丸善日本橋で小林加代子、酒井泉、斎藤昭彦「桃の節句の器」展

【銀座新聞ニュース=2021年2月8日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2月10日から16日まで3階ギャラリーで「桃の節句展」を開く。

丸善・日本橋店で2月10日から16日まで開かれる「桃の節句展」のフライヤー。

丸善が「春という季節を寿(ことほ)ぎながら、健康で幸せな毎日が末永く続くことを願う日として、「桃の節句」をテーマに3人の作家による作品を展示販売する。

出品するのは、染付けの小鉢作家の小林加代子さん、陶磁器の酒井泉さん、「アーリークラフト」(大田区東六郷1-13-10)を主宰する木工作家の齋藤昭彦さんが「桃の節句」を楽しめる器を出展する。

ウイキペディアなどによると、「節句」とは、中国の陰陽五行説に由来して定着した日本の暦(こよみ)における、伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日をさす。この日には、日本の宮廷において節会(せちえ)と呼ばれる宴会が開かれた。

年間にわたりさまざまな節句があり、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めた。それが1月7日の「人日(じんじつ)の節句」、3月3日の「上巳(じょうし)の節句」、5月5日の「端午(たんご)の節句」、7月7日の「七夕(たなばた)の節句」、9月9日の「重陽の節句」の5節句(現在では3月3日、5月5日、7月7日は同じ曜日になる)という。

「上巳の節句」が桃の花の季節であることから「桃の節句」と呼ばれる。起源は古来中国の上巳節で、上巳の本来の定義は3月最初の巳の日のことであり、中国において魏(220年から265年)の時代に3月3日に固定化され、中国ではこの日に「はらえ」や「みそぎ」を行う風習がある。

日本でも雑令によってこの日に節会(せちえ、天皇のもとに群臣を集めて行われた公式行事で饗宴を伴う)を開くこととして701(大宝元)年より公式に採用され、内裏(だいり、天皇の私的空間)において曲水の宴(きょくすいのうたげ、庭園で盃が流れてくる間、詩歌を詠む行事)が行われた。

平城天皇(へいぜい・てんのう、774-824)の時代に父・桓武天皇(かんむ・てんのう、737-806)の国忌と近いという理由で廃止されたが、弟の嵯峨天皇(さが・てんのう、786-842)は節会としてではなく、公的な色を薄めた儀式として再開した。

また、曲水の宴は貴族の娯楽としても行われ、民間においては、日本に古来よりあった贖物(あがもの)と呼ばれる人形(ひとがた)に自分の身体をこすり付けて「けがれ」を移し、川などの水辺に流すことで「はらい」を行うという「阿末加津/天児(あまかつ)」などと呼ばれる風習と結びつき、これが後世の流し雛(雛人形)に発展したといわれている。室町時代には「3月3日の儀式」として定着した。

「ひな祭り」ははじまりについては歴史的にはわからず、起源説は複数ある。平安時代の京都で平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていたとする記録がある。当時においても、小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられ、初めは儀式ではなく遊びであり、ひな祭りが「ひなあそび」とも呼ばれた。

一方、平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流しびな」があり、「上巳の節句」としてひな人形は「災厄よけ」の「守りびな」として祀られるようになった。

江戸時代になり、女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。3月の節句にひな祭りを行うようになったのは、天正(1573年から1593年)年間以降と推測されている。

やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の人形遊びと節句が結び付けられ、行事となり発展した。その後、紙製の小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して災厄をはらう祭礼になった。この風習は、現在でも「流しびな」として残っている。

江戸時代、ひな祭りは「五節句」のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、1873年の新暦採用が「五節句(=ひな祭り)」の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。

このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られた際に、祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出たが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由のひとつとされている。

小林加代子さんは組み合わせ方によりいろいろな場面で使え、見ても側に置いても楽しめる、シンプルな器を制作しており、技法については磁器土をロクロ成形し、呉須で下絵付をし、還元焼成をしている。染付の文様は野草(主に野いばら)をスケッチし、作り手と使い手の心が「ツナガル」という思いを込めて、重ねて並べて「ツナガル」ようなデザインを採用している。

酒井泉さんは1990年に武蔵野美術大学油絵科を卒業、1998年に愛知県立窯業高等技術専門校を修了、愛知県瀬戸市で修業を重ね、東京で主に瀬戸や信楽の土を使って使用陶器を制作している。化粧土や釉薬(ゆうやく)を薄く塗り重ねて、1240度の高温で焼成している。

齋藤昭彦さんは家造りの大工を7年間、日常の道具から家具づくりを5年間、学んで、2011年に「アーリークラフト」を設立し、2016年に第55回日本クラフト展で入選している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

銀座三越でちばてつや版画展、あしたのジョー、のたり松太郎など

【銀座新聞ニュース=2021年2月7日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は2月10日から16日まで本館7階ギャラリーで「画業65周年ちばてつや版画展」を開く。

銀座三越で2月10日から16日まで開かれる「画業65周年ちばてつや版画展」に出品される「打つべし!」(サイズ42×31センチ、価格税込13万2000円、(C)高森朝雄・ちばてつや/講談社)。

文星芸術大学(栃木県宇都宮市上戸祭4-8-15、1999年開学)学長で、マンガ家のちばてつやさんは1956年に「復讐のせむし男」でプロデビューし、2021年で画業65周年になる。これを記念して、代表作「あしたのジョー」(原作:高森朝雄=1936-1987=、1968年1号から1973年21号まで週刊少年マガジンに連載)をはじめ、「ハリスの旋風(かぜ)」(1965年16号から1967年11号まで週刊少年マガジンに連載)。

「おれは鉄兵」(1973年33号から1980年20号まで週刊少年マガジンに連載)、「あした天気になあれ」(1980年42号から1991年21号まで週刊少年マガジンに連載)、「紫電改のタカ」(1963年27号から1965年3・4号まで週刊少年マガジンに連載)、「のたり松太郎」(1973年23号から1999年9号までビッグコミックに連載)、「ガンバレ少年ジャイアンツ」(1967年1月号から1968年2月号まで少年ブックに連載)の版画(ピエゾグラフ)約30点を展示販売する。また、グッズの販売や資料も展示する。すべての作品に、ちばてつやさんの直筆サインとシリアルナンバーが入る。

ウイキペディアによると、ちばてつやさんは1939年東京府(現東京都)生まれ、東京都中央区築地の聖路加病院で生まれ、同年11月に朝鮮半島を経て、1941年1月、2歳の時に、満州国奉天にわたり、父親が印刷会社に勤務、1945年に同地で終戦を迎え、父の同僚の中国人徐集川の屋根裏部屋にかくまってもらい、1946年、家族共々、日本に引き揚げ、千葉、飯岡(旭市)を経て、墨田区小梅町に移り住む。

道ばたに落ちていた豆本で「アラビアンナイト」を題材にした杉浦茂(1908-2000)のマンガ作品で、その面白さに衝撃を受け、マンガにのめり込むも、家はマンガに対して厳しく、一切禁止されていた。小学生時に絵を好きなことを見て、声をかけた木内堯央(1939-2002)と親友になり、彼が作成していた同人誌「漫画クラブ」に1950年より参加した。

同じく出品される「燃える闘志(力石)」(サイズ42×29センチ、13万2000円)。

日本大学第一高等学校を卒業、在学時に新聞の三行広告でマンガ家を募集しているのを見つけて日昭書店に応募、社長の石橋国松がプロの生原稿を見せて道具の使い方を教え、試しに描いてくるように指示し、ちばてつやは本格的な執筆を始め、約3カ月間にわたり、毎回20ページから30ページずつ原稿を持って行くと、そのたびに続きを描くように言われ、128ページ目で話を終わらせるように指示を受けて描いた最後の原稿を持ち込むと、その場で当時の大卒初任給を超える1万2351円を原稿料として手渡された。

この時に執筆した「復讐のせむし男」は1956年に貸本として出版され、17歳でマンガ家としてデビューし、以降、高校に通いながら貸本の執筆を続けた。高校卒業を前に「少女クラブ」(講談社)の編集部で自身の原稿(江戸川乱歩=1894-1965=原作の「魔法人形」)を見せて執筆依頼を受け、読み切り「リカちゃん」を執筆した。同時期に訪れた「少女ブック」(集英社)でも執筆依頼を取り付け、読み切り「舞踏会の少女」を執筆した。両作共に1958年に発表されたが、「少女ブック」が先に発売されたため、「舞踏会の少女」が雑誌デビュー作となった。

両作をきっかけに連載も依頼され、同年6月号より「オデット城のにじ」(少女ブック)と「ママのバイオリン」(少女クラブ)を同時に連載開始するも、「少女ブック」が本人の了承なしに別冊への掲載を予告したことを機に講談社との専属契約を結び、「オデット城のにじ」は連載途中で降板した。

1961年に「週刊少年マガジン」(講談社)にて野球マンガ「ちかいの魔球」(原作:福本和也=1928-1997)の連載を開始し、1962年より「少女クラブ」の別冊ふろくで「1・2・3と4・5・ロク」の連載を開始、同年に同作と「魚屋チャンピオン」で第3回講談社児童まんが賞を受賞する。

その後も「紫電改のタカ」(1963年7月から1965年1月まで週刊少年マガジンに連載)、「ユキの太陽」(1963年1号から48号、週刊少女フレンドに連載)などを手がけ、1965年に発表された「ハリスの旋風」(1965年16号から1967年11号まで週刊少年マガジンに連載)はテレビアニメ化された。1968年に劇画作家の高森朝雄(梶原一騎)と組み、ボクシングを舞台とした「あしたのジョー」(1968年1号から1973年21号まで週刊少年マガジンに連載)を発表、爆発的なヒットとなり、社会現象にもなった。

1973年には角界を舞台にした「のたり松太郎」(1973年23号から1999年9号までビッグコミックに連載)や、プロゴルフを舞台にした「あした天気になあれ」(1980年42号から1991年21号まで週刊少年マガジンに連載)などスポーツマンガのロングランヒット作に加え、幅広い作品を発表した。1977年には「のたり松太郎」により、第23回小学館漫画賞青年一般部門、第6回日本漫画家協会賞特別賞を受賞した。

1980年にはこれまでの功績を称え、青年マンガ家の発掘を主とした講談社主催の「ちばてつや賞」が設立された。1984年の創刊時から「GOLFコミック」(秋田書店)の表紙イラストを2018年の休刊まで担当した。2001年に文科大臣賞、2002年に紫綬褒章、2009年 に第33回講談社漫画賞講談社創業100周年記念特別賞、2012年に旭日小綬章、2014年に文化功労者、2017年に練馬区名誉区民に選ばれている。

また、2005年からは文星芸術大学教授を務め、2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長、2019年4月1日より文星芸術大学学長を務めている。

開場時間は10時から19時(最終日は18時)まで。

銀座蔦屋で「自由放任」展、岡田菜美、川平遼佑、野原邦彦ら6人

【銀座新聞ニュース=2021年2月6日】書店やレンタル店、フランチャイズ事業などを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(渋谷区南平台町16-17、渋谷ガーデンタワー)グループの銀座 蔦屋書店(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3575-7755)は2月21日まで6階「GINZA ATRIUM」で岡田菜美さんら6人の作家による「Laissez-faire」を開いている。

銀座 蔦屋書店で2月21日まで開かれている6人の作家による「Laissez-faire(レッセフェール、自由放任)」に出品されている上段左から川平遼佑さんの「午前四時、目覚める」(2019年、アクリル絵具、オイルパステル)、ニワタカユキさんの「スーパー・ジャンボ・ラブ」(2016年、FRP)、田島享央己さんの「イカピエタ」(2020年、樟)、下段左から岡田菜美さんの「がらんどう」(2016年、油絵具、アクリル絵具)、野原邦彦さんの「カプチーノV」(2020年、FRP)、千葉美香さんの「Twilight Tokyo(トワイライト・トウキョウ)」(2014年、油彩、アクリル絵具)。

岡田菜美さん、千葉美香さん、川平遼佑さんの平面作品と、ニワタカユキさん、野原邦彦さん、田島享央己(たかおき)さんの立体作品を展示する。

岡田菜美さんは自身が訪れた場所の風景をモチーフにしているが、「異なる経験を持つ観る者に既視感や時を超えた心象風景を想起させる」ようにしており、「風景や建物に対するイメージは、それぞれの人が持つ経験や思い出、記憶によって異なってくる。つまり、それらの場所には何通りものイメージがある」という。「幾重にも重なる『イメージを帯びた風景』と、『まだ意味を持たない風景』の関連性を作品の軸にして、『One view(ワン・ビュー)』を描」く。

千葉美香さんは「黄昏時の空はロマンチックで、一瞬の儚(あわ)い水しぶきをよりドラマチックに照らし出す。水に浸かっていた肌も生き返ったかのように艶やかに輝きを帯びる。水はとても身近な物質であるが、そこに神秘的な美しさを見出し癒しや感動を味わったとき、私たちは神様との繋がりを再認識する」とし、水をモチーフにして、作品を制作している。

川平遼佑さんは子どもの頃に見た怖い夢やホラー映画、そこから生まれる空想のお化けや風景をモチーフにユーモラスなパンツ・ペインティングシリーズを制作している。

ニワタカユキさんは「造形で人を笑わせたいという気持ちを常に持っています。人間の業をばかばかしく表現したい」と考えて、独自の立体作品を制作している。

野原邦彦さんは「自分が感じとったさまざまなシーンを作品として形に残す。今、現在、記憶からは排除されそうな自由や時間、欲望を表現する」ことにしており、「それは自分が自分であるため、その人がその人であるために重要なことだと感じている」としている。

田島享央己さんは仏師の流れを汲む彫刻家一家の5代目として生まれ、「多種多様な作品を生み出すことは自然なことであり、一見全く意図が違うように見える等身の女性像と可愛らしい二頭身像は、彼にとってはどちらも目には見えない“存在”を形にしている」という。

「女性像の視線は焦点が不確かでありながらも力強く、普賢菩薩のような慈悲深い存在を、二頭身像は私たち日本人にとってなじみ深い八百万(やおろず)の存在に近しいものを感じることができる。目には見えない、言葉にはできない、何らかの存在は、時代が移り変わっても普遍的なものであり、この現代社会において忘れずに感じていたいもの」としている。

岡田菜美さんは1991年群馬県生まれ、2016年に多摩美術大学大学院を修了、2014年から個展を開き、2020年にニューヨークのアートフェアVOLTA(ボルタ)に招待参加している。

千葉美香さんは1991年北海道札幌市生まれ、2009年に第2回道展U21で奨励賞(2011年に朝日新聞北海道支社賞、2012年に準大賞、2013年に松山額縁店賞)、2014年に北海道教育大学旭川校教員養成課程芸術・保健体育教育専攻美術分野を卒業、2019年に第35回上野の森美術館大賞展で絵画大賞を受賞している。

川平遼佑さんは1990年愛知県生まれ、2014年に名古屋芸術大学を卒業、2012年に「TURNER AWARD(ターナーアワード)2012」で未来賞、2014年に名古屋芸術大学卒業制作展で優秀賞、「三芸大学生選抜 H/ASCA展」で優秀賞、2016年に「第22回おひさま大賞」で佳作、2018年に「MONSTER Exhibition 2018」で入賞している。

ニワタカユキさんは1981年愛知県生まれ、2004年に愛知県立芸術大学美術学部彫刻科を卒業、2017年に「ART STAGE SINGAPORE(アート・ステージ・シンガポール)」に出展、「アートフェア東京」に参加している。

野原邦彦さんは1982年北海道生まれ、2007年に広島市立大学大学院芸術学研究科彫刻専攻を修了、2005年に第90回二科展で入選、特選を受賞、2006年に第11回日本文化藝術奨学金を取得、2007年に広島市立大学芸術学部・修了作品展でプリラジュネス賞、2020年にチョコレートでのコラボレーション作品を展示(Ginxa Six)している。

田島享央己さんは1973年千葉県生まれ、2000年に愛知県立芸術大学美術学部彫刻科を卒業、1999年に国際瀧冨士美術賞を受賞、2009年に北の動物大賞展で大賞、2014年に第78回新制作展で新作家賞(2016年に新作家賞)を受賞している。

時間は11時から19時。入場は無料。

ヴァニラで元「AKB」光宗薫が「メロンタ・タウタ」展、インスタも

【銀座新聞ニュース=2021年2月5日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は2月6日から3月4日まで光宗薫さんによる個展「メロンタ・タウタ(Mellonta Tauta)」を開く。

ヴァニラ画廊で2月6日から3月4日まで開かれる光宗薫さんの個展「メロンタ・タウタ(Mellonta Tauta)」のフライヤー。

元「AKB48」13期生の光宗薫(みつむね・かおる)さんは0.7ミリのボールペンを用いて、独学でボールペン画を描いており、「巧みな線と点で描かれる圧倒的な画力と、豊かなイマジネーションで構成される」作品を新作を中心に展示する。

また、今回は作家が会場内の一部となるインスタレーションも紹介する。さらに、展覧会を記念して、新作を収めたカタログや、オリジナルグッズも販売する。

ヴァニラ画廊などによると、「MELLONTA TAUTA(メロンタ・タウタ)」は1849年に発表されたアメリカの作家、エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809-1849)のSF短編小説で、晩年の1848年の1000年後の2848年を舞台に、やりきれない気球(スカイラーク号)の旅路にある主人公が、ある人へと宛てた書簡体小説の体が取られている。

その手紙の中で、主人公は、古代人(つまりポーの時代の人たち)の愚行の数々を、哲学的 、社会的、科学的な面から検証している。その口調は常に批判的で、言葉の端々に怒りすらも垣間見え、主人公はある発見をするが、最後は気球がつぶれて海へ墜落し、主人公は手紙を瓶に詰めて海へ投げ入れてしまう、という話だ。

また、「メロンタ・タウタ」はギリシャ語で「Things of the Future(シング・オブ・ザ・フューチャー、未来のことがら)」を意味している。

ヴァニラ画廊ではどんなに攻撃的であっても、自分自身で環境を変えることはせず、ただ気球に揺られるだけの、孤独で空虚な憤怒の念にかられた無力な主人公の姿」について、光宗薫さんの目には「滑稽に映るとともに、やり切れなさにシンパシーを抱く存在として、深く脳裏に刻まれていた」という。

今回の個展では、手紙を書き続けるしか考えのつかない主人公を、制作を続ける自らの姿に重ね合わせ、メロンタ・タウタの主人公が生きる世界を想像した作品を発表するという。

光宗薫さんは1993年大阪府生まれ、2011年頃より独学で絵を描きはじめる。絵に使用する画材はすべて無印良品のポリカーボネイトボールペン0.7mmのみで、昆虫や自身の姿、空想の生物などを緻密に描き込んでいる。

ウイキペディアによると、光宗薫さんは1993年愛媛県生まれ、大阪府育ち、2011年12月にAKB48劇場で開かれた「AKB48 6周年記念公演」で「AKB48」13期生として披露され、独学で絵を描き始め、2012年4月のTBS系「アタル(ATARU)」で連続ドラマに初出演、体調不良により、8月24日から26日の東京ドーム公演を辞退、10月24日に「AKB48」を辞退することを発表した。

2013年9月に「劇場版 ATARU THE FIRST LOVE&THE LAST KILL(アタル・ザ・ファースト・ラブ&ザ・ラスト・キル)」で女優業を再開、2013年10月に大阪府でボールペン画による個展を開いた。

2014年4月に芸能事務所に所属し、芸能活動を再開したが、2017年9月に10月から芸能活動を休止することを発表した。2015年9月からTBSの「プレバト!!」に出演し、陶芸査定コーナーで1位を獲得、2016年4月の「春の水彩画ランキング」企画の水彩画査定コーナーで1位、その後、昇格を続け、2020年8月の放送で、水彩画査定で名人初段へと昇格し、現在、水彩画査定ランキングに準レギュラー(名人)として出演している。

開場時間は12時から19時(土・日曜日・祝日17時)で、入場料は予約で800円、当日が1000円。無休。入場に際してはマスク着用、検温などがある。時間指定有のチケット制で、定員制で1時間単位で入れ替えとなる。ライブポケット(https://t.livepocket.jp/t/te9i_)を通じて予約する。

加島美術、美術品入札会、民藝、琳派や向井潤吉ら550点

【銀座新聞ニュース=2021年2月5日】加島美術(中央区京橋3-3-2、03-3276-0700)とBSフジ(港区台場2-4-8、フジテレビ本社ビルメディアタワー)は2月6日から14日まで第6回美術品入札会「廻-MEGURU-」の下見会を開く。

加島美術で2月6日から14日まで開かれる第6回美術品入札会「廻-MEGURU-」の下見会のフライヤー。

「廻」は誰でも参加できる日本美術に特化した入札型オークションで、今回は約550点を出品する。最低の入札価格は3万円からで、「民藝」特集、郷愁の洋画家「向井潤吉(1901-1995)」特集、「琳派」特集を展開する。また、円山應挙(1733-1795)、伊藤若冲(1716-1800)、長沢蘆雪(1754-1799)ら、江戸絵師たちの作品も出品される。

「廻」は美術品を売却したい人から作品を集約し、国内外約2万人の美術品愛好家をはじめ、購入を希望される人に作品を紹介し、出品者が自ら入札価格を設定できる。下見会の期間中は、ギャラリーにて出品作品を展示するので、作品を実際に見ることができる。

「民藝」は1926(大正15)年に思想家・柳宗悦(1889-1961)によって提唱された芸術運動によって確立された比較的新しい美の概念で、それまでの概念を覆す新たな美の世界が生み出され、棟方志功(1903-1975)、河井寛次郎(1890-1966)、濱田庄司(1894-1978)、バーナード・リーチ(Bernard H.Leach、1887-1979)の作品などが出品される。

ウイキペディアなどによると、「琳派」は安土桃山時代(1573年から1603年)に興り、近代まで活躍した、同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦(1558-1637)と俵屋宗達(生年不詳-1640頃)が創始し、尾形光琳(1658-1716)・尾形乾山(1663-1743)兄弟によって発展、酒井抱一(1761-1829)や鈴木其一(1795-1858)が江戸に定着させた。

大和絵の伝統を基盤として、豊かな装飾性・デザイン性をもち、絵画を中心として書や工芸を統括する総合性、家系ではなく私淑による断続的な継承などが特質として挙げられるとしている。

今回は江戸琳派を代表する酒井抱一や、近年展覧会で注目され、その可愛らしい絵柄で人気を集めた中村芳中(生年不詳-1819)、神坂雪佳(1866-1942)や市川其融(1808-1874)ら琳派の流れを汲む絵師たちの作品を出品する。

向井潤吉は日本中を自ら行脚し、民家の姿を残し続けた洋画家で、今回は「民家の向井」とも呼ばれた画家の油彩作品と、文藝春秋の挿絵にも使用されたペン画複数点が出品される。「若かりし頃にはフランスのルーブル美術館を日参し、自らの制作の糧とした向井潤吉。フランス絵画にある風景を捉える表現が活かされた民家の姿の数々は、私たちに心のふるさとを感じさせ」るとしている。

今回のハイライト作品は円山應挙(1733-1795)画・芝山持豊(1742-1815)賛「竹雀画賛」(紙本、着色、円山應震=1790-1838=鑑定書、最低入札価格は150万円)、伊藤若冲「鶏図」(紙本、水墨、同120万円)、横山大観(1868-1958)「芦に魚」(紙本、水墨、共箱、横山大観記念館登録い第17号、同100万円)、下村観山(1873-1930)「枯木鳥」(絹本、着色、共箱、下村観山遺族会鑑定証、同80万円)。

田中一村(1908-1977)「花中富貴」(紙本、着色、同70万円)、藤田嗣治(1886-1968)「若い女性の肖像」(紙本、鉛筆、水彩額装、東美鑑定証書、同180万円)、児島善三郎(1893-1962)「アネモネ」(キャンバス10号、油彩、額装、児島俊郎鑑定書、同180万円)。渋沢栄一(1840-1931)の筆跡「危楼…」(絹本、同38万円)、河井寛次郎「櫛目碗」(共箱、同24万円)、棟方志功「鯉の図」(8号色紙、紙本、着色、額装、棟方志功鑑定委員会鑑定登録証、同250万円)。

14日18時が入札締切。加島美術にて入札結果を取りまとめ、16日の開札日に落札金額をウエブサイトで公開する。下見会は入場無料。