丸善日本橋で谷上裕二が油彩画・写真「小鳥」展

【銀座新聞ニュース=2019年7月8日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月10日から16日まで3階ギャラリーで谷上裕二さんによる「小鳥が歌えば-描写展」を開く。

丸善・日本橋店で7月10日から16日まで開かれる谷上裕二さんの「小鳥が歌えば-描写展」に展示される作品。

野鳥や昆虫、花々や樹木を観察し、時には日本全国を歩いて、生きものたちの命の輝きを描き続ける画家であり、写真家でもある谷上裕二(たにがみ・ゆうじ)さんが油彩画を中心に写真作品も展示する。

谷上裕二さんは「身近な場所に姿をあらわす小鳥たち。そこを住み家にしているのか、それとも遠く何千キロを羽ばたいて、たどり着いた旅の途中なのか。けなげに生きるかれらの仕草に、ときに癒され、強さを教えられることがあります。ふだん、何気なく通り過ぎている小鳥たちの歌声に、少し耳を傾けてみませんか」としている。

谷上裕二さんは1966年大阪府生まれ、1987年に帯広畜産大学獣医学科を中退し、1988年から2002年までスタジオアシスタント、フォトコーディネーターとして勤務し、2002年から2004年に梅田美術倶楽部で絵画を学び、以後、鳥類を中心に描き、写真家としても生き物の姿を撮影している。

2002年に「蒼の会」最優秀賞、箕面市民展で青楓賞、2003年に「アートスクールグランプリ」で最優秀賞、2004年に淡蒼舎展で奨励賞、2005年に箕面市民展で青楓賞、2008年に個展を開き、現在、近鉄文化サロン阿倍野講師、日本ワイルドライフアート協会や日本野鳥の会などの会員。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日17時)まで。入場は無料。

立川銀座で京都造芸大「陶望舎」展、玉田恵子、笹川興司ら21人

【銀座新聞ニュース=2019年7月8日】ブラインドの最大手メーカー、立川ブラインド工業(港区三田3-1-12、03-5484-6100)は7月9日から14日まで銀座ショールーム(中央区銀座8-8-15、03-3571-1373)地下1階「タチカワ銀座スペースAtte」で京都造形芸術大学通信陶芸コースによる「第17回陶望舎展」を開く。

立川ブラインドの銀座ショールームで7月9日から14日まで開かれる京都造形芸術大学通信陶芸コースによる「第17回陶望舎展」。画像は昨年の開催時の会場風景。

京都造形芸術大学通信陶芸コースの在校生や卒業、中退した人たちで構成されている「陶望舎」が2003年に初めて埼玉県・大宮テプコソニックで第1回陶望舎展を開いて以来、毎年1回開いているグループ展を、今回も2016年から4年続けて立川ブラインドの銀座ショールーム「オッテ」で開く。

今回は、京都造形芸術大学を退任されている恩師の林秀行(はやし・ひでゆき)さんと現在も大学で指導している吉川充(よしかわ・みつる)さんも参加し、21人が器やオブジェの作品を1人1点、計21作品を展示する。

「陶望舎」は「やるも自由、やめるも自由、出戻り自由」という精神で、1度でも参加したことのある人は70人を超えている。

今回、出品するのは1998年度に入学、後に中退した高橋邦夫(たかはし・くにお)さん、2001年度に卒業した佐野康郎(さの・やすお)さん、園田真知子(そのだ・まちこ)さん、リチャード(Richard)・WWさん、2001年度に入学し、後に中退した竹上順之(たけがみ・よしゆき)さん。

2003年度に卒業した木村真智子(きむら・まちこ)さん、小橋渚(こばし・なぎさ)さん、佐藤重厚(さとう・しげひろ)さん、玉田恵子(たまだ・けいこ)さん、古川清美(ふるかわ・きよみ)さん。

2004年度に卒業した上原玲子(うえはら・れいこ)さん、高橋(たかはし)ひとみさん、中村理代子(なかむら・りよこ)さん、2005年度に卒業した笹川興司(ささがわ・こうじ)さん、宮崎光代(みやざき・みつよ)さん。

2008年度に卒業した竜田峰明(たつた・みねあき)さん、2011年度に卒業した梅本泰子(うめもと・やすこ)さん。2012年度に入学し、現在在籍中の森永和夫(もりなが・かずお)さん、陶芸コース教員の吉川充さん、陶芸コース元教員の林秀行さん。

京都造形芸術大学は1934年に創立された洋裁学校の「藤川洋裁研究所」が前身で、1991年に現在の大学として設置された私立大学だ。2000年に京都芸術短期大学を統合し、2005年に放送作家、プロデューサーの秋元康(あきもと・やすし)さんが教授に就任、2007年に副学長に就き、2008年に大学院院長に浅田彰(あさだ・あきら)さんが就いている。

芸術学部通信教育部は1998年に開設され、2007年に通信制大学院を設置、2009年に通信教育部を芸術学科、美術科、デザイン科の3学科13コースに改組している。通信教育部は入試がなく、18歳以上で、高校卒業などの大学入学資格があれば、1年次、2年次、3年次に編入できる。

大学のHPによると、18歳から93歳まで生徒がいる。1年から入学すると、4年間の必要な単位は124単位以上、2年次編入学は84単位以上、3年次編入学は62単位以上取得すると卒業できる。ただし、過去の大学の卒業コース(学士取得コース)により、キャンパスで授業をうけるスクーリング科目の単位数が変わってくる。

開場時間は11時(初日は12時)から18時(最終日は16時)まで。入場は無料。

注:「高橋邦夫」と「高橋ひとみ」の「高」と「園田真知子」と「木村真智子」の「真」は正しくはいずれも旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

注:「竜田峰明」の「峰」は正しくは山を上に置いた旧漢字です。

サニーヘルス、食物繊維豊富なもち麦や雑穀でダイエット促進

【銀座新聞ニュース=2019年7月7日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「ダイエット効果で「もち麦おにぎり」が人気!」を発表した。

もち麦入りおにぎりは、1つでレタス約1個分の食物繊維が摂れるとされている。食物繊維は白米の20倍も含まれている。

「おにぎり」といえば、白いご飯の中にサケや昆布などの具材が入っていて、それをノリで巻いたものが基本の形となっている。ところが、ここ数年コンビニで目立つようになってきているのが、従来の形ではなく、ノリなし、混ぜご飯、もち麦など雑穀米のおにぎりだ。

見た目はカラフルで華やかになり、SNS映えしそうなおにぎりが台頭しており、もち麦入りおにぎりや雑穀米おにぎりの売り上げも伸びが顕著な上に、今後の伸びしろも期待できるとされている。

中でも、もち麦入りおにぎりは、1つでレタス約1個分の食物繊維が摂れるとパッケージに記載されていることから、健康志向が高まる昨今、人気の商品となっている。

もち麦は数年前にテレビや雑誌などで、ダイエットに有効と特集されたりして、ブレイクし、もち麦おにぎりの人気の一因になっている。もち麦は大麦の一種で、米にうるち米(普段食べている米)と、もち米があるように、大麦にもうるち麦と粘りのあるもち性の麦があり、もち麦は後者をさす。

名前の通り、普通の大麦よりもっちりとした食感と、100グラムあたり10グラム以上もの食物繊維を含んでいるのが特徴で、白米の食物繊維は100グラムあたり0.5グラムなので、約20倍もの量が含まれていることになる。そのため、血糖値の上昇率は白米の半分程となっている。

もっとも注目したいもち麦のダイエット成分は、もち麦の食物繊維の大部分を占めている「β(ベータ)-グルカン」という水溶性食物繊維で、この成分はキノコや酵母にも含まれ、同じ大麦なら「うるち麦」より「もち麦」のほうがより多く含まれている。

「β-グルカン」は、胃や腸の中で他の食べ物と混ざり合い、脂質や糖質の消化吸収を抑えるはたらきを持っている。食後の血糖値抑制効果のほか、悪玉コレステロールを減らしながらも善玉コレステロールを減らさないという特徴も併せ持つ。また、腸内環境を整える作用もある。

一般に現代の食習慣は、血糖値の上がりやすいものを多く摂っている傾向がある。例えば、白米や白いパン、うどん、ラーメン、白砂糖がたっぷり入ったお菓子やジュースなど、体に消化吸収されやすい糖質の摂り過ぎは、血糖値を急上昇させてしまう。この作用を「食後高血糖」といい、食後高血糖を誘発しやすい食品は「高GI食品」と呼ばれている。

食後高血糖によって、糖を処理するためのホルモン「インスリン」がすい臓から多量に分泌され、体にとって余剰分となる糖を脂肪細胞として蓄積してしまう。白米を食べるなら「β-グルカン」の豊富なもち麦を混ぜた麦ご飯にするほうが、食後高血糖を抑え、インスリンの分泌量が少なくなる効果がある。つまり、白米よりも、もち麦ご飯にしたほうが太りにくいといえる。

ここ数年、もち麦が人気だが、雑穀もダイエットに効果的だ。白米だけを主食とするようになったのは比較的近年のことで、江戸時代から大正時代に白米が一般に普及し、それと同時に当時の国民病であった「脚気(かっけ)」も流行し、年間1万人から2万人の死者を出していた。

この病気はビタミンB1不足が原因と考えられ、当時は脚気対策として主食は白米だけでなく、ソバや麦飯、小豆などの雑穀を食べることが推奨されていたようだ。このように、雑穀の栄養面は昔から注目されており、玄米も含めた雑穀に共通するのは、ビタミンB群を中心とするビタミン、ミネラル各種や食物繊維が白米の何倍も含まれていることだ。

代表的な雑穀とその栄養価を紹介しよう。「あわ」は縄文時代から食べられていた雑穀で、直径は1ミリから1.5ミリで、穀物中でもっとも小さい粒だ。赤アワ、黄アワがあり、うるち種ともち種が栽培されている。甘みが強く、クセがほとんどないので、お菓子にも向いている。白米に比べ、食物繊維は7倍、カルシウム、カリウムが3倍、マグネシウムは5倍、鉄分6倍の含有量となっている。

「きび」は生育期間が短く、乾燥に強いので、荒れ地でも育つほど強い穀物といえる。穂は緑色で、実は淡黄色。粒の大きさはアワより少し大きめで、うるち種ともち種がある。もちきびは、モチモチとした食感で、おはぎや団子向きで、大きさは1.5ミリから2ミリとあわよりひと回り大きく、ツブツブ感がはっきりしていて、コクと甘みがある。白米に比べ、食物繊維は約3倍、カルシウム、カリウムが2倍、マグネシウムは4倍、鉄分は約3倍の含んでいる。

「ひえ」は、穂は淡緑または褐紫色。三角形に近く細い実で、うるち種のみしかない。炊きあがりはふわふわで、冷めるとぽろぽろになり、味が落ちる。炊いたら早めに食べるのがポイントといえる。昔はひえから味噌やしょう油、酒なども作られていた。白っぽい黄色で、1ミリから1.5ミリのいびつな形をしている。白米に比べ、食物繊維は8倍、マグネシウムは5倍、亜鉛、リンも約3倍も含んでいる。

「はと麦」は大麦や小麦とは種類が違う。中国では古くから漢方や薬膳などに使われ、楊貴妃(ようきひ、719-756)も美容食として愛用していたといわれている。美白作用があるので、化粧品にもよく使われている。色は乳白色で、粘りはなくシコシコとした歯ごたえで、ほのかに苦味がある。栄養的には、体内で合成できない必須アミノ酸を含んでいるほか、たんぱく質を多く含んでいる。また、利尿作用があり、にきびや肌荒れなどの肌のトラブルを改善する働きもある。

「大麦」はうるち種ともち種(もち麦)があり、縦長で大きめ、片側に黒い溝がある。炊くと歯ごたえがあり、食物繊維が豊富で、水溶性と不溶性をバランスよく含んでいる。白米に比べ、食物繊維が19倍、カルシウムが3倍、カリウムが2倍も含んでいる。

「押麦」は大麦を蒸気で加熱してからローラーで圧扁したもので、平べったい形をしている。白っぽい色で、真ん中に縦長の茶色の線がある。他の雑穀に比べると大きめなので、食べごたえがある。食べると弾力のある食感で、ご飯に炊き込むと見た目も食感も存在感がある。

食物繊維が豊富で、重さの約1割を占めている。含有量は白米の20倍もある。特に白米にはまったく含まれない水溶性食物繊維が多く、玄米の7倍以上の含有量という。不溶性食物繊維は、白米の約7倍の含有量だ。

「黒米」は5分づきにすると米が紫色になるため「紫米(紫黒米)」ともいわれる。古来、中国では宮廷献上米として用いられてきた。また、薬膳料理にも使われることから、「薬米」の別名もある。香りが強く、自然の甘味がある。黒米の色素であるアントシアニン(ポリフェノールの一種)は、強い抗酸化作用がある。白米に比べ、食物繊維が7倍、カルシウムが約4倍、マグネシウムが約5倍、カリウムが約7倍、ビタミンB1が約4倍となっている。

「赤米」は古代米とも呼ばれる赤茶色の米で、白米に混ぜて炊くときれいなピンク色に染まる。香ばしく、プチプチとした食感が楽しめる。赤茶色の色素には、ポリフェノールの一種であるカテキンが豊富に含まれ、活性酸素を取り除く働きや、発ガン抑制作用、血中コレステロール低下作用、血圧上昇抑制作用、血糖値の改善作用があるといわれている。白米に比べ、食物繊維が約8倍、カルシウムが約3倍、マグネシウムが約4倍、カリウムが約3倍、ビタミンB1が約5倍も含まれている。

「アマランサス」はインカ帝国時代の重要な主食で、たんぱく質にリジンを多く含み、カルシウムや鉄などのミネラルと食物繊維が多く含まれ、アメリカ航空宇宙局(NASA)も「21世紀の栄養食品」として注目している。プチプチとした食感が特徴で、白米に比べ、食物繊維が15倍、カルシウムが32倍、マグネシウムが12倍、鉄分が12倍、カリウムが7倍も含まれている。

「キヌア(キノア)」は白ゴマの色に近いベージュ系の色をした、直径2ミリ程度の平べったい丸い形をしている。炊いたときの食感は、弾力があってプチプチしている。雑穀の中ではタンパク質が多く、必須アミノ酸をバランスよく含んでいる。白米に比べ、食物繊維は約6倍、鉄分は約9倍、カルシウムは7倍も含んでいる。

丸善丸の内で仏のJ・モワラス「幻想具象画」展

【銀座新聞ニュース=2019年7月6日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は7月10日から16日まで4階ギャラリーでジャン・モワラスさんによる絵画展を開く。

丸善・丸の内本店で7月10日から16日まで開かれるジャン・モワラスさんの個展に出品される「麦」。

フランスの現代美術画家、ジャン・モワラス(Jean Moiras)さんは旅から得たインスピレーションをもとに描かれる独自の構図と進化し続けるマチエール(美術的効果)により「幻想具象画」と呼ばれ、ヨーロッパの人々を魅了している。今回は新作を中心に約40点を展示販売する。

ジャン・モワラスさんは1945年フランス・シャマリエール生まれ、1965年にパリのエコール・デ・ボザールで学び、1973年にスイス・ローザンヌの「デンジェ(Denges)展」で「ヤング・アーティスト賞」を受賞、 その後、フランスのオーヴェルニュの「ピュイ・ド・ドーム」で「バルカン賞」、アメリカのニューヨークの「アートエキスポ」で銀メダル、 2005年にクレルモンフェランで名誉勲章、2006年にシャマリエールで名誉勲章を受賞している。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで、入場は無料。

永谷商事が神田紅佳と隅田川、浜離宮巡り

【銀座新聞ニュース=2019年7月5日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は7月11日に神田紅佳さんによる「講釈師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

7月11日に開かれる「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「隅田川水上バス-初夏の浜離宮庭園散歩」を案内する神田紅佳さん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回り、その後、寄席で講談を鑑賞する。

今回は二ツ目の講談師、神田紅佳(かんだ・べにか)さんと一緒に「隅田川水上バス-初夏の浜離宮庭園散歩」と題して、水上バスを使って隅田川ライン下りの後、浜離宮恩賜庭園を案内し、その後、「カレッタ汐留」を散歩して、お江戸日本橋亭に移り、昼食後に「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。

コースは東京メトロ銀座線「浅草駅」に集合して、浅草吾妻橋乗船場(台東区花川戸1-1-1)から東京都観光汽船(とうきょうみやこかんこうきせん)の水上バスに乗って「隅田川十二橋巡り」を経て、「東京都立浜離宮恩賜庭園」(中央区浜離宮庭園1-1、03-3541-0200)を歩き、「カレッタ汐留」(港区東新橋1-8-1)を散歩してからお江戸日本橋亭に移る。

「隅田川十二橋巡り」とは吾妻橋(あづまばし)、駒形橋(こまがたばし)、厩橋(うまやばし)、蔵前橋(くらまえばし)、両国橋(りょうごくばし)、新大橋(しんおおはし)、清洲橋(きよすばし)、墨田川大橋(すみだがわおおはし)、永代橋(えいたいばし)、中央大橋(ちゅうおうおおはし)、佃大橋(つくだおおはし)、勝どき橋(かちどきばし)の12橋を下ることをいう。

吾妻橋は1774年に架けられた橋で、それまでは「竹町の渡し」という渡し舟があった。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうちの最後の橋で、1786年の大洪水で永代橋、新大橋が流され、両国橋も大きな被害を受けたが、吾妻橋だけ無傷だった。初めは「大川橋」と呼ばれていたが、明治になって1876年に「吾妻橋」という名称が決まった。現在の橋は1931年に架け替えられた。

駒形橋はかつて「駒形の渡し」があった場所に関東大震災(1923年)後の1927年に架けられた橋で、橋の名は、橋の西にある「駒形堂」から付けられた。

厩橋は江戸時代の元禄期(1688年から1703年まで)から「御厩(おうまや)の渡し」とされた場所に、1874年に架けられた橋で、橋の名は「御厩河岸」という浅草蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があったことから付けられた。1872年に花見客を乗せた渡し舟が転覆(てんぷく)した事故が起こり、橋が架けられ、関東大震災後の1929年に現在の橋が完成した。

蔵前橋はかつて「富士見の渡し」の渡船場があった場所に、関東大震災後の1927年に架けられた。名称は「蔵前通り」から付けられている。橋全体が黄色に塗装されており、1954年から1984年まで蔵前国技館があったため、高欄には力士などのレリーフが施されている。

両国橋は1659年から1661年ころに架けられた橋で、千住大橋(せんじゅうおおはし)に続く隅田川2番目の橋だ。当初は「大橋」と名づけられたが、武蔵国と下総国(しもうさのくに)の2国を結ぶことから俗に「両国橋」と呼ばれ、1693年に「新大橋」が完成すると、正式に「両国橋」とされた。

江戸幕府は隅田川には千住大橋しか認めていなかったが、1657年の明暦の大火により、橋がなく逃げ場を失った人が亡くなり、その数は10万人とされた。このため、両国橋が架けられた。その後、何回か架け直され、今の橋は1932年に震災復興事業として架けられた。橋の途中に円形のバルコニーがあり、土俵になっていて俵も回してある。高欄の柱や車道・歩道の分離柵にも行司の軍配をデザインしている。

新大橋は元禄時代の1693年に架けられた隅田川3番目の橋で、松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644-1694)がこの橋のことを俳句に詠んでいる。新大橋は破損、流出、焼落などにより20回以上も架け替えられ、享保年間(1716年から1735年)には幕府が廃橋を決めたが、町民衆の嘆願により、諸経費を町方がすべて負担することを条件に1744年に存続が許された。

橋の中央近くに江戸時代、明治時代の新大橋のレリーフと橋のいわれが記された銅板がはめこまれている。この橋は、関東大震災や1944年から1945年にかけての東京大空襲の際にも、隅田川に架かる5大橋(永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋、千住橋)の中で、唯一被災しなかった橋で、「人助け橋」ともいわれている。現在の橋は1977年に完成している。

清洲橋はかつて「中州の渡し」という渡船場があった場所に、震災復興事業として永代橋とともに計画され、1927年に深川の清澄町と日本橋の中洲町を結ぶ橋として建設され、名称は公募した上で両方の町名から採られた。建設当時、「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるように設計され、そのモデルはドイツのケルン市にあった大吊り橋を基にしている。

墨田川大橋は首都高速道路の建設にあわせて1979年に架けられた橋で、隅田川では唯一の2層式構造となっている。

永代橋はかつて「深川の渡し」のあった場所に1698年に江戸幕府5代将軍徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646-1709)の50歳を祝って建設された隅田川4番目の橋だ。新大橋と同様、幕府は1719年に永代橋の廃橋を決めるも、町民衆の嘆願により、諸経費を町方がすべて負担することを条件に存続を許された。

しかし、1807年に深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、落橋事故を起こし、1500人以上が落下で亡くなった。1897年に鉄橋が架けられたが、道路橋として日本では初めてだった。関東大震災で被災し、1926年に現在の橋が再架橋された。

中央大橋は1993年に完成した斜張橋で、隅田川がフランスのセーヌ川と1989年に「友好河川」を提携したことから、設計をフランスのデザイン会社に依頼、主塔および欄干部分に日本の「カブト」を意識した意匠が施されている。

また、上流側の中央橋脚部には当時のパリ市長から東京都に友好の印として贈られ、ベラルーシ・ビテプスク生まれの彫刻家、オシップ・ザッキン(Ossip Zadkine、1890-1967)の「メッセンジャー」と名づけられた彫像が座している。夕刻から22時まで白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされる。その特徴的な橋の形は遠くからでも見分けられる。

佃大橋は江戸時代から320年以上も続いた隅田川最後の渡船場「佃の渡し」があった場所に架けられた橋で、1964年に完成した。1964年の東京オリンピック開催に備えた橋として、戦後初めて隅田川に架橋された。当時、佃島と月島を隔てていた佃川はこのために埋め立てられ、島であった佃島は地続きとなり、同時に佃川に架かっていた佃橋は廃橋となった。

勝どき橋は1905年に「日露戦争」における旅順陥落祝勝記念として「勝どきの渡し」が設置され、1929年に「東京港修築計画」に伴って、架橋計画が策定され、1940年に迎える「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定だった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画により、日本の技術力を世界に誇示するため、アメリカ・シカゴにある跳ね橋をモデルにし、すべて日本人の手で設計施工された。

日本万博は中止されたが、勝どき橋は1940年に完成された。建設当時は隅田川を航行する船舶が多かったため、3000トン級の船舶が航行できるよう、可動橋として設計され、跳開(ちょうかい)により大型船舶の通航を可能とした。完成当時は「東洋一の可動橋」といわれたが、その後、隅田川を航行する船舶が減少し、1970年11月29日の開閉を最後に「開かずの橋」となっている。

また、当初から路面電車用のレールが敷設され、1947年から1968年まで橋上を都電杉並線が通行した。橋の名称は「勝どきの渡し」からつけられ、「勝どきの渡し」は1940年に廃止された。2007年6月に都道府県の道路橋として初めて清洲橋、勝どき橋、永代橋が国の重要文化財(建造物)に指定されている。

「東京都立浜離宮恩賜庭園」は江戸時代の当初、将軍家の鷹狩の場であったが、1654年に甲府藩主で、徳川家光(とくがわ・いえみつ、1623-1651)の3男、徳川綱重(とくがわ・つなしげ、1644-1678)がこの地を拝領(はいりょう)し、埋め立てて別邸を立てた。

その後は甲府藩の下屋敷として使用され、徳川綱重の子である徳川家宣(とくがわ・いえのぶ、1662-1712)が6代将軍になると、将軍家の別邸とされ、「浜御殿」と呼ばれ、大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。幕末には外国人接待所として石造洋館である「延遼館(幕府海軍伝習とん所)」が建設された。

明治維新後も「延遼館」は鹿鳴館(ろくめいかん、現大和生命ビルの地)が1883年に完成するまでは迎賓館として使用され、明治に宮内省の管轄となり、名前も「浜離宮」と改められ、1945年に東京都に下賜され、1946年に都立庭園として開園され、1952年に旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定された。

カレッタ汐留は電通が1997年に国鉄清算事業団が実施した汐留貨物駅跡地の公開入札に応募し、落札した。1999年秋に着工、2002年11月1日に竣工、12月1日に開業した。敷地面積は1万7244平方メートル、 電通本社ビルが地下5階、地上48階で高さが210メートル、汐留アネックスビルが地下3階、地上9階、高さが61メートル。総延床面積(全施設計)約23万2290平方メートル。

電通本社ビルのうち、地下2階から地上3階までと46階と47階はレストラン・ショッピングゾーン「カレッタ汐留」と呼んでいる。46階と47階には無料展望台があり、10時から23時まで一般に開放されている。低層部北側は電通四季劇場「海」が入っているほか、地下1階と地下2階にはアドミュージアム東京があり、広告やマーケティングに関する展示を行っている。

神田紅佳さんは福岡県生まれ、2013年5月に神田紅(かんだ・くれない)さんに入門、2017年10月に二ッ目に昇進している。

時間は10時に東京メトロ銀座線「浅草駅」に集合して、昼ころにお江戸日本橋亭に移り、神田紅佳さんらの寄席を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円。水上バス代(1040円)、浜離宮庭園(入園料は一般300円、65歳以上150円)などは自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

13時30分からの日本橋お江戸寄席は前座の立川幸太(たてかわ・こうた)さん、二ツ目の三遊亭好吉(さんゆうてい・こうきち)さん、神田紅佳さん、真打の三遊亭遊之介(さんゆうてい・ゆうのすけ)さん、法律トークのミスター梅介(みすたー・うめすけ)さん、真打の昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さんが出演する予定だ。