銀座三越でロンジンの45度傾いた飛行士用時計復刻版

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【銀座新聞ニュース=2013年2月12日】スウォッチ グループ ジャパン(中央区銀座7-9-18、03-6254-7200)は2月13日から26日まで銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)で「ロンジンフェア」を開く。

スウォッチ グループ ジャパンが2月13日から26日まで銀座三越で開く「ロンジンフェア」で販売される「ロンジン アビゲーション ウォッチ タイプ A-7」。

このフェアで、スウォッチ グループ はロンジン(Longines)が1930年代に発売したパイロットウォッチを復刻した自動巻き「ロンジン アビゲーション ウォッチ タイプ(Type)A-7」を先行発売する。

「ロンジン アビゲーション ウォッチ タイプA-7」は「シングルプッシュ コラムホイールムーブメント」を搭載したクロノグラフ(Chronograph、懐中時計や腕時計でストップウオッチ機能を備え、時計機能と同一動力源によってストップウォッチ機能も動作させているもの)で、アビゲーションウォッチには欠かせない「パフォーマンス」と「精度」を備えているとしている。

アメリカ陸軍(航空隊)から与えられた「タイプA-7」という名に値するため、大きな文字盤とリューズは視認性が高く、パイロットが分厚いグローブを着用しながらでも容易に操作できる工夫がなされている。大きなホワイトアラビア数字が配された傾斜のあるブラックダイヤルは、光の少ないところや乱気流の中でも簡単に読み取ることができる。

この文字盤の傾きは腕の内側に装着するために特別にデザインされており、航空機の計器と文字盤が一直線になり、パイロットが腕を動かすことや操縦に支障をきたすことなく針の動きや文字盤を読み取ることができるようになっている。

直径49ミリのスティールケースには、ロンジン専用に開発されたコラムホイールムーブメントを搭載し、シングルプッシュリューズを押すだけで、スタート、ストップ、ゼロにリセットするなど、さまざまなクロノグラフ機能を操作できる。

ストラップはブラックアリゲーターストラップを採用し、タイムピースの複雑な動きはシースルーバックの裏ぶたから見ることができる。

ロンジンは1832年にスイスで創業された時計メーカーで、複雑なクロノグラフ(Chronograph 、懐中時計や腕時計でストップウオッチ機能を備え、時計機能と同一動力源によってストップウォッチ機能をも動作させているもの)のキャリバーをを自社生産していた。軍用時計も生産し、特に第2次世界大戦期のイギリスには2番目に多くの時計を納入したブランドとなっている。

ロンジンによると、ロンジンは1832年にオーギュスト•アガシ(Auguste Agassiz)により設立されたサンティミエ(Saint-Imier)の時計会社で、2人の共同経営者と共に懐中時計を製造した。1867年にオーギュスト・アガシの甥、アーネスト・フランシロン(Ernest Francillon1834-1900)が「エス・ロンジン(Es Longines、細長い野原)」と呼ばれる土地に自社工場を設立、同年に初のムーブメント「キャリバー20A」が製造され、同年のパリ万国博覧会で賞を受賞した。

1878年に新たな機械生産方式により、簡単なクロノグラフ機能(Chronograph、懐中時計や腕時計でストップウオッチ機能を備え、時計機能と同一動力源によってストップウォッチ機能をも動作させているもの)が搭載されたムーブメント「キャリバー20H」を製造し、1900年のパリ万国博覧会で、クロノメーター「キャリバー21.59」を搭載した「ラ・ルノメ(la Renommee)」でグランプリを獲得した。

1927年に初めて単独大西洋無着陸横断飛行に成功したチャールズ・A・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh、1902-1974)がナビゲーション・ウォッチを構想し、その製作をロンジンに委託、誕生したのが「アワー・エンゼル・ウォッチ(Hour Angle Watch)」で、パイロットたちの経緯度計算を容易にし、地理的な位置を正確に測定することが可能になった。

一方、「腕時計の豆知識」によると1929年の世界大恐慌による不況を乗り越えるため、1930年にオメガを中心にスイス銀行協会が参加して「SSIH」が結成されると、1931年にロンジンを中心にスイス銀行連盟が参加して「ASUAG」が結成された。1967年にセイコーがクウォーツ時計を発表すると、その後の15年ほどで時計関連企業が3分の1に淘汰され、生産本数も半分以下まで激減した。

1983年にSSIHとASUAGと合併した。もうひとつのグループ「エボーシュSA」(1926年にムーブメントメーカーのETA、フォンテンメロン、ア・シールドが合併で誕生)の中のETA社が1983年に「スウォッチ」を商品化、1985年にスウォッチがETAより独立し、「エボーシュSA」がETAに統合され、1986年にSSIH、ASUAG、ETA、スウォッチなどが合併し、「SMH」が誕生し、1998年に「SMH」が「スウォッチ グループ」と改称して、現在のスウォッチ グループとなった。

価格は51万4500円、営業時間は10時から20時。

丸善丸の内でマチスと野獣派版画展

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【銀座新聞ニュース=2013年2月12日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は2月13日から21日まで4階ギャラリーで「マチスとフォービスム展」を開く。

丸善・丸の内本店で2月13日から21日まで開催される「マチスとフォービズム展」に展示されるマチスの「ニース」。

フランスの画家で、フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)のリーダ-的存在であり、「色彩の魔術師」といわれたアンリ・マティス(Henri Matisse、1869-1954)をはじめ、ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault、1871-1958)、ラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)らフォービズムを代表する画家の版画を展示販売する。

ウイキペディアによると、「フォーヴィスム」は1905年にパリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品で、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセル(Louis Vauxcelles、1870-1945)が「あたかも野獣の檻(フォーヴ、fauverie)の中にいるようだ」と評したことから命名された。

象徴主義の画家で、当時エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授をしていたギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau、1826-1898)かフォーヴィスムの画家達の指導者で、彼が主張したのは、形式の枠組みの外で物事を考え、その考えに従うことであった。

フォーヴィスムはキュビズムのように理知的ではなく、感覚を重視し、色彩はデッサンや構図に従属するものではなく、芸術家の主観的な感覚を表現するための道具として、自由に使われるべきであるとする。ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。世紀末芸術に見られる陰うつな暗い作風とは対照的に、明るい強烈な色彩でのびのびとした雰囲気を創造した。

フォーヴィスムに分類される主要な画家としてはアンリ・マティス、ジョルジュ・ルオー、ラウル・デュフィのほか、アンドレ・ドラン(Andre Derain、1880-1954)、モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck、1876-1958)らがいる。

アンリ・マティスは1869年フランスのル・カトー=カンブレジ生まれ、1890年に盲腸炎の療養中に絵画に興味を持つが、ボザールへの入校は許可されず、教官ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau、1826-1898)から個人指導を受ける。初期は写実的なものを志したが、次第に後期印象派の影響を受け、自由な色彩による絵画表現を追究し、大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれるようになる。

フォーヴィスムとしての活動は1905年から3年ほどで、それ以降は比較的静かで心地のよい作品を描くようになり、線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達する。晩年、南フランス・ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当、切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、20世紀キリスト教美術の代表作と目される。

また、緑好きが高じてアトリエにはテーブルの上に所狭しと並べられた多様な花や身の丈を越す巨大な観葉植物などを置き、植物園のようであった。鳥も多い時には300羽も飼っていたといわれている。体力がなくなると、油絵から切り紙絵へと移り、アシスタントに色紙を作ってもらい、自分ははさみで切り抜いて作品を作り上げた。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)で、入場は無料。

トリップ祭り暦4月、タイ旧正月、オランダ女王誕生日、セビリア春祭り

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【銀座新聞ニュース=2013年2月12日】トリップアドバイザー(渋谷区恵比寿西1-10-11、03-6416-9333)はこのほど「トリップグラフィックス」として「世界のお祭りカレンダー2013」を発表した。

トリップアドバイザーが「トリップグラフィックス」として発表した「世界のお祭りカレンダー2013」の4月の写真はタイの旧正月「ソンクラーン」の光景だ。

トリップアドバイザーが日本や世界各国の著名なお祭りや奇祭、スポーツイベントなど旅行者目線で選んだお祭りカレンダーで、毎月5つから8つの世界のイベントの概要や期間、開催地(都市)などの情報を表示している。

4月は1日が世界中で「エイプリル・フール」の日で、「うそをついてもよい日」とされている。うそを報道するメディアも存在する。

13日から15日がタイでは旧正月を祝う「ソンクラーン」だ。旧暦「チャントラカティ」の新年でああり、政府によって13日から15日(仏暦・西暦)に固定されている。本来は新年の祝いであり、家族が一堂に集って共同で仏像のお清めを行ったり、年輩の家族のお清めを行う期間だったが、後に単なる水の掛け合いに発展したため、現在では「水掛け祭り」という言い方もある。

16日から21日がスペイン・セビリアの「春祭り(フェリア・デ・アブリル=Feria de Abril)」だ。バレンシアの火祭り、パンプローナの牛追い祭りとともに、スペイン3大祭りのひとつとされ、華やかな民族衣装で着飾った女性たちや、礼服を身につけ馬にまたがって進む人々のパレードなどが行われる。

セビリアは町を流れるグアダルキビル川により貿易が活発だったが、船が大型になるにつれ、海に面していない町は港としての機能を失い、寂れていくが、町をもう一度繁栄させるため、はじめられた牛や馬、羊など家畜の見本が春祭りの起源とされている。

1846年に発案され、1847年に第1回見本市が開催された。開催期間は当初は4月後半の3日間だけだったが、徐々に長くなり、現在は火曜から日曜までの6日間で、火曜の午前0時の点灯式に始まり、最終日の夜中24時の花火で終了する。本来は農業や牧畜による町の活性化をめざしていたが、今や普通の「祭り」に変わった。

1000以上もの「カセタ」と呼ばれるテントが張られ、その中で食べて飲んで踊って話して朝晩過ごすのが中心だ。カセタは主催者の招待がないと入れないものがほとんどだが、一般向けに公営カセタも設置されている。

30日がオランダの「女王の誕生日」で、ドイツでは「ヴァルブルギスの夜」だ。オランダでは1815年にオランダ王国が成立し、オラニエ=ナッサウ家(Huis Oranje-Nassau)が当主に就き、以降、ウィレム1世(Willem1、1772-1843)、ウィレム2世(Willem2、1792-1849)、ウィレム3世(Willem3、1817-1890)と続いた。

1890年に初めて女王としてウィルヘルミナ(Wilhelmina、1880-1948)が即位し、その後、女王のユリアナ(Juliana、1909-2004)、現在の女王、ベアトリクス(Beatrix、1938年生まれ)さんと長子承継のオランダでは3代続いて女王が続き、1949年にユリアナが即位すると、女王誕生日がユリアナの誕生日4月30日に変更された。

ただ、ベアトリクスさんは1月28日に4月30日に退位すると発表し、100数年ぶりに誕生した男子の長子、ウィレム=アレクサンダー(Willem-Alexander Claus George Ferdinand van Oranje-Nassau)王子が5月1日に国王に即位することになっている。王位継承は1983年の憲法改正より、正式に最長子相続制をとっている。

4月30日はオランダ全土がオレンジ色(オランダ王家の色)の飾りが掲げられ、さまざまなパレードや音楽祭が催されるほか、 フリーマーケットが開かれ、街の通りで住人が自由に物を売買することが許されている。

ウイキペディアによると、「ヴァルブルギスの夜」はドイツ、北ヨーロッパで広く行われているサバト(祭り、魔女たちのお祭り)で、710年にウェセックス(イングランドの7王国のひとつ)で生まれた聖ワルプルガ(Walpurga)にちなんで名付けられた。

彼女は聖ボニファティウス(Bonifatius、672-754)の姪で、サクソン人の王子・聖リチャードの娘とされている。彼女は兄弟たちとともにドイツのフランコニアに旅し、ワルプルガはそこで尼僧となって兄ウィリバルドの創設したハイデンハイム修道院に入った。

ワルプルガは779年2月25日に亡くなり、その日は今も伝統的な聖人暦では聖名祝日として暦に残る。ヴァルプルギスの夜にあたる5月1日は、彼女の聖遺物がアイヒシュテットに移された日で、ローマ法王ハドリアヌス2世(792-872)によって列聖された日であるともいわれている。

ドイツでは4月30日の日没から5月1日未明にかけての夜を指し、魔女たちがブロッケン山で大規模な祭りを催して、春の到来を待つとされている。ブロッケン山は中央ドイツ北部にあるハルツ山地の最高峰で、「ブロッケン現象」による自然現象と、魔女の酒宴がヴァルプルギスの夜に催されることで有名である。ブロッケン現象は、見る人の影の周りに虹に似た輪が現れる現象で、最初にこの自然現象が報告されたのがブロッケン山である。

アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler、1889-1945)は1945年4月30日から5月1日にかけて、妻のエヴァ・ブラウン(Eva Anna Paula Braun、1912-1945) とともに「ヴァルプルギスの夜」に自殺を図った。ヒストリーチャンネルのドキュメンタリー番組「ヒトラーとオカルト」によれば、ヒトラーとブラウンがその日は悪魔崇拝のうえで重要な日であると信じていたからだとしている。

ペンタックスリコー画廊で岡嶋和幸ら15人展、最新機を使用

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【銀座新聞ニュース=2013年2月11日】ペンタックスリコーイメージング(板橋区前野町2-35-7、03-3960-5151)が運営するギャラリー「リング・キューブ(RING CUBE)」(中央区銀座5-7-2、三愛ドリームセンター9階、03-3289-1521)は2月13日から25日まで「ペンタックス(PENTAX)K-5 2sの世界」を開く。

ペンタックスリコーイメージングのギャラリー「リング・キューブ」で2月13日から25日まで開催される「ペンタックスK-5 2sの世界」に展示される高橋真澄さんの「天からの贈り物」。

写真家の相原正明(あいはら・まさあき)さんら15人がペンタックス(PENTAX)が2012年10月に発売した「K-5 2s」を使って撮影した作品を、大型プリント(B-1サイズ)で30点展示する。

「K-5 2s」はペンタックスの最高級クラスのデジタル一眼レフカメラで、有効画素数1628万画素のローパスフィルターレスCMOSセンサーを採用し、新開発のAF(オートフォーカス)モジュールにより、低輝度時におけるAF性能を実現し、解像度を重視している。

今回、出品するのは相原正明さんのほか、岡嶋和幸(おかじま・かずゆき)さん、小口和利(おぐち・かずとし)さん、河田一規(かわだ・かずのり)さん、小林義明(こばやし・よしあき)さん。

鈴木一雄(すずき・かずお)さん、曽根陽一(そね・よういち)さん、高橋真澄(たかはし・ますみ)さん、田中希美男(たなか・きみお)さん、中井精也(なかい・せいや)さん。

浜崎(はまさき)さわこさん、藤城一朗(ふじしろ・いちろう)さん、村田一朗(むらた・いちろう)さん、吉村和敏(よしむら・かずとし)さん、クリス・ウイルソン(Chris Willson)さんだ。

相原正明さんは1958年東京都生まれ、日本大学法学部新聞学科を卒業、現在、オーストラリアを中心に活動し、フレンド・オブ・タスマニア(親善大使)を務めている。

岡嶋和幸さんは1967年福岡県福岡市生まれ、東京写真専門学校(現専門学校東京ビジュアルアーツ)を卒業、広告や雑誌などの写真撮影を手がけている。

小口和利さんは1953年長野県松本市生まれ、法政大学社会学部を卒業、朋文堂涸沢ヒュッテに勤務し、その後、オーストリア・インスブルックに1年間滞在、1981年に東京総合写真専門学校を卒業、1983年からフリーのスキー、スポーツ写真家として活動し、ヤマハのスキー専属カメラマンとして3回の冬季オリンピックをはじめ、さまざまな世界大会を撮影、1990年からNHK文化センター松本教室の写真講師を務めている。

河田一規さんは1961年神奈川県横浜市生まれ、結婚式場のスタッフカメラマンなどを務め、4年間の助手生活を経てフリーになり、雑誌などの人物撮影、カメラ雑誌での新機種インプレッション記事などを手がけている。

小林義明さんは1969年東京都町田市生まれ、1989年に東京写真専門学校(現専門学校東京ビジュアルアーツ)を卒業、写真家として昆虫や植物の生態、イメージ写真を発表、1999年から毎年写真展を開き、現在、北海道標茶町に在住している。

鈴木一雄さんは1953年福島県生まれ、法政大学法学部を卒業、民間企業、地方公務員を経て、自然写真家として活動し、フォト寺子屋「一の会」を主宰している。

曽根陽一さんは1953年埼玉県生まれ、私立本郷学園高校を卒業、書店勤務を経て、ワークショップ写真学校「森山大道教室」3期を修了し、商業写真のアシスタントを経て、現在、フリーの写真家として活動している。

高橋真澄さんは1959年北海道美唄市生まれ、15年間の会社勤務を経て、1995年に上富良野町にフォトギャラリー「ノースランドギャラリー(NORTH LAND GALLERY)」を開設し、写真家として活動している。

田中希美男さんは京都府京都市下京区生まれ、清水焼き窯元で陶芸制作の後、多摩美術大学・多摩芸術学園写真科を卒業、フリーの写真家として活動し、主にクルマ雑誌で車の写真撮影を続け、カメラ雑誌で新型カメラ・レンズなどのテストレポートや撮影技法を解説している。1987年より「日本カメラグランプリ」の選考委員を務めている。

中井精也さんは1967年東京都生まれ、成蹊大学を卒業、東京写真専門学校(現東京ビジュアルアーツ)に1年間通い、在学中に鉄道写真家に師事し、1996年に独立し、個人事務所「レイルマンフォトオフィス」を設立、。2000年に「有限会社レイルマンフォトオフィス」を設立している。現在、日本鉄道写真家協会事務局長。

浜崎さわこさんは1956年長崎県生まれ、1982年に写真クラブに入会、1984年より現在まで自然を題材にした写真展を開いており、2000年にフリーの写真家として活動、2002年と2003年にアジアデジタルアート大賞展に入選、2003年に「エプソンネイチャーフォトアワード」でグランプリを受賞している。2012年にペンタックスカレンダーに作品が採用されている。

藤城一朗さんは東京都生まれ、学習研究社の映像局を経てフリーの写真家として活動し、エディトリアルからコマーシャルまで幅広く手がけている。

村田一朗さんは1964年東京都生まれ、1986年に東海大学海洋学部海洋工学科を卒業、電気メーカーに入社、その後、本格的に登山と写真をはじめ、1997年度第35回山岳写真賞を受賞し、2000年からデジタルカメラで山岳写真を撮影、現在は北アルプス、とくに燕岳周辺に集中している。

吉村和敏さんは1967年長野県松本市生まれ、長野県立田川高校を卒業、東京の印刷会社を経て、1年間のカナダ暮らしをきっかけに写真家としてデビューし、以降、東京を拠点に1年の約半分をカナダやヨーロッパ各国で取材撮影している。2003年にカナダメディア賞大賞、2007年に写真協会賞新人賞を受賞している。

クリス・ウイルソンさんは1975年イギリス・マンチェスター生まれ、1994年から1997年までランカスター大学、カルガリー大学で生態学を学び、1998年にペルーのアマゾン、タンボパタ自然保護地区でガイドの仕事に従事し、1999年に来日し、2000年からフリーのライター、写真家として活動、2008年から写真展を開いている。

リング・キューブは2012年8月に改装工事のため休館しており、今回、特別に写真展の開き、終了後に再度休館し、工事を続ける。リニューアルオープンの時期については未定としている。

開場時間は11時から20時(最終日は17時)。毎週火曜日が定休。入場は無料。

丸善丸の内でボナフェ画業60周年展

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【銀座新聞ニュース=2013年2月11日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は2月13日から21日まで4階ギャラリーで「ロジェ・ボナフェ画業60周年展」を開く。

丸善・丸の内本店で2月13日から21日まで開催される「ロジェ・ボナフェ画業60周年展」に展示される「古木の森とペラジー」。

フランスの画家で、「成熟の赤」の使い手で知られるロジェ・ボナフェ(Roger Bonafe) さんが2012年に80歳を迎え、画業60周年を超えたのを記念して、記念画集が日本とフランスで同時に出版されたのを記念して、作品展を開く。

元フランス大統領のジャック・シラク(Jacques R.Chirac)さんはロジェ・ボナフェさんのファンで、「彼の出身である地方の魅力も残しつつ、パリの芸術家たちに接することで異なるインスピレーションを得、彼独特のテクニックと表現を身につけて完成させ、その作品は神秘的で哀愁に満ちた『内なる光の告白』ともいうべきものであり、情熱的で荘厳さに満ちた『成熟の赤』という色を祝福しているようにも思われる」と語っている。

ロジェ・ボナフェさんは1932年フランス・エロー生まれ、1950年代後半にモンマルトルに居を構え、テルトル広場で多くの画家たちとの出会い、独自の技法を修得し、その後、フランス国内のさまざまな土地を旅行し、独創的な気質を深め、1960年にフランス・オランジェで初個展を開き、以降、世界各地で展覧会を開催、

1978年にパリのギャラリー「オプシディエンヌ」の専属画家を2年務め、1988年にモンペリエ・ドゥヴォア広場のためのブロンズ像「ドウヴァの少女」を制作、1991年に東京芸術劇場で個展、初のリトグラフを制作、1992年からアメリカ、アジアなどで個展を開き、

開場時間は9時から21時(最終日は17時)で、入場は無料。