丸善日本橋で東山魁夷「版画100選」展、初期から晩年まで

【銀座新聞ニュース=2020年1月6日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は1月7日から21日まで3階ギャラリーで「版画における東山魁夷の全貌 東山魁夷版画100選展」を開く。

丸善・日本橋店で1月7日から21日まで開かれる「版画における東山魁夷の全貌 東山魁夷版画100選展」に出品される「山嶺湧雲」(リトグラフ、1998年)。

丸善・日本橋店で毎年新年2回目に開く恒例の展示会で、日本の風景画家で「国民的画家」として知られる東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)の初期の作品から晩年の作品まで約100点を選んで展示販売する。

ウイキペディアなどによると、東山魁夷は1908年神奈川県横浜市生まれ、1931年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業、1933年に東京美術学校研究科を修了し、在学中の1929年に「第10回帝展」に「山国の秋」を出品し、入選、同年8月に「第1回日独文化交換学生」に選ばれ、1933年にドイツ・ベルリン大学哲学科に留学、美術史を学んだ。

1935年に父親の病気により途中で帰国し、1937年に初個展を開催、1939年に日本画院第1回展に「冬日(3部作)」を出品し、日本画院賞第1席を受賞、1940年に結婚した。1947年に「第3回日展」に「残照」を出品し、特選を受賞、1956年「第11回日展」に「光昏」を出品、日本芸術院賞を受賞した。1965年に日本芸術院会員、1968年に皇居新宮殿壁画「朝明けの潮」を完成、1969年に文化勲章を受賞した。

1974年に日展理事長、 1975年に唐招提寺御影堂の第1期障壁画「山雲」と「涛声」が完成、1976年にドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)功労大十字勲章を受賞、1986年に作者所蔵の自作品を一括して長野県に寄贈、1998年に開かれた長野オリンピックに合わせて個展を開催、1999年に東京で死去した。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

ピカデリ「記憶屋」、山田涼介、芳根京子ら舞台挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月5日】国内映画業界第3位の松竹(中央区築地4-1-1、東劇ビル、03-5550-1533)は1月18日に丸の内ピカデリー(千代田区有楽町2-5-1、有楽町マリオン、03-3201-2881)で「記憶屋 あなたを忘れない」の公開記念舞台あいさつを開く。

1月17日から一般公開される「記憶屋 あなたを忘れない」((C)2020「記憶屋」製作委員会)。

18日9時の回上映終了後と12時20分の回上映前に、監督の平川雄一朗(ひらかわ・ゆういちろう)さんをはじめ、主人公の大学生「吉森遼一」役の山田涼介(やまだ・りょうすけ)さん、吉森遼一の幼なじみ「河合真希」役の芳根京子(よしね・きょうこ)さん、吉森遼一の大学の先輩で弁護士の「高原智秋」役の佐々木蔵之介(ささき・くらのすけ)さん、吉森遼一の恋人「沢田杏子」役の蓮仏美沙子(れんぶつ・みさこ)さんが舞台に登場してあいさつする。

「記憶屋 あなたを忘れない」は弁護士で作家の織守(おりがみ)きょうやさんが2015年10月にカドカワ(KADOKAWA)から文庫が刊行された「記憶屋]が原作のホラー小説で、同年に第22回日本ホラー小説大賞読者賞を受賞している。

2017年に村山(むらやま)なちよさんによりコミカライズされ、マンガ雑誌アプリの「マンガアップ(UP)!」(スクウェア・エニックス)で2017年8月27日から2018年5月14日まで連載され、ウエブマンガサイト「ガンガンオンライン(ONLINE)」にて2018年3月1日から10月15日まで更新・再掲載されている。映画は平川雄一朗さんと鹿目けい子(しかめ・けいこ)さんが脚本を手掛けている。

物語は大学生の遼一が年上の恋人・杏子にプロポーズするところからはじまる。しかし、その翌日から彼女と連絡が取れなくなってしまい、数日後に再会したが、彼女は遼一の記憶だけを失っていた。

信じられない思いの遼一は、人の記憶を消せるという都市伝説的な存在「記憶屋」のことを知り、大学の先輩で弁護士の高原に相談して、杏子の記憶喪失の原因を探り始める。幼なじみの真希や高原の助手・七海らと調査を進めるうちに、人々の中にある忘れたい記憶やその奥にある思いに触れていく遼一だった。

ウイキペディアなどによると、平川雄一朗さんは1972年大分県大分市生まれ、日本工学院専門学校放送芸術科を卒業、「オフィスクレッシェンド」に入社、テレビドラマの演出補(アシスタントディレクター)やアシスタントプロデューサーを経て、2003年にTBSドラマ「スタンド・アップ(Stand Up)!!」で初演出、以降、TBSの作品を中心に演出を担当し、2006年に「白夜行」でチーフディレクター、2007年に映画「そのときは彼によろしく」で初めて映画監督を務めた。

2009年と2011年にTBSドラマ「JIN-仁」でザテレビジョンドラマアカデミー賞監督賞を受賞し、2015年にTBSドラマ「天皇の料理番」でザテレビジョンドラマアカデミー賞監督賞を受賞している。2012年に映画「ツナグ」で脚本、監督を手がけている。

チケットは、チケットぴあを通じて先行抽選を受付中で、1月7日11時締め切り。11日10時から一般発売する。料金は全席指定で2100円均一。

注:「沢田杏子」の「沢」、「蓮仏美沙子」の「仏」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

東宝「カイジ」、藤原竜也、福士蒼汰、関水渚ら初日挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月4日】阪急阪神東宝グループで、国内映画業界首位の東宝(千代田区有楽町1-2-2、03-3591-1221)は1月10日からTOHOシネマズ日比谷(スクリーン12、千代田区有楽町1-1-3、東京宝塚ビル地下)で一般公開される「カイジ ファイナルゲーム」の初日に藤原竜也さん、福士蒼汰さん、関水渚さんらによる舞台あいさつを開く。

1月10日から一般公開される「カイジ ファイナルゲーム」((C)福本伸行 講談社/2020映画「カイジ ファイナルゲーム」製作委員会)。

10日16時5分の回上映終了後に、監督の佐藤東弥(さとう・とうや)さんをはじめ、主人公「伊藤開司(カイジ)」役の藤原竜也(ふじわら・たつや)さん、政府のプロジェクトの中心人物「高倉浩介」役の福士蒼汰(ふくし・そうた)さん、「第2回若者救済イベント」の勝者で、カイジと行動を共にする「桐野加奈子」役の関水渚(せきみず・なぎさ)さん。

「若者救済イベント」主催者の東郷(伊武雅刀)の秘書「広瀬湊」役の新田真剣佑(あらた・まっけんゆう)さん、カイジが所属する派遣会社の社長「黒崎義裕」役の吉田鋼太郎(よしだ・こうたろう)さんが舞台に登場してあいさつする。

ウイキペディアによると、「カイジ」はマンガ家の福本伸行(ふくもと・のぶゆき)さんが「週刊ヤングマガジン」(講談社)にて1996年から1999年まで「賭博黙示録カイジ」として連載され、その後、「賭博破戒録カイジ」として同誌にて2000年から20004年まで連載され、「賭博堕天録カイジ」として2004年から2008年に同誌にて連載され、1998年に第22回「講談社漫画賞一般部門」を受賞している。

その後も「賭博堕天録カイジ 和也編」が2009年から2012年まで同誌にて連載され、「賭博堕天録カイジ ワン・ポーカー編」が2013年から2017年まで同誌に連載され、2017年からは「賭博堕天録カイジ 24億脱出編」として同誌にて連載されている。ただし、同誌の目次では全シリーズ一貫して「カイジ」となっている。単行本の発行部数は2019年5月時点で累計2100万部を超えている。

日本テレビ系のアニメ「逆境無頼カイジ」が2007年10月に第1シーズンが、2011年4月から第2シーズンが放送され、2009年10月に「カイジ 人生逆転ゲーム」が映画第1作として公開された。2011年11月には第2作「カイジ2 人生奪回ゲーム」が公開され、共同脚本家として、原作者の福本伸行さんが参加した。今回が第3作で、9年ぶりとなり、福本伸行さんが考案したオリジナルストーリーで、共同脚本にも参加し、「バベルの塔」、「最後の審判」、「ドリームジャンプ」、「ゴールドジャンケン」という4つの新しいゲームを描いて、シリーズの最後となる。

物語は2020年・東京オリンピックの終了を機に、国の景気が急激に失速するところからはじまる。金のない弱者は簡単に踏み潰される世の中になっていった。派遣会社からバカにされ、少ない給料で自堕落な生活を送るカイジは、ある日、帝愛グループ企業の社長に出世した大槻(松尾スズキ=まつお・すずき=さん)と再会する。

大槻から、金を持て余した老人が主催する「バベルの塔」という、一獲千金のチャンスを含んだイベントの存在を知らされる。

ウイキペディアなどによると、佐藤東弥さんは1959年東京都北多摩郡田無町(現西東京市)生まれ、父親が映画監督の佐藤純弥(さとう・じゅんや)さん、祖父が日本刀学者の佐藤貫一(さとう・かんいち、1907-1978)、早稲田大学第一文学部を卒業、1983年に日本テレビに入社した。

以来、テレビドラマの演出を担当、1995年に「金田一少年の事件簿」、2002年に「ごくせん」、2006年に「マイボス マイヒーロー」、2007年に「ハケンの品格」、2011年に「家政婦のミタ」、2015年に「掟上今日子の備忘録」、2018年に「サバイバル・ウェディング」などのテレビドラマを監督している。

また、2009年に映画「ごくせん ザムービー(THE MOVIE)」で映画監督デビューし、同年に「カイジ 人生逆転ゲーム」を監督、2011年に「カイジ2 人生奪回ゲーム」、2013年に「ガッチャマン」、2015年に「映画 ST 赤と白の捜査ファイル」を監督している。2012年に日本テレビ放送網制作局専門局長兼ドラマ担当エグゼクティブディレクター、2017年に制作局ドラマ担当ゼネラルディレクター、2018年に情報・制作局ストックコンテンツセンターゼネラルディレクター。

チケットは応募フォームからの応募・抽選(50席)とチケットぴあによる抽選販売がある。応募フォーム(https://ssl.toho-movie.com/senden/kaiji_final_snc/form.html)に必要事項を記載して申し込む。締め切りは6日12時。料金は一般1900円、大学生・専門学校生1500円、シニア1200円、高校生以下3歳まで、障がい者1000円。

チケットぴあ(https://w.pia.jp/s/kaiji-final-game-sb/)による抽選販売は8日11時締め切り。料金は一般2100円、大学生・専門学校生1700円、シニア1400円、高校生以下3歳まで、障がい者1200円。

注:「広瀬湊」の「広」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

年始にミッキー処分で大変、ビーンは日本脱出でよかったの?(295)

【tamaoのOL独り言=2020年1月3日】本当に静かな年末年始だ。うちの近所だけかしら?なんだかとっても静かなんですけど。事件か、なんかあったの?まぁ、あったとしても、年末は忙しい。バタバタしながら、掃除もやらなきゃねぇ。

年末に頂いた鴨鍋です。マロニーちゃんが、鍋の季節をお知らせします。ピンポンパンポーン♪

そして、年末にどうしてもやらなければいけなかったこと、それはミッキーマウスの退治だ。前々から気になっていたけど、手をつけられなかった。でも、この機会にと思って、業者さんにお願いして、きてもらったんだけど、1回じゃどうにもならないらしく、まずは見積りなんですって。これからだそうです。

そして、宿題、出されちゃった。断捨離しろって。ギャー!それ、言われるの一番恐れてたことだぁ!!!?

そんなこんなでのんきに年末を過ごしていたら、関係はないんだけど、以前書いたミスタービーン(?)、海外に逃げ出しちゃったんですって(276参照)。

そんなことあるの?と思ったけど、実は以前にもそういうことがあったこと思い出しちゃった。日本人って、やっぱり外国人にコンプレックス持っていると思う。だってそうでしょ?犯罪者、といっても裁判は終わってないからまだ無罪なんだけど、保釈して、その上で海外逃亡されてしまったのだから。

コンプレックスというよりも、面目丸つぶれってことかな。いなくなってしまったら、捜索もしないらしいし。あら、家宅捜索は入ったって?以前はその捜索もしないで終わったけどね。

弁護士って最大の身内のはずだよね。その弁護士を裏切って逃亡してしまうなんて…。考えられないね、日本人の感覚では。でも、まさかそのまま裁判を受けるなんて思ってなかったでしょ?ええ?そう思ってなかったなんて、あり得ない?海外逃亡を考えなかったって、あり得ない?

いずれにしても当分、日本にはこないだろう。当分じゃなくて、一生かも・・・その場合はどうなるのかな?ある意味いなくなってホッとしている人も中にはいるのかもね。

まぁ、人のことは置いておいて、自宅のミッキーマウス、本当にぬいぐるみなら、それを捨てるだけでいいんだけどね?新年早々、後片付けに追われて、やる気をなくして途方に暮れている私に、どうか今年もお付き合いください。よろしくお願いします(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。

日本橋三越で最後の8社七福神巡り

【銀座新聞ニュース=2020年1月3日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は1月4日10時30分から日本橋の神社・寺院8カ所をまわる「第35回日本橋七福神めぐり」を開く。

日本橋三越で1月4日に開かれる日本橋の神社・寺院8カ所をまわる「第35回日本橋七福神めぐり」。画像は過去の七福神めぐりの風景で、富くじで知られる椙森神社。

「日本橋七福神めぐり」は順次、日本橋三越本館1階室町口を出発して、「福禄寿、弁財天」の「小網(こあみ)神社」(中央区日本橋小網町16-23、03-3668-1080)、「布袋尊」の「茶の木神社」(中央区日本橋人形町1-12-11)、「弁財天」の「水天宮(すいてんぐう)」(中央区日本橋蛎殻町2-4-1、03-3666-7195)、「大国神」の「松島神社」(中央区日本橋人形町2-15-2、03-3669-0479)。

「恵比寿神」の「椙森(すぎのもり)神社」(中央区日本橋堀留町1-10-2、03-3661-5462)、「毘沙門天」の「末広神社」(中央区日本橋人形町2-25-20、03-3667-4250)、「寿老神」の「笠間稲荷(かさまいなり)神社」(中央区日本橋浜町2-11-6、03-3666-7498)、「恵比寿神」の「宝田恵比寿神社」(中央区日本橋大伝馬町2-16、03-3664-5671)の8カ所、約4.5キロメートルを歩く。2020年で最後としている。

「小網神社」は創建年代などが不詳とされ、悪疫消滅鎮静を祈願するために、恵心僧都(えしんそうず)が1466年に稲荷大神を勧請し、領主の太田道灌(おおた・どうかん、1432-1486)が「小網稲荷神社」と命名したといわれている。江戸期には天台宗小細山稲荷院万福寺と称する寺院の境内社で浅草新寺町にあったが、明治維新に際して復職、稲荷神社とした後、1869年に現在地へ遷座し、1873年に村社に列格したという。

8社七福神巡りのひとつ末広神社(画像は過去の会場風景)。

「茶の木神社」は下総佐倉の城主大老掘田家の中屋敷にあった守護神として祀られていたが、社の周囲にめぐらされた茶の木が見事だったことから「茶の木神社」と命名された。屋敷内だけでなく周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、「火伏の神」と崇められ、堀田家では年1回に初午祭の当日だけ開門して、一般の参拝を自由にした。

1960年に地下鉄公団(当時、営団地下鉄を経て現東京地下鉄)が日比谷線を決定した際に「茶の木神社」が計画路線にあったため、解体し、3年後に地下鉄が完成、1985年11月16日に布袋尊を遷座して、日本橋七福神詣りに加わった。

「水天宮」は久留米の水天宮が久留米藩歴代藩主(有馬家)により崇敬されていたが、1818年9月に9代藩主有馬頼徳(ありま・よりのり、1797-1844)が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請し、江戸の水天宮の始まりとなり、同年から毎月5の日に一般開放された。1871年に有馬家屋敷の移転とともに赤坂に遷座し、1872年に有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町2丁目に移転した。

2013年3月1日に日本橋浜町の明治座そばに仮宮が設けられ遷座された(地鎮祭は2012年9月20日)。少なくとも、昭和40年代初期に嵩(かさ)上げ工事をして2階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。新社殿の完成は2016年で、2009年に16代有馬家当主の有馬頼央(ありま・よりなか)さんが宮司に就任している。

「松島神社」は創建年代が不詳だが、鎌倉時代の元享(げんこう)時代(1321年から1324年)以前に、柴田家の祖先が下総の国から現在地に近い小島に移り住み、邸内に諸神を勧請したとみられている。1585年に邸宅を公開した際、島内が松樹鬱蒼としていたことから「松島稲荷大明神」と称され、江戸時代に松島町(その後、人形町と蛎殻町となる)と名付けられ、1874年に「松島稲荷神社」として村社に列格され、1916年6月10日に「島神社」と改称された。

「椙森神社」は1000年の昔に創建され、940年に田原藤太秀郷(たわらとうたひでさと、後に藤原秀郷=ふじわらの・ひでさと、生没年不詳)が平将門(たいらの・まさかど、生年不詳-940)の乱を鎮定するため戦勝祈願したとされ、940年に勝利すると、白銀の狐像を奉納したとされる。

1466年には大田道灌が雨乞いに霊験があったとして山城国稲荷山五社大神を勧請して祀った。以来、毎年4月中の卯の日(現在5月16日)を祭日と定め、江戸時代には、「江戸三森(椙森、柳森、烏森)」の一つに数えられた。商業の地として栄えた土地がら、晴天10日間の花相撲が催され、富興行なども行われ、三富の一つにも数えられた。特に神道家の吉川惟足(よしかわ・これたり、1616-1695)は信仰篤く、5社稲荷の1社である大巳貴(おおなむじ)大神の御宣託に依り、「恵比寿大神」を奉斎された。

社殿は1923年の関東大震災で焼失し、1931年に鉄筋入り耐震構造で再建された。江戸時代に行われていた富くじをしのんで1919年に富塚の碑が建てられ、1953年に再建された。「大神輿(おおみこし)」は1931年9月に1000年祭を記念して作製され、総体350貫(約1.4トン)で、渡御(とぎょ)は3年に1度行われ、2011年は東日本大震災の影響で中止されたが、2012年に4年ぶりに行われた。

「末広神社」は江戸時代の初期に遊郭の吉原(当時は「葭原(あしはら)」だったが、「悪し」に通じることから「吉原」にされた)がこの地にあった当時(1617年に開設許可が下り、1657年に現在の浅草に移転)、その地主神、産土神として信仰されていたといわれ、1657年の明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町、住吉町、高砂町、新泉町の4カ所の氏神として信仰された。1945年3月10日の東京大空襲により社殿、社務所などが焼失している。

「笠間稲荷神社」は笠間城主牧野家の下屋敷があり、その地に藩主が笠間稲荷神社より分霊を受けて建てられた笠間稲荷神社東京別社のことで、1681年に牧野成貞(まきの・なりさだ、1635-1712)が第5代将軍徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646-1709)から、下屋敷として拝領した土地の中に創建された。

1923年9月の関東大震災により、社殿を焼失し、直ちに再建された。1945年3月の東京大空襲により、社殿が焼失し、同年12月に本殿と仮社務所が建てられ、1953年9月に拝殿が再建され、1957年に社務所、1958年に玉垣、1978年に幣殿が完成した。

「宝田恵比寿神社」は1606年に江戸城外宝田村の鎮守とされ、江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の3カ村(現皇居内楓山付近)が転居を命ぜられ、馬込平左衛門(まごめ・へいざいえもん、初代馬込勘解由=まごめ・かげゆ、生没年不詳)が宝田村の鎮守を奉安し、1606年に宝田村は大伝馬町、南伝馬町へ移転し、大伝馬町、小伝馬町、中伝馬町が成立した。その際に、徳川家繁栄御祈念の恵比寿を授け賜り、平穏守護の御神体として宝田神社に安置した。この恵比寿は運慶(うんけい、1151-1223)の作と伝えられている。

その後、村民は金銀為替、駅伝、水陸運輸などで重要な役を賜り、馬込勘解由は地主となって、三伝馬取締役に出世し、御役名に因んで大伝馬町の町名を賜り、伊勢、駿河、遠江、美濃、尾張などより商人を呼び集めて、あらゆる物資の集散地として大江戸開発と商売発祥の地となった。

これにより、宝田恵比寿神も商売繁昌、家族繁栄、火防の守護神として知られ、毎年10月19日の「べったら(浅漬け大根)市」、20日の恵比寿神祭が行われている。べったらは若者により浅漬け大根を混雑を利用し、参詣の婦人に「べったらだーべったらだー」と呼びながら着物の袖につけ、婦人たちをからかったことから、べったらの呼名になったと伝えられている。

「日本橋七福神めぐり」は江戸時代に幕府が人心を落ち着かせるため、江戸市内に「七福神」をまつる神社・寺院を建てたことが起源とされ、そこから正月に「七福神めぐり」をすると「七難即滅・七福即生」(7つの災難が消え去り、7つの福徳を授かる)というご利益(りやく)にあずかれるという信仰が広まった。

ウイキペディアによると、「七福神」は福をもたらすとして日本で信仰されている「七柱の神」のことで、古くは「大漁追福」の漁業の神であり、時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となっている「恵比寿」、インドのヒンドゥー教のシバ神の化身マハーカーラ神と日本古来の大国主命(おおにくのぬしち)の習合で、「大黒柱」と現されるように食物、財福を司る神の「大黒天」。

元はインドのヒンドゥー教の財宝神クベーラ神で、これが仏教に取り入れられ日本では「多聞天(たもんてん)」ともいわれる「毘沙門天(びしゃもんてん)」、七福神の中の紅1点で、元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスバティー神で、「弁財天」とも表記される「弁才天」、道教の宋の道士天南星、または道教の神で南極星の化身の南極老人で、寿老人と同一神とされ、子に恵まれ、封禄(財産)、長寿(健康を伴う長寿)の三徳を具現化した「福禄寿(ふくろくじゅ)」。

道教の神で南極星の化身の南極老人であり、長寿の神であり、幸運の神とされる「寿老神」、唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の僧で、肥満体の布袋が広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどり、福徳円満の神とされる「布袋尊」の7つをいう。

「日本橋七福神めぐり」は10時30分から14時までで、本館1階室町口で受け付け終了後に順次出発し、江戸時代に行われていた富くじをしのんで1919年に建てられた「富塚の碑」がある椙森神社でスタンプを押してもらい、戻って日本橋三越屋上でスタンプを見せると記念品がもらえる。

参加費は無料。随時、曲がり角などに三越の社員が立っており、道案内をしてくれる。雨天の場合は中止となる。