「燃えよデブゴン TOKYO MISSION」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:「ワンダーウーマン1984」は2017年に公開された「ワンダーウーマン」(Wonder Woman)の続編で、ワーナー・ブラザースが2013年から展開する「DCコミックス」を原作とするメディア・フランチャイズ及びシェアード・ユニバースだ。

2013年に「マン・オブ・スティール」、2016年に「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」と「スーサイド・スクワッド」、2017年に「ワンダーウーマン」と「ジャスティス・リーグ」、2018年に「アクアマン」、2019年に「シャザム!」、2020年に「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」と「ワンダーウーマン 1984」を公開している。2021年には「ザ・スーサイド・スクワッド」が公開される予定。

丸善丸の内で棟方志功、東郷青児、シャガールら特選展

【銀座新聞ニュース=2020年12月23日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は12月25日から31日まで4階ギャラリーで「歳末丸善絵画特選展」を開く。

丸善・丸の内本店で12月25日から31日まで開かれる「歳末丸善絵画特選展」に出品されるアンリ・マチスの「ヴェルヴ-王の悲しみ」(リトグラフ、1952年)。

20世紀を代表する国内外の画家の油彩画、水彩画、リトグラフ、シルクスクリーン、銅版画など、さまざまな作品を歳末特別価格で展示販売する。

出品される画家は日本を代表する板画(版画)家で、「仏」を題材にした作品で知られる棟方志功(むなかた・しこう、1903-1975)、孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(くまがい・もりかず、1880-1977)、幻想的な女性像で知られる洋画家の東郷青児(とうごう・せいじ 、1897-1978)。

パリを中心とするヨーロッパの歴史が刻まれた街並みを描き続けた洋画家の荻須高徳(おぎす・たかのり、1901-1986)、阿蘇山を好んで描き、「阿蘇の田崎」と呼ばれ、晩年は「朱富士」を描いた洋画家の田崎広助(たざき・ひろすけ、1898-1984)。

ロシア出身のユダヤ系フランス人画家・マルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)、スペイン出身で、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家・パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)、フランスの画家で、フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)のリーダ-的存在であり、「色彩の魔術師」といわれたアンリ・マチス(Henri Matisse、1869-1954)。

19世紀から20世紀のフォーヴィスム(野獣派)を代表するフランス人画家で、「色彩の魔術師」と呼ばれたラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)、近代のフランス人画家・モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo、1883-1955)、第2次世界大戦後の具象絵画の代表的な画家・ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet、1928-1999)。

アンニュイな女性、森にたたずむパリジェンヌ、海に浮かぶヨットなどの絵で知られるフランス人画家のジャン=ピエール・カシニョール(Jean Pierre Cassigneul、1935年生まれ)さん、第2次世界大戦後の具象絵画の画家・ポール・アイズピリ(Paul Aizpiri、1919-2016)、フランスの画家で、「成熟の赤」の使い手で知られるロジェ・ボナフェ(Roger Bonafe、1932年生まれ) さんら。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)。

鳩居堂画廊で翁長結生乃「観音」展、第1弾で楊柳、祖母、自分等17点

【銀座新聞ニュース=2020年12月22日】東京鳩居堂画廊(中央区銀座5-7-4、03-5374-0058)は12月22日から27日まで翁長結生乃さんによる「35観音展Vol.1-鉛筆神仏画が魅せる翁長結生乃の世界」を開く。

東京鳩居堂画廊で12月22日から27日まで開かれる翁長結生乃さんの「35観音展第1回」
に出品される観音画。

鉛筆で神仏画を描く画家、翁長結生乃(おなが・ゆきの)さんは、1本の鉛筆だけで33通りの観音を描き、さらに祖母の観音、自分自身を描いた自分観音の35通りの観音を描いている。今回は、そのうち、祖母観音、自分観音を含めた17点を展示する。

翁長結生乃さんは「抑圧された心を感じるがままに開放することで、内側に秘めた心が解放されて、本来の自分の感覚を取り戻して」いきながら、平和や喜び、愛や調和、生と死、快楽や恐れなど沸き立つ心を観音に写しているという。

「コトバンク」によると、「観音」とは「観世音」の略称で、慈悲を徳とし、もっとも広く信仰される菩薩のことだ。「観世音菩薩」ともいう。救いを求める者の心に応じ、千変万化し、勢至(せいし)菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍となっている。地蔵とともに日本の民間信仰に深く根をおろし、33の化身をもつといわれ(西国三十三所の観音霊場はその例)、千手(せんじゅ)、十一面、如意輪(にょいりん)、准胝(じゅんてい)、馬頭(ばとう)、聖(しょう)を「六観音」、それに不空羂索(ふくうけんじゃく)を含めて「七観音」と呼ばれる。

ウイキペディアによると、「三十三観音」の名称は、1783(天明3)年に刊行された絵師の土佐秀信(とさ・ひでのぶ、生没年不詳)が著した「仏像図彙(ぶつぞうずい)」という書物に所載されている。1楊柳(ようりゅう)、2龍頭(りゅうず)、3持経(じきょう)、4円光(えんこう)、5遊戯(ゆげ)、6白衣(びゃくえ)、7蓮臥(れんが)、8滝見(たきみ)、8施薬(せやく)、9魚籃(ぎょらん)、10徳王(とくおう)。

11水月(すいげつ)、12一葉(いちよう)、13青頚(しょうけい)、14威徳(いとく)、15延命(えんめい)、16衆宝(しゅうほう)、17岩戸(いわと)、18能静(のうじょう)、19阿耨(あのく)、20阿摩提(あまだい)。

21葉衣(ようえ)、22瑠璃(るり)、23多羅尊(たらそん)、24蛤蜊(こうり、はまぐり)、25六時(ろくじ)、27普悲(ふひ)、28馬郎婦(めろうふ)、29合掌(がっしょう)、30一如(いちにょ)、31不二(ふに)、32持蓮(じれん)、33灑水(しゃすい)。

また、西国三十三所は、近畿地方2府4県と岐阜県に点在する33カ所の観音信仰の霊場の総称で、これらの霊場を札所とした巡礼は日本でもっとも歴史がある巡礼行とされている。「三十三」とは、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされている。

文化庁の2019年度「日本遺産」の16件(累計83件)の一つに、「1300年つづく日本の終活の旅-西国三十三所観音巡礼」が認定されている。

翁長結生乃さんは1986年沖縄県沖縄市生まれ、浦添工業高デザイン科を卒業、上京して「麻田侑希」としてモデル、タレントとして活動し、セツ・モードセミナーを卒業、2011年にミス・ユニバース・ジャパン沖縄大会のファイナリストに選ばれ、2013年から画家に専念し、2016年からは仏画の作品を手掛けている。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)まで。