丸善丸の内で平山郁夫、梅原龍三郎、岡鹿之助ら入札展

【銀座新聞ニュース=2020年7月5日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は7月8日から14日まで4階ギャラリーで「丸善絵画入札会」を開く。

丸善・丸の内本店で7月8日から14日まで開かれる「丸善絵画入札会」に出品される片岡球子の「富士に献花・ひまわり」(リトグラフ、1997年)。

丸善・丸の内本店恒例の春と秋に行う入札会で、今回は夏にも開く。内外の巨匠から現代作家まで約200点を展示し、オークション方式で販売する。

出品されるのは日本の風景画家で「国民的画家」として知られる東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)、シルクロードの画家、平山郁夫(ひらやま・いくお、1930-2009)、日本画家で「帝展」や「院展」にたびたび落選し「落選の神様」といわれた片岡球子(かたおか・たまこ、1905-2008)、日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した加山又造(かやま・またぞう、1927-2004)。

女性画や静物を生き生きと描いた小倉遊亀(おぐら・ゆき、1895-2000)、上村松篁(うえむら・しょうこう、1902-2001)の子息で、花鳥画の第一人者として知られる京都市立美術大学名誉教授の上村淳之(うえむら・あつし、1933年生まれ)さん、日本画家で京都造形芸術大学大学院教授の千住博(せんじゅ・ひろし、1958年生まれ)さん。

ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術や琳派、南画といった日本の伝統的な美術を取り入れ、装飾的な世界で知られた洋画家の梅原龍三郎(うめはら・りゅうざぶろう、1888-1986)、点描画法により、幻想的な風景画で知られる洋画家の岡鹿之助(おか・しかのすけ、1898-1978)、バラの絵で知られる洋画家、中川一政(なかがわ・かずまさ、1893-1991)。

孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(くまがい・もりかず、1880-1977)、フランス・パリを中心とするヨーロッパの歴史が刻まれた街並みを描き続けた洋画家の荻須高徳(おぎす・たかのり、1901-1986)、具象絵画を代表するフランスの画家、ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet、1928-1999)。

具象系派の画家で、軽快なタッチと鮮やかな色彩で静物、風景、人物などのリトグラフを制作したポール・アイズピリ(Paul Aizpiri、1919-2016)、アメリカ在住でレーザーやホログラムを駆使した現代美術家、ヒロ・ヤマガタ(1948年生まれ)さんら。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。

サニーヘルス、マッサージとエクササイズで二の腕のたるみを防ぐ

【銀座新聞ニュース=2020年7月4日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「短期集中で二の腕やせ!簡単エクササイズ&マッサージ法」を発表した。

二の腕のたるみを防ぐマッサージは入浴中か入浴後の血流がよい状態の時にするのが望ましい。

半袖やノースリーブからのぞく「二の腕」が、もっとも気になる季節がきた。これまで隠せていた二の腕を久しぶりに目の当たりにし、思っていた以上にプルプル、たぷたぷしている・・・そんな人こそ必見で、今からでも間に合う、エクササイズとマッサージによる短期集中で仕上げる二の腕やせの方法を紹介しよう。

いつものダイエットにプラスアルファで行えば、相乗効果で短期集中で引き締まった二の腕になることも可能だ。

女性の二の腕はなぜたるみやすいのか。
1)女性は筋肉量が少ないため
女性の二の腕は筋肉が少ないためどうしてもたるみやすく、しかも意識的に動かさないと二の腕はなかなか引き締まらないパーツといえる。反対にいえば、普段動かさない部分であるだけに、エクササイズによる効果が感じられやすくもある。二の腕のたるみは、「上腕三頭筋」を鍛えることで解消される。

2)冷え性も一因
女性に多い冷え性は、リンパや血液の流れが滞っているために起こる。すると老廃物がうまく流れないため、むくみの元となったり、脂肪がつきやすくなり、「セルライト」(皮下脂肪が塊となったもの)の原因にもなったりする。対策としては、マッサージで血流やリンパの流れを促すことが有効だ。

3)姿勢が悪い
筋肉が少ないと、姿勢を正しく保つ力が弱くなる。猫背や巻き肩になっている人は上腕三頭筋があまり使われず、たるんでプルプルの二の腕になりがちだ。二の腕だけでなく、ぽっこりお腹も姿勢の悪さが原因といえる。普段から肩甲骨をうしろに寄せることを意識し、肩が前に入らないように気を付けたい。

エクササイズは、二の腕のたるみ部分の筋肉である「上腕三頭筋」を意識して行う。タオルなどを使うと効果的にできる。

二の腕のたるみを解消する方法としては、短期集中で二の腕をなんとかしたいと考えるなら、マッサージとエクササイズのどちらか一方だけでなく、両方行うことがより効果的になる。

行うタイミングは、マッサージは入浴中か入浴後の血流がよい状態になっている時がベストだ。エクササイズは、食後すぐでなければいつでもできる。スキマ時間や仕事の合間など、取り入れやすいタイミングで行いたい。

マッサージを行う際はオイルやボディクリームなどを使用し、滑りをよくして皮膚への摩擦を減らす。入浴中に行う場合は、ボディーソープが付いた状態で行う。。

マッサージを行うと、最初は二の腕のたるんでいる部分やわきの下に痛みを伴うことがほとんどだが、それは老廃物がたまっている兆候なので、老廃物が流れ始めれば、痛みは徐々に軽減される。このため、マッサージはできるだけ毎日行いたい。それでは、上手なマッサージとは。

1)片手をグ―にして、反対側のわきの下とひじの内側をそれぞれ10回程度、グリグリと回しながら押す。

2)手はグーのまま、手首から腕の付け根に向かって腕全体を流す。表と裏の両方を10回ずつ行う。

3)二の腕をぞうきん絞りするようにねじる。内側・外側に向かってそれぞれ5回行う。

4)再び片手をグーにして、もう片側の腕を上に上げる。二の腕からわきの下にかけてグーで流す。20回する。

1)から4)を反対側の腕でも行う。

また、自宅で誰でも簡単にできる、タオルを使ったエクササイズを紹介する。エクササイズ中は、二の腕のたるみ部分の筋肉である上腕三頭筋を意識して行う。

普段あまり使われていない筋肉や、視界に入らない背中の筋肉などは、エクササイズを行っても「筋肉が使われている」と脳が認識しづらいという特徴がある。そうした部分の筋肉を動かすときは、意識をすることで脳が筋肉を認識し、狙った部分を鍛えることができるようになる。

エクササイズは週に3回を目安にし、筋肉痛が残っているうちは中断する。痛みが引いてから再開するように心がける。以下にエクササイズの方法を紹介する。

1)自分の肩幅よりも長いサイズのタオルを準備する。

2)広げたタオルを帯状に両手で持ち、肩幅よりもやや広く距離を取る。

3)腕を頭上に上げて、ゆっくりとひじを曲げる、伸ばすの動作を繰り返す。曲げる時は、腕が頭の後ろ側を通るようにする。1分30秒間続けて曲げ伸ばしをする。この時に上腕三頭筋を意識すること。

筋肉を鍛えすぎると腕がムキムキになってしまいそう、なんていう心配は無用。よほどハードなトレーニングを行わない限り、女性の二の腕にそこまで筋肉を付けることは難しいからだ。それに、ムキムキ感の元となる力こぶを作っているのは上腕二頭筋なので、今回紹介した上腕三頭筋とは別の筋肉。引き締まった二の腕になれれば、夏ファッションを楽しめることは間違いない。

在宅勤務慣れると「痛勤」地獄はごめん、車通勤も渋滞がね(307)

【tamaoのOL独り言=2020年7月3日】一体、誰が夏になったら鎮静化するって言ってた?言ってなかったでしたっけ。本当にいつになったら今までの生活に戻れるのでしょうか?また、夏に収まらなかったら、寒くなる冬にはどうなるんだろうか。

自宅でなった枝豆。これじゃ、ビールのつまみになりませんね。

とても心配になります。早く韓国に行きたい。当分無理なんでしょうけれども。

ところで、在宅勤務に慣れてしまうと、通勤が「痛勤」となりますね。これ、誰もが感じているのではないでしょうか?

でも、毎日車で通勤となると、こうして原稿書けないし、友達との連絡も返せなくなるか、寄り道もできないし。それに、みんなが車を使ったら道路は混雑するでしょうから。どちらも同じですかね。一長一短かな。

でも、いつも通勤の際に通りがかるパチンコ屋さん、たくましいなぁと思ったのは、新しいパチンコ台が壇蜜(だんみつ)がモデルになっていて、「断密」なんですって!すごいたくましさ!

こういうたくましさが無いと生きていけないのかしら。そんなことも思ってしまう。絶対、2月以降に企画したものだよね。それがもうパチンコ台になってしまうって・・・。早いなぁ。もっともそんなに時間はかからないものなのかな。

こんなことにならなかったら、在宅勤務なんてなかなか進まなかっただろうけど、一気に進んだね。きっと、そのおかげで儲かったところだってあるはずだ。給付金で、自宅のイスを買い替える人もいると聞いた。

あ、自宅でモニターを使うのもよいのかも。関係ないけど、私だってピアノを再度練習しようかと画策しているぐらいだし。とにかく、まだまだ治療法が定まっていないのだから、自ら健康は管理しないといけない。

まずコロナを呼び込まないこと、自粛すべきところは自粛しないといけない。もっともそんなに飲みに行っていませんが(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。

「土間土間」でタイ料理、タイ観光庁が協力、料理と飲み物

【銀座新聞ニュース=2020年7月3日】国内第4位の外食グループ、コロワイド(神奈川県横浜市西区みなとみらい2-2-1、ランドマークタワー)傘下で、焼肉レストランの「牛角」などを運営するレインズインターナショナル(神奈川県横浜市西区みなとみらい2-2-1、ランドマークタワー、0120-142-029)は7月6日から9月6日まで「土間土間銀座1丁目店」(中央区銀座1-5-10、ギンザファーストファイブビル、03-5524-3550)をはじめとする全国の「土間土間」113店で「土間土間風『タイ料理』」を提供する。

9月6日まで「土間土間銀座1丁目店」など「土間土間」店で提供される「土間土間風『タイ料理』」の試食会を開き、タイ国政府観光庁東京事務所長のセークサン・スィープライワン(Seksan Sripraiwan)さんも参加した(右から3人目)。2019年8月1日に所長に就任した。

日本からタイへの旅行者は2018年が163万人、2019年が過去最高の180万人に達したが、2020年には新型コロナウイルスの影響で、前年比73.3%減の48万人に激減する見通しという。そこで、2019年から一部の「土間土間店」で提供していたタイ料理を、今回は「タイ旅行気分」を味わえるように、タイ国政府観光庁東京事務所(千代田区有楽町1-7-1、有楽町電気ビル南館、03-3218-0355)の協力も得て、改良を加えた「土間土間風」ならではの「タイ料理」を全店で期間限定で提供する。

今回は料理が8品、飲み物4品。米粉でできたもっちり麺を野菜と一緒に炒めた「パッタイ」(税別590円)、タイの定番料理をうどんと絡めた、スパイシーな具材とうどんを合わせた「冷やしガパオうどん」(590円)、ピリ辛ソースが味の決め手となるサラダ感覚の「蒸し鶏と海老の生春巻き」(490円)。

スパイスの辛さとココナッツのまろやかさの「グリーンカレー」(590円)、鶏のうまみごはん「カオマンガイ」(590円)、エビの風味が効いた揚げパン「えぴパン」(490円)、エビチリをカニで作ったカリカリの食感とピリ辛の「カニチリ スパイシーパウダー」(390円)、マンゴーソースでまろやかに仕上げた「カニチリ マンゴーチリソース」(390円)。

飲み物は「トロピカル・ココパッション」(アルコールドリンク)、「タイランド・ブリーズ」(アルコールドリンク)、「すいかサマー」(ソフトドリンク)、「プーケット・サンセット」(ソフトドリンク)で、いずれも490円。

銀座の周辺では「土間土間銀座1丁目店」のほかに、「八重洲店」(中央区日本橋2-3-18、江間忠さくらビル、03-3516-6003)、「新橋西口通り店」(港区新橋3-23-1、Box’R ShinBashiビル、03-5401-3625)、「新橋SL広場店」(港区新橋2-15-7、S-PLAZA弥生、03-3595-4334)などがある。

営業時間は17時からで、閉店時間は各店に確認を。

「2020年」(1.ウイルスフリーの異次元へ<真鍋翔子の場合>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2020年7月3日】日本行き航空便の機内は予想通り、混雑していた。国際線が再開されたばかりで、この機を逃さず、ムンバイに残留していた邦人たちは、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらぬインドを脱出しようと詰めかけたのである。

皆一様にマスク顔で、緊張した面持ち、機内は静まり返っていた。キャビンアテンダント(CA)はマスクの上にフェイスシールドでさらに防備し、乗客に手袋着用の手でキャンディを配っていく。私はオレンジ風味の一個をつかむと、マスクの下から口中に放り込んだ。

いつもなら、ひざまづいてのお絞りサービスがあるのだが、ウイルス感染リスクを懸念してか、それはなかった。

機体がついにインドでワーストの感染爆発都市ムンバイを飛び発ったときは、さすがにほっとした。同乗した同胞客の誰もが同じ気持ちでいるだろう。しかし、マスク越しの会話を交わす気にはなれない。幸いにも、私の隣席は空いていた。食事中、隣人と誤まってひじが触れ合ったりする接触が避けられるにこしたことはなかった。

やがて、飲み物が供された。私は日本製のビールをオーダーし、つまみとして付いてきた柿の種の小袋を破り、久しぶりに口中で砕けるあられの芳しい香りと、ピーナッツ風味のミックスのかもす絶妙な味わいを、よく冷えた生ビールで流し込んだ。

サイコーだった。今でも、この奇跡が信じられなかった。年内帰国は無理と諦めかけていたのだ。旅費も心もとなかったし、いったいどうなることかとはらはらしたが、国際線の再開が思ったより早かったせいで、窮地から救われたのである。

酒が入って、ムンバイ国際空港に辿り着くまでの道中の過度の緊張や、空港内での検温など物々しい雰囲気に張っていた気が一度に緩み、眠気がどっと押し寄せてきた。昨夜は興奮のあまり、一睡もできなかったのである。

CAの呼びかけにはっと目覚めると、食事のトレイが目前に差し出されていた。あわてて受け取り、缶ビールをもう一本所望し、つまみ代わりに、小皿に盛られたざるそばを、備え付けのつゆをかけ、わさびを搾り出して混ぜながら、すすった。つんと鼻に来るわさびの匂いに、ああ、日本の味だと喜ばしかった。

マスクはあごにかかっていた。

食後白ワインをオーダーし、柿の種ももう一袋追加して、みるみるうちに緩んでいく、リラックスした気分に身をゆだねる。ほろ酔い加減で、うとうとしかけた矢先のことだった。機体がぐらりとかしいだ。アナウンスが乱気流を告げている。せっかく、インド脱出に成功したのに、ここで飛行機が墜落したら、実も蓋もないなと、シートベルトをかちゃりと締め直す。その途端に、機体ががくんと急降下し、ひやりと肝をつぶす。 肘掛を握る手にぎゅうっと力がこもった。掌中がじっとり汗ばんでいる。

揺れはいっこうに収まらず、恐怖症の私の心臓はどくんどくんと高鳴った。固く目を閉じて、神様助けてくださいと、胸中でひたすら呪文を唱える。どれくらいたったろうか、願いが通じたものか、揺れはようやく収まった。水平位置に戻った機体に、私はこわばった体をほぐし、ほっと息をついて、目をゆっくり開けた。

なぜなのだろう、妙な違和感を覚えた。乱気流に入る前と、微妙に機内の雰囲気が変わったように感ずるのだ。周囲を見回すと、目の届く範囲の2、3の乗客はマスクを着けていなかった。今しがたの揺れで、嘔吐でも催したのか。私はあまり深く気にかけず、からからに乾いた喉を潤すため、酒をオーダーした。ジュースでなく、なぜかむしょうに冷やで日本酒が飲みたかったのである。

運ばれてきたのは宮城県産の銘酒で、薫り高い純米酒が喉越しをひんやりと潤す感触に、しみじみと幸せを噛み締めた。

酔いが回ったせいか、妙な居心地の悪さはいつのまにか掻き消えていた。

はっと目覚めると、機体はすでに香港上空を飛んでいた。成田空港が近づくにつれ、また緊張がじわりと滲み出す。検疫局での検査や陰・陽性にかかわらず、その後の2週間の隔離を思うと、気が重くなった。東京に自宅がない私は、ホテルでの隔離になるが、公共の交通機関が使えないため、送迎車も出してくれる帰国者用のゲストハウスを予約していた。

それにしても、結果がわかるまでどれくらい待機しなければならないのだろうと思うと、憂鬱になった。世界各国からの帰国者が順番待ちで混雑しているとの情報は前もって、仕入れてあったのだ。待ち時間が長ければ長いほど、感染リスクも高まりそうな気がして、不安だった。それ以前に検査とはどのように行われるんだろう。血をとられるんだろうなと思うと、小心者の私はびくびくした。

そのときになって、 にこやかな笑顔で最後のサービスの食事を運んでくる、CAがマスクを外し、フェイスシールドもしていないのに気づいた。私は唖然とした。マスク越しのくぐもった声で注意するのもためらわれ、黙って見過したが、飲み物をサービスする別のCAも同様に、マスクもシールドもしていないことに気づいた。

誰か注意しないかなと、機内をそれとなく見回すと、乗客全員がマスクを外し、隣席の家族とおぼしき身内と声高に談笑している。何時間か前に乱気流を抜けたとき、2、3の乗客の顔からマスクが消えていることに気づいていたが、まさか全員そうだったとは夢にも思わず、私は異変にあわてた。

ああ、飛沫感染がと、恐ろしくなり、食事前で引き下げかけたマスクをまた鼻にずり上げる。もう一度、目を凝らして機内をゆっくり見回すと、本当に誰一人としてマスクを着けていなかった。あごにずりおろしているのでもない。食事前で、みな前席のポケットにでも仕舞ったものか。でも、まだ、トレイが運ばれていない客まで口元を覆って防備していないのだ。

ルール違反だと叫びそうになるのをかろうじてこらえる。大勢に無勢、マスク着用は私独りなのだから、注意しても聞き入れられそうになかった。

みんな、いったい、どうしちゃったの。なんでマスクをしないの。私は、あまりにも無警戒すぎる、マナー違反の同乗客に、恐怖ともパニックともつかぬ心地に襲われていた。

食後、トイレに立つと、3、4人の乗客が順番待ちをしていた。その誰もがマスクを着けていない。子供が通路をうろちょろしており、母親らしき女性に叱咤されていた。

機内は、最初に乗り込んだときと打って変わって、ウイルスが蔓延する前のマスクも、フェイスシールドも不要だったころに戻っていた。

私は機内手荷物からもう一枚マスクを取り出すと、二重に防備した。台風が近づいているらしく、機体がまた少し揺れたが、夢にまで焦がれた母国の土に車輪ががたんと着地したときは、心底ほっとした。

さあ、いよいよ検疫だと気を引き締める。ところが、どういうわけか、しかるべき検査場所に誘導されることもなく、すんなり通過してしまったのである。文字通りフリーパス、だった。ムンバイ空港のように検温すらなかったのだ。

これはいったい、どういうことなんだろう。私の不審感は高まった。空港内には人があふれていたが、マスク着用者はごく少数で、しかもみな密着して、声高に話している。あんなにくっついて大丈夫なのかなと眉をひそめながら、私はどうにも腑に落ちず、首を傾げ続けた。

確かに日本は収束に向かいつつあるが、この警戒心のなさはどうだろう。第2波が怖くないのか。それにインドでワーストの感染爆発都市から帰国したというのに、すんなり通過させてしまうなんて、いったい、どうなってるんだ。規律に厳しい自国のはずなのに、あまりにもおかしい。そういえば、公共の交通機関を使用しないとの誓約書も書かされなかったなと、思い返す。

私は釈然としない心地で、もしかして入国制限が急遽解除されたのかもしれないと思った。だとしたら、なんというラッキーなタイミングだったことだろう。そうだ、きっとそうにちがいない。やったあと私は単純に喜び、予約したホテルに電話を入れ、送迎車の到着を確認した。

ところが、いくら電話しても、先方にはつながらなかった。これ幸いとばかり、自主キャンセルし、都心に出るバスに乗った。

当日夜の郷里往きのバスチケットはすんなり取れて、翌朝には帰省していた。早朝だったため、朝食がてら喫茶店で時間つぶしをすることにする。朝早い時間帯にもかかわらず、駅前のせいか、店は結構混んでいた。入り口には消毒液も置かれておらず、客同士ガラスの仕切りも設置されていないボックス席で、口角泡飛ばしながら談笑していた。私は眉をひそめながら、ルール無視の客たちから距離を置いて、カウンターの隅に腰掛ける。

コーヒーが、剥き出しの顔の若いウエイトレスによって運ばれてきた。私は目の前のナプキン立てから一枚抜き出すと、飲み口を丁寧にぬぐってからすすった。インスタントでない日本の喫茶店のコーヒーの薫り高さに、ああ、やっと帰って来たとの安堵がしみじみ胸を満たす。

そもそも、いい年こいてインドなんかに旅しようと思ったのが間違いの元だったと、苦々しく振り返る。私は大の遺跡愛好家で、ムンバイのアジャンンタ・エローラ遺跡を一目観たかったのだ。評判にたがわず素晴らしく、毎日のように通ったものだが、そうするうちにウイルス騒動に巻き込まれ、都市封鎖に直面、以後4カ月あまりもムンバイに封じ込められる成り行きになったのだ。

誰一人として知る者もない異国のホテルで、孤独感と寂寥に苛まれ、 心細さが募ったが、 幸いにも、ワイファイが完備されていたせいで、日本の親族や友人とは連絡が取り合えた。

それにしたって、厳格な外出禁止令か敷かれた異国の大都会での軟禁生活はストレスが溜まる一方で、毎食カレーで胃も荒れて日本食が恋しくてならなかった。

あの悪夢のような日々を振り返ると、こうして無事帰国できたことは、まさしく奇跡としかいいようがなかった。

そろそろ実家の弟が起きだす時刻だと、私はやおら腰を上げた。すでに両親は他界していて、いまだ独身の弟が長年家守りしているのだ。私は5年前に離婚して以来、実家に身を寄せていたのである。子供はおらず、以来弟と2人の生活、静かで変わり映えのしない、初老の姉弟の単調な暮らしを続けていた。

生活費はフリーの校正者としての技能のおかげで賄え、年金を年1度の海外遺跡旅行にあてていたのだ。

玄関を勢いよく開けて、帰宅を大声で告げると、中からのそりと小柄な胡麻塩頭の弟が姿を現した。

弟は姉の顔を見ても、お帰り、大変だったねとねぎらうでもなく、きょとんとした面持ちをしている。帰国通知のメールは届いていなかったんだろうかと、私はいぶかった。

他人行儀なそぶりで、姉のスーツケースを持ち上げる手助けすらしようとしない弟に、私は少しむっとしながら、自力でよいしょと上がり框に持ち上げた。その刹那、鋭い罵声が飛んできた。

「あんた、人のうちにのこのこ侵入して、いったい、誰なんだい」

私はマスクの下で、あんぐり口を開けた。弟の気がふれたのかと一瞬思った。よもや、姉の顔を忘れたわけでもあるまいに。

「あんた、何言ってんのよ。姉ちゃんが、感染爆発しているインドからほうほうの体(てい)で逃げ帰ったというのに、無事でよかったの一言もないなんて」
「姉ちゃんだってえ? よく言うよ、いくら似てるからって、厚かましいにもほどがある。うちの姉ちゃんなら、とっくに戻ってるよ」

険悪な目つきでつっけんどんに返す弟に、私は訳がわからず困惑する。そのとき、弟の背後に忍び寄る人影があった。

「この女、誰?」

邪険に投げる女は私にそっくりで、まるで鏡を見ているみたいに何から何まで生き写しだった。私は膝ががくがくして、その場にへなへなとくずおれそうだった。

「俺にもわかんねえんだよ。姉ちゃんに似ているからといって、人のうちにいきなり侵入しようとしてさ、ちょっと頭おかしいんとちゃうか」
「やあねえ、私に似てなんかいないわよ。どこの馬とも知れぬ図々しい女、早く追っ払ってよ」

私に瓜二つの女は眉をひそめ、眉間に鋭い縦皺を寄せて、まるで野犬でも払うようなそぶりで、しっしっともう一人の私を追いやった。

二人の剣幕にすごすごと背を向けると、重いスーツケースを再び転がしながら、悄然と家を出た。立ち去る前に今一度まじまじと表札をチェックしたが、間違いなく真鍋浩二と連名で「翔子」と記されており、混乱した。これからどこに行けばいいのかわからなかった。私の居場所はここにはすでにないのだ。元の世界のアイデンティティ、真鍋翔子という実名を喪失した自分が憐れで、公園のベンチで膝を抱え行き暮れた。

突然、頭の中の声がした。
「でも、ウイルスに毒された世界に戻るより、ここに浮浪者としてとどまったほうがいいんじゃない、少なくとも、命を落とすリスクはゼロよ。それに監視社会じゃなくて、自由に動けるし、誰にもコントロールされない」

私は、宿泊拒否でホテルが見つからず帰宅難民となって、空港内でのダンボール生活を強いられる帰国者のエピソードをふと思い出し、無菌の並行世界で難民としてとどまることを選んだ。

秋か冬には来ると言われている第2波では、数時間内に人がばたばた倒れ死ぬとの恐ろしい予測もなされており、スーパー耐性菌にころりと殺られるリスクのない安全・自由かつ平和な並行現実を選ぶにこしたことはなかった。それは人間としてある意味、当然の生存本能とも言えた。

すぐ目の前で、炊き出しが始まろうとしていた。いい匂いに釣られるように、マスクを投げ捨てた私は矢庭に立ち上がり、浮浪者の列の後尾に並んだ(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)