日比谷「マスカレード」木村拓哉と鈴木監督大ヒット御礼挨拶

【銀座新聞ニュース=2019年2月1日】阪急阪神東宝グループで、映画の制作配給、演劇の興行などの国内最大手、東宝(千代田区有楽町1-2-2、東宝日比谷ビル、03-3591-1221)は2月4日にTOHOシネマズ日比谷(スクリーン12、千代田区有楽町1-1-3、東京宝塚ビル、050-6868-5068)で「マスカレード・ホテル」の大ヒットの記念して、木村拓哉さんらによる御礼の舞台あいさつを開く。

現在、一般公開中の「マスカレード・ホテル」((C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社)。

1月18日から一般公開され、初週で第1位、26日、27日の第2週でも1位と2週連続で1位を確保した。興行通信社によると、1月27日までの累計で動員が146万人、興収が19億円に迫る勢いで、東宝では興収50億円を見込んでいる。

この大ヒットを記念して、4日14時30分の回上映終了後に、監督の鈴木雅之(すずき・まさゆき)さんと主人公の刑事「新田浩介」役の木村拓哉(きむら・たくや)さんが舞台に登場して御礼のあいさつをする。

「マスカレード・ホテル」は直木賞作家の東野圭吾(ひがしの・けいご)さんが2008年12月から2010年9月まで月刊誌「小説すばる」(集英社の)に連載し、2011年9月10日に集英社より単行本が刊行された同名の小説が原作だ。2014年7月18日に集英社文庫版が刊行され、シリーズ累計で275万部が発行されている。

物語は都内で3件の殺人事件が発生し、現場にはいずれも不可解な数字の羅列が残されていたことから、連続殺人事件として捜査が開始され、警視庁捜査一課の刑事・新田浩介は、その数字が次の犯行場所を予告していること、高級ホテル・コルテシア東京が4件目の犯行場所になることを突き止め、犯人を見つけるため新田がホテルのフロントクラークになりすまして潜入捜査に乗り出し、教育係であるフロントクラーク・山岸尚美と衝突を繰り返しながら、事件の真相に近づく。

チケットについてはチケットぴあを通じて特別抽選販売を販売しているが、すでに締め切っている。料金は一般2000円、大学生・専門学校生1700円、高校生・ジュニア(3歳から中学生まで) 1200円、障がい者1200円、シニア1300円。2日から劇場で通常料金で販売する。

日比谷「シティーハンター」神谷明、伊倉一恵ら挨拶

【銀座新聞ニュース=2019年2月1日】国内家電業界第2位のソニーグループのソニー・ミュージックエンタテインメント(千代田区六番町4-5)の子会社、アニプレックス(同)は2月9日にTOHOシネマズ日比谷(千代田区有楽町1-1-3、東京ミッドタウン日比谷、050-6868-5068)で「劇場版シティーハンター<新宿プライベート・アイズ>」の声優による舞台あいさつを開く。

2月8日から一般公開される「劇場版シティーハンター<新宿プライベート・アイズ>」((C) 北条司/NSP・「2019 劇場版シティーハンター」製作委員会)。

9日13時10分の回上映終了後に、声優で主人公のスイーパー(始末屋)「冴羽僚」役の神谷明(かみや・あきら)さん、冴羽僚の親友の義妹「槙村香」役の伊倉一恵(いくら・かずえ)さん、IT企業の社長「御国真司」役の山寺宏一(やまでら・こういち)さんが舞台に登場してあいさつする。

ウイキペディアによると、「シティーハンター」はマンガ家の北条司(ほうじょう・つかさ)さんが「週刊少年ジャンプ」(集英社)で1985年13号から1991年50号にかけて連載した作品で、単行本はジャンプ・コミックスより全35巻が刊行され、1996年から1997年にかけて文庫版が全18巻で発売されている。

2004年から2005年にかけては「シティーハンター・コンプリート・エディション(CITY HUNTER COMPLETE EDITION)」として完全版が徳間書店より全32+3 (X、Y、Z) 巻で発売(X・Y巻はイラスト集、Z巻は読切版などを収録)されている。

東京・新宿で殺しやボディーガード、探偵などを請け負うスイーパー「シティーハンター」の活躍を描くハードボイルドコメディで、現代劇として描かれたため、連載時の1980年代後半が舞台で、「シティーハンターが美人の依頼人から仕事を受け、その依頼を数話をかけてこなす」というのが基本構成となっている。

「週刊少年ジャンプ」の1980年代を担ったヒット作だが、少年誌への掲載としては内容がかなり大人向きのため、誌面での人気はさほど高くなかった。特に連載初期は正統派ハードボイルド色が極めて濃かったため、人気が振るわなかった。

このためテコ入れという形で、もう少し明るい作風にするという目的で「もっこりとかやっちゃったら?」という当時の担当編集者のアドバイスを北条司さんが真に受け、本当にもっこりを描いたことがきっかけで作風自体がコメディ色を色濃くしていき、結果的に人気作品へとなった。

物語は裏社会ナンバーワンの腕をもつシティーハンターの冴羽僚が、普段は新宿に事務所を構え、相棒の槙村香とさまざまな依頼を受けているが、何者かに襲われたモデル・進藤亜衣がボディーガードを依頼にやってきた。美女の依頼を快諾した冴羽僚だが、撮影スタジオで更衣室を覗いたり、もっこり全開のやりたい放題に。

亜衣がキャンペーンモデルを務めるIT企業の社長・御国真司は、なんと香の幼馴染。撮影現場で久々に香と再会した御国は彼女をデートに誘う。しかし、冴羽僚は香に無関心で亜衣にスケベ心丸出しだ。その一方で、海坊主と美樹は傭兵が新宿に集結する、という情報を入手した。

傭兵は何故か亜衣を狙うのだった。敵の正体を探る僚が直面する巨大な陰謀!来日する大物武器商人・ヴィンス・イングラードと最新兵器、シティーハンターは亜衣と新宿を護りぬくことができるのか。

チケットはチケットぴあを通じて、先行抽選を発売中で、2月4日11時締め切り。5日10時から一般発売する。料金は全席指定で2000円均一。

注:「冴羽僚」の「僚」は正しくは「にんべん」が「けものへん」の漢字です。

「槙村香」の「槙」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

M84で「100年前のパリのヌード写真」展、アジェロウら

【銀座新聞ニュース=2019年2月1日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル5階、03-3248-8454)は2月4日から3月2日まで「伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』」を開く。

アートギャラリーエムハッシー(Art Gallery M84)で2月4日から3月2日まで開かれる「伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』」に展示される作品(Legendary nude photos(C)Parisienne in good old days-A/M84)。

「旧き良き時代のパリジェンヌたち」を撮影した写真家が選んだモデルは、女性としての魅力に満ちあふれており、娼婦の家お抱えの女性、月末の小遣い銭を稼ぐためのポーズをとるお針子、アーティストの情婦など、これらの女性は控え目ながらエロチズムを滲(にじ)ませ、当時、厳しかった検閲を相手に「かくれんぼ遊び」をするような格好で、まろやかな身体付きを顧客に披露した約100年前のヌード写真約50点を展示する。これらの作品は、オリジナルビンテージであり、厚い印画紙にプリントされた銀塩写真になっている。

また、ハガキとして送られることのなかった女性ヌードのポストカードも展示する。当時は使用する場合は、封筒に差し込み、隠して郵送するのが常だったといわれている。こうして世界中に飛び散った可愛い女性たちのカードは、パリが世界の亨楽の都として登場する20世紀初頭のベル・エボック(旧き良き時代)及び1920年頃のアンネ・フォル(無軌道時代)の歓喜を物語っているという。

ごく稀に、モデルと写真家の名前がわかるものがあるが、多くはモデルと同じく写真家も自己保護の見地から、匿名のままになっている。これらの作品を残したスタジオや写真家の名前を将来発見することもありうるが、モデルについては名前とその身辺のストーリーを知ることは極めて難しいとみられている。

今回は、そのごく稀に写真家の名前が判った作品も展示する。近年、コレクターや専門家により研究が進み、スタジオ名と写真家のイニシャルから特定した写真家、ジャン・アジェロウ(Jean Agelou、1878-1921)の作品12点、写真前面に名前を表示した数少ない写真家、ジュリアン・マンデル(Julian Mandel、1872-1935)の作品8点、エロティック・フォトグラフィーのパイオニアとされる写真家、レオポルド・ロイトリンガー (Leopold Reutlinger、1863-1937)の作品1点、近代的視点でヌードを捉えた芸術的写真家、サーシャ・ストーン(Sacha Stone、1895-1940)の作品2点を展示し、他の作品は、匿名状態のままで披露する。

ジャン・アジェロウは1910年から1920年代に活躍したフランスの写真家で、1899年から雑誌に作品を発表し、その後、ポストカードも制作した。モデルの年齢は、14歳から24歳で、1899年3月16日の法律下で合法だった。1900年代にエロティック・フォトグラフィーの黄金時代を迎えたが、写真家は慎重に判断しなければならず、彼は自分の作品に「JA」と入れた。

1908年以降は彼の恋人フェルナンデ(Fernande Barrey)がモデルであったことを除けば、私生活についてはあまり知られていない。1908年4月7日にフランスで写真のヌードが禁止され、すべての媒体からヌードが消え、ストック画像が修正された。フェルナンデのエロティックな写真は、第1次世界大戦(1914年から1918年)で両側の兵士によって大事にされたという。1970年代初頭にアジェロウのオリジナル・ヌードプリントは再び利用可能になった。

ジュリアン・マンデルは20世紀初頭の女性ヌード写真で、もっとも知られた商業写真家の1人で、官能的なポストカードを制作し、カードサイズの写真前面に名前を表示した。モデルは、古典的なポーズで見つかることが多く、スタジオ内と屋外で撮影された。

画像は、洗練されたトーンと柔らかな照明で巧みに構成され、影ではなく光によって作り出された特定の質感を表している。伝えられるところによれば、マンデルは、ドイツの前衛的な「ニューエイジ・アウトドア」または「プレイン・エア」運動の一員だった。

レオポルド・ロイトリンガーは叔父が写真家のシャルル・ロイトリンガー(Charles Reutlinger)、父親も写真家エミール・ロイトリンガー(Emile Reutlinger)で、自らはエロティック・フォトグラフィーのパイオニアとされている。1890年から父親のパリのスタジオを引き継ぎ、人気のある女優やオペラ歌手を撮影した。その後、ムーランルージュやフォリー・ベルジェールなどの娯楽施設のスターを撮影し、写真は、雑誌や新聞に売るか、はがきとして販売した。

特にアールヌーボーの影響を受けているポストカードは成功した。絵は部分的に着色され、フォトモンタージュとしてデザインされた。

サーシャ・ストーンはロシア・サンクトペテルブルク生まれで、1911年から1913年までポーランドのワルシャワ工科大学で電気工学を学び、1913年にニューヨークに移住し、ニュージャージー州のエジソン会社で数年間働き、1917年にアメリカ軍に入隊し、1919年6月14日に退任した。

1918年にベルリンに引っ越し、1919年にパリのプランテ通り(Rue de Plantes)に住み、彫刻家として働いた。1924年にベルリンに「アトリエストーン」と名付けたスタジオをオープンし、1928年から画家として活動したが、芸術家としては成功しなかったという。写真を主な収入源として活動し、肖像画、ジャーナリズム、長編画像、広告、財産、ファッション、建築写真を扱う、幅広い写真家になった。1931年にブリュッセルに移住し、1940年5月にブリュッセルへのドイツの攻撃を避け、アメリカに移動した。

ウイキペディアによると、ヌード写真の歴史はほぼ写真術の歴史と同時に始まり、写真の発明から概ね第2次世界大戦頃までに撮影されたモノクロのヌード写真をビンテージ・ヌード(vintage nude)と呼び、好事家に珍重されるほか、歴史的資料としても価値があるものとされている。

例えば、ナチスドイツでは、アーリア民族はそれだけで美しく、アーリア人女性そのものが芸術であるとのプロパガンダから、ドイツ女性の裸体絵やヌード写真の撮影・出版が盛んに行われ、その一部の記録は保存されている。

被写体は、伝統的に女性が大半を占める。初期には、女性の裸体がタブー視されていたという時代背景から、娼婦や撮影者と近い一部の人物がニンフなどの扮装をして絵画のワンシーンのようなポーズをとった形でモデルをつとめ、撮影された写真は文学的、芸術的観点を重視して評価された。

やがて性風俗の一環として定着し、娼婦、風俗嬢が被写体の主流となった。始めのうちは写真自体が普及してなく、倫理感の強い社会では人前でヌードが公開されることも少なかった。しかし、第2次世界大戦後のアメリカの雑誌「プレイボーイ(PLAYBOY)」はプレイメイトのヌード写真を掲載し、人気を博した。

日本では戦後のカストリ雑誌にヌード写真が掲載されることがあり、次第に青年向け雑誌などのグラビアページを飾るようになった。時には芸能界で人気のある女性がヌードになり、社会に衝撃を与えることもあった。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)。入場料は700円。日曜日は休み。作品はすべて販売する。