「天気の子」新海誠、醍醐虎汰朗、森七菜ら初日挨拶

【銀座新聞ニュース=2019年7月10日】阪急阪神東宝グループで、国内映画業界首位の東宝(千代田区有楽町1-2-2、03-3591-1221)は7月19日にTOHOシネマズ日比谷スクリーン12(千代田区有楽町1-1-3、東京宝塚ビル地下)で「天気の子」の監督、声優による舞台あいさつを開く。

7月19日から一般公開される「天気の子」((C)2019「天気の子」製作委員会)。

19日15時10分の回上映終了後と18時25分の回上映前に、監督の新海誠(しんかい・まこと)さんをはじめ、声優で主人公の高校生「森嶋帆高」役の醍醐虎汰朗(だいご・こたろう)さん、特異な能力をもつ少女「天野陽菜」役の森七菜(もり・なな)さん、須賀の事務所で働く女子大生「夏美」役の本田翼(ほんだ・つばさ)さん、陽菜の弟「天野凪」役の吉柳咲良(きりゅう・さくら)さん、ライター「須賀圭介」役の小栗旬(おぐり・しゅん)さんが舞台に登場してあいさつする。

「天気の子」は「君の名は。」で大ヒットを記録したアニメ監督の新海誠さんが天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄されながらも自らの生き方を選ぼうとする少年少女の姿を描いた長編アニメだ。

物語は離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高だが、生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。

そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があった。

ウイキペディアによると、新海誠さんは1973年長野県生まれ、1996年に中央大学文学部文学科国文学専攻を卒業、在学時は児童文学研究会で絵本を創作し、在学中からアルバイトとして立川市のゲーム会社「日本ファルコム」で働き、卒業後に、日本ファルコムに入社、ロールプレイングゲームのパッケージ制作を担当し、キャッチコピーやパッケージビジュアルの作成、画像の選定などを行った。

会社の仕事と並行して自主的にアニメを制作し、1998年に「遠い世界」で「イート(eAT)’98」にて特別賞、2000年に「彼女と彼女の猫」で第12回CGアニメコンテストでグランプリを獲得した。2001年初夏に5年間勤めた日本ファルコムを退社、2002年に初の劇場公開作品「ほしのこえ」を監督、脚本、演出、作画、美術、編集など、ほとんどの作業を1人で行い、約25分のフルデジタルアニメを発表し、第1回新世紀東京国際アニメフェア21公募部門で優秀賞、第7回アニメーション神戸・第6回文化庁メディア芸術祭で特別賞、第34回星雲賞メディア部門などで受賞した。

2004年に長編作品「雲のむこう、約束の場所」を発表、第59回毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞した。2007年に連続短編アニメ「秒速5センチメートル」を発表、2008年1月中旬から2月中旬にかけて、ヨルダン(アンマン)、カタール(ドーハ)、シリア(ダマスカス)で現地のクリエイターを対象としたデジタルアニメ制作のワークショップを行い、終了後は1年ほどロンドンに滞在し、2009年4月に帰国、「世界で活躍し『日本』を発信する日本人プロジェクト」で選出され、内閣府国家戦略室の古川元久(ふるかわ・もとひさ)担当大臣から感謝状が贈られた。2011年に「星を追う子ども」を発表し、第8回中国国際動漫節「金猴賞」優秀賞などを受賞した。

2013年に「言の葉の庭」を発表し、累計12万人以上を動員し、最終興収が推定1億5000万円に達した。カナダ・モントリオールのファンタジア国際映画祭今敏賞、劇場アニメーション部門で観客賞などを受賞した。2016年に「君の名は。」を発表、最終興行収入は250.3億円で、日本映画としては歴代2位、日本国内で公開された映画としては歴代4位となった。中国やタイなどのアジア圏、ヨーロッパ圏においても人気の映画となり、原作本として自身が執筆した「小説・君の名は。」(角川文庫)も100.9万部を突破し、ミリオンを達成した。

「君の名は。」は第49回シッチェス・カタロニア国際映画祭アニメ作品部門で最優秀長編作品賞、第18回プチョン国際アニメーション映画祭で長編コンペティション部門 で優秀賞・観客賞、第42回ロサンゼルス映画批評家協会で長編アニメーション賞などを受賞した。現在「コミックス・ウェーブ・フィルム」に所属。2018年6月25日、アカデミー賞を主催している映画芸術科学アカデミーがアカデミー会員に招待した。妻は女優の三坂知絵子(みさか・ちえこ)さん、娘は子役の新津(にいつ)ちせさん。

チケットは応募フォームからの応募・抽選はすでに締め切っている。ローソンチケットによる抽選販売を受付中で、締め切りは11日23時59分。料金は一般2100円、大学生・専門学校生1700円、高校生以下、ジュニア(3歳から中学生まで)、障がい者1200円、シニア(60歳以上)1400円。

丸善日本橋で砥部焼展、梅山窯や春秋窯、貞山窯等9窯

【銀座新聞ニュース=2019年7月10日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月10日から23日まで3階ギャラリー特設会場で「砥部焼展-暮らしを彩る『用と美』の器」を開く。

丸善・日本橋店で7月23日まで開かれる「砥部焼展-暮らしを彩る『用と美』の器」に出品される作品。

愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器「砥部焼(とべやき)」を今もつくり続ける「梅野精陶所」の作品や、かつて「梅野精陶所」で制作し、現在は「春秋窯(しゅんじゅうがま)」(愛媛県伊予郡砥部町五本松888、089-962-2608)を構える陶芸家、工藤省治(くどう・しょうじ)さんら「砥部焼協同組合」(愛媛県伊予郡砥部町大南604、089-962-2018)に所属する9の窯元の作家の作品約2000点を展示販売する。

「梅野精陶所」の「梅山窯(ばいざんがま)」(愛媛県伊予郡砥部町大南1441、089-962-2311)は梅野政五郎(うめの・まさごろう、生没年不詳)が1882年に開窯し、今も地元では最大規模の窯元で、現在は岩橋和子(いわはし・かずこ)さんが代表を務め、約50人が制作などをしている。

ほかに、「春秋窯」や「岩田製陶所(貞山窯=ていざんがま)」の岩田健二(いわた・けんじ、1969年生まれ)さん、「雲石窯(うんせきがま)」の山田雅之(やまだ・まさゆき、1964年生まれ)さん、「永立寺窯(えいりゅうじがま)」の西岡秀典(にしおか・しゅうてん、1939年生まれ)さん。

梅野精陶所で修業した「岡田陶房」の岡田威(おかだ・たけし、1962年生まれ)さん、梅野精陶所で修業した「工房芥川」の芥川正明(あくたがわ・まさあき、1950年生まれ)さん、「勝部製陶所(東吉窯=とうきちがま)」の勝部東一(かつべ・とういち、1942年生まれ)さん、梅野精陶所で修業した「中田窯」の中田正隆(なかた・まさたか、1946年生まれ)さんが出品する。

ウイキペディアや砥部町観光協会、砥部焼協同組合によると、「砥部焼」は大洲藩(おおずはん)9代藩主の加藤泰候(かとう・やすとき、1760-1787)の時代に、藩の財政を立て直すため、砥石くずを使った磁器づくりを命じたことが起源とされている。

奈良・平安時代から、砥部・外山の砥石山から切り出される砥石は「伊予砥(いよと)」と呼ばれ、東大寺の「正倉院文書」には「観世菩薩像造立」の材料に、「伊予の砥」を用いたことが記されている。また、平安時代編さんの「延嘉式」にも伊予国産物として「外山産砥石」を随用すると記録されている。

しかし、伊予砥の生産の際に、砥石の切出しのときに出る砥石屑の処理が重労働で、その作業に御替地(伊予市)の村人が動員されていたが、負担が大きすぎて、村人は動員の免除を大洲藩に願い出るまでになった。

その頃、伊予砥の販売を一手に引き受けていた大阪の砥石問屋、和泉屋治兵衛(いずみや・じへえ、生没年不詳)が天草の砥石が磁器の原料となることを知り、大洲藩に伊予砥の屑石を使って磁器を生産することを進言した。和泉屋からの進言を受け入れ、加藤泰候は1775(安永4)年に家臣の加藤三郎兵衛(かとう・さぶろうべえ、生没年不詳)に「磁器」の生産を命じた。

加藤三郎兵衛は麻生村(現砥部町)の豪農、門田金治(かどた・きんじ、生没年不詳)に資金を出させ、現場の監督者に組頭の杉野丈助(すぎの・じょうすけ、生没年不詳)を選び、肥前の長与窯から5人の陶工を招き、五本松の上原に登り窯を築き、何回か試焼を行い、本焼も行ったが、地肌に大きなひびが入るなど、失敗の連続で、肥前の陶工は帰郷し、残された杉野丈助は本焼を続けた。最後には、赤松の薪もなくなり、家の柱や畳まで窯にくべたといわれている。

その様子を見ていた筑前の陶工、信吉(しんきち、生没年不詳)が釉薬原料の不良にあることを教え、杉野丈助は筑前に出かけ、新しい釉薬を探し、1776(安永6)年に白地に藍色の焼き物作りに成功した。これ以降、焼き物に必要な薪も近くの山々で豊富に採れたうえ、傾斜地に流れる渓流や小川は水車を据えるのに適しており、原料の砥石を砕き陶土にするのに盛んに用いられた。

やや厚手の白磁に、呉須(ごす)と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴で、一般に食器、花器などに使われ、別名「喧嘩器」とも呼ばれている。

明治以降、砥部焼は中国などの外国に「伊予ボール」の名で輸出され、向井和平(むかい・わへい、1842-1904)が制作した「淡黄磁」が、1893(明治26)年にシカゴ世界博覧会で1等賞を受賞し、砥部焼の名は世界に知られるようになり、大正期に入ると、砥部焼は輸出が7割を超えるまでになった。

しかし、大正末期から昭和初めの不況などにより、砥部焼の生産や販売は落ち込み、一方で、瀬戸や美濃などの陶器は、石炭を使った倒焔式の窯や機械ロクロや石膏型、絵付けでの毛筆から銅板印刷へと新しい技術が導入され、砥部は近代化の波から取り残された。戦後になり、1953年に民芸運動の推進者である柳宗悦(やなぎ・むねよし、そうえつ、1889-1961)らが砥部を訪れ、手仕事の技術が残っていることを高く評価した。

1956年に陶芸家の富本憲吉(とみもと・けんきち、1886-1963)も訪れ、砥部焼の近代的デザインを後押しし、それに刺激を受けた若手陶工を中心に手作りのよさを生かして、ロクロや絵付けなどの技法向上に取り組み、1976年に砥部焼が国の伝統的工芸品に指定され、1995年に砥部焼の地球儀が国連ヨーロッパ本部に設置され、2005年に砥部焼が愛媛県の無形文化財に指定されている。

砥部焼協同組合は1888(明治21)年に「下浮穴・伊予両郡陶器業組合」として創立され、1903(明治36)年に重要物産同業組合法が公布され、輸出に力を入れるため「伊予陶磁器同業組合」に改組され、1934(昭和9)年に工業組合法の施行により、「伊予陶磁器工業組合」に改組され、1944(昭和19)年に商工組合の規定に従い、「伊予陶磁器工業統制組合」に移行された。

1947年に商工協同組合法が公布され、「伊予陶磁器工業協同組合」に改組され、組合員数が40人以上になり、1949年に中小企業協同組合法により、「伊予陶磁器協同組合」に改組され、2003年に「砥部焼協同組合」に変更された。

工藤省治さんは1934年青森県生まれ、1953年に岩手県立水沢高校を卒業、1957年に砥部焼「梅野精陶所」に入所、1964年に第1回丸善クラフトセンター賞を受賞、1974年に研究工房「春秋窯」を設立、1989年に第17回国井喜太郎(くにい・きたろう、1883-1967)産業工芸賞を受賞した。

1992年に伝統産業展生活産業局長賞、2001年に経済産業大臣デザイン功労者として表彰され、2004年に「卓越した技能者」として表彰され、2007年に黄綬褒章、2015年3月に愛媛県無形文化財砥部焼技術保持者に認定されている。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。税込で1万円以上購入すると、送料無料で配達してくれる。

リコー画廊でERIC、小松健一、佐藤理らスナップ写真展

【銀座新聞ニュース=2019年7月9日】国内最大のOA機器メーカーのリコー(中央区銀座8-13-1、03-6278-2111)グループのリコーイメージング(大田区中馬込1-3-6)が運営するギャラリー「リコーイメージングスクエア銀座」(中央区銀座5-7-2、三愛ドリームセンター、03-3289-1521)は7月10日から8月11日まで8階ギャラリーゾーン「A.W.P」でERICさん、小松健一さんらによる「スナップショット-瞬間はいつも輝いている」を開く。

リコーイメージングスクエア銀座で7月10日から8月11日まで開かれる「スナップショット-瞬間はいつも輝いている」に出品されるエリック(ERIC)さんの作品((C)ERIC)。

エリック(ERIC)さん、小松健一(こまつ・けんいち)さん、佐藤理(さとう・おさむ)さん、白石(しらいし)ちえこさんの4人の写真家が撮影したスナップショット32点を展示する。エリックさんはカラー、小松健一さん、佐藤理さん、白石ちえこさんはすべてモノクロームのゼラチンシルバープリントを展示する。

「写すという行為は被写体の発見から始まります。写したいという衝動に駆られる被写体とは何か。その対象となる被写体はさまざまで、シャッターを押す瞬間の心のときめきこそが写す醍醐味」(リコーイメージング)とし、エリックさんは市井の人々を至近距離で居合抜のごとく写す。しかも、日中にフラッシュを使っての撮影に、写された側もその事実に気づかないという。

小松健一さんは1970年代から1980年代の東京のスナップで、高度経済成長の終焉以降の東京に暮らす人々を独自の視点で描く。佐藤理さんは1970年代の群馬県の山人の暮らしを写している。大型の8×10カメラを担ぎ上げて撮影している。白石ちえこさんは郷愁あふれるシーンにカメラを向けてきた。「ゆっくりと時間が流れていくが、写さなければいずれ消滅する光景」で、「作家の独自の視点で表現された瞬間」としている。

同じく小松健一さんの作品((C)Kenichi Komatsu)。

エリックさんは1976年香港生まれ、1997年の香港の返還直前に来日し、西村カメラで写真を学び、2001年に東京ビジュアルアーツを卒業、同年に「蓄積と未来」でコニカフォトプレミオ大賞を受賞、2002年に「一日と永遠」で第19回ひとつぼ展でグランプリ、2004年に「エブリー・ウエア(every where)」で第2回ビジュアルアーツフォトアワード大賞、2009に年「中国好運│GOOD LUCK CHINA」で第9回さがみはら写真新人奨励賞などを受賞している。

小松健一さんは1953年岡山県生まれ、群馬県育ち、現代写真研究所研究科を卒業、新聞記者などを経てフリーの写真家として活動している。世界の厳しい風土の中で自然と共生する民族をライフワークに地球巡礼をしている。また、日本の近現代の文学、作家の原風景を切り口にして日本の暮らしと風土、沖縄、環境問題など社会的なテーマを追い続けている。

1983年に歌集「春ひそむ冬」で1983年度新日本歌人協会新人賞、1987年に「若きいのちへの旅-北の文学原風景」が1987年度緑陰図書に選定され、1998年に「琉球-OKINAWA」が第23回視点賞、1999年に「雲上の神々-ムスタン·ドルパ」が第2回藤本四八写真文化賞、2003年に「文学の風景をゆく」が2003年度SLBC選定図書に選ばれ、2005年に「ヒマラヤ古寺巡礼」が日本写真家協会賞年度賞などを受賞している。

佐藤理さんは東京都生まれ、1964年に東京写真短期大学(印刷科)を卒業、同年に光村原色版印刷所に入社、1965年に企画室写真部配属以降11年間勤め、部門が独立して「アート光村フォトセンター」となり、1968年に第19回全国カレンダー展で文部大臣賞、1979年に佐藤理スタジオを設立、1992年に第34回全国カタログ・ポスター展「カタログ」の部で「日本印刷産業連合会奨励賞、印刷出版研究所奨励賞、2006年から2015年まで日本写真家ユニオン「オリジナルプリント」展に参加している。現在、公益社団法人「日本写真家協会」会員。

白石ちえこさんは神奈川県横須賀市生まれ、アジアの国を旅して写真を撮りはじめ、1998年から個展を開き、千葉県船橋市主催の写真講座に参加、日常にある記憶の原風景をもとめて撮影をつづけている。

開場時間は11時から19時(最終日は16時)。毎週火曜日が定休。入場料は510円(税込)。

丸善丸の内で「江戸指物」展、協同組合職人11人が制作

【銀座新聞ニュース=2019年7月9日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は7月10日から16日まで4階ギャラリーで「江戸指物展」を開く。

丸善・丸の内本店で7月10日から16日まで開かれる「江戸指物展」に出品される作品。

江戸指物の職人が集まっている「江戸指物協同組合」(荒川区荒川3-26-1、03-3874-1504)はほとんどの家具類から照明、暖房などの器具類、お盆、箸などの食器類まで、あらゆる生活用具を制作している。

江戸指物は、江戸の武家、商人、歌舞伎役者用として発達し、その特徴は、毎日の普段使いに耐える堅牢さと、細く華奢に見せる粋なデザインの両方を追求した完成度の高さという。吟味した材料を生かし、外から見えないところに技術を駆使して作り上げる江戸指物協同組合の指物師11人によるタンス、引出箱、姿見、文机、合曳、お盆など大小90点を展示販売。また、特別注文や古き良き指物の修理も受付ける。

小林宝林堂によると、指物家具とは、釘などを使わず、木部に凸凹(ほぞ)を作り、そのほぞによって板と板、棒と棒を組み合わせて作る家具をいう。徳川幕府の開幕により、江戸が政治経済の中心になり、衣、食、住のすべてにおいて「江戸前風」が流行した。

指物家具の分野にも、江戸風、江戸好みと呼ばれるスタイルが形成され、ほぞの部分を「仕口」と呼び、数十種類ある仕口のうち、おもに江戸指物では、外からは見えない隠し蟻組(かくしありぐみ)や三方留(さんぽうどめ、3本の柱を組み合わせて角を作る)などの高度な仕口を使用している。

絢爛な加飾が施された関西家具とは対照的に、素朴な作風で、見かけの華やかさより内面の美を追求しており、内側に手抜きをしない、日本的な「わび」や「さび」、さらに「義理人情」の込められた手作りの味が生かされた作品が残されているという。

伝統工芸品によると、「江戸指物」とは外側に組み手を見せず、金釘も使わずに組み立てられた木工品を指物という。指物という名の由来は、木と木を「さし合わせる」からとも、「物さし」を駆使するからともいわれている。

朝廷、茶道用として発達した京指物に対し、江戸指物は武家用、商人用及び江戸歌舞伎役者用(梨園指物)を中心に発達したため、木目を生かした簡素で堅牢なつくりが特徴とされる。また江戸指物師の誕生は、江戸時代、大工職人の仕事が分化したことによるといわれている。

この江戸時代からの優れた技術・技法は脈々と受け継がれており、吟味した材料を生かし、外からは見えないところほど技術を駆使してつくり上げる江戸指物からは、職人の粋と洗練された美意識を感じることができる。

ウイキペディアによると、指物とは釘などの接合道具を使わずに、木と木を組み合わせて作られた家具、建具、調度品などの総称で、日本語による狭義では、日本の伝統工芸品の指物およびその技法を指す。

日本において伝統的な指物にはいくつかの流派とも呼べるものが存在し、特に京都の京指物、東京(江戸)の江戸指物、大阪の大阪唐木指物が知られている。江戸時代、徳川幕府は全国から多くの職人を呼び、職人町を興し、手工業を発達させた。江戸の神田・日本橋周辺の大工町・鍛冶町・紺屋町などだ。江戸時代の中頃に生まれた指物師は、消費生活の発達につれて大工職の仕事が楢物師(ひものし)、戸障子師、宮殿師などと同じ細分化の一つといわれている。

江戸で発展した江戸指物は、武家や町人・商人によく使用され、その風土ゆえに華美な細工は好まれず、素材の木目の美しさを活かした淡泊な木目に渋味を持ち合わせた漆塗りが好まれた。1997年5月14日に江戸指物は木工品として通産大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。現代の主要製造地域は、台東区、荒川区、足立区、葛飾区、江東区となっている。

「江戸指物協同組合」は1983年4月に設立され、8月に東京都伝統工芸品に指定され、1997年に通産大臣より伝統工芸品に指定され、2007年4月に特許庁長官より地域団体商標「江戸指物」に登録されている。

現在、組合には前理事長の井上喜夫(いのうえ・よしお)さん、河内素子(かわうち・もとこ)さん、佐藤進(さとう・すすむ)さん、理事長の戸田敏夫(とだ・としお)さん、根本一徳(ねもと・かずのり)さん。

茂上豊(もがみ・ゆたか)さん、山田嘉丙(やまだ・かへい)さん、渡辺彰(わたなべ・あきら)さん、渡辺光(わたなべ・ひかる)さんらが所属している。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。

ギャルリー志門で斎藤鉄心展

【銀座新聞ニュース=2019年7月8日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル、03-3541-2511)は7月8日から13日まで斎藤鉄心さんによる「空間知覚」展を開いている。

ギャルリー志門で7月13日まで開かれている斎藤鉄心さんの「空間知覚」展のフライヤー。

長年、ドイツで学んできた画家の斎藤鉄心(さいとう・てっしん)さんが新作を中心に作品を展示している。

斎藤鉄心さんは1948年福島県生まれ、1975年にヨーロッパにわたり、1981年にドイツのベルリン国立芸術大学を卒業、1982年にドイツで「マイスターシューラー」の称号を取得、1982年から1984年までカールホーファ財団の給費を獲得、1985年にドイツ・ダルムシュタット賞の候補に入り、1988年にドイツのニーダーザクセン州給費を受けている。

1989年にベルリン文化庁芸術報励賞、1989年から1990年にギュスタブケテル財団の給費、1990年に帰国し、1993年にエンバ美術コンクールに参加、1995年にリキテック スビエンナーレ報励賞などを受賞、2008年に文化庁新進芸術家海外留学制度によりベルリンに滞在している。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)。

注:「斎藤鉄心」の「斎」と「鉄」は正しくはいずれも旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。