中央の百貨店12月、大丸、松屋プラス、ほか3店減、冬物苦戦

【銀座新聞ニュース=2019年1月4日】中央区とその周辺の主要百貨店の2018年12月売上高(速報値、店頭ベース)は、大丸東京店、松屋銀座店の2店がプラスだったが、銀座三越、日本橋三越、日本橋高島屋店の3店はマイナスだった。

12月の売上高で5カ月続けてプラスとなった松屋銀座店。

12月は「例年と比較して前半の気温が高く、主力の冬物アイテムが軒並み苦戦」(三越伊勢丹ホールディングス)したり、「前年に比べて気温が高くコート、マフラー、手袋などの防寒衣料・雑貨が苦戦したものの、前年比休日1日増」(J.フロントリテーリング)もあって、「訪日外国人観光客売上高(免税売上高、インバウンド)を含め化粧品、高級時計、ラグジュアリーブランドが好調」としている。

三越伊勢丹ホールディングスの日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は前年同月比4.7%減(11月速報値0.3%減、確定値5.4%減の156億円、小型店舗と恵比寿三越、ソリューション統括部を含む)と店頭ベースでは2カ月続けて前年を下回った。

一方、銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は同0.2%減(同速報値0.7%増、確定値0.7%増の77億円、但し空港型免税店の売り上げを除く)と3カ月ぶりにマイナスだった。

三越伊勢丹ホールディングスでは、気温が例年並みに下がった後半から月末にかけて、基幹店ではコートが2ケタ増と伸長したが、1月にセールを控えていることから一部で買い控えも見られたという。基幹店や大都市圏を中心にラグジュアリーブランドは好調を維持し、衣料品、雑貨ともに伸長した。

訪日外国人観光客売上高(免税売上高、インバウンド)は一部店舗では鈍化がみえるものの、全体では堅調に推移し、ラグジュアリーブランドの衣料品や雑貨、化粧品への関心が引き続き高いとしている。

日本橋高島屋(中央区日本橋2-4-1、03-3211-4111)は同2.2%減(同速報値3.7%減、確定値3.8%減)と2カ月続けて前年を下回った。

ラグジュアリーブランドを中心とした高額品売り上げと訪日外国人観光客売上高が伸長したことなどにより、全店では2カ月ぶりに前年を上回った。訪日外国人観光客売上高は前年比6.5%増だった。

日本橋店は、日本橋高島屋S.C.の開業効果もあるが、2018年9月からレストラン街の運営を東神開発に移管したため、百貨店としての売場面積が縮小しており、それらを調整した実質では、0.4%減にとどまったとしている。

17店舗ベースの商品別では、特選衣料雑貨が大きく売り上げを伸ばしたほか、紳士服、宝飾品、スポーツ用品などが前年比プラスとなったが、その一方で、紳士雑貨、婦人服、子供服ホビー、リビングなどはマイナスだった。

J.フロントリテーリングの大丸東京店(千代田区丸の内1-9-1、03-3212-8011)は同3.6%増(同速報値5.0%増、確定5.2%増)と28カ月連続でプラスとなった。

全体では、大丸松坂屋百貨店合計は3カ月連続で前年実績を上回り、訪日外国人観光客売上高は全店で前年比13%増(客数同19%増、客単価同5%減)だった。

J.フロントリテーリングでは2017年4月から「不動産事業」を独立させて、確定ベースで伸び率を公表しており(速報値ベースは未公表)、11月の「ギンザ シックス(GINZA SIX)」や「上野フロンティアタワー」などの家賃収入は同10.7%増だった。

松屋銀座店(中央区銀座3-6-1、03-3567-1211)は同2.4%増(同速報値6.0%増、確定値6.0%増)と5カ月続けて前年を上回った。

銀座店は、気温が引き締まったことにより、コート、ニットなどの防寒衣料が好調に推移し、婦人衣料全体の売上高は前年を上回った。また、訪日外国人観光客売上高については、引き続き化粧品や海外ブランドなどのラグジュアリーゾーンが堅調に推移するも、時計において前年の売り上げとの差異があり、全体の売上高はほぼ前年並みだった。

一方、訪日外国人観光客売上高を除いた国内の売り上げは、各種施策などが奏功して、前年を上回った。

日本百貨店協会(中央区日本橋2-1-10、03-3272-1666)によると、国内79社219店舗(総従業員6万301人)の11月売上高(店舗調整後)は前年同月比0.6%減の5304億1910万円で、2カ月ぶりにマイナスとなった。

11月は高額品や訪日外国人観光客需要は好調だったものの、気温が高めに推移し、コートを中心とした重衣料など冬物商材の動きが鈍く、土曜日が1日減などのマイナス要因も響いたとしている。

顧客別では、国内市場(シェア94.8%、同1.1%減)はマイナスだったが、訪日外国人観光客需要は277億円(シェア5.2%、同9.6%増)と24カ月連続でプラスとなっており、1月から11月の累計で初めて3000億円を超え(3094億円、同27.8%増)、年間としては過去最高を記録した。

商品別では、雑貨が同5.4%増と24カ月連続プラス、国内外ともに人気の化粧品や高級腕時計を含む高額商材(美術、宝飾、貴金属)が牽引した。身のまわり品(同4.2%増)もラグジュアリーブランドを中心に動きがよく、2カ月連続のプラスとなった。衣料品(同4.5%減)は、天候からニットやカットソーなど軽衣料が動いたものの、重衣料や防寒アイテムが苦戦した。

食料品は同0.1%減とほぼ前年並みだが、鍋関連商材の不調により、生鮮食品などがマイナスだった。菓子類は同1.8%増と2カ月連続でプラスとなり、歳暮商戦前半戦については、特にWEB(インターンット)受注が伸長しており、堅調に推移しているとしている。

全国の百貨店の営業日数は前年同月と同じ29.9日、122店舗の回答によると、入店客は28店が増え、48店が減ったとし、うち85店舗の回答によると11月の歳時記の売り上げについては6店が増え、37店が減ったとしている。東京地区(13社25店)の11月の売上高は同0.2%増の1498億4891万円と4カ月続けてプラスだった。

国内93店舗の訪日外国人観光客需要の11月の免税売上高は同9.6%増の約277億円で、24カ月連続のプラス、国内の百貨店に占めるシェアが5.2%としている。また、1月から11月までの累計では前年同期比27.8%増の3094億3000万円と初めて3000億円を突破した。

このうち、一般物品売上高は同1.2%増の約145億3000万円で、3カ月ぶりに前年を上回った。化粧品や食料品などの消耗品売上高が同20.7%増の131億7000万円、購買客数が同18.4%増の約43.3万人と2013年2月から70カ月続けてプラスとなり、1人あたりの購買単価が同7.4%減の6万4000円で、5カ月続けて前年を下回った。

人気のあった商品は1位が化粧品(2017年1月から2018年10月まで1位)、2位にはハイエンドブランド(2017年1月と2月4位、3月2位、4月4位、5月3位、6月2位、7月3位、8月から11月2位、12月3位、2018年1月から10月2位)、3位に食品(2017年1月3位、2月2位、3月4位、4月3位、5月3位、6月4位、7月から12月4位、2018年1月4位、2月3位、3月5位、4月3位、5月4位、6月から10月3位)と前月と同じだった。

4位に婦人服飾雑貨(2017年1月2位、2月と3月3位、4月と5月2位、6月3位、7月2位、8月から11月3位、12月2位、2018年1月3位、2月4位、3月3位、4月5位、5月3位、6月から10月4位)、5位に婦人服・用品(2017年4月は6位以下、5月から2018年2月まで5位、3月4位、4月4位、5月5位、6月6位、7月から10月5位)と前月と同じだった。

免税手続きカウンターの来店国別順位は1位が中国本土(2017年1月から2018年10月まで1位)、2位が香港(2017年1月から7月まで2位、8月3位、9月2位、10月4位、11月から2018年1月2位、2月4位、3月3位、4月4位、5月と6月3位、7月2位、8月と10月3位)と3位から2位に上がった。逆に3位は韓国(2017年1月から7月まで4位、8月2位、9月4位、10月から12月3位、2018年1月4位、2月から6月2位、7月3位、8月と10月2位)で、香港に逆転された。

4位に台湾(2017年1月から7月まで3位、8月4位、9月3位、10月3位、11月4位、12月4位、2018年1月と2月3位、3月4位、4月3位、5月から10月4位)、5位にシンガポール(2017年1月から11月まで6位、12月5位、2018年1月から10月6位)とタイを上回り、6位にタイ(1月から11月まで5位、12月6位、2018年1月から10月5位)が下がった。7位がマレーシア(2017年1月から2018年10月まで7位)だった。

志門で現代美術協が「現展新春展」、田原夏紀ら54人

【銀座新聞ニュース=2019年1月4日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は1月7日から12日まで現代美術家協会会員による「第7回GENTEN現展新春・アートフェア」を開く。

ギャルリー志門で1月7日から12日まで開かれる現代美術家協会会員による「第7回GENTEN現展新春・アートフェア」のフライヤー。

公募美術団体「現代美術家協会(現展)」の会員の有志が2012年から新年早々に「現展」を開いており、2019年も54人が参加して新作を中心に展示する。

今回、出品するのは浅井栄子(あさい・えいこ)さん、荒井喜好(あらい・のぶよし)さん、荒川さち子(あらかわ・さちこ)さん、池田春江(いけだ・はるえ)さん、大金郁子(おおかね・いくこ)さん、カルロス・デアさん、田中曽女(たなか・そめ)さん、田原夏紀(たはら・なつき)さんら54人。

現代美術家協会は戦前よりあった「日本作家協会」(洋画、日本画、彫刻)の中の洋画部と「現代美術研究会」と「新生派美術協会」の3団体によって1948年11月に結成され、旧東京都美術館と銀座三越で発表した。1949年に3団体の展覧会の実績回数を基にして、第5回現代美術展を最初の公募展として、旧東京都美術館で開いた。

1954年の第10回現代美術協会展から「現代美術協会展」とし、1955年に構成部(彫刻・工芸)を新設し、1956年に構成部を分けて、宣伝美術、彫刻、写真の3部門とした。1959年の第15回現展から呼称を「現展」で統一し、現代美術協会の名称も「現代美術家協会」に改称した。1961年より千葉現展が始まり、以降、全国各地で支部の創設された。

1964年に第20回現展(記念展)を開き、絵画、彫刻、デザインの3部門とした。1974年ころから全国各地で支部主催の展覧会が開かれるようになった。1975年から部門を絵画、版画、彫刻、デザイン、写真の5部門とし、1976年から彫刻室が独立し、部門は絵画、版画、彫刻、工芸、デザイン、写真の6部門とした。2003年には部門を平面(絵画、版画、工芸、デザイン、写真)と立体(立体造形、工芸=用=)の2部門とした。

6日17時からオープニングパーティーを開く。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。

ヴァニラで元「AKB」光宗薫展、会場でインスタ制作も

【銀座新聞ニュース=2019年1月3日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は1月5日から20日まで光宗薫さんによる個展「ガズラー」を開く。

ヴァニラ画廊で1月5日から20日まで開かれる光宗薫さんの個展「ガズラー」に展示される作品。

元「AKB48」13期生で、ボールペン(無印良品の0.7ミリのポリカーボネイトボールペン)で昆虫や自身の姿、空想の生物などを描く光宗薫(みつむね・かおる)さんが「ガズラー」と題して、「暴飲暴食の意が転じ、燃費が悪いものの意を持つガズラー(Guzzler)という言葉に、自ら抑圧し過ぎたことで、暴走した自身の姿を重ね合わせ、内面性を吐露」する個展を6年ぶりに開く。

今回は「昆虫」と「自己」を主なモチーフにして、ファンタジックな世界観を体感できる原画、自らの姿に手を施した写真作品などモノクロ作品を展示する。また、光宗薫さんが会場内でインスタレーションを制作して展示する。

ウイキペディアによると、光宗薫さんは1993年愛媛県生まれ、大阪府育ち、2011年12月にAKB48劇場で開催された「AKB48 6周年記念公演」で「AKB48」13期生として披露され、独学で絵を描き始め、2012年4月のTBS系「アタル(ATARU)」で連続ドラマに初出演、体調不良により、8月24日から26日の東京ドーム公演を辞退、10月24日に「AKB48」を辞退することを発表した。

2013年9月に「劇場版 アタル・ザ・ファースト・ラブ&ザ・ラスト・キル(ATARU THE FIRST LOVE&THE LAST KILL)」で女優業を再開、2013年10月に大阪府でボールペン画による個展を開いた。2014年4月に芸能事務所に所属し、芸能活動を再開し、2017年9月に10月から芸能活動を休止することを発表した。

開場時間は12時から19時(土・日曜日、祝日17時)。入場料は500円。

日本橋三越で恒例の8社七福神巡り

【銀座新聞ニュース=2019年1月3日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は1月4日10時30分から日本橋の神社・寺院8カ所をまわる「第34回日本橋七福神めぐり」を開く。

4日に開かれる日本橋の神社・寺院8カ所をまわる「第34回日本橋七福神めぐり」。画像は過去の七福神めぐりの風景で、末広神社。

「日本橋七福神めぐり」は順次、日本橋三越本館1階室町口を出発して、「福禄寿、弁財天」の「小網(こあみ)神社」(中央区日本橋小網町16-23、03-3668-1080)、「布袋尊」の「茶の木神社」(中央区日本橋人形町1-12-11)、「弁財天」の「水天宮(すいてんぐう)」(中央区日本橋蛎殻町2-4-1、03-3666-7195)、「大国神」の「松島神社」(中央区日本橋人形町2-15-2、03-3669-0479)。

「恵比寿神」の「椙森(すぎのもり)神社」(中央区日本橋堀留町1-10-2、03-3661-5462)、「毘沙門天」の「末広神社」(中央区日本橋人形町2-25-20、03-3667-4250)、「寿老神」の「笠間稲荷(かさまいなり)神社」(中央区日本橋浜町2-11-6、03-3666-7498)、「恵比寿神」の「宝田恵比寿神社」(中央区日本橋大伝馬町2-16、03-3664-5671)の8カ所、約4.5キロメートルを歩く。

同じく富くじで知られる椙森神社。

「小網神社」は創建年代などが不詳とされ、悪疫消滅鎮静を祈願するために、恵心僧都(えしんそうず)が1466年に稲荷大神を勧請し、領主の太田道灌(おおた・どうかん、1432-1486)が「小網稲荷神社」と命名したといわれている。江戸期には天台宗小細山稲荷院万福寺と称する寺院の境内社で浅草新寺町にあったが、明治維新に際して復職、稲荷神社とした後、1869年に現在地へ遷座し、1873年に村社に列格したという。

「茶の木神社」は下総佐倉の城主大老掘田家の中屋敷にあった守護神として祀られていたが、社の周囲にめぐらされた茶の木が見事だったことから「茶の木神社」と命名された。屋敷内だけでなく周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、「火伏の神」と崇められ、堀田家では年1回に初午祭の当日だけ開門して、一般の参拝を自由にした。

1960年に地下鉄公団(当時、営団地下鉄を経て現東京地下鉄)が日比谷線を決定した際に「茶の木神社」が計画路線にあったため、解体し、3年後に地下鉄が完成、1985年11月16日に布袋尊を遷座して、日本橋七福神詣りに加わった。

「水天宮」は久留米の水天宮が久留米藩歴代藩主(有馬家)により崇敬されていたが、1818年9月に9代藩主有馬頼徳(ありま・よりのり、1797-1844)が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請し、江戸の水天宮の始まりとなり、同年から毎月5の日に一般開放された。1871年に有馬家屋敷の移転とともに赤坂に遷座し、1872年に有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町2丁目に移転した。

2013年3月1日に日本橋浜町の明治座そばに仮宮が設けられ遷座された(地鎮祭は2012年9月20日)。少なくとも、昭和40年代初期に嵩(かさ)上げ工事をして2階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。新社殿の完成は2016年で、2009年に16代有馬家当主の有馬頼央(ありま・よりなか)さんが宮司に就任している。

「松島神社」は創建年代が不詳だが、鎌倉時代の元享(げんこう)時代(1321年から1324年)以前に、柴田家の祖先が下総の国から現在地に近い小島に移り住み、邸内に諸神を勧請したとみられている。1585年に邸宅を公開した際、島内が松樹鬱蒼としていたことから「松島稲荷大明神」と称され、江戸時代に松島町(その後、人形町と蛎殻町となる)と名付けられ、1874年に「松島稲荷神社」として村社に列格され、1916年6月10日に「島神社」と改称された。

「椙森神社」は1000年の昔に創建され、940年に田原藤太秀郷(たわらとうたひでさと、後に藤原秀郷=ふじわらの・ひでさと、生没年不詳)が平将門(たいらの・まさかど、生年不詳-940)の乱を鎮定するため戦勝祈願したとされ、940年に勝利すると、白銀の狐像を奉納したとされる。

1466年には大田道灌が雨乞いに霊験があったとして山城国稲荷山五社大神を勧請して祀った。以来、毎年4月中の卯の日(現在5月16日)を祭日と定め、江戸時代には、「江戸三森(椙森、柳森、烏森)」の一つに数えられた。商業の地として栄えた土地がら、晴天10日間の花相撲が催され、富興行なども行われ、三富の一つにも数えられた。特に神道家の吉川惟足(よしかわ・これたり、1616-1695)は信仰篤く、5社稲荷の1社である大巳貴(おおなむじ)大神の御宣託に依り、「恵比寿大神」を奉斎された。

社殿は1923年の関東大震災で焼失し、1931年に鉄筋入り耐震構造で再建された。江戸時代に行われていた富くじをしのんで1919年に富塚の碑が建てられ、1953年に再建された。「大神輿(おおみこし)」は1931年9月に1000年祭を記念して作製され、総体350貫(約1.4トン)で、渡御(とぎょ)は3年に1度行われ、2011年は東日本大震災の影響で中止されたが、2012年に4年ぶりに行われた。

「末広神社」は江戸時代の初期に遊郭の吉原(当時は「葭原(あしはら)」だったが、「悪し」に通じることから「吉原」にされた)がこの地にあった当時(1617年に開設許可が下り、1657年に現在の浅草に移転)、その地主神、産土神として信仰されていたといわれ、1657年の明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町、住吉町、高砂町、新泉町の4カ所の氏神として信仰された。1945年3月10日の東京大空襲により社殿、社務所などが焼失している。

「笠間稲荷神社」は笠間城主牧野家の下屋敷があり、その地に藩主が笠間稲荷神社より分霊を受けて建てられた笠間稲荷神社東京別社のことで、1681年に牧野成貞(まきの・なりさだ、1635-1712)が第5代将軍徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646-1709)から、下屋敷として拝領した土地の中に創建された。

1923年9月の関東大震災により、社殿を焼失し、直ちに再建された。1945年3月の東京大空襲により、社殿が焼失し、同年12月に本殿と仮社務所が建てられ、1953年9月に拝殿が再建され、1957年に社務所、1958年に玉垣、1978年に幣殿が完成した。

「宝田恵比寿神社」は1606年に江戸城外宝田村の鎮守とされ、江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の3カ村(現皇居内楓山付近)が転居を命ぜられ、馬込平左衛門(まごめ・へいざいえもん、初代馬込勘解由=まごめ・かげゆ、生没年不詳)が宝田村の鎮守を奉安し、1606年に宝田村は大伝馬町、南伝馬町へ移転し、大伝馬町、小伝馬町、中伝馬町が成立した。その際に、徳川家繁栄御祈念の恵比寿を授け賜り、平穏守護の御神体として宝田神社に安置した。この恵比寿は運慶(うんけい、1151-1223)の作と伝えられている。

その後、村民は金銀為替、駅伝、水陸運輸などで重要な役を賜り、馬込勘解由は地主となって、三伝馬取締役に出世し、御役名に因んで大伝馬町の町名を賜り、伊勢、駿河、遠江、美濃、尾張などより商人を呼び集めて、あらゆる物資の集散地として大江戸開発と商売発祥の地となった。

これにより、宝田恵比寿神も商売繁昌、家族繁栄、火防の守護神として知られ、毎年10月19日の「べったら(浅漬け大根)市」、20日の恵比寿神祭が行われている。べったらは若者により浅漬け大根を混雑を利用し、参詣の婦人に「べったらだーべったらだー」と呼びながら着物の袖につけ、婦人たちをからかったことから、べったらの呼名になったと伝えられている。

「日本橋七福神めぐり」は江戸時代に幕府が人心を落ち着かせるため、江戸市内に「七福神」をまつる神社・寺院を建てたことが起源とされ、そこから正月に「七福神めぐり」をすると「七難即滅・七福即生」(7つの災難が消え去り、7つの福徳を授かる)というご利益(りやく)にあずかれるという信仰が広まった。

ウイキペディアによると、「七福神」は福をもたらすとして日本で信仰されている「七柱の神」のことで、古くは「大漁追福」の漁業の神であり、時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となっている「恵比寿」、インドのヒンドゥー教のシバ神の化身マハーカーラ神と日本古来の大国主命(おおにくのぬしち)の習合で、「大黒柱」と現されるように食物、財福を司る神の「大黒天」。

元はインドのヒンドゥー教の財宝神クベーラ神で、これが仏教に取り入れられ日本では「多聞天(たもんてん)」ともいわれる「毘沙門天(びしゃもんてん)」、七福神の中の紅1点で、元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスバティー神で、「弁財天」とも表記される「弁才天」、道教の宋の道士天南星、または道教の神で南極星の化身の南極老人で、寿老人と同一神とされ、子に恵まれ、封禄(財産)、長寿(健康を伴う長寿)の三徳を具現化した「福禄寿(ふくろくじゅ)」。

道教の神で南極星の化身の南極老人であり、長寿の神であり、幸運の神とされる「寿老神」、唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の僧で、肥満体の布袋が広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどり、福徳円満の神とされる「布袋尊」の7つをいう。

「日本橋七福神めぐり」は10時30分から14時までで、本館1階室町口で受け付け終了後に順次出発し、江戸時代に行われていた富くじをしのんで1919年に建てられた「富塚の碑」がある椙森神社でスタンプを押してもらい、戻って日本橋三越屋上でスタンプを見せると記念品がもらえる。

参加費は無料。随時、曲がり角に三越の社員が立っており、道案内をしてくれる。雨天の場合は中止となる。

永谷商事が神田山緑と歩く「日本橋七福神めぐり」

【銀座新聞ニュース=2019年1月2日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」は1月7日に神田山緑さんによる「講談師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

1月7日に開かれる「講談師と一緒に歩く 歴史と文化の散歩ラリー」で、「日本橋七福神めぐり」を案内する神田山緑さん。

永谷商事が毎月1、2回程度、定期的に開催している「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。正月は毎年、東京の主要な七福神めぐりを開いており、今回は2018年3月に真打に昇進した講談師、神田山緑(かんだ・さんりょく)さんと一緒に「日本橋七福神めぐり」を歩く。

日本橋から参加者と一緒に「福禄寿、弁財天」の「小網(こあみ)神社」(中央区日本橋小網町16-23、03-3668-1080)、「布袋尊」の「茶の木神社」(中央区日本橋人形町1-12-11)、「弁財天」の「水天宮(すいてんぐう)」(中央区日本橋蛎殻町2-4-1、03-3666-7195)を回る。

そこから「寿老神」の「笠間稲荷(かさまいなり)神社」(中央区日本橋浜町2-11-6、03-3666-7498)、「毘沙門天」の「末広神社」(中央区日本橋人形町2-25-20、03-3667-4250)、「大黒神」の「松島神社」(中央区日本橋人形町2-15-2、03-3669-0479)、「恵比寿神」の「椙森(すぎのもり)神社」(中央区日本橋堀留町1-10-2、03-3661-5462)と7カ所を歩いて、その後、「お江戸日本橋亭」で「日本橋お江戸寄席」を観賞する。

日本橋七福神めぐり」はほかに「恵比寿神」の「宝田恵比寿神社」(中央区日本橋大伝馬町2-16、03-3664-5671)が含まれ、「8カ所」とされているが、時間の関係で「7カ所」に短縮する。

「日本橋七福神めぐり」は江戸時代に幕府が人心を落ち着かせるため、江戸市内に「七福神」をまつる神社、寺院を建てたことが起源とされ、そこから、正月に「七福神めぐり」をすると「七難即滅・七福即生」(7つの災難が消え去り、7つの福徳を授かる)というご利益にあずかれるという信仰が広まった。

ウイキペディアによると、「七福神」は福をもたらすとして日本で信仰されている「七柱の神」のことで、古くは「大漁追福」の漁業の神であり、時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となっている「恵比寿」、インドのヒンドゥー教のシバ神の化身マハーカーラ神と日本古来の大国主命(おおにくのぬしち)の習合で、「大黒柱」と現されるように食物、財福を司る神の「大黒天」。

元はインドのヒンドゥー教の財宝神クベーラ神で、これが仏教に取り入れられ日本では「多聞天(たもんてん)」ともいわれる「毘沙門天(びしゃもんてん)」、七福神の中の紅1点で、元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスバティー神で、「弁財天」とも表記される「弁才天」、道教の宋の道士天南星、または道教の神で南極星の化身の南極老人で、寿老人と同一神とされ、子に恵まれ、封禄(財産)、長寿(健康を伴う長寿)の三徳を具現化した「福禄寿(ふくろくじゅ)」。

道教の神で南極星の化身の南極老人であり、長寿の神であり、幸運の神とされる「寿老神」、唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の僧で、肥満体の布袋が広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどり、福徳円満の神とされる「布袋尊」の7つをいう。

神田山緑さんは1976年東京都中央区日本橋生まれ、敬愛大学を卒業、トヨタ自動車に入社、営業マンとして新人賞を受賞、退社後、健康食品会社を立ち上げ、代表取締役に就任し、「日本話し方センター」副所長の山越幸(やまごし・みゆき)さんに師事し、神田(かんだ)すみれさんの講談教室に通い、2005年に神田すみれさんに入門した。

2006年に講談協会「前座」、2009年9月に「二ツ目」に昇進、2011年に「日本講話塾」(講談教室)を設立、2014年10月に中野区観光大使に就任、2015年に「ロス・プリモス」の専属司会となり、2016年4月にNHK文化センター講師、清泉女子大学特別講師を務め、2017年に東洋大学特別講師、2018年3月に真打に昇進、7月に明治大学特別講師を務めている。

時間は10時に日本橋たもと交番前で待ち合わせ、昼までに7カ所めぐりを終え、13時30分からお江戸日本橋亭で日本橋お江戸寄席を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

日本橋お江戸寄席は前座の三遊亭馬ん次(さんゆうてい・ばんじ)さん、二ツ目の古今亭今いち(ここんてい・いまいち)さん、神田山緑さん、真打の橘家竹蔵(たちばなや・たけぞう)さん、コミックソングのベートベン鈴木(べーとべん・すずき)さん、真打の三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)さんが出演する。